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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

背中の銀杏が......

2008-12-04 10:00:02 | おすすめ記事
 先日娘が出演するという芝居見物のために一人で東京に行ってきた。
荻窪の小劇場での三日間公演ということなので、南阿佐ヶ谷のビジネスホテルをとり、一泊だけ娘と宿泊した。
南阿佐ヶ谷駅から荻窪方面に向かう銀杏並木の紅葉が見頃だった。
ホテルのエレベーターの床にも、金色に色づいた銀杏の葉っぱが紛れ込んで張り付いていた。

 若い時から紅テント(唐十郎)とか黒テント(佐藤信)とかのアングラ演劇に興味があった。
アングラ(アンダーグラウンド)は、60年代から70年代にかけて流行した反体制、反商業主義を掲げた前衛芸術運動のことだが、当時の若者たちの間に熱狂的な支持を受けた。
破壊と新生の試行錯誤は、あの時代が求めていたものだ。
でも貧乏学生だったので多くを見る機会はなかった。

 ところが結婚・出産して、アングラ演劇のことなど忘れかけた頃にまた巡り会う機会を得た。
天井桟敷(寺山修司)の流れを汲む小劇場活動をしている友人と、当地で再会したのである。
今年も寺山の戯曲『犬神』という妖しく切ないお芝居を観てきたばかりだ。

 芝居小屋には、娘が小学校低学年の頃から手を引いて連れていった。
劇団『ぴっかり座』の縫いぐるみ人形劇とは違うから、娘にとっては迷惑な同伴であることは承知の上で
「お願いだからいい子でおとなしくしていてね!」
ときっちりと言い含めて。
ところが難解な内容、非日常的な空間のどこが気に入ったのだろう?
幼い娘は初回から夢中になって目を輝かせた。
これは困った。
役者になりたいとだけは言わないでと願って育ててきたつもり。

 さて今回の娘たちの旗揚げ公演。
一生懸命練習して迎えた人生初の舞台、いろいろな思いが込められていたのだろうが、予想以上につまらなかったのでついつい本音で厳しい感想を述べてしまった。
私の心の中に潜む....そろそろ家庭に落ち着いて婿殿のお世話をしてあげてよ....という気持ちをチラチラ出しながら。
はじめは黙って聞いていた娘がついに切れた。
もうお母さんにはお芝居なんか理解する力なんてないのよ!!

 翌朝なんとなく気まずい思いを抱えながら、ふたりで銀杏並木を歩いて地下鉄の駅へ向かった。
はらはらと雪のように舞い落ちる葉っぱを背にして去っていく娘を見送りながら、突如かの有名なキャッチコピーが甦った。


    


    とめてくれるなおっかさん
               背中のいちょうが泣いている
                    


痩せゆく女

2008-12-01 10:00:06 | おすすめ記事
 無用な心配をかけてはいけないと黙っていたが、最近体調が思わしくない。

 食欲はあるしご飯もとても美味しいのだが、食べても食べても痩せていく。
頭の中は一日中食べ物のことしか考えていないし、いつも何か口にしているのに、いくら食べても太れない。
久しぶりにM嬢がやってきて
いつの間にそんなに痩せてしまったのよ!もっとご飯を食べなさい!
と驚いて涙ぐんでくれたが.......
太ることは痩せることより数倍難しいという事実を実感する。
なにか重い病気に蝕まれているのではないだろうか?

 容色の衰えも、もうこれ以上は隠せない。
昔はいい女だとかキュートだとかちやほやされ、ナンパされまくったのが自慢だったが、今では誰も振り向いてはくれない。
そこはかとない加齢臭も漂い、我が家を訪れた客人たちは皆一様に顔をしかめる。
さすがに面と向かって失礼なことは誰も言わないが......。
お風呂に入るのもすごくイヤ!
何もしたくないし、一日中ただ惰眠を貪っているのが好き。

 一番深刻な問題はよく転倒すること。
どうしてこんなに転ぶのだろう。
歳をとると転びやすくなるのは定説だが、転び方が大きな問題だ。
なぜか....頭からというか顔からいきなり突っ込んでしまう
きっと頭がよすぎて重い所為なんだろう。
室内より戸外での方がよく転ぶ。
小石や段差にひっかからないように慎重に歩いているのだが、気がついたら地べたにうつぶせになっている。
危険に際して、なんのサポートもしてくれない短い手足が恨めしい。
日々運動機能が低下しているのを実感する。
もう外には一歩も出たくない。

 頻尿もちょっと悩みのタネだ。
とっくに女であることは捨てているので、用を足す時は殿方を真似して立ったまま足をちょっと上げてする(???)
この時片足にかかった負荷で身体が支えきれなくなる。
そして哀れ! 真っ逆さまに落ちていく。

 以上は我が家の老犬ももちゃんの健康状態に関するレポートです。
決して私のことではありません





 散歩の途中で用を足しているももちゃん。
このあと土手の草むらに、期待を裏切らず顔から突っ込んでいくのです。



愛の力?

