授賞者を務めたハンギョレ統一文化財団のムン・ジョンイン理事長は埼玉合唱団に対して「嫌韓感情が猛威を振るっているという日本で、在日コリアンおよび韓国市民団体と持続的に連帯してきたことに驚き、

2023-12-16 08:52:43 | 日韓連帯行動

60年以上にわたり日本で朝鮮半島の平和を歌で後押し

登録:2023-12-15 06:28 修正:2023-12-15 10:09
 
1961年創立の埼玉合唱団、韓国で「統一文化賞」受賞 
北朝鮮離脱住民の話を伝えるポッドキャスト「サブジャク」が「青年平和賞」受賞
 
 
ハンギョレ統一文化財団のムン・ジョンイン理事長が埼玉合唱団に統一文化賞を授けている。左から北爪隆夫前団長、ムン理事長、八反田誠団長、小山真理子企画部長、金井誠指揮者、高橋榮二副団長=カン・チャングァン記者//ハンギョレ新聞社

 韓国の民主化と朝鮮半島の平和を支持してきた日本のうたごえ運動の市民団体「埼玉合唱団」が、第25回ハンギョレ統一文化賞の受賞者に選ばれた。また、今年で2回目を迎えた青年平和賞には、北朝鮮離脱住民(脱北者)たちの話を淡々と伝えてきたポッドキャスト「サブジャク」が選ばれた。授賞式は関東大震災100年を迎え朝鮮人犠牲者追悼公演のために訪韓した埼玉合唱団の団員30人余りが出席した中、8日にハンギョレ新聞社3階の青岩ホールで開かれた。

 1961年に創立した埼玉合唱団は、20代から80代まで多様な年齢と職業を持つ埼玉県の市民の歌の集いだ。「アリラン」、「朝露」、「私たちの願いは統一」のような歌を日本の市民社会に紹介し、韓国の民主化運動を後押ししてきた。日本の植民地支配の清算と平和憲法の守護を叫び、朝鮮半島の平和と統一を望む両国市民の連帯活動にも積極的に参加した。2019年には3・1運動100年を迎え、解放後、日本の民間団体としては初めてソウル汝矣島(ヨイド)の国会議事堂の前で文化公演を行った。埼玉合唱団は特に埼玉県に多く居住する在日コリアンの暮らしに多くの関心を傾けてきた。コロナ禍の時は、朝鮮学校の付属幼稚園が在日朝鮮人学校という理由で日本政府の支援を受けられなかったことを受け、寄付を募り渡したこともあった。

 ポッドキャストの「サブジャク」は「(韓国語で)仲良く北朝鮮の友達と一緒にする小さなおしゃべり」の略語だ。2018年1月に始まり、これまで200回あまり放送してきた。政治的、理念的枠組みに閉じ込められず、北朝鮮離脱住民たちのこれまでの話を韓国の青年出演者たちと共に自由に聞かせてくれる。北朝鮮離脱住民に対する偏見を破り、小さいながらも一つ一つ統一の基盤を作ってみようという思いが込められている。サブジャクは最近2020年までの放送内容をまとめて『平凡だが特別に生きていきます』というタイトルのエッセイを出版した。北朝鮮離脱住民たちの物語を盛り込んだ「グッズ」も製作・販売し、成果を上げた。

 埼玉合唱団は受賞の感想で、1998年から始まった韓国市民社会との音楽交流を一つずつ振り返り「日本と韓国の不幸な過去に真摯に向き合い、これを解決するための韓日市民連帯の重要性を痛感した」と強調した。「これからも朝鮮半島の平和と統一を心から願い支援しながら、在日コリアンおよび韓国市民社会と末永く交流を続けていきたい」と語った。サブジャクは「この放送が存在できた理由である北朝鮮離脱住民の出演者たちにこの光栄を伝えたい」とし、「今までの放送経験を通じて『おしゃべり自体が意味のあるメッセージになりうる』ことに気づかされた」と話した。

