先日娘が出演するという芝居見物のために一人で東京に行ってきた。
荻窪の小劇場での三日間公演ということなので、南阿佐ヶ谷のビジネスホテルをとり、一泊だけ娘と宿泊した。
南阿佐ヶ谷駅から荻窪方面に向かう銀杏並木の紅葉が見頃だった。
ホテルのエレベーターの床にも、金色に色づいた銀杏の葉っぱが紛れ込んで張り付いていた。
若い時から紅テント(唐十郎)とか黒テント(佐藤信)とかのアングラ演劇に興味があった。
アングラ(アンダーグラウンド)は、60年代から70年代にかけて流行した反体制、反商業主義を掲げた前衛芸術運動のことだが、当時の若者たちの間に熱狂的な支持を受けた。
破壊と新生の試行錯誤は、あの時代が求めていたものだ。
でも貧乏学生だったので多くを見る機会はなかった。
ところが結婚・出産して、アングラ演劇のことなど忘れかけた頃にまた巡り会う機会を得た。
天井桟敷(寺山修司)の流れを汲む小劇場活動をしている友人と、当地で再会したのである。
今年も寺山の戯曲『犬神』という妖しく切ないお芝居を観てきたばかりだ。
芝居小屋には、娘が小学校低学年の頃から手を引いて連れていった。
劇団『ぴっかり座』の縫いぐるみ人形劇とは違うから、娘にとっては迷惑な同伴であることは承知の上で
「お願いだからいい子でおとなしくしていてね!」
ときっちりと言い含めて。
ところが難解な内容、非日常的な空間のどこが気に入ったのだろう?
幼い娘は初回から夢中になって目を輝かせた。
これは困った。
役者になりたいとだけは言わないでと願って育ててきたつもり。
さて今回の娘たちの旗揚げ公演。
一生懸命練習して迎えた人生初の舞台、いろいろな思いが込められていたのだろうが、予想以上につまらなかったのでついつい本音で厳しい感想を述べてしまった。
私の心の中に潜む....そろそろ家庭に落ち着いて婿殿のお世話をしてあげてよ....という気持ちをチラチラ出しながら。
はじめは黙って聞いていた娘がついに切れた。
「もうお母さんにはお芝居なんか理解する力なんてないのよ!!」
翌朝なんとなく気まずい思いを抱えながら、ふたりで銀杏並木を歩いて地下鉄の駅へ向かった。
はらはらと雪のように舞い落ちる葉っぱを背にして去っていく娘を見送りながら、突如かの有名なキャッチコピーが甦った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/77/8316d9d15bed5926875de3b71a1db9c1.jpg)
とめてくれるなおっかさん
背中のいちょうが泣いている
荻窪の小劇場での三日間公演ということなので、南阿佐ヶ谷のビジネスホテルをとり、一泊だけ娘と宿泊した。
南阿佐ヶ谷駅から荻窪方面に向かう銀杏並木の紅葉が見頃だった。
ホテルのエレベーターの床にも、金色に色づいた銀杏の葉っぱが紛れ込んで張り付いていた。
若い時から紅テント(唐十郎)とか黒テント(佐藤信)とかのアングラ演劇に興味があった。
アングラ(アンダーグラウンド)は、60年代から70年代にかけて流行した反体制、反商業主義を掲げた前衛芸術運動のことだが、当時の若者たちの間に熱狂的な支持を受けた。
破壊と新生の試行錯誤は、あの時代が求めていたものだ。
でも貧乏学生だったので多くを見る機会はなかった。
ところが結婚・出産して、アングラ演劇のことなど忘れかけた頃にまた巡り会う機会を得た。
天井桟敷(寺山修司)の流れを汲む小劇場活動をしている友人と、当地で再会したのである。
今年も寺山の戯曲『犬神』という妖しく切ないお芝居を観てきたばかりだ。
芝居小屋には、娘が小学校低学年の頃から手を引いて連れていった。
劇団『ぴっかり座』の縫いぐるみ人形劇とは違うから、娘にとっては迷惑な同伴であることは承知の上で
「お願いだからいい子でおとなしくしていてね!」
ときっちりと言い含めて。
ところが難解な内容、非日常的な空間のどこが気に入ったのだろう?