2008-11-10 11:50:05 | おすすめ記事

                          

 我が家は10年来棟方志功の版画カレンダーを愛用している。
今年もはや残り一枚となってしまった。 冬支度に気ぜわしい。

 そういえば先日、TVドラマ『我はゴッホになる!』で、劇団ひとりが棟方志功役を演じていた。
棟方志功が乗り移ったかのような熱演だったが、実物も本当にあんなに凄まじかったのだろうか?
劇中の台詞のほとんどは津軽弁だったが、この難解な言語は隣県に住む私ですら半分程度しか聞き取ることができなかった。
恐るべし正調津軽弁!日本語の原型を全くとどめていない。
標準語字幕が用意されていなかったことがとても不思議だった。

 私は方言で綴られているブログが好きでよく読む。
書き言葉にされた方言は何とも言えない味が出て面白い。
巧みな方言の遣い手たちは詐欺師に似ている。
ちっとも面白いことを書いていないのに、方言というスパイスを使って最高の味付けをしているから(ずるいなあ.....)

 ところで環境に慣れるということは恐ろしい。
隣県・近県のズーズー弁には敏感に反応する私だが、年々耳が馴染んできたせいか、もはや岩手弁は方言として認識されなくなっている。
訛りも全く感知不能。どうやら耳までナマってきたらしい。
少なくとも私の周りには、岩手弁の遣い手はおろか訛っている人間すら一人もいない.......という錯覚に陥っている。

 先日我が家に逗留した姪が
「伯父さんが早口で喋ると、訛っているから全然わからな~い!」
と言ってきた。
「まあ、あなたこそ何言っているの!伯父さんは流ちょうな標準語でしょ!」
とたしなめておいた。
姪は唖然として言葉を失っていた。

 私の兄弟たちからも夫の訛りを指摘されることがある。
そんなことはない!夫は全然訛ってはいない!憤然と私は抗議する。
それどころか
「職場で標準語を話しているのは夫だけなのよ!」
と自慢する(夫がいつもそう言って自慢しているから)

 兄弟たちは「愛の力だ!」と感心するが、私はなぜみんなが驚くのか理解できない。


 

関係者以外立ち入り禁止

2008-10-22 10:00:06 | おすすめ記事
 ↑くどいようだが『関係者以外立ち入り禁止』の話です。

 先月、我が家と我が家の隣にあるマーケットの間に家が建ち、近道がなくなり買い物が大変不便になったという記事を書いた。 『隣の隣のマーケット
しかし新住民宅のエクステリア工事が終了し、再度我が家に光明が見いだされた。
一カ所だけ、やっと人一人通れるだけの空間をみつけたのだ。


           

 我が家の外壁と新住民宅の境にある側溝に沿って忍者のように蟹歩きで数歩歩き、小さな土手をどっこいしょと登り、いまだ売り出し中の分譲地を横切れば.....もう目の前はマーケット。
これで隣家の敷地に入り込むことなく近道が確保されたが、これとて次の新住民が来るまでの一時的な手段でしかないことは承知している。

 しかし人間というものは、かくも近道に固執するものだろうか?
公認の近道がなくなって以来、我が家の並びの二軒のお宅が、自宅の後の塀をわざわざ取り外し、マーケットへの直線買い物マイ・ロードを作り出したのだ。
なるほど、日照権やプライバシー権があるのなら近道権があっても然るべきだ。
 
 『先住民の 先住民による 先住民のための....近道闘争
                        (by nihao)

 ところがある日突然、我が家の近道の入り口に


            
 
 「なに、これ!

