ウトロ平和祈念館の田川明子館長は、「故金君子(キム・グンジャ)さんの『ウトロだったから生きてこられた』という言葉が思い浮かぶ。

2022-05-02 20:52:27 | 京都ウトロ

[ルポ]

「残りの人生もウトロで生きる」痛みと差別を乗りこえ…

ウトロ平和祈念館開館

登録:2022-05-02 06:18 修正:2022-05-02 08:05
 
「ウトロ平和祈念館」開館式 
住民をはじめ在日コリアン・韓国と日本の市民ら約150人が参加 
「痛みと差別を乗りこえ、新たな出会いの場所になってほしい」 
 
 
4月30日午前10時、京都府宇治市ウトロで「ウトロ平和祈念館」の開館式が行われた。1980年代中頃までウトロで住宅として使われた木造家屋の飯場も、解体されて祈念館の横(写真右側の建物)に移された=京都/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 「アリラン~アリラン~アラリヨ~」

 30日午前10時、日本の京都府宇治市ウトロ51番地。在日コリアンの集団居住地のウトロ地区にアリランが響き渡った。前日の豪雨が通り過ぎ空がきれいに晴れたこの日、住民など在日コリアンや韓国・日本の市民、政府関係者ら約150人が参加するなか、「ウトロ平和祈念館」の開館式が行われた。祈念館の建設・運営費用は、韓国政府の支援と韓国と日本の市民らの募金で設けられた。

 チマチョゴリをきれいに着飾り参加したウトロ住民の韓金鳳(ハン・クムボン)さん(83)は「嬉しくてありがたい」と言い「残りの人生もここでずっと生きていく」と語った。ハンさんは、小さい頃は母親とともに大阪に住んでいたが、ウトロに移り住み、ここで結婚もした。彼女がウトロのアーカイブに書いた文章には「学校に行けば『朝鮮人は嫌いだ』という言葉ばかり聞いた。冬の寒さと貧乏は耐えがたく、雨が降るとあちこちで浸水し、大騒ぎだった。ウトロの人たちはみんなそのようにして生きてきた」と記されている。

 在日コリアン3世で祈念館の建設運動などに取り組んできた人権団体「コリアNGOセンター」の郭辰雄(クァク・ジヌン)代表も、喜びの気持ちを隠せなかった。郭代表は「韓国と日本の市民が力を合わせて乗り越えてきた歴史がウトロ」だと述べ、「私たちが未来を考え、共に生きていける経験を学ぶことができる場所」だと強調した。

 
 
30日午前10時、京都でウトロの住民など在日コリアン、韓国・日本の市民、政府関係者ら約150人が参加するなか、「ウトロ平和祈念館」の開館式が行われた=京都/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 地上3階、延床面積461平方メートルの規模の祈念館には、日本の植民地支配と戦争、在日コリアン差別、生活を守るためのウトロの闘争、韓国と日本の市民の連帯など、過ぎ去った80年間の激しい歴史が、そのまま込められている。なぜ朝鮮人がウトロで生きていくことになったのかについての歴史的事実から、ケンガリ(金属製打楽器)・チャング(小型の太鼓)・プク(太鼓)などウトロの住民たちが故郷を思って長い間演奏してきた楽器も展示されていた。3階の企画展示室には、ウトロ地区で苦労して生きてきた在日朝鮮人1世たちの写真と略歴、生前に残した言葉が白い布に書かれていた。1980年代中頃までウトロで住宅として使われた木造家屋の「飯場」(建設現場などに臨時に設けられた食堂)も、解体して祈念館横に移された。

 ウトロは日本の植民地時代の1941年、日本政府が京都の軍事飛行場の建設のために朝鮮人を大挙動員して作られた集団居住地だ。終戦後に工事は中断され、賃金の未払い、日本からの財産持ち出し制限などの多くの事情で故国に帰ることができなかった朝鮮人たちが、貧困と差別のなかで互いを頼り生きていくことになった。

 
 
地上3階、延床面積461平方メートルの祈念館には、日本の植民地支配と戦争、在日コリアン差別、生活を守るためのウトロの闘争、韓国と日本の市民の連帯など、過去80年間の激しい歴史がそのまま込められた=京都/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 その後、土地の所有者が起こした訴訟で2000年に裁判所が住民たちに退去命令を下したことにより、住民たちは新たな試練に直面した。生活の基盤から追い出される懸念が強まったウトロの状況が知られ、韓国と日本の市民の募金に加え、韓国政府が支援に乗りだし、土地を買い取ってウトロを守ることができるようになった。2018年に日本政府が住居改善事業で作った市営アパート1号棟に40世帯が入居し、来春に作られる2号棟に12世帯が入る予定だ。20年ほど前には320人ほどだったウトロの住民数は、現在は100人ほどに減った。ほどんどは一人暮らしの高齢者だ。「ウトロの生き証人」の姜景南(カン・キョンナム)さん(95)が2020年に亡くなり、1世はすでに誰も残っていない。

 ウトロ平和祈念館の田川明子館長は、「故金君子(キム・グンジャ)さんの『ウトロだったから生きてこられた』という言葉が思い浮かぶ。子どもたちを育てながら必死に生きてきたウトロの1世たちが、あの空の上で嬉しい気持ちで見守ってくれているだろう」と述べた。田川館長は「韓国と日本の若い人たちが祈念館に多く来られるよう、様々な企画展示も計画している」と述べ、「痛みと差別の象徴だったウトロが、平和を実現するための新たな出会いの場になることを期待する」と強調した。祈念館の後ろの壁には「ウトロに生きる ウトロで出会う」という大きな垂れ幕がはためいていた。

