「2009年12月にヘイトスピーチ集団が京都の朝鮮学校を襲撃したとき、恐怖に震えていた子どもたちのことを思うと、今でも胸が張り裂けそうです。

2023-12-16 08:52:43 | 日韓友好親善
 

「朝鮮学校差別」に共に立ち向かう日本の市民たち…

「北朝鮮核問題は生徒とは無関係」

登録:2023-12-16 07:07 修正:2023-12-16 07:46

 

「高校無償化排除反対」 15日、500回目の叫び声 
「日本人BTSファン」佐野さん、「子どもたちへの差別は恥ずかしい」
 
 
日本政府による朝鮮学校の高校無償化排除に抗議する朝鮮学校の生徒・学生たちが15日、文科省前で500回目の金曜行動を行っている。彼らは2013年5月から10年以上毎週集まり「前代未聞の不当な民族差別を絶対許さない」と叫んだ=東京/キム・ソヨン//ハンギョレ新聞社

 「日本でともに生活して働き、税金も払っているのに、なぜ朝鮮学校の子どもたちの権利だけを奪い取るのか、政府が情けなく恥ずかしい」

 4日、コリアタウンのある東京都新大久保で会った佐野さん(38)は、「日本の高校で無償教育が施行され13年が経過したが、朝鮮学校は今も恩恵を受けられずにいる」と声を強めた。彼女はグループ「防弾少年団」(BTS)のファンクラブのメンバーである日本ARMYだ。2人の子どもの母親であり保育士として働く佐野さんは、「日本社会の成人として(朝鮮学校の生徒たちに)本当に申し訳ない気持ち」だとしたうえで、「子どもたちを差別したり攻撃対象としてはいけない」と語った。

 佐野さんが朝鮮学校問題に本格的な関心を持ち始めたのは、今年3月に公開されたドキュメンタリー映画『差別』(キム・ドヒ監督・キム・ジウン監督による共同演出)を観てからだ。『差別』は、日本政府が2010年4月から施行した高校無償化政策から朝鮮学校(朝鮮高校10校)を排除した事件を扱った作品だ。韓国統一部が先月22日、監督らに対し、ドキュメンタリーを作る課程で「朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会)や朝鮮学校の要人に接触した」として警告の公文書を送付した。まさにその映画だ。佐野さんら日本ARMYの数人が意気投合し、日本で3月・4月・7月の3回にわたり一般人を対象にオンライン上映会を開催した。合計254人が観た。収益金の70%は朝鮮学校に寄付した。

 朝鮮学校は、1945年8月の解放(日本の敗戦)後に帰国をあきらめた在日コリアンたちが、子どもたちに祖国の言葉や文化を教えるために自発的に作った教育施設だ。最盛期の1960年には生徒数が4万6294人に達したが、いまでは8000人程度にとどまっている。1950年代末から北朝鮮が教育援助費と奨学金を送金し(2021年時点まで167回)成長したが、いまでは時代が変わり、生徒の50~60%は韓国国籍を持つ子どもたちだ。

 「今年3月初め、親しいARMYの1人が東京朝鮮学校で行われた『差別』の上映会に参加しました。ARMYのなかには在日コリアンもいますが、その方たちと交流し、私たちはあまりにも無知だったと思いました」。映画を観た佐野さんは衝撃を受けた。「日本が子どもたちを相手に『このように差別しているんだ』と思うと、胸が張り裂けました。スクリーンのなかの子どもたちが苦しみ悔しがる姿をみて、心がとても痛みました」

 朝鮮学校問題をきっかけに歴史の勉強もしている。「ミサイル発射や北朝鮮の日本人拉致問題は明確に誤りです。しかし、朝鮮半島の植民地や南北分断など、日本もその責任から逃れられません。また、朝鮮学校が北朝鮮の支援を受けているのは、日本や韓国が彼らを冷遇したことも大きいと思います」

 
 
2人の子どもの母親であり保育士として働く日本ARMYの佐野さん(38)が韓国の男性アイドルBTSのメンバー「JIN」のポスターの前でポーズをとっている。ARMYはBTSのファンクラブの名前だ=東京/キム・ソヨン特派員

