支援団体は金さんの遺志を継ぎ、解決を求める活動を活発化させる方針を確かめた。

2019-12-31 08:28:52 | これが岸田・元安倍内閣の本質
外国人障害者の無年金、「不条理」と闘い続けた在日コリアン男性 支援者が追悼
2019年12月29日 18:33

            

入退院を繰り返す中で職場を訪れ、機織り機を動かした最晩年の金洙栄さん(2019年4月、京都市上京区)

          

金洙栄さんの追悼集会。参加者たちが、無年金問題の解決を訴え続けた生前の歩みを振り返った(京都市南区)

 京都地裁の在日外国人障害者無年金訴訟で原告団長を務め、今年8月に肺がんで亡くなった在日コリアン2世金洙栄(キムスヨン)さん=享年(67)、京都市上京区=の追悼集会がこのほど、京都市内であった。国籍を理由に社会保障から排除される不条理を訴え、気迫で多くの人を動かしたが、晩年は制度の壁に失意を深めた。支援団体は金さんの遺志を継ぎ、解決を求める活動を活発化させる方針を確かめた。

 国は国民年金制度の対象から在日外国人を外す国籍条項を1982年に撤廃したが、20歳以上の外国人障害者には障害基礎年金を支給せず、救済措置を取らなかった。金さんら市内の在日コリアン聴覚障害者7人は、国などを相手にした集団訴訟で憲法違反だと主張した。
 京都府立ろう学校の同窓生で在日コリアン2世の60代女性は取材に、金さんとの思い出を手話で語った。女性は中学部時代、本名を理由に「朝鮮に帰れ」といじめられたが、親分肌で物まね好きの人気者だった金さんに「僕は本名を名乗っている」と励まされた。後年、訴訟で原告になるよう金さんに説得された。「力を合わせよう。こんな差別はおかしい」と、手のひらを傾ける「頼む」の手話を繰り返したという。
 「大変な人生なのに温和な人柄。そこに求心力を感じた」。訴訟の弁護団事務局長だった池上哲朗弁護士(53)も、その手話を記憶に残す。97年10月、初めて事務所に来た金さんは面談中から退出する際まで「頼む」と繰り返し、頭を下げた。西陣織職人の金さんはバブル崩壊で生活が困窮。年金はなく、土木作業やごみ収集の仕事で暮らしをつないでいた。「壁は厚い訴訟だが、やらなければならない」と覚悟を決めた。
 2000年に提訴。03年3月、金さんは地裁で最終意見陳述に立つ。途中から手話ではなく、発話が不自由なのに肉声で「日本人と同じように、日本に生まれ育ち、永住権もある。なのに、なぜ私たちに年金が支給されないのか」と訴えた。
 だが07年、敗訴判決が最高裁で確定した。池上弁護士は「不合理な差別をしていたと、歴史の審判を受けるはずだ」と今も考える。
 10年2月、金さんは市民団体「在日無年金問題の解決をめざす会・京都」の共同代表に就いた。政治解決に前向きだった当時の民主党政権に期待をかけたが短命に終わり、厚生労働省への要望活動などを続けたが、進展はなかった。
 同会メンバーで聴覚障害者の永井哲さん(64)は「国という壁を少しも突破できなかった」と悔やむ。今年5月、要望活動の内容を体調不良で欠席した金さんへ伝えると「次は無理でも、その次は行けるようにしたい」と応じたという。
 敗訴確定後、金さんは家庭で苦悩を深めた。妻によると、酒とたばこの量が増え、夜中の居間で「なんで年金がもらえないのか。おかしい」と顔をしかめて独り言を繰り返した。妻が「仕方ない」となだめると、怒り出す日々だった。
 心が落ち着いたのは6年ほど前。肺がんの手術を機に「子どもの成長を見ていたい」と酒とたばこをやめた。妻にとって、病への心配と背中合わせの温かな時間だった。「私も忘れていた結婚記念日を覚えていてくれたんです」と涙を浮かべた。
 めざす会が今月14日に開いた追悼集会には約50人が集った。「解決までやめる訳にはいかない」と発言が続いた。同会では署名活動を盛り上げ、年明けに厚労省へ要望に赴くという。
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 国会に対しては与野党の対立で国民の生活や経済に関わる法案の成立が遅れていると批判し・・・、

