大きなあの事件の裏に小さなエピソード、三島にとっては不名誉なエピソードがある。
あまり知られてはいない、それは、比叡山の天海蔵の秘本にまつわるもので、僧侶でも見ることのできない秘本中の秘本を、三島は「見た」、今東光は猛烈に抗議する、
「世間がどう言おうと 俺はあいつを信用しない」
さらに、
「あいつを 評価しない」
その前にいい方の評判を、『司馬遷』の名著をものにした武田泰淳は、三島について、
「空前絶後の文章の達人」
これは、彼の古典の学識から来るものだろう。
ところで、英文学と漢籍には通じていた夏目漱石は、日本の古典文学には疎(うと)かった、そこに彗星の如く現れた芥川龍之介、この若者の短編小説は王朝の雅(みやび)とユーモアが横溢(おういつ)しており、漱石は芥川をバックアップする。
ある日、その芥川と谷崎潤一郎とある編集長が、古典の知識を披歴した、すると芥川よりも谷崎の方が詳しい、これには一同がビックリ、ところが、芥川・谷崎よりもその編集長の方が、はるかに上だった、当時の日本の知識人のレベルの高さ、今とは比べようがない。
三島は、ライフ・ワークの『豊穣の海』で、
「数珠(じゅず)を繰(く)るような蝉の声が あたりを領(りょう)している」
「その他には なにもない 記憶もなにもないところに来てしまったと本多は思った」
そして、
「庭の木立(こだち)は 夏の日盛りの日を浴びてしんとしている」
「しんとしている」、近代的ニヒリズムの彼方に、宗教的静寂を体験したのだろうか、当時、まだ元気だった老僧に聞くと、
「かすったぐらいかな」
「・・・」
「日本人なら そのくらいには達しているよ」
無上の仏道では、入口にいようが「奥の細道」を歩もうと「おなじ」ではなかろうか、
「そう言ってもなあー」
「なんですか」
「初心者の禅で終わってしまうんだよ」
老僧は曹洞宗の僧侶だったが、
「只管打坐(しかんたざ)であっても」
「坐りきれるもんではないよ」
「それなりの修行をしなければいけない」
庭は、もう秋、
「自覚がないといけないね」
「せっかくの宝が生きてこない」
アメリカのゼンセンターで坐ったことがあるが、なんかヘン、ザワザワしている、日本の禅堂とは違う、帰って来て質問した、すると、
「師家(しけ)は 日本人でなくてはダメだな」
彼らは、日本人には当りまえのこと、言わなくて分かることが、分かっていないのだ。
日本人には何代・何十代にも渡って、身についたものがあるようだ。