blog-cafe

マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

短歌教室

2008-05-09 13:45:02 | おすすめ記事

                  

 婆婆家の牡丹が満開です。爺爺と婆婆がとても大切にしていた花です。
我が家の庭に移植したいと考えているのですが、大株の牡丹の移植は難しいと聞いているのでなかなか踏み切れません。

 牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ
                               木下利玄
(※牡丹が絢爛かつ静謐に咲き誇っている。なんと圧倒的な存在感だ!)
                               by nihao

 牡丹を見ると必ず思い出す短歌です。
中学の国語の教科書に載っていました。
なぜいつまでも覚えているかというと.....当時、この歌の意味が全く理解出来なかったからです。
牡丹の花と中学生の日常にはなんら接点はなかったので、言葉の意味は解るのに、歌の心が掴めないもどかしさだけが記憶に残り、忘れられない1首となってしまいました。
この歌を鑑賞できるようになるためには、長い時間がかかりました。
  
 自転車のカゴからわんとはみだしてなにか嬉しいセロリの葉っぱ
                               俵 万智
 
 息子が中学生の時、授業参観日に短歌の授業を見学しました。
へえ~、今時の教科書は俵万智さんの短歌を採用しているのか! 
平易な言葉と生活に密着した内容で、木下利玄の短歌の難解さと比べたら隔世の感です。
こんな親しみやすく簡単な歌なら鑑賞に悩む生徒はいないはず........

 しかしなかなか盛り上がらない授業。
先生が手を変え品を変え発問しても、生徒たちは一向に乗ってきません。
予想外の状況に先生も困り果て、お母さんたちも顔を見合わせていらいらしながら参観していました。

 「もしや.....? 皆さん!セロリを見たことがありますか?」
 
 終了時間5分前に、やっと先生は気がつきました。
手を挙げた生徒は.....たった一人。
この歌の鑑賞に必要な最低条件すらクリアしていなかったのです。
今時の子どもたちは、セロリを見たことがないということを認識させられただけの授業参観日でした。
セロリという名の子犬の歌だと勘違いしていた生徒もいました。

 ほとんどの子どもたちにとって、教科書で短歌を学ぶことが、人生で初めての短歌体験です。そして最後の体験でもあります。

         ....日本短詩型文学の未来は暗い....




最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (京こまめ)
2008-05-09 15:45:23
見事な牡丹ですね! 満開となると迫力がありますね。
香りはどうですか?(すいません。いつもの癖です)
たしかに、短歌の授業は馴染めなくて退屈でした。
これ、日本語なのかと・・まず自分のわかる言葉に訳さないといけませんし
解釈は黒板の通り書き写し、テストに挑む・・ まあ、こんなところでした(笑)
返信する
こまめさんへ (nihao)
2008-05-09 16:36:53
牡丹の香りは甘くて上品な香りですよ。
女王然としたたたずまいは見事です。
牡丹から、全然関係のない短歌の話になってしまいましたが(いつもの癖ですが)、短歌の授業は苦労したのでけっこう覚えています。
今は『ケータイ短歌』というのが流行っているようです。若者の短歌離れを食い止めることが出来ればいいのですが。
返信する
Unknown (HUZU)
2008-05-09 21:03:25
うちの子供たちの時は先生が「川柳」に力を入れていて、川柳だとなじみやすいのか楽しんで作っていたのを思い出しました。
見事な牡丹ですね。nihaoさんのお庭にさし木でもして育てられないかしらね。
返信する
Unknown (MAMA)
2008-05-09 21:12:32
教科書で習った短歌はひとつも覚えていません。
nihaoさんの言うとおり、初めてで最後の短歌体験でした。
もっと勉強しておけばよかった。
俵万智さんの短歌は親しみやすくて好きです。
このセロリの短歌はいいですね。
これなら私にも分かるんだけれどね。
返信する
HUZUさんへ (nihao)
2008-05-09 21:45:12
川柳を指導してくださるなんて、なかなか粋な先生ですね。
言葉を調子よく定型にはめていく楽しさは、子どもたちに是非経験してもらいたことです。
最近は『俳句甲子園』という大会があって、高校生たちが自作の俳句で試合して優勝校を決定するという面白い大会があるんですよ。
返信する
MAMAさんへ (nihao)
2008-05-09 22:01:51
私は自分では俳句も短歌も作ったことはないのですが、読むのは大好きでした。
解らなくても何度も口ずさんでいたので、だから今でも自然に牡丹の短歌が出てくるのだと思います。
俵万智さんの『サラダ記念日』は、普段着の言葉でとても解りやすい短歌でしたね。
返信する

コメントを投稿