日本におけるユング研究の第一人者は、当時、河合隼雄・かわいはやお 1928〜2007 だった。
河合は正統な学者、京都大学教授・文化庁長官を歴任、日本人初のユング派分析家の資格を得ている、河合の周りにも、熱烈な支持者・親衛隊がいて、秋山さんを、
「なによ あんな小娘・こむすめ」
しかし、こちらも根強い人気、
「エリートコースを歩んだ国立大のセンセにはない魅力」
なにしろ波乱万丈の人生、ひそかに「恋多きオンナ」、なかでもポストキョウとの関係は秀逸、ヴァンデル・ヴァン・ポストは、イギリスの王室には後見人のような制度があり、当時のチャースズ皇太子の後見人はポストキョウ、社交界の人気者、多くの女性に囲まれていた、そこへ、さと子さん、
「あたしも 入れて」
だから、
「フリソデは結婚前ですよ」
「そんなこと ガイジンにはわからないわよ あっ」
「ふふふ」
「あなた カマかけたのね」
「ヒヒヒ」
「わるくなったわね」
「おかげさまで」
日本の着物の人気は絶大で、ベルリンではバスが止まった、そこで、わたしの推理、ピタリと当たったのだ。
われらが秋山さん、人情の機微がわかる、これが京都にはない、
「カワイは おもしろくないわ」
「ヒトの情けが 分かっていない」
お互いは、
「どう思っていたんだろう」