京都/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウトロ平和祈念館は2022年4月に京都府宇治市伊勢田町ウトロ地区に延べ床面積450平方メートル、地上3階建ての建物を建設する予定だ。

2021-07-03 06:59:52 | 京都ウトロ

「ウトロ平和祈念館」、来年4月に開館

登録:2021-07-02 08:53 修正:2021-07-02 09:05
 
26日、ウトロの飯場解体式も
 
 
6月26日、ウトロの在日コリアンや関係者らが飯場を背景に記念写真を撮った=写真・地球村同胞連帯(KIN)提供//ハンギョレ新聞社

 ウトロ民間基金財団は先月26日、ウトロ地区で「ウトロ平和祈念館」構想案の発表と最後の飯場の解体式を行った。

 同財団が示した構想案によると、ウトロ平和祈念館は2022年4月に京都府宇治市伊勢田町ウトロ地区に延べ床面積450平方メートル、地上3階建ての建物を建設する予定だ。1階にはロビーと各種イベントのための多目的ホール、2階には常設展示館、3階には収蔵庫と特別展示空間、屋上(ルーフトップ)には野外休憩施設と太陽光パネルが設置される。

 ウトロ民間基金財団の金秀煥(キム・スファン)理事は同日、「平和祈念館の歴史を知り、気持ちが重くなるのではなく、自分のルーツを誇りに思い、幸せになる施設にしたい」と抱負を語った。財団はホームページで「ウトロ平和祈念館が日本と朝鮮半島の歴史、日本で生きてきた在日コリアンの歴史、そして様々な困難を乗り越え、共に歩んできた日韓市民、それらの記憶と思いを伝えて未来へとつないでいく」ための施設だと意味づけた。

 
 
   ウトロ平和祈念館の鳥瞰図=ウトロ平和祈念館ホームページよりキャプチャー//ハンギョレ新聞社

 同日の発表に続き、労働者の宿舎であり食堂から由来したウトロの象徴的住居施設である飯場を平和祈念館予定地に移転するための解体式も行われた。統国寺住職の崔無碍(チェ・ムエ)僧侶は、読経と励ましの言葉を通じて、飯場での生活を皮切りにウトロを築き守り抜いた1世の在日コリアンに対する慰めと感謝の気持ちを表現した。

 日帝強占期(日本の植民地時代)、飛行場の建設と共に動員された朝鮮人たちが差別と貧困の中で守ってきたウトロ地区には現在、約50世代90人ほどが居住しているという。

キム・ギョンエ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウトロ地区は第2次世界大戦中に飛行場建設のため強制徴用された労働者らが暮らし始めたエリア。

2018-10-28 05:47:19 | 京都ウトロ

京都・ウトロに記念館を 住民らがソウルで計画説明

2018/10/26 22:58


【ソウル聯合ニュース】在日韓国・朝鮮人が多く暮らす京都府宇治市のウトロ地区への記念館建設に関するワークショップが26日、ソウル市内で開かれた。来韓したウトロの関係者が記念館の計画やコンセプトを韓国の市民団体などに説明するとともに、運営方法などについて話し合った。

               
ワークショップに先立って行われた記念館建設のための募金を渡すイベントで募金活動を行った小学生と記念撮影するウトロ町内会の河秀夫・副会長(左から3人目)と「ウトロを守る会」の田川明子代表(同5人目)=28日、ソウル(聯合ニュース)

 ワークショップにはウトロ町内会の河秀夫(ハ・スブ)副会長、市民団体「ウトロを守る会」の田川明子代表、ウトロ民間基金財団の代表を務める郭辰雄(カク・チヌン)コリアNGOセンター代表理事らが日本から出席した。

 まず河副会長が立ち退きの危機から脱したウトロ地区の住民が今年初めから、新たに完成した市営住宅の1期棟(40世帯)に暮らすまでの経緯や同地区の様子などを説明するとともに、多くの支援を受けた韓国の市民や団体に謝意を伝えた。

 ウトロ地区は第2次世界大戦中に飛行場建設のため強制徴用された労働者らが暮らし始めたエリア。戦後に土地を所有する企業が明け渡しを求め地裁に提訴し、最高裁が2000年に住民の立ち退きを命じた。その後、韓日の市民団体や韓国政府の支援金などで土地の一部を取得し、市営住宅の1期棟が完成。21年ごろに完成予定の2期棟(約20世帯)に残りの住民が移る予定だ。

 「ウトロ平和祈念館」という仮称がつけられている記念館は2期棟完成にあわせて開館する計画だという。郭代表によると、2階建てになる予定の記念館は1階を住民や見学のための訪問者が集えるオープン空間にし、2階を展示場にするという。

 記念館を巡っては韓国で非営利公益財団「アルムダウン(韓国語で美しいの意)財団」を中心に建設のための募金活動が実施されており、有名女優や人気コメディアンらも募金を呼び掛けている。

 郭代表は記念館について「住民はウトロの歴史や自分たちの生き様とともに、後世に感謝の気持ちや経験を伝えたいという思いを持っている」と説明する。

               
来韓できなかったウトロ町内会長に代わり記念館のコンセプトを説明する郭代表=28日、ソウル(聯合ニュース)


 あいさつに立った「ウトロを守る会」の田川代表は「30年にわたったウトロ地区の闘争を無にしたくない」と記念館建設に意欲を示した上で「ウトロの歴史だけでなく特徴を残すために多くの人が触れ合えるスペースをぜひ設けてほしい」と話した。

 ワークショップではほかに、韓国で民間が主導して誕生した民主化闘争の記念館の関係者が開館までの道のりや運営方法について説明したり、出席者を交えてディスカッションしたりした。

sarangni@yna.co.kr
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする