「1立方メートルの監獄」出た韓国の造船下請け労組幹部
「人間らしく生きたい」(1)
造船下請け支会副支会長、病院で初のインタビュー
「賃金の大幅引き上げはできなかったが、団体交渉は成果」
蒸し暑い夏、1立方メートル(0.3坪)の「手作りの監獄」に31日間にわたって自らを閉じ込めていた人がいる。「このまま生きていくわけにはいかないじゃありませんか」というプラカードとともに。178センチの長身を1立方メートルの中に押し込むと、首は曲がり膝と腰はずきずき傷んだ。自ら作って入ったのだが、本当の監獄より劣る環境だった。
「久しぶりに体を伸ばしたのは気持ちが良かったんですが、奇妙なことに横になると痛いんです。休日なのでまだMRI(磁気共鳴画像)は撮れていないんですが、骨、関節、骨盤が痛いので横になったり座ったりしています。私の体のせいで組合員たちが闘争を早く終わらせ過ぎたのではないかという気がして、たいへん申し訳ない気持ちです」。1カ月ぶりに担架に乗せられて鉄製の構造物から出てきた民主労総所属の金属労組巨済(コジェ)・統営(トンヨン)・固城(コソン)造船下請け支会(造船下請け支会)のユ・チェアン副支会長は23日、慶尚南道巨済の大宇病院で、記者に対し、自分のせいで仲間たちが闘争をやめたようで申し訳ないと語った。「交渉妥結の知らせを聞いても信じませんでした。組合員総会が終わるまで信じませんでした。ご存知のように、とても残念な案件だったので…」
22日、造船下請け支会と大宇造船海洋の下請け企業は、4.5%(企業平均)の賃上げ▽来年度の140万ウォン(約14万5000円)の賞与支給▽廃業した下請け企業の労働者の最優先雇用に努めること、などに合意した。政府による公権力投入圧力の中で、51日間の長いストライキが終わった瞬間だった。メディアは「法と原則」の勝利を語り、下請け労働者が事実上敗北したと評価する。今回のストの「象徴」だったユ副支会長が構造物の外へと出てくると、警察による業務妨害容疑の捜査と、元請け・下請け企業による損害賠償訴訟の圧力が彼を待っていた。本紙はユ副支会長に会い、ストを終えて新たな出発を準備する造船所の下請け労働者の話を聞いた。
経歴22年の溶接工の月給が207万ウォン
「闘争!」 労使合意後、ユ副支会長が構造物の外に出てくると、100人あまりの組合員が大声でスローガンを叫びながら、目隠しの横断幕を上に高く広げた。彼の疲弊した姿がメディアのカメラに捉えられないようにするためだった。彼は構造物の外に出た瞬間を「涙」として記憶していた。「組合員たちの声を聞いて申し訳なくて泣きました。闘争をやめたくてやめたのではないわけですから。大宇造船海洋という元請けと大株主の産業銀行は22日になっても何の決断もしないし、政府は損害賠償訴訟こそ『法と原則』だという立場でした。とても悔しかった」。目隠しの幕を掲げた仲間たちも同じ気持ちだったのか、涙を流していた。
ユ・チェアン副支会長と造船下請け支会の労働者たちは、6月2日から大宇造船海洋の下請け労働者の賃上げなどを要求してストを開始。造船不況後に悪化した大宇造船海洋の下請け労働者の処遇を改善するためだった。6月22日からユ副支会長は玉浦(オクポ)造船所第1ドックで建造中のタンカーの船底の鉄製の構造物に入って占拠座り込みを行い、6人の労働者は15メートルの高所で座り込みを始めた。船を作る「真の労働者」たちのストで、船舶建造作業が中断した。これまでにも造船業の元請け労働者のストライキはあったが、下請け労働者が船を造る作業すら阻みつつ、威力をもって闘ったのは初めてのことだった。
