藤島ジュリー景子社長に対しては、取締役時代から性加害疑惑を認識していたにもかかわらず、社長就任後も調査を怠ったとして、辞任を求めました。

2023-08-31 10:16:16 | 問題がないは、大問題

 

ジャニーズ性加害

声上げた被害者を守る社会に

 ジャニーズ事務所の故ジャニー喜多川前社長による性加害問題を受けて事務所が設置した「再発防止特別チーム」が29日、性加害が長期間・広範に繰り返されていた事実を認めた報告書を公表しました。性加害を知りながら放置・隠蔽(いんぺい)した経営体質、「見て見ぬふり」の事務所の不作為などが被害を拡大させたと断じました。報告書には、多くの少年への許し難い性虐待の事実が記されており、被害の大きさは計り知れません。事務所は責任を認め、被害者に心から謝罪し、救済と補償、再発防止の仕組みをつくるべきです。

巧妙な罠でからめとる

 報告書は、「ジャニー氏の性加害の事実が1950年代から2010年代半ばまでの間にほぼ万遍なく存在していた」「少なく見積もっても数百人の被害者がいるという複数の証言が得られた」と明記しました。芸能事務所トップが自身の事務所に所属する中高生らの未成年のタレント候補に対し、強制わいせつ罪などに該当し得る犯罪行為を行い、多数の被害者を出した「極めて悪質な事件」と断定したのは当然です。

 報告書は、背景の一つに、ジャニー氏と姉の故メリー喜多川氏が長く社長などを務めた「同族経営」の弊害を挙げました。メリー氏については、ジャニー氏の性嗜好(しこう)異常と、それによる少年たちへの性虐待が続いていることを知りながら徹底的な隠蔽を図り、そのことが、被害の拡大を招いた最大の要因であるとしました。ジャニー氏が少年たちに合宿所などで継続的に性加害を続けてきたことをジャニーズ事務所は認識していたのに、何ら対応しないばかりか、辛抱させるしかないと考えていたふしがあり、それも被害を広げた大きな要因だったとしました。

 藤島ジュリー景子社長に対しては、取締役時代から性加害疑惑を認識していたにもかかわらず、社長就任後も調査を怠ったとして、辞任を求めました。

 報告書は、被害を潜在化させた「権力構造」に立ち入って言及しています。ジャニー氏は採用・デビューなどの生殺与奪権を一手に握り、タレント候補らに絶対的に強い立場にありました。一方的な強者・弱者の関係性の中では、芸能活動上の不利益・悪影響を避けるため性加害を受け入れざるを得なかったと報告書は述べます。

 子どもを手なずけ、言うとおりにすれば悪い事は起きないと思い込ませることで、自由意思で性加害に応じたように誘導するのは加害者の「常套(じょうとう)手段」です。報告書は、積極的にジャニー氏の自宅や合宿所に行くことを望んだ少年がいたとしても「ジャニー氏が仕掛けた巧妙な『罠(わな)』に絡めとられた結果」であり、「典型的な性虐待の図式」と指弾しました。

業界とメディアのあり方

 報告書は、有名プロデューサーらの力が強いエンターテインメント業界には性加害やセクシュアルハラスメントの発生しやすい土壌があるとも述べました。

 過去に複数の週刊誌が問題にしたにもかかわらず、今年3月の英国BBCの報道まで続いた「マスメディアの沈黙」がジャニーズ事務所の隠蔽体質を強化したとしました。重く受け止めなければならない指摘です。人権侵害を告発した人が守られ、被害から救われる社会にすることが必要です。

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証言や資料が集まるにつれ、日本政府の隠ぺいによって曖昧だった当時の惨状が明確になった。取り組んだ人たちは、恐ろしい歴史を記憶して何の罪もなく殺された朝鮮人を追悼しようということで

2023-08-31 10:16:16 | 天皇制日本の加害責任を正しい目で見つめよう!
 

関東大震災直後朝鮮人虐殺、

日本政府責任どころか調査もせず…人間として恥ずべきこと

登録:2023-08-30 22:52 修正:2023-08-31 08:22
 
宮川泰彦「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」実行委員長 
関東大震災100年…49年間、毎年東京で追悼式
 
 
宮川泰彦「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」実行委員長=東京/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 「朝鮮人虐殺にまともに向き合わないことは、人間として恥ずべきことです。ふたたび(あのようなことを)繰り返さないために、話を続けていきます。それが今を生きる私たちの責務です」

 韓日両政府の無関心のなかでも、日本の市民たちが50年近くにわたり毎年、関東大震災時に虐殺された朝鮮人のための追悼式を行っている。「日朝協会」などの日本の市民団体で構成された「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」がその主人公だ。関東大震災100年を迎える今年も、9月1日に東京都墨田区の横網町公園で追悼式が予定されている。宮川泰彦実行委員長(82)に16日、東京の自宅で会った。

 「追悼のはじまりは、大震災から40年たった1963年です。朝鮮人虐殺の事実をきちんと調査して記録に残さなければならないという運動が、関東の各地でありました。日朝協会なども調査班を作り、約10年間、遺族や目撃者に会って資料探しに取り組みました」。証言や資料が集まるにつれ、日本政府の隠ぺいによって曖昧だった当時の惨状が明確になった。取り組んだ人たちは、恐ろしい歴史を記憶して何の罪もなく殺された朝鮮人を追悼しようということで意見が一致した。

 1973年に大震災50年をむかえ、大々的な募金を通じて追悼碑を作った。「今の雰囲気からは信じられませんが、追悼碑を作る際、東京都議会の自民党・公明党・社会党・共産党など各党の幹事長が代表委員として参加しました」。朝鮮人虐殺追悼碑は東京都に寄贈され、都立横網町公園に建てられることになった。その過程で市民団体は、追悼碑の内容について、東京都とやむを得ない妥協もすることになった。追悼碑の最初の行には「一九二三年九月発生した関東大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言飛語のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました」と書かれている。当初、市民団体が推進した碑文には「官憲によるあやまった策動と流言飛語」と表現され日本政府の責任を明確にしたが、最終的には「主語」が省かれることになった。

 「東京都は追悼碑の碑文の内容に関与しました。東京都の小池百合子知事が碑文の一部の内容を問題にして、2017年から7年にわたり追悼文を送らないでいるのはとんでもないことです」。宮川さんは語気を強めた。「表向きは個々の行事に追悼文を送らないと言っていますが、朝鮮人虐殺という歴史的事実を認めたくないのです。過去の日本の恥ずべき歴史と向き合いたくないのでしょう」

 
 
2020年9月1日、東京都墨田区の横網町公園で開かれた「関東大震災97年朝鮮人犠牲者追悼式」で、参加者が追悼碑に献花している/聯合ニュース

 宮川さんは、小池知事の追悼文の送付拒否は「朝鮮人虐殺」を歪曲する極右勢力の歴史認識と結びついているとみている。日本の極右団体は、関東大震災時の朝鮮人被害者の数は誇張されており、虐殺も当時朝鮮人が起こした暴動に対する正当防衛だったと主張する。朝鮮人追悼碑の撤去も要求している。「そよ風」という名称の極右団体は、小池知事が追悼文送付を拒否した2017年から、朝鮮人虐殺追悼式が開かれる公園の近くで「朝鮮人6000人の虐殺は嘘」などと叫び、事実上の妨害集会を行っている。「きわめて危険な状況のようです。極右団体が騒ぎを起こして、朝鮮人追悼式も開けないようにしようとしているのではないかと心配しています」。ただし、小池知事の追悼文送付の拒否と極右団体の妨害集会がメディアを通じて知られると、追悼式に参加する市民の数は以前より大幅に増えたという。