 某国大使館や防衛庁や皇居に侵入しようとしている訳でもないのに、このご大層な看板はなにっ?
この道は私と野良猫しか通らないのだから、私個人を標的とした禁止事項であることは間違いない。
これは新住民の意思なのか?土地関連会社の陰謀なのか?
喜びも束の間、またもや近道を失った哀れな私。

 以上が『関係者以外立ち入り禁止』のどうでもよい話の全貌だ。
関係者以外でここまで踏み込まれてこられた方々へ
 ※なんの咎めもありません。
 ※話の内容に失望されても、当方は一切責任を負いません。

 そもそも「関係者」という言葉は不明瞭極まりない。
「立ち入り禁止」の脅し文句すら、人間の良識を前提としてもどれだけ効力があるのか疑問が残る。

 で厚顔無恥にして勇猛果敢なnihaoは、びびり夫の制止を振り切り
   今日もひたすら我が道を行く!



『夕顔』の姫君

2008-08-31 09:30:03 | おすすめ記事
【源氏物語第四帖】 
 夕闇の中で、白くひっそりと咲く夕顔の花のような美しい女に魅せられた、稀代のプレイボーイ光源氏。
やがて五条大路に住む女の家に通い詰めることになるが、ある日女は物の怪に取り憑かれ、光源氏の腕の中で儚く息絶えてしまう。
源氏は彼女にのめり込み、終生彼女の面影を追い続ける.......。

 古典オンチの私でも、『夕顔』が儚い女性の代名詞であることは知っている。

 高校時代、古典の授業で源氏物語を勉強した.........らしい。
隣席の友人とおしゃべりばかりしていた私は教師に目をつけられ、突然原文の読みを命じられた。

「い、いづれの御時にか........(略).........
  .......き、き、桐壺の......て..て..てぃ? てい!

 ああ、なんとぶざまな私。
源氏物語の授業中に「桐壺の帝(みかど)」と読めなかったノータリン。
怒った教師から
「君は一体、もう何時間源氏物語の授業を受けているんだね!」
と、もの凄い形相で睨みつけられた。
級友たちもこらえきれずに笑っていた。
し、しかしだ.....天井(てんじょう)を天どんと読んで教師の逆鱗に触れ、教室から追い出されてしまった友人よりは、ちょっとだけましではないだろうか???


                

 
 で、こちらは畑で立派にお育ちあそばされた『夕顔』の姫君。

 岩手に住みつくようになるまで、夕顔の正体は知らなかった。
県北の山間地暮らしの時に集落の人から戴いて、あまりの大きさと重さに目を回した。
果肉をひも状にして乾燥させると干瓢になるが、当地ではこのまま料理に使うことが多い。

           

 あっさりと白だしと鷹の爪だけで炒め煮にしてみた。
クセのない淡白な味で、煮込むと舌の上ではかなく溶けていくところは、まさに夕顔の姫君を連想させる上品で優しい風味である。

 夕顔は私にとってはほろ苦い思い出に繋がっている。 
天井を天丼と読んで大恥をかいた友人は、その後エリート銀行員の源氏の君に見初められ幸せに暮らしているという。


芸術の秋

2008-08-27 10:15:11 | おすすめ記事
 まずひとつ、これを見ていただきたい。


               

 子供用の椅子をカラースプレーでペイントし、水性エナメル塗料を用い、絵筆でフリーハンドで描いてみた。
トールペインティングとかステンシルアートとは全く異なる、nihao風再生中古家具アート(?)第一号である。
絵の巧拙はともかくとして、余白を全部埋め尽くした緻密な作業と根性を評価していただきたい。
これは20年前の手仕事。
当時我が田舎では、トールペインティングやステンシルの材料を手に入れることが出来なかったので、すべてホームセンターでまかなった。

 北海道からやってきた母が、この椅子を見て眼を瞠り.......(ドキドキ)
「ちょ、ちょっと、あんた! ああ、なんて下手な絵なの!」
普通の母親は、こんな風に子どものやる気を削ぐようなことは言わないだろう。
しかし私は、母の言葉になんか断じて左右されたりはしない。
大物のサイドボードにも挑戦した。

           

布地にだって描いた。

           

 もう止まらない。たくさん、たくさん描いた。
家中の家具や道具が美しいお花畑に化けた。
ベルサイユ宮殿のように(行ったことはないが)豪華絢爛になった我が家に、家族たちは大喜び......してくれると思ったのに