2016年、大宇造船海洋の下請け労働者は大々的な賃金削減にあった。賞与の400%が基本給に算入されたことで「最低賃金引き上げがチャラに」なったほか、150%は完全に削減された。高さ30メートルの船舶に吊るされる危険できつい労働の対価は、5年前も今も時給1万ウォン前後(1次下請け企業の正社員の場合)だった。経歴22年の溶接工であるユ副支会長も、時給は1万350ウォン(約1070円)。2022年の最低賃金9160ウォン(約951円)をかろうじて超える金額だ。1カ月フルで働いて、各種の税を払えば、手もとに残るのは200万ウォンほど。1月の彼の給与明細に記された手取り額は207万5910ウォン(約21万6000円)。仲間たちが時給2万ウォン以上の陸上プラントや建設業へと転職したことで、残った人々の労働はよりいっそうきつくなった。
ストのあいだ中「30%の賃上げ」を主張していたのもそのためだ。30%の賃上げは、当初削られた分の給与の原状回復だ。だが、賃上げ率はスト前に下請け企業が提案した「4.5%引き上げ」にとどまった。「非常に残念な合意です。それでも今回の闘いで大韓民国の造船所の下請け労働者の現実をみなさんに知ってもらう状況を作り出しました」。金属労組のユン・ジャンヒョク委員長もやはり23日の記者会見で「0.3坪という空間に自分自身を閉じ込めた31日間の姿は、造船下請け労働者の人生そのものだった。今回の闘争は、その人生を社会的問題へと拡散させたということに意味がある」と評価している。(2に続く)
「1立方メートルの監獄」出た韓国の造船下請け労組幹部
「人間らしく生きたい」(2)
(1の続き)
「労労対立」避け1立方メートルの「監獄」の中へ
「最初はそれが何であるかも分からずに削減を受け入れてしまいましたが、ある日、ある人が下請け企業の社長に『これは違うんじゃないか』と言っていたんです。聞いてみると正しい話みたいだったからパチパチ拍手したんですが、昼休みに『労働組合をやろう』という電話がかかってきたんです」。ユ副支会長の労働組合活動は、2017年の造船下請け支会の結成初期にこうして始まった。その時、彼に電話をかけた人物は、今回の闘争を率いたキム・ヒョンス支会長だった。
「最初は兄さん(キム・ヒョンス支会長)と仲が良いわけでもなかったので行こうとは思わなかったんですが、みんなに『共に阻止しよう』と説得するには労働組合が必要だと感じました」。彼が労組活動を始めると、下請け企業はしばしば溶接工である彼に清掃の仕事をやらせたり、きつくて遠い仕事場に送ったりした。「みんな私さえ見ればこそこそ逃げて行ったり」、「ビラまき中に現場の所長に殴られたり」した。彼はものともしなかった。1年耐えたら組合員が1人また1人と増えはじめた。「金ではなく人のために生きる人たちに(あの時)初めて会いました。人間らしく生きているという気持ちになりました」。ユ副支会長が加入した時には60人あまりに過ぎなかった造船下請け支会の組合員は、5月現在で647人に増えている。
新たに加入した組合員たちは、数年間停滞していた賃金を上げることを望んだ。支会も本格的な闘争準備に突入し、先月初めにストライキを開始。「最初に『スト拠点』(作業経路を部分的に塞ぐ)を8カ所設けたんですが、会社側の職長や班長とかの管理者が入ってきて、物を壊したり横断幕を引きずり降ろしたりしたので4カ所に減りました。そんな風に衝突が繰り返されるものだから(正社員たちとの)労労対立が生じてしまったんです。労労対立が続けば我々が勝つ方法はなくなるし、対立ばかりが再生産されるわけですから。労働者たちとぶつかることもなく、絶対に破られない拠点が必要だったんです」。造船下請け支会がユ副支会長の監獄座り込みと6人の組合員の15メートル高所座り込みを決めたのは、このような背景からだった。「(監獄には)自分が入るから、みんな自分がやりたがるなよ、と言いました。私は(入口を塞げる)溶接工だから。それに、仲間たちのために犠牲になりたかったんです」
ユ副支会長は、元請け労組が金属労組からの脱退案を総会で投票に付し、賛成派と反対派の対立により来月8日の裁判所決定まで開票が中断されたことについて「下請け労働者の賃金が上がれば元請け労働者の処遇も改善されるはずなのに、会社側が労労対立を作り出して労働組合を破壊しようと試みている」とし、「労働組合が分裂すれば利益を得るのは会社だけなのに、残念だ」と語った。
自ら買って出たことではあるものの、0.3坪の生活は予想以上に大変だった。最初の一週間は膝が痛くて「いつまで耐えられるか」と思った。関節が冷えて1時間ごとに目が覚め、床の冷気のせいで朝5時には自然に目が覚めた。朝が明けると、彼は監獄の内側の壁に「正」の字の一画を書いて日付を数えた。しかし、体よりも痛かったのは仲間たちの涙だった。食事を持って来る仲間たちは、彼と目を合わせることができずに泣いた。高所で座り込みをしている同志たちが彼に向かって「大丈夫か」と大声で尋ねると、彼は普段より一層はきはきと大声で「大丈夫だ」と答えた。怖くないわけではなかった。公権力投入を初めて伝え聞いた日には、恐怖にとらわれそうになる気持ちを引き締めようと、壁の片隅にマジックで「断固たる決意」と書いた。そして心に誓った。「(公権力が)来れば抵抗する」
団体交渉にこだわったわけ
支会が注目する今回の合意の成果のひとつは、下請け企業の代表と団体交渉を行ったということだ。この間、下請け企業は「団体交渉をしよう」という支会の要求を拒否し、個別交渉を要求してきていた。ユ副支会長には下請け企業との個別交渉の痛い経験があった。2016年にユ副支会長は、自身が属する下請け企業を相手に闘い、150社あまりの下請けの中で唯一、賞与を削減することを内容とする就業規則の変更を阻止した。しかし3カ月後、会社は廃業を宣言した。新たにやって来た下請け企業の代表は以前よりさらに劣悪な就業規則を突き付け、労働者たちは改めて最初から同じ闘いを始めなければならなかった。規模が零細な社内下請け企業は簡単に廃業し、賃金の滞納も頻繁だった。
にもかかわらずストライキ43日目の14日、政府は初めての談話を発表し「違法行為はやめて対話せよ」として造船下請け支会に圧力をかけた。「個別の下請け企業と闘ったところで廃業すれば終わりなのに、そのような対話をしろと言うだけというのは、単に(闘争)するなということじゃないですか。それに、交渉が進められているのに政府がそのような姿勢を見せれば、会社側は図に乗ってしまうんです」。外部は「下請け労働者が敗北した」と評価するが、団体交渉で合意案を引き出したこと自体が下請け労働者にとっては大きな収穫だ。「我々は極端な闘争をしていると言われていますが、極端な闘争でなければどうにもならないわけで、それにそうやっても簡単には変わらないということを今回見たのではないでしょうか」
闘争は終わり、玉浦(オクポ)造船所も再び船の生産を始める。ユ副支会長も「別の闘いを準備」している。損害賠償訴訟などの険しい道が予想されているが、彼は再び労働組合において闘いを開始する予定だ。「造船所は、下請け業者が廃業し、労働者が賃金を踏み倒されるということが常にあります。闘争の水が尽きない井戸のようなものです。いつかまた(怒りが)爆発すると思いますが、その時に備えて組織を整備する計画です」
大幅な賃上げはできなかったが、彼は巨済市(コジェシ)を離れるつもりはない。彼は「どうせ造船所で働いていても病院費も出ないし、我々が建設した労働組合でもやりながら生きてゆきたい」と語った。彼は労働組合について「金のためではなく、人間らく生きるのに有利なもの」と語る。「逃げたところに楽園はない」。ユ副支会長が好きな漫画に出てくるセリフだ。「そのセリフのように、私は常に現実から逃げたりはしないつもりです」(了)