 宮川さんは、日本政府が今からでも朝鮮人虐殺に対する真相究明に乗りだし、あの日の惨状が「国家の責任」であるという点を明確にしなければならないと述べた。弁護士でもある宮川さんは、2003年に日本弁護士連合会が当時の小泉純一郎首相に送った勧告書を強調した。日本弁護士連合会は朝鮮人虐殺について、「国は(中略)その責任を認めて謝罪せよ」としたうえで、「国は、朝鮮人、中国人虐殺の全貌と真相を調査し、その原因をあきらかにせよ」と求めた。日本政府は20年たっても回答していない。

 「植民地支配による差別と偏見や『3・1独立運動』などで抵抗する朝鮮人に対する支配者の恐怖感などが重なり、悲劇が起きたのだと思います。朝鮮人虐殺は隠そうとしても隠すことはできない事実です。100年が過ぎても、あの日の真実を伝える追悼式は続くでしょう」

東京/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
 
 

関東大震災 朝鮮人虐殺「記録ない」

官房長官 資料の存在を無視

 松野博一官房長官は30日の記者会見で、関東大震災当時に起きた朝鮮人虐殺について「政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と述べ、歴史的事実の有無への言及を避けました。政府としての教訓や反省についても一切答えませんでした。

 虐殺をめぐり事実を否定する歴史修正主義的な言説が広がっていることに対し、事実関係を政府として調査する考えがあるかの問いには、「記録が見当たらない」と繰り返すだけで後ろ向きの姿勢をあらわにしました。

 虐殺に関する真相究明は、多くの研究者・市民によって行われてきました。歴史学者の故姜徳相(カンドクサン)氏が国会内で発掘した関東大震災時の海軍「公文備考」や、同じく歴史学者の松尾章一氏が東京都立図書館で陸海軍資料を見つけるなど、公文書史料の発掘は進んできた経過があります。内閣府中央防災会議の災害教訓の継承に関する専門調査会報告書『一九二三関東大震災 第二編』でも虐殺が起こったことは認定されています。

 ただ、5月23日の参院内閣委員会では、当時の虐殺を裏付ける記録について警察庁の楠芳伸官房長は記録が見当たらないとし、「仮に資料を確認しても、内容を評価することは困難」と繰り返しました。松野氏の発言はこうした政府見解に基づくものとみられます。

 関東大震災から9月1日で100年を迎えるなか、政府は公文書を含めた多くの資料が存在するにもかかわらず、否定的な姿勢を示しました。歴史に向き合わない異常な姿勢があらためて浮き彫りになっています。

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 指針は、子どもが清潔で、健康で、持続可能な環境に暮らす権利があると指摘。環境政策や気候変動対策に子どもが意見を反映させる重要性を指摘。子どもが気候変動問題を理解し・・

2023-08-30 07:51:57 | 国連は、大きな役割を果たしている。

2023年8月30日(水)

気候変動から子守れ

国連委員会指針 各国に要求

 国連の子どもの権利委員会は28日、気候変動によって子どもの権利条約で定められた権利が脅威にさらされているとして、各国政府に対し、気候変動がもたらす現在および将来の危害から子どもの権利を保護する措置をとるよう求める指針(「一般的意見」)を発表しました。

 指針は、子どもが清潔で、健康で、持続可能な環境に暮らす権利があると指摘。環境政策や気候変動対策に子どもが意見を反映させる重要性を指摘。子どもが気候変動問題を理解し、行動を起こせるようにするために、情報を得て、法的手段に訴える権利を保障する責任を各国政府が負っているとしています。

 「一般的意見」とは、子どもの権利条約の内容を具体的なテーマにそって詳しく明らかにするもので、1989年の条約採択以来、今回が26回目。「未来のための金曜日」のデモなど子どもたちの行動が世界的に広がり、各地で子どもが原告となって政府の責任を問う訴訟を起こしている中で、気候変動、環境破壊と子どもの権利の関係について初めて解明しました。

