日高見の若者は強かったようだ、平安時代の政府文書に、
「弓馬・くば の戦闘は 夷僚の生習 その一は 我らの十に匹敵する・・・」
この記述を大谷選手が立証している、天皇政権は、それで、
「弓・大弓を用意する」
どんな戦いになったか、だいぶ後に、源義家が、蝦夷の子孫になる安倍の貞遠を追い詰めた、
「ころものタテは ほころびにけり」
すると、サダトオ、
「年をへし イトの乱れのくるしさに」
彼の三男が黒澤尻の三郎、その子孫があの黒澤明、黒澤の文才はこの血脈によるものか。
日高見国、タイヘンに強かった、しかし、列島の大半を支配しかけていた古代天皇政権、圧倒的な兵力で攻めた、それが、
「この国の古代の現実であった」