 佐野さんが話したとおり、日本の朝鮮高校の無償化排除問題は、13年たっても未解決状態にある。日本は民主党政権時の2010年4月、高校授業料を国家が負担する高校無償化政策を始めた。その際、朝鮮学校のように正規の学校ではない「各種学校」に分類された日本国内の他の外国人学校もすべて支援対象に含まれた。北朝鮮と日本の間での難題である日本人拉致問題などのため、朝鮮学校だけを除外し、適用を保留したのだ。

 その後、朝鮮学校問題に対して結論を出せない状態で、2012年12月に第2次安倍晋三内閣が発足した。日本政府はその直後の2013年2月、関連の行政規則の根拠条項を削除する方法によって、朝鮮学校を無償化対象から完全に除外してしまった。下村博文文部科学相(当時)は記者会見で、「拉致問題の進展がないこと、総連と密接な関係にあり、教育内容、人事、財政に影響を与えている点」などを理由に挙げた。

 在日コリアン社会は強く反発した。2013年から東京・大阪・名古屋・広島・福岡など朝鮮学校5校の生徒たちが直接原告になり、「朝鮮学校無償化除外処分の取り消し」と「国家賠償」請求訴訟を起こした。しかし、2021年7月まで続いた裁判は、大阪地裁(一審)で一度勝訴した以外は、すべて敗訴した。日本の裁判所は、朝鮮学校が総連と密接に関係しており、支援金が違う用途に使われる恐れがあり、日本政府が無償化対象から除外したことは「国家裁量権の範囲内にある」とする判決を下した。

 在日コリアン社会は裁判闘争と並行して抗議運動も始めた。朝鮮高校の生徒たちの先輩にあたる朝鮮大学校の学生たちが中心となり、2013年5月から東京都霞が関にある文部科学省の前で「朝鮮学校に対する差別の是正を要求する金曜行動」を開始したのだ。今年10年目をむかえた金曜行動は、朝鮮学校の生徒や学生、保護者などの在日コリアンと日本の市民たちが参加し、毎週行われている。今月15日で500回目の叫びとなる。

 10年間闘ったが、状況は悪化している。「無償化排除」とともに各地方自治体などが朝鮮学校に支給してきた補助金を削減したり、支給を中断しているためだ。文部科学省の内部資料を引用した産経新聞の報道によると、朝鮮学校63校(6校休校)が所在する地方自治体が支出した2021年の補助金総額は1億8879万円で、1年前より1955万円減少した。資料がある2012年以降、補助金が2億円を切ったのは初めてだった。

 しかし、闘いは孤立しているのではない。長きにわたり朝鮮学校と共にする日本の市民社会があるからだ。5日に東京で会った「朝鮮学校無償化排除に反対する連絡会」の長谷川和男共同代表(75)は10年間ほぼ毎週、金曜行動に参加している。

 「北朝鮮の核実験や拉致問題が、在日コリアンの子どもたちの教育と何の関係があるのでしょうか。政府は『国民の理解を得ることができない』と言うけれど、人権は多数決で決めるものではありません」。40年間東京で小学校教師を務めた長谷川代表は、「子どもたちが差別なく教育を受けることは基本的権利」だと述べ、「1~2年なら解決できたが、すでに13年が経過している」と深いため息をついた。

 長谷川代表は、朝鮮学校に関する最初の判決(一審)を前にして、2017年6月から12月までの半年間「この問題を知らせるためには、何でもしなければならない」という気持ちから、福岡から北海道までの1100キロメートルを156万歩歩き、日本全国の朝鮮学校67校をすべて訪問した。70代の老人が20キログラムのリュックサックを背負って全国を歩いたため、各地で話題になった。

 「先生たちの給与も滞り、雨漏りするとバケツを廊下に置く学校もありました。引退した校長がボランティアで学校のバスを運転するなど、多くの人たちの献身のもとで学校が維持されていました」。長谷川代表は「学校に使われる資金は決められている。朝鮮学校への支援金が総連などの他の場所で使われる可能性があるという日本政府の主張には現実性がない」とし、「疑わしいのであれば、直接調査すればいい、このように排除する問題ではない」と強調した。「朝鮮学校は開かれているので、人々が必ず一度は直接行ってみてほしい。朝鮮語と彼らの民族文化を守るための努力だけでなく、子どもたちと教師の間にの深い信頼関係など、私たちが習うことが多い」