 同日、授賞者を務めたハンギョレ統一文化財団のムン・ジョンイン理事長は埼玉合唱団に対して「嫌韓感情が猛威を振るっているという日本で、在日コリアンおよび韓国市民団体と持続的に連帯してきたことに驚き、また尊敬の念を抱く」と語った。祝辞を述べたハンギョレのチェ・ウソン代表取締役は「今回の青年平和賞が、サブジャクがさらに成長するための力になればと願う」と応援の言葉を伝えた。祝賀公演を行った歌手ソン・ビョンフィさんは「アジア人が皆一緒に歌える歌がただ一つでもあれば、アジアの破局を防ぐことができるだろう」とし、国境を越えた市民連帯の重要性を強調し大きな拍手を受けた。

チョン・ウクシク|ハンギョレ平和研究所所長(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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『歌は国境を越える』ということをお互いに体感し、未来に向かって一緒に歩いていけると信じています。

2023-12-15 10:49:37 | 日韓連帯行動
 

「韓日の過去の歴史に真剣に向き合い、

音楽の力で前進していく」

登録:2023-12-15 08:41 修正:2023-12-15 08:49

 

「ハンギョレ統一文化賞」を受賞した埼玉合唱団の八反田誠団長
 
 
          埼玉合唱団の八反田誠団長=写真・カン・チャングァン記者//ハンギョレ新聞社

 「過去の受賞者の方々や団体の立派な面々をみると、いっそう嬉しく光栄に思います。振り返ってみると、ハンギョレ統一文化財団の平和の木合唱団との出会いは運命的であり、必然的でした。立場が違う人でも音楽を通じて完全に理解できると思います。『歌は国境を越える』ということをお互いに体感し、未来に向かって一緒に歩いていけると信じています。国家間の関係がどうであれ、私たちは文化の力で手を取り合って前進していくことができると確信しています」

 8日、ハンギョレ統一文化賞を受賞した埼玉合唱団の八反田誠団長(65)の受賞のことばだ。この日、韓日文化交流の歴史の中で、両合唱団が共にしてきた過程も改めて振り返ってみた。

 1998年、金大中(キム・デジュン)政権の日本文化開放に伴い、埼玉合唱団が加わっているうたごえ全国協議会レベルで韓日文化交流を本格的に推進し、2001年にさいたま市で開かれたうたごえ祭典を機に、埼玉合唱団も交流に積極的に参加した。特に2009年「韓国3・1独立運動90年交流訪問」の際、平和の木合唱団の演奏に感動した北爪隆夫前団長が協演を提案し、翌年「朝鮮半島強制併合100年韓日市民大会ー記憶・和解・同行・平和、その日が来れば」というタイトルで初の韓日市民の合唱公演をともに行った。

 
 
12月9日、京畿道城南市の嘉泉大学イェウムホールでの公演「関東大虐殺100年追悼文化祭」の開幕場面=写真・ハンギョレ統一文化財団提供//ハンギョレ新聞社
 
 
12月9日に開かれた「関東大虐殺100年追悼文化祭」で、日本の埼玉田合唱団とハンギョレ統一文化財団の平和の木合唱団が、100年目にして初の韓日市民合同追悼公演を行っている=ハンギョレ統一文化財団提供//ハンギョレ新聞社

 「私たちは日本と韓国の不幸な過去の歴史に真剣に向き合い、心を込めて歌いました」

 その後、両合唱団はソウルと埼玉を行き来しながら連帯と友情の舞台を続けてきた。「2011年に千葉で開かれた『うたごえ祭典』に平和の木の使節団が訪ねたのに続き、2012年にさいたま市で行われた『歓喜の翼コンサート』が圧巻でした。朝鮮半島の統一と東日本大震災の復興の願いを込めて、韓国・在日朝鮮人・日本の市民が声を合わせて歌いました」

 八反田団長はこの日、通訳であり千葉の時からこれまで両合唱団の間で「コミュニケーションの懸け橋」の役割を果たしてきた在日コリアンの鄭剛憲(チョン・ガンホン)名誉会員の労苦も欠かせないと強調した。

 両合唱団は授賞式翌日の9日、「関東大虐殺100年韓日市民合同追悼文化祭-関東、100年の沈黙」と題された公演にも参加した。京畿文化財団主催で嘉泉大学にて開かれたこの日の公演は、満席の観客からの熱烈な要請で「アリラン」を2回合唱し、有終の美を飾った。

 
 
「関東大虐殺100年追悼文化祭」で平和の木合唱団、埼玉合唱団、京畿少年少女合唱団、在日同胞歌手イ・ジョンミさん、イ・エジュ韓国伝統舞踊会、Mクラシックオーケストラなどの出演者が観客のアンコールで「アリラン」を全員で歌っている=ハンギョレ統一文化財団提供//ハンギョレ新聞社

