[抱き人形]
Mr.H(マダムHのご主人)とお嬢さんと婿殿の三人が、我が家を訪ねてくれた。
マダムHの思い出話で涙、涙にかき暮れるのではないかと不安だったが、ご家族の皆さんは、マダムHの死を乗り越えて明るい表情を取り戻していた。
お嬢さんは「今年中に絶対に新しい家族を作る!」と張り切っていたし、
結婚当初研修医だった婿殿は、いろいろ悩み考えた末、近年なり手の少ない産婦人科の医師になることを決断した。
Mr.Hは『男子厨房に入ろう会』や『放送大学』に参加したり、カメラを新たな趣味に加えて忙しそうにしていたし
上海在住の長男さんには、もうすぐ待望の赤ちゃんが生まれる。
すべてマダムHが望んでいたように回っている。
もしここにいたらどんなに喜ぶことだろう。
お嬢さんからマダムHが製作した抱き人形を頂いた。
形見分けに私にも何かひとつ...できれば彼女の作った人形が欲しいと思っていたのでとても嬉しかった。
全長45センチの存在感のある人形だ。
生前彼女は、忙しい時間をやり繰りして創作人形教室に通っていた時期があった。
人形教室と彼女の取り合わせが意外だったので驚いたのだが、元来が器用でセンスがよいのであっという間に上達した。
彼女は古布や端布の使い方や小物作りが上手で、いつも楽しそうに工夫していた。
幼い子どもたちをモデルにした彼女の【お迎え】は、ふたりにそっくり!
お母さんの愛情を感じさせるほほ笑ましい作品だ。
私が頂いた人形は今にも泣き出しそうな憂い顔。
悲しみにじっと耐えているかのようだ。
人形の表情は変化しない。この人形がほほ笑むことは絶対にない。
彼女はどうしてこのような顔の人形を作ったのだろう?
人形の顔ってながめているうちに不思議と制作者の顔に似てくる。
闘病中、決して泣き言など言わなかったマダムHだが、自身の死をおそらく覚悟していたことだろう。
誰もいない病室で、きっとこの人形のような顔をしていろいろなことを考えていたのではないだろうか。
「心配しないで。だいじょうぶよ。何もかもうまくいっているわよ!」
思わず人形に向かって声をかけていた。
私も最近は、知らないうちにこのような顔をしていることがよくある。
怒ったり泣いたり呆然としたり...
薔薇と虹と酒とご馳走だけで出来ている人生などないもの。
でもこれからは私の憂鬱や不愉快を、この人形にぶつけてみよう。
もしかしたら全部吸収してくれるのではないだろうかと、虫のよいことを考えている。
マダムHの形見の人形、特別な力があると信じたい。
インターネットもつながってホッと安心です。
形見のお人形さん、私にはマリア様みたいに慈愛の表情があるような気がしました。
もう何でも受け入れてくれそうな・・・
(私の勝手な想像だったらごめなさーい)
きっとnihaoさんの憂鬱や悲しみも吸収してくれる不思議な力があると思います。
人との出会いだけじゃなくて、こういう物(お人形さん)との出会いもあるんじゃないかなぁと最近思うことがあります。
ふふっ、年齢でしょうか?
お人形さん、きっとnihaoさんの所へ来れて、喜んでいると思います。
新しい場所、新しい生活に早く慣れて楽しく過ごすことが出来ますように。
>マリア様みたいに慈愛の表情
あ~っ、う~ん、なるほど。どきっとしました。
もしかしたら悲しみよりそっちの方か...???
受け取り方は人さまざまですね。
最近春の憂鬱に支配されている私の辞書には、慈愛という素敵な言葉は存在していなかった(^_^)
でもながめていると、不思議と心穏やかになるお人形なんです。
人形には力があるよね。
見えますが。
お友達がいつまでも傍にいらっしゃるように思える素敵な形見ですね。
私もあの世に行った後こんな風に現世に自分を残しておきたいなぁ。
優しい表情で・・・多分マダムHも優しい表情の方だったのだろうな。
窓辺に座って、いつも見守っていてくれそうですね。
見る人によってずいぶん違うものですね。
私は春が苦手で、この季節になると調子悪くなります。
きっと私の今の気分に関係しているのかもしれません。
ポケッと女房さんは、ふだんから素晴らしい手仕事をされています。
すべてが心に残る記念の品になるので大丈夫!
これからも頑張って大作にチャレンジしてください。
私の手仕事に関しては、家族が全然関心を持ってくれていないので...燃えるゴミか?
大丈夫よ元気出してって見守っているようです。
作られた方の優しさがいっぱい詰まっているよです。
ああ、なるほど。いい言葉ですね。
今は半泣き人形だけれど、もう少し経ったら見守り人形に見えるようになるかも。
マダムHが楽しそうに人形製作している姿を度々見かけていたので
形見の人形を分けていただいて本当に嬉しいです。
小さい頃から人形遊びが大好きでした。
人形の洋服作りを通して、不器用ながらも洋裁や編み物に挑戦していました。
子どもの頃の人形遊びが、どれほど今の暮らしに役立っていることか(^_^)
人形遊びは大切な文化ですね。
素敵なひな人形でしたよね。
とても印象に残っています。
おそらく現在の仮住まいの家に持ち運んではいないことでしょう。
いつの日かまた自宅でひな飾りが出来るようになるとよいですね。
H嬢はハーレーダビッドソンを操る、活発なひとでしたが手先の器用な静の面を持ち合わせていたのですね
形見わけで思い出しましたが、私の父は80歳で肺がんを宣告され、もう長くないと
いわれましたが、老齢だったせいか進行が遅く、亡くなったのは5年後でした。
その父が宣告されたあと木彫りを習い始めてこの人形と同じくらいの大きさの仏像を
毎日、毎日彫り続けていたのを思い出します
原木から数ヶ月もの時間をかけて、子供の数だけ何体も彫っていました
そのひとつが、まさに形見わけとして、我が家のリビングで家族を
いつも見守ってくれています。出かけるときには手を合わせて、家族全員の名前を
あげてから「今日も一日、何事もないよい一日でありますようにみなをお守りください」
と、毎日同じ祈りをするのですが、父の仏像はいつも見守ってくれているようです
又三郎さんのお父上はご立派ですね。
死の宣告を受け入れることすら難しいことなのに、木彫りを習い、家族のために形見の仏像を作るとは。
それは家族の為でもあり、ご自身が心穏やかに死に向かう為の時間でもあったのでしょうね。
さすが薩摩の男性は覚悟が違います(^_^)
最近よく考えることは、歳のせいかやはり
「家族のために形見として残すものは何だろう?」
で、いくら考えても答が見つかりません。
大量のゴミを残し、子どもたちに
「片付けながらその中から最高の一品を探しなさい」
という課題を出すのが一番いいかな...な~んて。