The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

憲法と仏法 2

2015-08-09 05:40:10 | 世界経済
          
 自己のあり方を徹底的に探求したのが仏教、その意味では、これほど新しいものはない、超近代的、だから、
 「仏法ならうとは 己にならうことなり」

 世界は自我の鏡に映った影、一瞬一瞬、変化している、あるようでいてなく、ないようでいてある、夢のように・虹のように・火花のように、
 「己にならうとは 己を忘ることなり」

 この「己を忘れる」とは認知症でもアルツハイマー病でもない、自分という固定観念から自由になる、
 「己を忘るとは 萬法に證せらるるなり」

 「萬法」は、あるゆる法則、だから、すべての法則によって「正しいあり方として証明される」、あらゆる法則、これは現代の最新物理学の成果に一致するだろうか。

 己を忘れることが「正しいあり方」、具体的には、日々、「明るく前向きに努力し向上していくこと」であり、それは、
 「仏道は 無上に 人々の請願を 成就させる」    

 だから、第一線のビジネスマンのあり方に照応するもので、あのアップルのジョブズがぞっこん、彼は、なんと出家を熱望した、この時、日本人の禅僧は、
 「ビジネスの世界でも spiritual な仕事はできる」

 ジョブズは留まり、iPhoneやiPodの発明になった、その禅僧は、ニッポンの仏教界の現状を察知しての言動だったのかもしれない、とても推薦できる状態ではない。

 それにしても、スマホやタブレットのあまりの流行、スマホの奴隷みたいだ、いいことだろうか、それでなくても、人間の営みは、カタストロフィに向かっているように思えるのだが。


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