 八反田団長は、2012年の協演の時に平和の木合唱団の代表が伝えた感想を、この日「改めて共感した」としてそのまま伝えた。「この10カ月近く、多くの時間、大切な真心、高貴な汗と情熱で作り出した感動のドラマでした。地球上でこんなにも感動的なところはなかったことでしょう」

 東京出身で1987年に合唱団に入団した八反田団長は、今年2月から新団長を務めている。

 「来年3月末の『埼玉合唱団63周年記念公演』で、もう一度平和の木合唱団と真の連帯のハーモニーを奏でることを期待します」

キム・ギョンエ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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「今が恥ずかしい日本、恥ずかしい企業から抜け出せる最後のチャンス」だとし、「被告企業である三菱重工業と日本製鉄は強制動員被害者に謝罪し賠償しなければならない」と語った。

2023-03-11 10:20:29 | 日韓連帯行動

「強制動員に背を向ける日本が恥ずかしい」…

521回目の「良心の叫び」

登録:2023-03-11 07:03 修正:2023-03-11 08:17
 
名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会、三菱前で「金曜行動」
 
 
日本の市民団体「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」が10日午前11時30分、東京都千代田区の三菱商事前で、521回目の「金曜行動」を行った=東京/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 「強制動員被害者に背を向ける日本がとても恥ずかしいです」

 10日午前11時30分、東京千代田区の三菱商事前で日本市民団体である「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」の521回目の「金曜行動」が行われた。体調が万全ではない中で集会に参加した寺尾光身共同代表(87)は「今が恥ずかしい日本、恥ずかしい企業から抜け出せる最後のチャンス」だとし、「被告企業である三菱重工業と日本製鉄は強制動員被害者に謝罪し賠償しなければならない」と語った。

 韓国政府が6日、2018年の韓国最高裁(大法廷)賠償判決を形骸化させる譲歩案を一方的に発表し、強制動員被害者たちが強く反発している中、日本の良心的市民もこれを支持した。韓国政府は日本の被告企業の代わりに韓国の日帝強制動員被害者支援財団が賠償する「第三者弁済」案を発表した。

 名古屋から上京した「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」のメンバー、林安沢さんは拡声器を持って「被害者たちが望むのは被告企業の心からのお詫びと反省だ。これがない限り、韓日関係は絶対に改善できない」と叫んだ。

 「強制動員問題解決と過去清算のための共同行動」の矢野秀喜事務局長も「韓国政府の発表に対し、日本政府は『良し』と言い、被告企業は完全に『傍観者』のように振る舞っている」と批判した。矢野局長は「このようなやり方では強制動員問題を解決できない」とし、「強制動員という歴史的事実と向き合わなければならない。肩にのしかかる歴史的負債を下ろすためにも、謝罪と賠償に乗り出さなければならない」と訴えた。

 
日本の市民団体「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」が10日午前11時30分、東京都千代田区の三菱商事前で、521回目の「金曜行動」を行った=東京/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 同日の「金曜行動」には、連帯を示すため、東京や神奈川県川崎などからも市民が参加し、11人が集まった。彼らは午後12時から近くの三菱重工業本社前に移動しチラシを配り、「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊員に支給しなかった賃金を支給し、謝罪と賠償をせよ」などと書かれた横断幕を持って問題解決を求めた。

 「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」は1998年、三菱重工業の名古屋航空機製作所で強制動員された被害者の損害賠償訴訟提起を支援するために発足した。日本の高等裁判所での敗訴の後、同会は2007年7月から三菱重工業前で毎週「金曜行動」を始めたが、コロナ禍の中、しばらく中断したこともあった。昨年7月からは第2金曜日だけ「金曜行動」を行っている。同会の関係者は「三菱の関連会社の社長たちは毎月第2金曜日に昼食会を開く。彼らが私たちの要求を認めてくれることを願う気持ちを込めてこの日に金曜行動を行っている」と話した。メンバーはこのために往復720キロを行き来している。

 同会の高橋信共同代表は、強制動員被害者たちと直接連帯するために韓国光州(クァンジュ)を訪れ、9日に記者会見などを行った。

東京/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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日本と韓国の両国の民主主義が連動され、相互に影響を与えあうという事実だ。本のタイトルが『「共生」を求めて』である理由がそこにもある。

2023-02-18 09:22:36 | 日韓連帯行動
 

[レビュー]在日コリアン排除に投影された日本の民主主義の虚像

登録:2023-02-18 08:18 修正:2023-02-18 08:57

 

在日コリアンの権利闘争に献身してきた日本の知識人のインタビュー 
被爆者の孫振斗氏、金敬得弁護士、枝川朝鮮学校など 
「在日の人権問題は、すなわち日本社会の問題」 
 
「共生」を求めて: 在日とともに歩んだ半世紀 
田中宏著、中村一成編、解放出版社刊 

 
 
在日本大韓民国民団所属の在日コリアン約2000人が2001年6月5日、東京の日比谷公園で在日外国人の永住者に地方参政権を認めることを求める集会を開いている=東京(日本)/聯合ニュース
 
 
『「共生」に向けて: 在日とともに歩んだ半世紀』田中宏著、中村一成編、キル・ユンヒョン訳、考えの力刊、2万2000ウォン//ハンギョレ新聞社

 田中宏・一橋大学名誉教授(86)が大学卒業後に就職したアジア学生文化協会は、アジア出身の留学生を支援する組織だった。日本の1000円紙幣の肖像が聖徳太子から伊藤博文に変わった1963年11月のある日、東南アジアから来た華僑の留学生が田中氏に言った。「伊藤博文は朝鮮民族の恨みを買いハルビンで殺害された人物ではないか」。日本で最も多く暮らす外国人である朝鮮人も同じ1000円紙幣で毎日物を買うはずなのに、残酷なことではないか(…)1億人が何を考えているのか、なんだか背筋が寒くなる」

 ベトナム戦争の真っただ中だった1973年には、ある南ベトナムからの留学生が日本共産党の機関紙「赤旗」に掲載された広告を田中氏に見せて嘆いた。「インドシナ3国に普及しているフランス語を習い、インドシナ人民と友好を」と書かれた広告だった。その留学生は普段も東大の学生たちが自身に植民地の言語であるフランス語で話しかけてくるといい、「東大生は植民地支配について何も習わなかったのか」と問いただしたことがあった。

 そのような経験を通じて確認した「日本人たちとは違うアジア人たちとの感覚のすれ違い」が、現在の田中氏を作ったわけだ。フリーライターの中村一成氏の質問に田中氏が答えた本『「共生」を求めて: 在日とともに歩んだ半世紀共生に向かって』(韓国語版『「共生」に向けて: 在日とともに歩んだ半世紀』キル・ユンヒョン訳)は、田中氏が関与した在日コリアンの権利闘争の歴史を振り返り、田中氏自身の人生と在日コリアン人権運動の流れを織り交ぜている。韓国人原爆被爆者として日本政府に治療と補償を要求するために密航してきた1970年代の孫振斗(ソン・ジンドゥ)氏の裁判から、2010年代の高校無償化で総連系の朝鮮学校を排除した処分に対する取消訴訟まで、田中氏が一生を捧げて献身してきた在日コリアンの権利闘争の足跡が歴然としている

 
 
    韓国人被爆者の孫振斗氏。1971年、福岡高等裁判所=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 孫氏は1970年12月、3回目の密入国で逮捕され、懲役8カ月を宣告されたが、結核の治療のために福岡のある病院に入院することになる。治療が終わり刑務所で刑期を終えた後、韓国に送還されるところだった。孫氏から「被爆者健康手帳」制度があるという説明を聞いた田中氏は、関連する法律のどこにも国籍を日本に制限する条項がない事実を確認し、「まずは被爆者健康手帳を申請しよう」と孫氏を説得する。1971年10月に申請したが、福岡県と厚生労働省は手帳を交付しないという決定を下し、田中氏は孫氏を助け、その決定の取消を求める行政訴訟を提起し、最終的に勝利した。この裁判以降、韓国人被爆者の日本への「訪問治療」が可能になり、日本の領土を離れた日本人も同様に助けを得ることが可能になった。田中氏は裁判に勝った「決定的な要因は『国籍条項』がなかったこと」だと説明する。田中氏は、自身が関与した在日コリアン権利闘争は『すべて“国籍”問題に還元」されるとして、自身の過去の活動をつぎのように要約する。「国籍というものを端緒として、植民地支配の清算問題というか、最近使われている言葉で表現するならば、ポスト植民地問題の最大の根幹を追及してきたという感じです」

