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震災から1年

2012-03-11 13:05:00 | 東日本大震災
 あの日から一年。
いまだに震災関連の番組が目に入ると、いろいろなことが思い出されて涙が止まらなくなる。
あの日、底深い闇の中で、ふと見上げた空一面に地上の悲劇とは無縁の如く、無数の星が冷たくきらめいていた夜空の景色を、私は決して忘れない。

  この一年、どれだけ多くの人が「あの日の前の日に戻りたい」と叶わぬ願いを抱きながら暮らしてきたことだろう。
もしあの日の前の日に戻れたら...
3・11の大悲劇が発生することを承知の上であの日の前の日に戻れたら...

 大切な肉親との別れを回避することは出来るのか?
 貴重品や思い出の品々を持ち出すことが出来るのか?
 死者や被害の状況を今よりも抑えることが出来るのか?

 いや...人心は混乱し世の中の秩序は狂い、もっと被害は大きくなってしまうだろう。
自然の摂理の現象は人間が操作できるものではない。
私たちに出来ることは、あの日の教訓を噛みしめながら、これからの一日一日を大切に生きていくことだけだ。


 震災以降という言葉がさかんに使われるようになった。
本来は動物をつないでおく綱の意味だそうだが、この一年は、人と人とのつながりを取り戻すための便利な言葉としてクローズアップされてきた。
を築き育て上げることは簡単なことではない。

 最近は、ひとりよりふたりの方が安心と、災害から学んだ震災婚が増えているらしい。
出産率も上昇し産婦人科医院は近年になく混雑しているというから、みんな競って家族のを模索し始めた。
しかしそれとは逆に、夫婦で原発に関する見解が食い違い、育児やライフスタイルの共通理解を得られないまま離婚を余儀なくされる『原発離婚』も増えている。
は実に脆いものであるから要注意だ。

 被災地の復興にとって最大の障害となっているのが瓦礫処理問題。
好意的に受け入れてくれる市町村もあれば、頑迷に拒否する市町村もある。
この狭い国土の日本では、他県の協力なくして復興はありえないのに、すべての人々が揃って温かい手を差し伸べてくれる訳ではない。
なんて絵に描いた餅のようなものである。

 例年我が家のお歳暮は岩手の美味しいリンゴなのだが、ある友人から
「放射能が心配で孫に食べさせられない。岩手のリンゴはいらない。」
と言われた。

 私は「被災地の野菜を買おう!」と謳った生協の運動の主旨に賛同し、一日も早いふる里の農業の再生の実現を願ってきた。
壊滅的な打撃を受けた東北の農業、漁業の復興のためには、全国の消費者の理解と支援が絶対的に必要だ。
しかし「食品は安全な北海道や九州産を選んで買うようにしている」と言う、家族を守るのは自分だけであるという友人の信念もまた強固で揺るぎがない。
自分の暮らしだけを守れば良いのかと反論したい気持ちがないわけではないのだが...
長年の友情のに亀裂が入ることもあるので、原発問題に関しては本音で語ることはとても難しい。




                ★  ★  ★

  盛岡市民文化ホールで開催中の東日本大震災復興支援企画、100歳の詩人として著名な【柴田トヨさん】の詩を、片岡鶴太郎・コシノヒロコ・佐久間良子・日野原重明・菊池雄星等々の各界の著名人が揮毫(きごう...毛筆で文字や絵を書くこと)した『くじけないで』展に出かけてきた。
100歳の詩人の感覚は大変キュートで新鮮だし、参加者の揮毫も素晴らしく見所満載だった。
私のお気に入りの詩はこれ↓ 


 「先生に」

私をおばあちゃんと呼ばないで       
「今日は何曜日?」
「9+9は幾つ?」
そんなバカな質問もしないでほしい

「柴田さん
西条八十の詩は好きですか?
小泉内閣をどう思いますか?」
こんな質問ならうれしいわ 


 柴田トヨさんにとって、認知症は無縁の事柄だと思われる。
以前から私も、似たようなことを子どもたちに言っていたので笑ってしまった。

「私が本当に惚けたかどうかは医師の判断だけで決めないでね。
日本文学史から難問を出して、その回答の結果如何で判断してほしい。」











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24 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (およよ)
2012-03-11 17:57:14
やはり 今日この日、震災の話を抜きにはかけないですね。
くしくも私も震災の記事をUPしてしまいました。(nihao様ほど達者な文ではないですが)

「絆」って言葉が一人歩きした感は否めないですねぇ・・・

トヨさんの詩のバカな質問は
介護の判定に使われるテストですね。
私だったら質問に答えず、「先生、解りますか?」って訊いてしまって判定が決定する?