 
 
日本・アジア関係史、植民地や在日外国人問題などを研究した一橋大学の田中宏名誉教授(86、写真左)。「朝鮮学校無償化排除に反対する連絡会」の長谷川和男共同代表(75、写真右)=東京/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 4日に東京で会った一橋大学の田中宏名誉教授(86)も頼もしい友軍だ。日本・アジア関係史、植民地や在日外国人問題などを研究したた田中教授も、朝鮮学校訴訟や金曜行動、講演・記者会見などで、この問題を解決するために10年以上にわたり東奔西走している。

 「2009年12月にヘイトスピーチ集団が京都の朝鮮学校を襲撃したとき、恐怖に震えていた子どもたちのことを思うと、今でも胸が張り裂けそうです。2021年にも(在日コリアンの集団居住地の)ウトロで放火事件がありました。そうした事件が民間による差別であるとすれば、朝鮮学校の無償化排除は、国があからさまに差別するものです」。田中教授は「国連もこの問題は差別であり是正するよう数回勧告したが、びくともしない」とし、日本政府を強く非難した。

 「日本政府の態度は、民族教育を認めず、大変なら日本の学校に通えという話と同じです。同化主義です。過去の植民地時代と何も変わっていないのです」。田中教授は「岸田文雄首相が北朝鮮と日本の首脳会談に意欲を示しているが、それを可能にするためには、朝鮮学校問題から解決しなければならない」と強調した。「私がもし100歳まで生きるとすれば、残りは14年です。それまでには解決されなきゃならないが、できないのではないかと心配です。でも、絶対にあきらめないでしょう」

東京/キム・ソヨン (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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小池、笠井の両氏は呂健二(ヨ・ゴニ)民団中央本部団長、尹徳敏(ユン・ドクミン)駐日韓国大使、韓日議連の鄭鎮碩(チョン・ジンソク)会長らとあいさつを交わしました。

2023-01-14 09:29:23 | 日韓友好親善

在日本大韓民国民団の新年会

小池書記局長が祝辞

写真

(写真)民団の新年会で祝辞を述べる小池晃書記局長(中央)と笠井亮衆院議員(左)=13日、東京都内

 在日本大韓民国民団(民団)の新年会が13日、都内で開かれ、各党の代表らとともに、日本共産党から小池晃書記局長・参院議員、笠井亮衆院議員(日韓議連幹事・法的地位副委員長)が出席しました。

 小池、笠井の両氏は呂健二(ヨ・ゴニ)民団中央本部団長、尹徳敏(ユン・ドクミン)駐日韓国大使、韓日議連の鄭鎮碩(チョン・ジンソク)会長らとあいさつを交わしました。

 呂団長は主催者あいさつで、昨年11月に国連自由権規約委員会が日本で永住する韓国人とその子孫に地方参政権を認めるよう関連法の改正を日本政府に勧告したことにふれ、「画期的」だと評価。在日韓国人にとって、「地方自治体の選挙権は必要不可欠な人権だ」と改めて法改正を求めました。

 また、北朝鮮の核の脅威が深刻化しているとして、「断固、核開発の阻止と核の廃絶を訴える」と述べました。

 小池氏は祝辞で、呂団長もふれた国連の勧告にふれ、「民団の皆さんの運動が実を結んだものとして歓迎したい」と指摘。今年は4年に1度の統一地方選挙の年だが、「同じ社会の一員として納税を含むさまざまな貢献をされている方々が投票できないのは全くおかしい」と述べ、超党派で法改正に取り組みたいと表明しました。

 また、小池氏は、日韓関係の改善に向けてさまざまな動きが出ている中で、「徴用工問題であれ、日本軍『慰安婦』問題であれ、被害者の名誉と尊厳を回復する方向でこそ解決の道が開かれる」と強調。日本側としては、過去の植民地支配への真摯(しんし)な反省の立場を堅持することが何より必要で、「私たちもその精神で日韓関係改善に向け努力したい」と述べました。

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17広域自治体の首長選挙のうち、民主党は光州(クァンジュ)、全羅南道、全羅北道、済州道の4地域、そして最大の勝負どころだった京畿で何とか勝利を収めた。

2022-06-03 16:32:17 | 日韓友好親善

「大統領選の僅差の敗北が毒に」

延長戦においてオウンゴールで惨敗の民主党=韓国

登録:2022-06-03 03:02 修正:2022-06-03 09:07
 
6・1地方選挙の分析と展望 
「3・9大統領選での0.73ポイント差の敗北が毒に」 
ソン・ヨンギルとイ・ジェミョンの出馬、大統領選不服の構図を自ら招く 
イ・ジェミョン「責任論」いかに切り抜けるか 
第21代国会後半期の院内構成が与野党の当面の課題
 
 
仁川桂陽乙から国会議員選に出馬した共に民主党のイ・ジェミョン候補兼総括選対委員長が1日、国会議員会館の民主党開票状況室で放送3社の出口調査結果の発表中に席を立った=国会写真記者団//ハンギョレ新聞社

 3月9日の大統領選挙の延長戦として行われた6月1日の地方選挙で、共に民主党が惨敗した。

 17広域自治体の首長選挙のうち、民主党は光州(クァンジュ)、全羅南道、全羅北道、済州道の4地域、そして最大の勝負どころだった京畿で何とか勝利を収めた。2018年に民主党が勝ったソウル、仁川(インチョン)、釜山(プサン)、蔚山(ウルサン)、慶尚南道、大田(テジョン)、世宗(セジョン)、忠清南道、忠清北道、そして江原道すら国民の力の手に渡った。ほとんど天地のひっくり返る水準だ。

 仁川と世宗は直前の全国選挙である3・9大統領選挙でイ・ジェミョン候補が勝ったところだ。それでも負けた。大統領選挙で5.32ポイント差で勝った京畿での差はわずか0.14ポイントにまで縮まっていた。負けたも同然だ。

 民主党の地方選挙での敗北は3・9大統領選挙の敗北である程度予告されていた。大統領選挙の84日後、大統領就任から22日後の全国選挙は前例がない。当初から大統領選挙の影響を避けるのは困難だった。

 民主党の成績表が「敗北」から「惨敗」へと変わったのは、ソン・ヨンギル前代表とイ・ジェミョン前大統領候補のせいだ。大統領選の敗北後、自粛すべきだったソン・ヨンギル前代表はソウル市長選挙に出馬した。イ・ジェミョン氏も党内外の引き止めを振り切って国会議員選挙に出馬した。

 2人の出馬は、6・1地方選挙を大統領選挙の延長戦として刻印する悪材料として作用した。民主党自らが大統領選挙不服フレームの中へのこのこと入っていった格好となった。選挙運動期間中ずっと多くの大儀名分を掲げていたものの、大統領選挙不服フレームから脱することはできなかった。サッカーで言えばオウンゴールだった。熱烈な支持層の結集効果よりも、緩い支持層と中道層の離脱効果の方がはるかに大きかった。

 民主党の議員たちに惨敗の理由を尋ねた。概ね次のような答えが返ってきた。

 「投票率がガクンと下がったのを見て、開票前から惨敗することは分かっていた。大統領選挙でイ・ジェミョン候補に入れた有権者の中のかなりの数が投票を放棄した。大儀名分争いで我々は非常に押されていた」

 「大統領選挙での0.73ポイント差の敗北が毒となった。『敗れたけどよく戦った』という『阿Q正伝』に出てくる精神勝利法だ。現実世界では通用するわけがない。残念だが万事必ず正理に帰すだ。何も言えない」

 もっとも、あらゆる選挙は審判選挙だ。2018年の地方選挙は、朝米首脳会談を「偽装平和ショー」と非難したホン・ジュンピョ代表の自由韓国党に対する審判だった。2020年の総選挙は、新型コロナウイルス禍を選挙に引き込んだファン・ギョアン代表の未来統合党に対する審判だった。