 孫氏の事件に先立つ1970年には、日立製作所の入社試験の履歴書に実名ではなく日本式の名前である通名を使って合格した、在日2世の朴鐘碩(パク・ジョンソク)氏の入社決定が取り消されることがあった。朴氏はその年の12月に民事訴訟を提起し、原告勝訴の一審判決で日立が控訴をあきらめ、これもまた当初の目的を達成した。日本国内で孫氏を助ける団体が結成され、韓国でも日立不買運動が広がるなどの状況が、その助けとなった。「この裁判で勝とうが負けようが、自分は完全に新しく生まれることができたので、むしろ日立に感謝したいほど」だと朴氏は語り、裁判が終わった後には「民族差別と闘う連絡協議会」(民闘連)結成され、1970~80年代の在日コリアン差別撤廃闘争を牽引した。

 
 
在日コリアンの弁護士第1号である金敬得弁護士が2004年11月24日、ソウル明洞のロイヤルホテルで開かれた「定住外国人の地方参政権」に関するシンポジウムで「在日同胞における国籍と地方参政権」の題で発表をしている//ハンギョレ新聞社

 1976年には司法試験に合格した在日コリアン2世の金敬得(キム・ギョンドク)氏が司法研修所への入所のためには日本国籍である必要があるとする最高裁の要綱に反発して記者会見を行い、請願書を提出するなどの闘争を行った結果、最終的に勝利した。金氏以前に司法試験に合格した在日コリアン12人は全員日本に帰化したが、金氏は「帰化した私がどんな形で朝鮮人差別を解消する問題に関与できるのか」として主張を曲げなかった。弁護士になった金氏は1994年、東京都保健所に勤務していた在日コリアンの鄭香均(チョン・ヒャンギュン)氏の裁判を担当した。管理職昇進試験に外国人は受験できないという決定に対抗した裁判だった。約10年も続いた結果、2005年に最終敗訴という結論が出たが、裁判に臨んだ鄭氏が話した内容は、敗訴にもかかわらず大きな響きを与えた。

 「差別に負けたくない。屈服したくない。最初にぶつかったものが闘わないと、ほかの人の門を閉ざすことになる。それで決意した」

 
 
  在日コリアンの指紋押捺の強制に抗議する市民の署名運動=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 指紋押捺拒否と枝川朝鮮学校裁判では勝利したが、外国人参政権要求と高校無償化排除の撤回などは、実を結ぶことはなかった。そうした勝利と敗北が交錯する過程を経て、田中氏は悟った。在日コリアンの問題がすなわち日本の核心問題だという事実を。「戦後の重要な問題というものは、在日コリアンの処遇をめぐる争点から見ると、本当に丸見えです。日本の戦後の平和と民主主義というもの中身が空っぽである様子があからさまに示されていると言えます」。在日コリアンの権利をめぐる争点は「明らかに在日コリアンの人権問題だが、他方では日本社会が抱えている問題でもある」ということが田中氏の判断だ。

 
 
2017年9月13日、東京地方裁判所の前で朝鮮学校高校無償化除外措置の適法性を問う判決で敗訴の判決が出ると、弁護団が「不当判決」「朝高生の声、届かず」と書いた紙を掲げている=チョ・ギウォン記者//ハンギョレ新聞社

 そうかと思えば、「日本の外国人政策の改善は、きっと韓国にも良い影響を与えることになる。韓国の民主化に寄与するだろう」と述べていた金敬得弁護士の発言は、在日コリアンの権利闘争が、また他の意味を呼び起こす。日本と韓国の両国の民主主義が連動され、相互に影響を与えあうという事実だ。本のタイトルが『「共生」を求めて』である理由がそこにもある。

チェ・ジェボン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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韓日政府の徹底した無関心の中で、両国の宗教・市民社会が成し遂げた奇跡のようなことだった。40年以上続いている朝鮮人遺骨発掘・奉還運動の歴史が、今回の展示に鮮やかに記録されている。