生前、祖父も同じような事を言ってました。

医療や介護職の方は高齢者は世間を知らないって先入観があるのかしら?
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およよさんへ (nihao)
2012-03-11 19:12:49
去年は辛いことが多すぎた年でした。
2・3日前からいろいろ思い出し、涙もろくなっていました。
およよさんの記事は私との共通点がありますね。
皆さんにも読んでいただきたいと思います。
http://blog.goo.ne.jp/o_yoyo/e/17533c069d45934a07b334c94e1d3d2b

トヨさんのこの詩、ちょっとシニカルで面白いですよね。
私も「今日の日付」や「100からの引き算」だけで認知症診断されるのは凄く困ります。
引き算なんて最高苦手(^_^)
その上今日の日付を確認しながら暮らしてなんかいないし...
もっと難問を出して欲しいワ。
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 (百子)
2012-03-12 00:44:54
私も、この詩、素敵だなぁって思いました。
カッコいいなぁって思いました。
が、
今でさえ、時々、何曜日かわからなくなる私は、そんな強気なことは言えないかも~、先が思いやられます。
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百子さんへ (nihao)
2012-03-12 08:50:55
私はゴミ出しの関係で、曜日は分かりますが日付が駄目です。
自分の年齢もすぐには正しく言えません(言いたくない?)
だから認知症テストを受けて、ヤブ医者に「nihaoさん、認知症!」って言われるのではないかと今から心配しています(^_^)

以前姑のテストに付き添ったことがありますが、年齢を聞かれた姑(82歳)は
「さて...?50くらいだったかな?」と真面目な顔で答えていました。
ホンモノとニセモノを、医師がきちんと区別出来ればよいのですが...
返信する
放射能 (すずめ)
2012-03-12 20:17:08
私達の地元は地震災害と原発により引き裂かれてしまいました。
特に放射能に関しては、それぞれの考え方により家族がバラバラになってしまっています。
子供のために避難も仕方ない事で気持ちはよくわかります。また地元に残り不安の中で頑張ってる人たちがいることも事実です。
避難しても残ってもそれぞれが苦しみです。
それも先が見えず、みんな不安な日々を送ってる状態です。
戻れるものなら、3月11日前に戻りたいですね。
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すずめさんへ (nihao)
2012-03-13 22:17:11
今日は沿岸部の方へ行く用事があり、南三陸町、気仙沼、陸前高田を回ってきました。
瓦礫の処理が進まず復興もまだまだ先の話ですが、仮設の店舗などが増えて、人々が前に歩み出しているエネルギーを感じて帰ってきました。

津波で何もかも失った岩手・宮城の沿岸の人々も大変ですが、原発という人知を超えた力に翻弄されている福島の人々も大変辛い毎日だと思います。

先が見えない日々は相当なストレスが溜まると思います。
すずめさんは離ればなれになったご家族のためにもお体に気をつけてください。
今暫くは、よきお嫁さん、よきお母さん、よきお婆ちゃんの三役を頑張るお仕事がありますね。
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国語だけです、今回は (燃える闘魂)
2012-03-14 07:24:52
ちょっと立てこんでいて(ならコメントしなければいいのに)時間が無いので「日本語についてケチをつける」だけになってしまいます、今回は。