 今回の選挙は、大統領選挙の敗北に承服せず、頭を下げないイ・ジェミョン候補と民主党に対する審判だった。われわれ有権者は傲慢な政治家と政党を非常に嫌う。

 選挙での敗北には後遺症が伴う。民主党は大統領選挙の敗北と地方選挙の敗北という2つの津波に一度にさらされることになった。

 当面は、派閥対立と責任攻防を抜け出すことは難しいだろう。かといって、党が簡単に割れるようにも思われない。議員たちには集団離党する大儀名分も、力もないからだ。

 ユン・ホジュン、パク・チヒョンの両共同非常対策委員長の辞任は当然の手順だ。民主党は次の党大会で新指導部が選出されるまで、改めて非常対策委体制を取らざるを得ないだろう。パク・ホングン院内代表が非常対策委員長として党大会を準備しなければならないだろう。

 民主党の中で今回の選挙での敗北に最も大きな責任のある人物は、イ・ジェミョン総括選挙対策委員長だ。「ひとり生きようとして民主党を皆殺しにした」との批判は、彼にとって烙印になるだろう。どうするのだろうか。

 同氏は当選の感想を聞かれた際に「厳しい叱責を謙虚に受け止める」としつつも「もう少し革新し、新たな姿で期待に応えられるよう最善を尽くす」と語った。大したものだ。彼の性格からして、ついでに党大会に出馬するという正面突破カードを選択することもありうる。通じるだろうか。

 民主党の最大の問題は、イ・ジェミョン氏と民主党の議員、そして民主党の党員と支持者に、果たして民主党を革新する意志と力量があるかどうかだ。革新できなければ、民主党は2024年の総選挙、2026年の地方選挙、2027年の大統領選挙でも敗れるだろう。

 今回の選挙の結果から最大の利益を得たのは尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領だ。大統領選から今までは低い支持率で苦戦してきたが、地方選挙の圧勝で任期初期の政局の主導権を握った。

 これから尹錫悦大統領の本当の能力を見ることになるだろう。もちろん尹錫悦大統領の政治的力量は立証されていない。しかし、「相手のミス」による反射利益も実力のうちだ。尹錫悦大統領が「野党のおかげ」をいつまで享受できるのかが気になる。

 地方選挙直後、ハン・ドンフン法務部長官と「尹錫悦師団」出身の検察の主要幹部が主導する政治家査定が始まる可能性がある。キム・ハンギル国民統合委員長らが査定局面を利用して民主党議員を引き抜く政界再編を試みる可能性もある。うまくいだろうか。ややもすれば大ごとになる。

 国民の力の内部的には、次期大統領候補の座をめぐる競争が始まった。今回の選挙で当選したソウル市のオ・セフン市長、大邱市(テグシ)のホン・ジュンピョ次期市長、アン・チョルス議員などが有力な候補たちだ。

 勝利の興奮と敗北の痛みが収まりもしないうちから、与野党が直面する当面の課題がある。第21代国会の後半期の院内構成だ。

 遅くとも7月17日の制憲節までには国会本会議を開き、国会議長、副議長、常任委員長を選出しなければならない。国会がなければ尹錫悦政権、尹錫悦行政府は何もできない。

 問題は法司委員長だ。今のところ、与野党いずれも法司委員長を譲ったり放棄したりする考えはないようだ。尹錫悦大統領と国民の力はこの難題を解決できるのだろうか。

ソン・ハニョン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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本当に出版されるかどうか、心配する方もいました。民問研が出版の約束を守り、その方々に信頼を与えられたことを誇りに思っています。事典が出ると、日本の筆者の皆さんがとても喜んでいました」

2022-03-23 11:46:15 | 日韓友好親善

「40人以上の韓日の研究者が10年かけて

『在日朝鮮人団体事典』を完成しました」

登録:2022-03-23 06:43 修正:2022-03-23 10:06
 
民族問題研究所のイ・ヨンチャン研究室長
 
 
事典の執筆に参加した民族問題研究所のチョ・ハンソン先任研究員(左から)、イ・ヨンチャン研究室長、イ・ミョンスク先任研究員、クォン・シヨン先任研究員=カン・ソンマン先任記者//ハンギョレ新聞社