 指針は「環境危機に注目を集めようとする子どもたちの取り組みが、今回の一般的意見策定の動機をつくり出し、契機となった」と指摘しました。

 同委員会は、締約国や、各国の人権機関、国際組織や市民社会などから意見を聴取。11~17歳の12人からなる助言者チームが意見聴取を支援し、121カ国、のべ1万6000人以上の子どもの意見が集まりました。

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日本政府が2日に戒厳令を宣言するために「朝鮮人暴動説」を流布したということを、在日コリアンの歴史学者である姜徳相(カン・ドクサン、1931~2021)氏らが明らかにした、

2023-08-29 11:51:00 | 韓国を知ろう
 

関東大震災朝鮮人虐殺100年

「日本、朝鮮人の遺骨掘り起しトラック3台分移送」

登録:2023-08-30 08:27 修正:2023-08-30 08:55
 
[現場]関東大震災朝鮮人虐殺100年 
6644人殺害後、組織的に隠蔽 
軍人と警官は処罰せず、自警団は特別赦免
 
 
「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」は1982年9月、荒川付近で遺骨の発掘作業を始めたが遺骨は発見できなかった。1923年11月に警察が遺骨を移して隠ぺいしたという新聞記事が翌年1983年に発見された=裴昭氏提供//ハンギョレ新聞社

 「あそこがかつて四ツ木橋があった場所です。関東大地震当時、あのあたりで軍と自警団が朝鮮人を無惨にも虐殺しました。河川敷に100人ほど埋められたそうです。残念なことに、名前も分からず、遺骨も見つけられませんでした」

 11日午前11時、世界で最も高い電波塔である「スカイツリー」がひと目で見える東京墨田区の荒川河川敷。社団法人「ほうせんか」の西崎雅夫理事(63)は、写真資料を片手に持ち、100年前にそこで起きた惨劇を話し始めた。気温が35度まで上がり、そのまま立っていることも大変な天気だが、西崎理事は汗をたらたら流してながら、あたかも昨日起きたことのように、その日のことを説明した。

■目撃者「日本刀で斬り竹槍で刺して…妊婦も殺しました」

 1923年9月1日午前11時58分、マグニチュード7.9の大地震が首都圏である関東地方を襲い、東京・神奈川・埼玉・千葉などを廃墟に変えた。地震が起きた時間が昼食時だったため、火を使っていた家が多く、火災による被害が激しかった。東京の場合は約44%、横浜は80%に達する地域が消失した。破壊された家屋だけで約29万3000棟、死亡・行方不明者は10万5000人を超え、まさに阿鼻叫喚だった。

 当時の社会不安の雰囲気と相まって「朝鮮人が暴動を起こした」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが広がり、収拾がつかなくなった。日本政府が2日に戒厳令を宣言するために「朝鮮人暴動説」を流布したということを、在日コリアンの歴史学者である姜徳相(カン・ドクサン、1931~2021)氏らが明らかにした、この虐殺劇の本質だ。その過程で、軍・警察・自警団が、朝鮮人、中国人、社会主義者の日本人たちを無差別に虐殺した。

 
 
社団法人「ほうせんか」の西崎雅夫理事が11日、東京墨田区にある荒川河川敷で写真資料を片手に持ち、100年前の1923年9月1日の関東大地震当時の朝鮮人虐殺について話をしている。後ろに見える鉄橋は京成電鉄の押上線=東京/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 西崎理事が虐殺場所として説明した四ツ木橋は、長さ247.3メートル、幅3メートルの木製の橋で、1969年に撤去された。京成電鉄押上線の鉄橋と木根川橋の間にある。

 その日、この地域の在郷軍人会や青年団などで構成された「自警団」は、橋の入り口に検問所を作り、朝鮮人を探しだした。当時、荒川では大規模な放水路の工事が行われており、安い賃金で雇える朝鮮人労働者が大勢仕事をしていた。

 「確か(1923年9月)3日の昼のことでした。四ツ木橋の下の方で朝鮮人を数人ごとに縛り、自警団が殺したという話です。いかに残忍な方法で殺したのかというと、日本刀で切って竹槍で刺し、鉄棒で打って殺したのです。腹が大きく膨らんだ妊婦もいましたが、そのまま刺して殺しました。私が見た時、30人ほど殺していました」(目撃者の青木氏証言)

 自警団だけでなく、日本軍も虐殺に加担した。「22~23人の朝鮮人を機関銃で殺したのが、四ツ木橋の下流の土手でした。あっという間に全員殺したのです。女性も2~3人いました。ひどすぎました。裸にしてもてあそんでいました」(目撃者の大川氏証言)

 日本の良心的な市民が1982年に作った「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」が直接足を使って作成した資料集(『風よ鳳仙花の歌をはこべ』という書名で出版)には、目撃者と生存者の証言が多数載っている。

 追悼する会は、その日の真実を糾明して無念の死を慰めるため、遺骨の発掘に乗りだした。1982年9月、証言に基づき、荒川付近で発掘を試みたが、遺骨は見つからなかった。

■「警察、朝鮮人虐殺を組織的に隠蔽」

 翌年の1983年に発見した過去の新聞記事から、理由が分かった。当時、警察と軍隊は、朝鮮人だけでなく日本人の労働活動家も殺害した。後にその事実を知ることになった遺族が、遺骨の返還を要求した。警察は、四ツ木橋近くに朝鮮人たちと一緒に埋葬され区別が難しいと言ったが、労組団体と遺族はあきらめなかった。大規模な虐殺が発覚することを恐れた警察は、事前に遺骨を取り出した。その事実が新聞に報道されたのだ。

 「1923年11月12日と14日に起きたことです。2回目の移送でトラック3台分の量の遺骨が移送されたそうです。遺骨がどこへ行ったのかは不明です。こうして組織的な隠蔽がなされたため、誰がどれくらい犠牲になったのか分からないのです」。西崎理事は「日本政府が真相を糾明して責任を負わなければならない」と強調した。

 朝鮮人虐殺は、東京など関東地方全域でなされた。虐殺を避けて多くの辛酸と苦難の末に埼玉に逃亡した朝鮮人を待っていたのは、現地の自警団だった。「埼玉では朝鮮人が223~240人ほど犠牲になったと推定されています。他の地域では、警察と軍隊による虐殺があわせて行われましたが、こちらでは自警団が中心でした」

 22日、埼玉県染谷にある常泉寺で会った日朝協会埼玉県連合会の関原正裕会長(70)は、「この地域の朝鮮人犠牲者は、東京など他地域から逃げてきた人が多いようです」と述べた。関原会長は「関東では、どこに行っても朝鮮人が生き残ることはできない雰囲気だった。逃げる場所がないと思うと、恐ろしさで途方に暮れただろう」と語った。

■墓碑の正面に「朝鮮人姜大興墓」

 常泉寺にはきわめて特異な墓がある。関東大地震当時、自警団によって殺害された朝鮮人の姜大興(カン・デフン)さんの墓碑だ。正面に大きな文字で「朝鮮人姜大興墓」と記されている。「虐殺の犠牲者のうち、自らの民族と個人の名前が彫られているケースはほとんどありません。過ちを繰り返さないという染谷の人たちの考えが反映されたのでしょう」

 
埼玉県染谷にある常泉寺には1923年9月4日早朝、自警団に殺害された朝鮮人虐殺被害者の姜大興さんの墓がある。上の石の正面に「朝鮮人姜大興墓」と記されている=埼玉/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 姜さんは1923年9月4日、24歳で命を絶たれた。埼玉県警は東京から埼玉県に避難した朝鮮人数百人を受け入れていた。これらの人々を群馬県に移送する計画だった。姜さんはそのなかの1人だったと推定される。

 理由は不明だが姜さんは単独で離脱し、4日早朝、片柳村で自警団に出くわした。「4キロメートルの距離を必死に逃げたそうです。足が水路にはまり、追いかけてきた自警団にとらえられ、刃と槍で刺されました」