「僕のモノに手を触れたら罰金だからね!」と言い放つ冷たい息子。
「お母さん、お願いだから私のピアノには絶対手をつけないでね!」と泣き出す娘。 (馬鹿っ!泣くのはまだ早い!!)
「おい!家中に落書きするのはやめてくれ!貧乏くさくてたまらんぞ!」と大声で怒鳴った夫。  

 家族たちの一斉ブーイング。なんと理解のない奴ら。
貧乏は一向に構わないが、貧乏くさいのだけは解消しようと奮闘した再生中古家具アートだったのに.....。
しかし夫の「貧乏くさい!」の一言で、目が覚め憑きものが落ちた私。

 現在これらの芸術作品のほとんどは、処分されたり物置の奥深くに封印されている。
ひとりの主婦の未知数の才能を生かすも殺すも、周囲の人間の理解(無理解)と支援(無支援)が鍵になるのではないだろうか。


短歌教室

2008-05-09 13:45:02 | おすすめ記事

                  

 婆婆家の牡丹が満開です。爺爺と婆婆がとても大切にしていた花です。
我が家の庭に移植したいと考えているのですが、大株の牡丹の移植は難しいと聞いているのでなかなか踏み切れません。

 牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ
                               木下利玄
(※牡丹が絢爛かつ静謐に咲き誇っている。なんと圧倒的な存在感だ!)
                               by nihao

 牡丹を見ると必ず思い出す短歌です。
中学の国語の教科書に載っていました。
なぜいつまでも覚えているかというと.....当時、この歌の意味が全く理解出来なかったからです。
牡丹の花と中学生の日常にはなんら接点はなかったので、言葉の意味は解るのに、歌の心が掴めないもどかしさだけが記憶に残り、忘れられない1首となってしまいました。
この歌を鑑賞できるようになるためには、長い時間がかかりました。
  
 自転車のカゴからわんとはみだしてなにか嬉しいセロリの葉っぱ
                               俵 万智
 
 息子が中学生の時、授業参観日に短歌の授業を見学しました。
へえ~、今時の教科書は俵万智さんの短歌を採用しているのか! 
平易な言葉と生活に密着した内容で、木下利玄の短歌の難解さと比べたら隔世の感です。
こんな親しみやすく簡単な歌なら鑑賞に悩む生徒はいないはず........

 しかしなかなか盛り上がらない授業。
先生が手を変え品を変え発問しても、生徒たちは一向に乗ってきません。
予想外の状況に先生も困り果て、お母さんたちも顔を見合わせていらいらしながら参観していました。

 「もしや.....? 皆さん!セロリを見たことがありますか?」
 
 終了時間5分前に、やっと先生は気がつきました。
手を挙げた生徒は.....たった一人。
この歌の鑑賞に必要な最低条件すらクリアしていなかったのです。
今時の子どもたちは、セロリを見たことがないということを認識させられただけの授業参観日でした。
セロリという名の子犬の歌だと勘違いしていた生徒もいました。

 ほとんどの子どもたちにとって、教科書で短歌を学ぶことが、人生で初めての短歌体験です。そして最後の体験でもあります。

         ....日本短詩型文学の未来は暗い....




幻の小説

2008-04-30 10:15:02 | おすすめ記事
 昨日4月29日は『昭和の日』でした。
『天皇誕生日』から『みどりの日』となり、やっと昨年『昭和の日』と制定されたばかりの一番新しい国民の祝日です。
そこで思い切って(?)『昭和の日』的な話題をひとつ。

              

 本棚を整理していたら、茶色く変色した古い雑誌を見つけました。 
この雑誌は1960年(昭和35年)の中央公論12月号です。定価は150円。
1960年は、社会党浅沼委員長刺殺事件や、安保闘争初の犠牲者・東大生樺美智子さんが亡くなられた年です。
そして私は、まだまだこの世に生を受けていなかっ........あっ、いたか!
  