 「事典の索引作業だけでも2カ月ほどかかりました。人名が約5400人、団体は2800以上です。今後、『親日(附逆者)人名辞典』の増補改訂版を出したり、新たに独立運動家叙勲を申請する際に活用できると思います」

 民族問題研究所(イム・ホニョン所長、以下民問研)は最近、1895年から1945年まで日本で発足した朝鮮人団体551団体の沿革と活動を辿った『在日朝鮮人団体事典1895~1945』(共同編纂委員長:樋口雄一、水野直樹、キム・グァンヨル)を出した。2012年に韓国と日本の研究者が共同で編纂作業に着手してから10年をかけて完成した。「国内の在日朝鮮人研究者9人と日本の研究者29人が参加しました。日本では在日朝鮮人専門の研究者とともに、その地域を研究する方々も多数参加しました。事典の内容の65%は韓日の研究者たちが、残りは民問研編纂チームの研究員たちが分担して書きました」

 
 
         『在日朝鮮人団体事典 1895~1945』の表紙//ハンギョレ新聞社

 民問研の同僚研究員5人と共に今回の事典編纂の実務を率いたイ・ヨンチャン研究室長の説明だ。中央大学史学科で「東学天道教団の民会設立運動」で博士号を取得したイ室長は、2004年から民問研の常勤研究員として活動してきた。

 今月21日、ソウル龍山区青坡路(ヨンサング・チョンパロ)の民問研事務室でイ室長に会った。

 1200ページを超える同事典は、民問研が創立以来4番目に発行した日帝時代(日本の植民地時代)専門事典だ。最初に『日帝協力団体事典-国内中央編』(2004年)を出版し、続いて『親日人名辞典』(2009)と『日帝植民統治機構事典-統監府・朝鮮総督府編』(2017年)を発刊した。

 「『親日人名辞典』を出す時、日本と中国側の朝鮮人コミュニティの動向が気になりました。『親日人名辞典』は今も客観性や緻密さにおいて認められていますが、海外と国内地域の調査が不十分でした。1945年基準で、日本だけで朝鮮人200万以上が暮らしていました。当時、日本にどのような朝鮮人組織があり、どのような活動を行ったのか、また日本はどのように統治し、そこに朝鮮人たちはいかに対応したのか調べたいと思っていました」。なぜ『在日朝鮮人団体事典』を出したのかという質問に、イ室長はこう答えだ。彼は同事典の編纂が日本の歴史歪曲に対する韓日市民社会の連帯のための共同作業としての意味も大きいと語った。「2000年代に入り、親日人名編纂委員会が本格的に活動する頃、日本でも歴史歪曲問題が浮き彫りになりました。その時、韓国と日本の市民と知識人たちが共同対応を悩んだ末、共に事典を作ればいいと考えるようになったんです」

 同事典は留学生の集まりや親睦・互助団体から独立運動や親日寄りの組職まで、在日朝鮮人たちが作った多様な団体を網羅している。1927年にソウルで創立された左右合作独立運動団体の「新幹会日本支会」の場合、京都、名古屋、東京、大阪まで4カ所の活動を詳述し、天道教と仏教、キリスト教など国内宗教団体とつながっている組織も取り上げた。親日附逆者の朴春琴(パク・チュングム)が1921年に東京で作った「相愛会」と、1937年日中戦争の頃に日本の官主導で結成され、強制動員労働者を統制・抑圧する手段として活用された「協和会」についても、本部と各支部を分けて叙述した。

 相愛会の大阪本部編には、同地域の紡績工場である朝鮮人女性工員100人が同会の追放を要求し、15日間ストを行ったという内容が出てくる。紡績工場側と密着した一部の相愛会員は朝鮮人女性工たちにとって恐怖の対象だったという。北海道や兵庫県などの各地域の協和会編には、日本治安当局が朝鮮人を締めつけるのに協和会を活用した具体的な方法などが書かれている。