 関原会長は、姜さんが逃げたと推定される道を案内した。「死の恐怖」のなかで逃げ、最後は自警団に殺された場所には「さいたま市コミュニティセンター」の建物がぽつんと立っている。

 関原会長は、姜さんをはじめとする朝鮮人が虐殺されたのは、日本政府の責任が大きいと強調した。9月3日午前、内務省警保局は「朝鮮人ハ各地ニ放火シ、不逞ノ目的ヲ遂行セントシ(中略)厳密ナル取リ締マリヲ加エラレタシ」という文書を各地方に送った。

■デマ「朝鮮人暴動」が公式文書に

 地方自治体も動いていた。埼玉県はこれより早い2日夜、内務部長名義で県下の郡町村役所に「不逞鮮人暴動に関する件」と題する公文書を送った。「在郷軍人分会消防隊青年団等と一致協力して、其の警戒に任じ、一朝有事の場合には、速かに適当の方策を講ずる様」と記されていた。

 「不逞鮮人は、朝鮮の独立を求めるテロリスト集団の意味として用いられた言葉です。自警団を組織して村を守れと戦闘命令を下したのと同じことです」。関原会長は「何より『朝鮮人暴動』が公式文書を通じて伝えられ、自警団はデマを事実と認識した」としたうえで、「虐殺が急速に広がった理由」だと強調した。

 
 
22日、日朝協会埼玉県連合会の関原正裕会長(70)が1923年9月4日早朝、自警団に殺害された24歳の朝鮮人の姜大興さんについて話をしている=埼玉/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 東京の南に位置する神奈川県も、虐殺が大規模に発生した場所だ。神奈川県横浜市の東神奈川駅からゆっくり30分ほど歩くと、国土交通省の「横浜港湾空港技術調査事務所」の建物がみえてくる。

 大地震当時、その近所には浅野造船所があった。技術調査事務所の建物がある場所は、浅野造船所の埋立工事を行った朝鮮人労働者たちの集団宿舎である「飯場」があった所だ。

 21日に会った「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」の山本すみ子代表(84)は、飯場があった場所を手で示し、「そこにいた朝鮮人労働者50人あまりが虐殺された」と述べた。

 過去の新聞記事を検索して見つけた内容だ。誰がいつ殺したのかは明確ではない。「集団虐殺が可能だったのは、人々がそこに朝鮮人がいたという事実を知っていたためだと考えています。最もよく知っていたのは警察です。朝鮮人は、それ以前から危険人物とされ、常に監視されていました」

 山本代表は「その日の真実」を知るために2013年に実行委員会を作り、地域の図書館を飛び回って、新聞記事・日記・公文書などを調べ始めた。それらを集めて2014年、『横浜における関東大震災時朝鮮人虐殺』と題する報告書を発表した。

■「記録がない」とする日本政府

 いったいなぜ、こうした無差別的な虐殺が起きたのだろうか。関東大地震での朝鮮人虐殺問題を生涯にわたり研究した姜徳相氏は著書『関東大震災・虐殺の記憶』で次の結論を下した。この集団虐殺は、大規模災害による民衆の怒りが場合によっては皇室や治安当局に向かわないかと心配した官憲首脳部の術策▽植民地統治下の朝鮮に対する敵対政策と蔓延した差別▽3・1独立運動などから、朝鮮民衆に対して感じていた恐怖心などが重なり発生した民族犯罪だったということだ。

 関東大地震から100年が経過したが、日本政府は一度も正式な真相究明を行わなかった。そのため、正確な犠牲者数や虐殺の原因などは正確に解明されずにいる。

 当時の朝鮮人が直接調査した結果が、ある程度は当時の状況を類推できる基礎資料になっている。日本在住の朝鮮人団体が1923年10月までに調査した「在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班」の報告書がそれだ。この内容は、大韓民国臨時政府の機関紙である独立新聞の1923年12月5月付にも掲載された。

 
 