 一度読んだ本は惜しげもなくどんどん処分してしまう私ですが、この雑誌だけはなぜか大切に保存していました。
それは.......この雑誌には、国中に一大センセーショナルを巻き起こし、二度と日の目を見ることなく封印された深沢七郎氏の『風流夢譚』という小説が掲載されていたからです。
学生時代に父の本棚で発見し何気なく手にとって読んだところ、腰が抜けるほど読後の衝撃がすさまじく、これは何としても手に入れたいと、かなり強引にねだって自分のものにしたという経緯があります。
いつの日か定価の何百倍の高値になるかも.....という浅ましい根性でした。
  
 深沢七郎氏は、今村昇平監督、緒方拳・坂本スミ子さんが好演してカンヌ映画祭で好評を博した『楢山節考』の原作者です。
飄々とした人柄で土着的な作風の作家でした。

 さて『風流夢譚』は、書き手の夢の中で革命が起きて民衆の暴動に巻き込まれた天皇一家が処刑されるという内容の短編で、文体は実にあっけらかんとしているものの大変ショッキングな小説です。
この作品を文学的、時代的、政治的な立場で解釈することは可能ですが、国民的心情として捉えたなら複雑な澱のようなものが残ります。
雑誌が発売されると同時に、皇室への不敬だ、いや言論・表現の自由だとかで、右から左から各方面からと大きな反響が巻き起こりました。
右翼の少年が中央公論社社長宅に押し入り、お手伝いさんが殺されるという事件(嶋中事件)も起きました。

 中央公論12月号は回収され、以後『風流夢譚』は幻の小説となりいまだに復刊されていないので、今となっては未回収分のこの雑誌からしか読むことが出来ません。
半世紀ほど過ぎた現在、この雑誌を手元に置いている人間は、はたしてどのくらいいるでしょうか?
戦後文学史の大事件の証拠となる希少本として大事にしてきましたが、しかし......今回ネットで検索してみたら、なんと!封印されているはずの『風流夢譚』が全文流出されておりました。
深沢七郎さんは、自分の書いた作品で死者まで出したことを反省し、絶対に復刊を許可しなかったと言いますから、あの世できっと嘆かれていることでしょう。
私ももちろん嘆いております。

 雑誌の埃をきれいにはらって久しぶりに目を通してみました。
小さくまんまるい煙草の灰の焦げ跡をふたつ発見。
いつもくわえ煙草で本を読んでいた父の姿が浮かんできた昭和の日でした。



カレーなる一族

2008-02-19 10:30:00 | おすすめ記事
          
                
 
 友人M嬢とインドネシア料理講習会に参加して、ジャワカレーを習ってきました。
鶏肉・たけのこ・いんげん・茄子・人参などの材料を、スパイスやココナッツミルクで煮込んだヘルシーで美味しいカレーです。
日本人の口に合うように和風だしを使用したので、本格ジャワカレーというよりは和風ジャワカレーです。
 
 インドネシア人講師さんのキャラクターが底抜けに明るく元気で、寒い冬のひとときが南国気分で盛り上がりました。
インドネシアが1万7千以上の群島国家であることとか、中国・インド・アメリカに次ぐ世界第4位の人口を持つ国家であることを知ったのも、異文化交流ならではの成果です。

 カレーの思い出と言えば『夏休みの自由研究』です。
我が家の二人の子どもたちは、いずれも小学校の高学年の時『我が家のカレーランキング』なるグルメ研究をしました。
これは、スーパーで販売されている全種類のカレールー(甘口限定だったかな?)を買い求め、外箱に記されているレシピ通りにカレーを作り、全員で試食し評価採点し、どこの社の製品が一番美味しいか、家族が一番好むカレーはどれかを探究し決定するという画期的な実験でした。
平成元年あたりの頃で、用意出来た市販のカレールーは12・3種類ありました。
 
 子どもたちがカレーを通して毎日の食事に興味を持ち、嗜好や味覚の違いなどを解明し、今後の食生活にも関心を抱いてくれるなら幸いと喜んで協力することにしました。
しかし来る日も来る日もカレー攻め。
家族全員神妙な顔つきでカレー鍋を囲んだ、超ハードな自由研究でした。
もちろん調理は子どもたち、司令塔は私でしたが、日を追うに従いいつの間にか私が調理、子どもたちが司令塔と立場が逆転してしまいました。

 寒冷地の子どもたちの夏休みは20日間ほどしかありません。 
しかし体力的に、連続カレーは3日が限度。
このミッションを素早く簡単に終了する方法は、まず大鍋で材料を煮てから幾つかの小鍋に分け、それぞれに各種のルーを投入。
一度に数種類のカレーを作り、少しずつ試食するのがベストだ!と思いついたのは.........最後の日でした。

 この自由研究は学校でも評判となり、クラスメートたちにも大いに刺激を与えたようでした。
翌年の夏、息子は
「今度はカップラーメンのグルメ研究をしたい!」
と言い出しました。

 しかしこれは栄養的・教育的配慮の下、一言にて却下!