2022-10-12 07:33:41 | 日韓連帯行動
 

北海道の「強制動員被害の歴史展示館」再建に取り組む日本の市民社会

登録:2022-10-10 20:40 修正:2022-10-11 08:06
 
「大雪で倒壊した笹の墓標展示館を再建しよう」 
東京など各地で募金巡回展
 
 
10日午前、東京都中央区の築地本願寺で日本の市民と在日コリアン、宗教界で構成された「笹の墓標展示館再生東京実行委員会」主催の展示が開かれている=東京/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 10日午前、東京都中央区の築地本願寺。日本の市民や在日コリアン、宗教界で構成された「笹の墓標展示館再生東京実行委員会」が主催する展示会が開かれている。日本の辺境である北海道の中でも奥地とされる朱鞠内(しゅまりない)ダム付近にある「笹の墓標展示館」では、同地域の鉄道・ダムの建設過程で死亡した朝鮮人犠牲者の位牌、木製の遺骨箱、埋葬地から見つかった各種の副葬品が保管されていた。この展示会では、これらが陳列されている。

 東京実行委員会の矢野秀喜事務局長は「2020年1月の大雪で展示館が倒壊した。近くにあった交流施設も昨年12月の火災で灰になった」とし、今回の行事開催の理由を説明した。この地域の「強制動員の歴史を保存した展示館を再建するため」、日本の市民が展示と募金に乗り出したのだ。この展示は、札幌・新潟・名古屋・富山・大阪など日本各地の市民が実行委を作り開催している。5日から始まった東京展示は13日まで開かれる。京都では17~25日に開かれる予定だ。

 「笹の墓標展示館」は、北海道の強制動員被害者の遺骨発掘と奉還の象徴ともいえる。この運動の中心には、北海道にある一乗寺の住職、殿平善彦さん(76)がいる。展示館の基となったのは、光顕寺という寺だった。殿平さんは1976年、ここで偶然「ファン・ビョンマン」という朝鮮人の位牌を目にした。1930年代末から1940年初めまで朱鞠内では鉄道や水力発電ダムを作る土木工事が大々的に進められた。朝鮮などから連れてこられた労働者たちが、劣悪な環境で苛酷な労働に苦しんだ。寒さと栄養不足で多くの人々が死亡した。光顕寺は葬儀を行う前に遺体を安置していた場所で、労働者の無念な魂を弔った唯一の場所だった。

 
 
            殿平善彦僧侶=東京/キム・ソヨン記者//ハンギョレ新聞社

 殿平さんは、なぜ朝鮮人が故郷に帰れずにここに放置されているのかを調査し始めた。また、北海道北部一帯に放置されている朝鮮人の遺骨の発掘にも乗り出した。1997年、韓国の漢陽大学文化人類学科のチョン・ビョンホ名誉教授が合流した。この時から、韓・日・在日コリアンの青年たちが集まって遺骨を発掘し討論をする「東アジアの平和のための共同ワークショップ」が始まった。この行事は、新型コロナウイルス感染症の困難の中でも毎年開かれている。2015年には朝鮮人遺骨115位を「北海道→東京→京都→広島→下関」を経て韓国に返還する「70年ぶりの帰郷」という遺骨返還も行った。韓日政府の徹底した無関心の中で、両国の宗教・市民社会が成し遂げた奇跡のようなことだった。40年以上続いている朝鮮人遺骨発掘・奉還運動の歴史が、今回の展示に鮮やかに記録されている。

 殿平さんはこの日、本紙のインタビューで「笹の墓標展示館では毎年、韓日と在日コリアンの若者たちが集まって遺骨を発掘し、友情を育んできた。とても大切な出会いだ。ここを再建すれば、長年築いてきた関係を断ち切らず、さらに育てることができるだろう」と話した。殿平さんは「千円、2千円など少しずつ募金に参加した人が3千人を超える。笹の墓標展示館の重要性を知って下さって感謝している」と喜びを表した。

 1997年からワークショップに参加し続けてきた在日コリアンのキム・ジョンヒさんは、「笹の墓標展示館は、私にルーツを探るきっかけをくれた学びの場だ。韓日関係は厳しいが、友達として会えば偏見や垣根を越えて人として理解し合うようになる。こうした貴重な空間は必ず再建されなければ」と語った。再建のためには6千万円が必要だ。現在までに約4500万円が集まっている。

東京/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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