民問研4冊目の「日帝時代事典」 
日本の研究者29人なども執筆に参加 
在日朝鮮人団体551団体を調べ 
「索引の人名だけで5400人以上 
親日人名辞典改訂版を出す時や 
叙勲時にも活用できるだろう」

 同事典の編纂で日帝強占期について新たに知った内容があるかと聞くと、イ室長はこのように答えた。「普通、在日朝鮮人と えば、迫害を受けたことだけを思い浮かべますが、今回の作業で各分野で非常に多様な組織と人物が存在していたことが分かりました。天道教だけでも11の団体がありました。無政府主義団体もいくつかありましたし、女性団体や消費組合もありました。住居問題で困難を強いられた朝鮮人たちが『借家人組合』を結成し、似たような境遇の日本人たちと共に闘ったこともありました」と語った。「朝鮮人たちはその時代、日本で朝鮮語を使い、朝鮮の服を着て朝鮮の風習に従いました。朝鮮人のアイデンティティを守り、朝鮮人として生きていたのです」

 事典の編纂においては用語や観点の統一が重要だが、両国の研究者がともに参加したため、困難があったのではないかと尋ねると、イ室長は「日本の研究者も事典を編纂する趣旨に同意する方々なので、事件や人物に対する見解の差はなかった」と答えた。「実は最も悩み、議論を重ねたのは事典の題目です。在日朝鮮人研究者の中には、在日朝鮮人の代わりに日本で在日韓国人と朝鮮人を指す『在日』や『在日コリアン』を使おうと提案した方もいました。しかし、二つの用語が韓国人の我々にとってはあまり聞きなれないため、『在日朝鮮人』にし、その代わり本の表紙に漢字で併記しました」

 
 
前列左から時計回りに、民族問題研究所のイ・ヨンチャン研究室長、チョ・ハンソン先任研究員、クォン・シヨン先任研究員、イ・ミョンスク先任研究員=カン・ソンマン先任記者//ハンギョレ新聞社

 同事典は551の団体ごとに組織の性格を示す一行説明をつけた。例えば、1922年に結成された黒友会は「東京で結成された朝鮮人初のアナキスト思想の団体」と書かれている。民問研が親日団体と見なす相愛会に関する説明は「内鮮融和・親日団体」だ。「日本の執筆者の中には相愛会を親日団体ではなく内鮮融和団体と見るべきだという意見もありました。日本で暮らし、日本文化の中に溶け込むことを目標にした団体だということです。我々は相愛会が韓国と日本精神の結合を追求した点で、親日だと考えています。相愛会の一行説明にはこうした意見の相違が反映されました」

 事典の執筆者らは皆、原稿料を受け取っていない。「お金の問題ではなく、必ずやらなければならない作業だという考えで参加しました。日本の研究者の中には数十団体に関する執筆を担当した方もいます。実際出版が予想より遅く、本当に出版されるかどうか、心配する方もいました。民問研が出版の約束を守り、その方々に信頼を与えられたことを誇りに思っています。事典が出ると、日本の筆者の皆さんがとても喜んでいました」

 イ室長は、当初、韓国版とともに出版しようとした日本版の出版についても悩んでいると話した。「韓国語と日本語の原稿が入る度に、翻訳を進めました。でも、韓国語を日本語に直した時、用語も違うし、文脈も変わってしまい、すぐには日本語版の出版は難しいと思いました。もう少し議論してから決めるつもりです」

 最後に改訂版を出すとしたら、どの部分を補完したいか聞いた。「今回の事典は、北海道など地域協和会の説明も主に日本中央政府側の資料に多く依存しています。今後、地域の官庁やマスコミ各社、そして民間の資料ももっと探して補っていきたいです。また、文化芸術団体も補完が必要だと思います。演劇や映画、文学関連の朝鮮人団体が多くありましたが、これらは芸術だけでなく、思想運動とも結びついています。こうした点をしっかり指摘しなければならないと思います」

カン・ソンマン先任記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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大統領選挙の終盤の変数と言われてきた野党候補一本化の可能性がひとまずなくなったことで、残り17日の選挙戦は再び揺れ動いている。