幼い娘は初回から夢中になって目を輝かせた。
これは困った。
役者になりたいとだけは言わないでと願って育ててきたつもり。
さて今回の娘たちの旗揚げ公演。
一生懸命練習して迎えた人生初の舞台、いろいろな思いが込められていたのだろうが、予想以上につまらなかったのでついつい本音で厳しい感想を述べてしまった。
私の心の中に潜む....そろそろ家庭に落ち着いて婿殿のお世話をしてあげてよ....という気持ちをチラチラ出しながら。
はじめは黙って聞いていた娘がついに切れた。
「もうお母さんにはお芝居なんか理解する力なんてないのよ!!」
翌朝なんとなく気まずい思いを抱えながら、ふたりで銀杏並木を歩いて地下鉄の駅へ向かった。
はらはらと雪のように舞い落ちる葉っぱを背にして去っていく娘を見送りながら、突如かの有名なキャッチコピーが甦った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/77/8316d9d15bed5926875de3b71a1db9c1.jpg)
とめてくれるなおっかさん
背中のいちょうが泣いている
やりたいことがあって、それに夢中になれるってステキです。
後で後悔するよりも、ちゃんと自分で納得するまでやり遂げた方がいいんじゃないかな。。。
なんて思ったりもしますが、
他人事だから言えるわけで、
これが大事な娘のこととなれば、
やっぱり、辛口の厳しい意見も言いたくなりますよねー。
でも、娘さんのその後姿に、
思わず「よっ!カッコイイ!がんばれよ!」なんて声をかけたくなってしまったのですよね(笑)
蘇る記憶の数々・・・
どっぷりとひたった寺山修二。
憧れた唐十郎の紅テント。
そして橋本治の名コピー「止めてくれるなおっかさん・・・」
全てが憧れでした・・・
地方ゆえに、直に接する機会もないまま過ごした苛立ちの季節でした。
母親がいくら言ってもムダですって・・・
そんな娘に育てたのは、他ならぬnihaoさんなんだから・・・(笑
でもすっかり面白くなったみたいではまりそうだと.....まあ、大変!
演ずることなんて、私には経験したことのない世界だから解りませんが難しい世界だと思います。
婿殿の理解なしには出来ないことだし、親としては、応援したい気持ちとセーブしたい気持ちと半々で複雑です。
まだまだ現状に留まるところのない子どもたちの若さが羨ましいです。
今まで親はずっと子どもの応援団でしたが、この先一体いつまで応援していけばよいのでしょう?
>苛立ちの季節
溢れているのに憧れているものが手に入らない気持ちわかります!
pancoさんも相当の演劇少女だったんですね。
アングラという異空間は本当に刺激的でした。
寺山修司の戯曲は面白かったし、黒テントでは斉藤晴彦さんの熱演もしかと見ました。
紅テントの公演のレコードを一日中かけながら、李礼仙や四谷シモンの妖しい世界に浸りこんでいたりと......。
よい時代を過ごしてきたなとつくづく思います。
『とめてくれるな・・』ってなんだかこれもハードボイルドが入ってませんか。
母と娘ってこんな感じなんですよね。
うちは娘ふたりですが、やっぱりやりたいことは納得のいくまでやらせてあげたいと最近思います。いろいろなことがあって私もそんな風に思うようになりました。
母親ですからかなり嫌がられることも言いますがそれはそれで怒りながらも子供はちゃんと理解してくれていますよ。
ちょっと可哀想なときもありますが。
同じ日本でも全然季節感が違うのにはビックリです。
『とめてくれるなおっかさん』は各人の受け止め方にもよりますが、わたしは「ど演歌」の感じかな(笑)
当時一世風靡したコピーなんですが、こまめさんの世代なら聞いたことはないんでしょうね。
でもこまめさんがおっしゃるように、確かに親子の距離感出ていますね。
止める親と振り切る子の図式は、子の自立にとっては必要です。
>納得のいくまでやらせてあげたい
本当にその姿勢が一番大切ですね。
これが『とめてくださいおっかさん』と言われたとしたら困ってしまいますものね。
しっかり娘さんに受け継がれたようですね。
娘さんもnihaoさんと同じ感性を持ったってことでしょうか。
>とめてくれるなおっかさん
と言うのは娘さんかも・・
自立心の強い娘さんですね^^
教えたことも学ばない。
親のコピーになることを拒みつつ、でも結局は親そっくりになる。
自分の経験もふまえてこれが子どもというものかしら?
後から自分で身につける感性もあるけれど、親の影響は大きいですね。
子育てって、いつになったら終了するのでしょうか?
娘さんが「そんな見方もあるんだね」と素直に受け止められるような生温い評価ではなかったという事ですね。
芝居の出来映えだけを鋭く評するつもりが、ついでに奔放ぶりを窘める手厳しさも入り交じり、ちょっと言い過ぎたかなと思いながらも、他人様のところに嫁いだ娘には目が届かないけれど、とにかく幸せに暮らして欲しいものだと切に思う、母の限りない愛情を感じさせる台詞であったのであろうと・・・・長くなりましたが勝手に想像させて戴きました(^^)
モチロン!命ある限り!ですよ~♪