「絆」、私も昨今の使われ方には(日本語の用法という意味だけではなくて)引っかかるところがあります。

ところで、この言葉はnihaoさんの日記本文中にあるとおり、
> 本来は動物をつないでおく綱の意味
です。

そうすると、この言葉の意味(そもそも何を指すか)から言って、「脆い」「亀裂が入る」は、比喩だとしてもちょっとどうなのかな、と感じます。

サザンの『逢いたくなった時に君はここにいない』に、
> たぶん君は許さない女でいる限り
> 噂の後に割れた絆を
というフレーズがあります。

サザンもこの歌も好きなのですが、どうにもこの部分が気になってダメです(少なくともカラオケで歌う気にはなれません)。
そもそも桑田さんの歌詞は、日本語のセンスも含めてとっても良いものもある反面、このような「日本語として明らかに間違った用法」も散見されるので、その点で信頼性はありませんし、またそのことをもって彼や彼の歌や歌詞の価値が否定されるものではまったくありませんけれど。
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燃える闘魂さんへ (nihao)
2012-03-14 10:53:22
お忙しいなかコメントをくださってありがとうございます。
読む前から、たぶん言葉の問題(絆?)だろうと想像していましたが大当たりでした(^_^)

これは震災後よく耳にする『絆』という言葉に疑問を持って書いた文章です。
友達のことは、書くのをかなり迷いながら挿入したエピソードです。
すべての事柄を絆という言葉の枠の中に納めようとしたので、ちょっと無理があるかなと思ったのですが、日本語の方も無理があった...?

書きながら一応私も『絆』の本来の意味や使い方などは調べました。
本来は綱のことですから、人と人の関係を強く束縛する意味合いもあり、「絆を断つ」「絆から逃れる」と言う言い方もある言葉を、震災後の人々の心の交流を取り戻すためのキャッチフレーズにするのは、ちょっとヘン?ではないかと思ったりもしました。

さて本文中の使い方のことですが、「絆が脆い」「絆に亀裂が入る」は、陳腐な表現だなと使うのを躊躇したくらい一般的な用法として市民権を得ていると感じていたので、正直言って間違っているとは思いませんでした。
比喩としても本来のイメージから、そんなに逸れているとは思えないのですが、はたしてどうなのでしょう?
闘魂さんのご指摘に関しては、もう少し考えさせていただきたいと思います。

サザンの「割れた絆」に関しては、確かに使い方はヘンだけれど、斬新なイメージとして受け取ることが出来ます。
詩などの場合、比喩を文法で論じることは出来ないと思います。
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Unknown (又三郎)
2012-03-15 12:25:04
昨日から出張中で山口県の長門経由で間もなく博多到着です

「絆」の本来の意味はポチを引く綱だったのですね…
だとすれば、それが何のためにあるかというと、手を取り合い
本当は助け合うというよりは、奔放を許さず、御する縛りの意味なのかも?
いま、世の中で多用されている「絆」は広い意味での人と人との繋がりを
差すのに一文字で、ちょうどよい言葉なのでしょうけどね

又三郎が家族の絆を危うく?しながら、働いている広島、島根では神楽が盛んです
地域毎に「神楽団」という阿波踊りの「連」のようなものがあって
定期的に舞のグランプリを競う大会があり盛り上がるのですが
年寄りから子供までが、地域ぐるみで神楽舞を伝承しているのだと聞きました
これなら普段から楽しみながらしっかりと繋がっているから
改めて、震災に備えて繋がりを見直す必要もないのだろうと思いました

ところで『詩などのばあい比喩を文法で論じることは出来ないと思います』は
私もそのように思います
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又三郎さんへ (nihao)
2012-03-15 16:13:23
又三郎さんもお忙しそうですね。
今朝の新聞で、間もなく花巻・福岡間にてJALが就航するという宣伝をながめながら、ちょうど九州に思いを馳せていたところでした。
どこかおすすめスポットがあったら教えてください。

>家族の絆を危うく?しながら、働いている
いやいや、だいじょうぶです。
危うくしながら遊んでいる(?)のならいざしらず...
お父さんのご苦労にはみんな感謝して応援してくれていますよ。

どうやら絆は「せ~の!」と頑張ってみんなで深めていけるものではなさそうですね。
一人一人が古里に対して、断ちがたく逃れがたい思いを持っている、その強い気持ちが古里への絆のようなものかもしれません。
神楽のような伝統芸能は、地域の絆を大いに深めるものですね。
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