2022-02-22 09:35:04 | 日韓友好親善

アン候補「一本化撤回」を宣言、「国民の力の責任」…

大統領選まであと17日、影響は

登録:2022-02-21 01:44 修正:2022-02-21 08:04
 
「一本化への誠意をおとしめ、フェイクニュースで侮辱」責任論 
アン候補「独自完走」宣言、中道の民意の変化に神経 
民主-国民の力の薄氷構図において最後まで変数に
 
 
国民の党のアン・チョルス候補が20日午後、国会の疎通館で緊急記者会見を行い、国民の力のユン・ソクヨル候補との一本化論議を中止することを明らかにした=共同取材写真//ハンギョレ新聞社

 野党「国民の党」のアン・チョルス候補は20日、「私はこれから自分の道を歩む」と述べ、野党第一党の「国民の力」のユン・ソクヨル候補との野党候補一本化の提案を撤回した。大統領選挙の終盤の変数と言われてきた野党候補一本化の可能性がひとまずなくなったことで、残り17日の選挙戦は再び揺れ動いている。

 アン候補は20日午後、国会の疎通館で緊急記者会見を行い、「1週間待って見守った。これ以上の無意味な過程と時間は整理する」と述べ、大統領選を独自完走するとの意思を明らかにした。アン候補は13日の大統領選候補登録の直後、ユン候補に対し、有権者による予備選挙方式の世論調査での一本化を電撃的に提案していたが、「これ以上(ユン候補の)回答を待つことは無意味だと結論付けた」との立場を明らかにしたのだ。アン候補はユン候補に対し「3週間の本選挙のうち1週間という十分な時間を与えた。一本化が実現しなかった責任は野党第一党とユン候補にあるということを明確に申し上げる」と述べ、すべての責任を国民の力に負わせた。

 アン候補はこの日の記者会見の冒頭で、自らの一本化提案について「どうにかして一本化フレームに閉じ込めようとする政治環境と構図を克服するための苦肉の策であり、政権交代のために力を合わせてほしいという世論の意を受け入れようとしたもの」と説明した。アン候補は、候補一本化の対象だった国民の力に対しての感情的な批判に会見時間の半分近くを割いた。アン候補は国民の力に対し「私の提案を受けたユン候補からは、1週間が過ぎても何の返事もなかった。むしろユン候補の意思だと言って野党第一党の様々な人々が割って入ってきて、私の一本化提案の誠意をおとしめ、歪曲した」と批判した。そして「我が党が直面した不幸に乗じて、喪中に候補辞退説や京畿道知事代価説を流すなど、政治的謀略をためらわなかった」、「この一週間の無対応と一連のフェイクニュース流布によって、野党第一党は一本化の意志も誠意もないということを、十分かつ明確に示した」と強く非難した。公式の選挙運動初日の15日、国民の党の遊説バスの事故で同党の地域選挙対策委員長ら2人が死亡し、アン候補が選挙運動を中断した際に、国民の力から出たと推定される根拠のないデマに言及して、不快感をあらわにしたのだ。アン候補は続けて「(ユン候補の回答を)さらに待つということは、私自身はもちろん、私を大切に思ってくれるすべての党員同志と全国の支持者の方々にとって屈辱的なものになる」とし「傷つけられ侮辱されることは、私がやめさせなければならなかった」と一本化交渉の決裂を宣言した背景を語った。

 アン候補の独自完走発表により、今回の選挙が多者構図で繰り広げられる可能性が高まったことで、保守層の分裂、中道層の民意の変化が予想される。「イ・ジェミョン-ユン・ソクヨル」2強による超接戦の薄氷構図の中、アン候補を取り込むための両者の求愛は最後まで熾烈なものになるとみられる。

 まだ一本化の扉が完全に閉ざされたわけではないという解釈も示されている。龍仁大学教養学部のチェ・チャンリョル教授(政治学)は本紙に対し「アン候補は選挙動力を復活させ大義名分を見出すため、ボールを改めて国民の力の方へと投げかけている」とし「薄氷状況のユン候補側は、何とか一本化を成し遂げるための努力を続けるとみられる。一本化の可能性は選挙前日まではまだ残っているということ」との見通しを示した。

キム・ミナ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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