21日、「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」の山本すみ子代表(84)が朝鮮人労働者達が集団虐殺されたところを指し示している=神奈川/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 調査結果によると、神奈川県が3999人で犠牲者が最も多く、東京都1781人、埼玉県488人、千葉県329人、群馬県34人、栃木県8人、茨城県5人など合計6644人だ。独立新聞はこれを6661人として報じた。

 日本政府の公式統計と差が大きい。司法省(現法務省)は、朝鮮人犠牲者を合計230人と集計した。関東大地震における朝鮮人虐殺を研究した立教大学の山田昭次名誉教授は著書『関東大震災時の朝鮮人虐殺―その国家責任と民衆責任』で、司法省の発表の問題点として「朝鮮人虐殺の数を隠そうとしたことだけではない。軍隊と警察の虐殺を除いている」と批判した。山田教授は「独立新聞に掲載された統計も(調査の限界などで)不正確な部分がある」と指摘した。

 最新の資料は、内閣府の中央防災会議が2008年に出した分析報告書だ。この文書で日本政府は「人為的な殺傷行為」が起き、「殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセント」にあたるとして、「殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かった」と明らかにした。これを根拠に犠牲者数を数千人と推算している。

 100年も経過したが、日本政府は「関連記録はない」とする無責任な態度をとり、適切な実情調査と謝罪を避けている。加害者への処罰もほとんど行われなかった。軍と警察は最初から処罰を受けなかったし、自警団は捕まって捜査と裁判を受けることになるが、ほとんどで執行猶予の判決が下されれた。それさえも、後に特別赦免となった。

 山本すみ子代表は「在日朝鮮人の集団居住地である京都の『ウトロ地区』で、20代の日本人青年が憎悪と偏見によって防火という重犯罪を犯した」として、「100年前になぜそのようなことが起きたのか、真実を明らかにすることで、繰り返しを避けることができる。これは、日本のためにも必要なこと」だと強調した。

東京・神奈川・埼玉/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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マイナンバーカードをめぐるトラブルへの対応で岸田文雄首相が指導力を発揮しているかとの問いに、「毎日」では「発揮しているとは思わない」が77%に上り、・・

2023-08-29 11:51:00 | 岸田・早期退陣を望む声が多い

 

2023年8月29日(火)

内閣支持率が低迷

マイナカード・汚染水放出で不信

各社世論調査

 各社の世論調査で、岸田内閣の支持率が低迷しています。背景には、マイナンバーカードをめぐるトラブルや、東京電力福島第1原発の汚染水(アルプス処理水)海洋放出をめぐる政府の対応への不信があるとみられます。

 「読売」の調査(25~27日実施)では、内閣支持率は前回(7月)に続き岸田内閣発足以降最低の35%でした。「毎日」の調査(26、27両日実施)では、前回(7月)から2ポイント下落の26%。不支持率は3ポイント増の68%でした。「日経」・テレビ東京の調査(25~27日実施)では、内閣支持率は前回(7月)から2ポイント上昇しましたが、42%にとどまり、不支持率の50%を下回りました。

 マイナンバーカードをめぐるトラブルへの対応で岸田文雄首相が指導力を発揮しているかとの問いに、「毎日」では「発揮しているとは思わない」が77%に上り、「発揮していると思う」の12%を大幅に上回りました。「読売」でも74%が「思わない」と答え、「思う」の17%を大きく引き離しました。

 健康保険証を廃止する政府の方針について、「毎日」では「廃止すべきではない」「廃止を延期すべきだ」との回答が合わせて66%でした。

 福島第1原発の汚染水の海洋放出について、政府と東電の説明が十分だと思うかとの問いに、「毎日」では前回から7ポイント増の60%が「不十分だ」と答え、「十分だ」の26%を大きく上回りました。

 物価高の生活への影響について、「毎日」では「大いに」「ある程度」を合わせて「影響している」との回答が92%に達しました。「読売」では、家計の負担を「感じている」との回答が「大いに」「多少は」を合わせて90%に上りました。

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