2019-12-31 08:09:37 | 韓国文化

今年最後の補佐官会議で検察改革強調 日本の輸出規制にも言及=文大統領
政治 2019.12.30 16:45


【ソウル聯合ニュース】韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は30日、青瓦台(大統領府)で開いた首席秘書官・補佐官会議で、重要な国政課題と位置付けている検察改革について、「少なくない対立と混乱を経たが、国民の切実な要求が検察改革と公正の価値を一段階高め、前進させる原動力となった」として、「検察改革の制度化が実を結ぶ最終段階に到達した」との認識を示した。

          

 今年最後となる今回の会議は青瓦台の全職員が見られるよう、テレビ会議で行われた。会議は毎週月曜日に開かれている。

 文大統領は「多くの困難の中でも希望の芽が出た、やりがいのある一年だった」と振り返り、「今年より良い来年を約束できるのは国民の努力のおかげ」と述べた。

 日本政府による対韓輸出規制強化にも言及し、「日本の不当な輸出規制で厳しい状況が来る可能性があったが、むしろ災い転じて福となるきっかけとなった」と表明。「中核素材と部品の国産化や産業育成など、誰も揺るがすことができない強い経済の礎を築く機会にすることができた」と強調した。

 国会に対しては与野党の対立で国民の生活や経済に関わる法案の成立が遅れていると批判し、「われわれの政治(の発展までに)はまだ道のりが長いというのは、私だけの考えではないと思う。このため、国民が犠牲になっている」と指摘。「真に国民生活と経済を心配しているなら、国民生活・経済法案だけは別途に取り扱うことを望む。国民が見守っていることを政界は厳重に受け止めるべきだ」と呼びかけた。

kimchiboxs@yna.co.kr
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最近は低空で旋回を繰り返す飛行が多くなっています。病院や学校や住宅もある市街地上空が訓練場にされています。

2019-12-30 10:15:19 | これが岸田・元安倍内閣の本質
オスプレイ離着陸840回
東京・横田基地 銃口をむき出し
昨年10月から1年間


 在日米軍横田基地(福生市など東京都多摩地域5市1町)に配備された米空軍特殊作戦機CV22オスプレイの飛行が激しくなっています。オスプレイ配備に反対し、基地撤去を求める平和団体の集計では、昨年10月の正式配備から今年9月までの1年間で、離陸と着陸の合計回数は確認できただけでも800回を超えました。陸上自衛隊木更津駐屯地(千葉県木更津市)には陸自が導入を計画しているオスプレイの配備が狙われるなど、首都圏が訓練拠点となっていることが浮かび上がりました。

 「横田基地の撤去を求める西多摩の会」が防衛省北関東防衛局の目視情報や監視活動、市民からの目撃情報に基づいてまとめたところ、正式配備から1年間の離着陸回数は840回に上っています。

 同防衛局が周辺自治体に提供していた目視情報だけでも、正式配備からの1年間の離着陸回数は575回。最高は今年6月の75回で、50回以上の月が半数の6カ月に及びました。タイでの多国間演習に参加していた2月以外は、すべて20回を超えています。

 横田基地を離陸したCV22は、三沢基地(青森県)、岩国基地(山口県)、東富士演習場(静岡県)との間を頻繁に往復。低空飛行訓練、離着陸訓練を繰り返しています。今年3月には、羽村市の羽村平和委員会が撮影した写真で、後部扉から下に向けて機関銃の銃身をむき出しにし、市街地上空を飛行していることが明らかになりました。
住民「いつ落ちるか」
頭の上 好き放題

          

(写真)陸上自衛隊木更津駐屯地に着陸した米海兵隊MV22オスプレイ=2017年1月30日、千葉県木更津市

 CV22オスプレイは昨年4月に5機が在日米軍横田基地(東京都多摩地域)へ初飛来し、6月から常駐し訓練を繰り返してきました。昨年10月に正式配備され、今年7月に第21特殊作戦飛行隊が発足。2024年ごろまでにCV22が10機、兵員約450人に増強する計画です。

 横田基地では、同機に加え、すでに14機が配備されているC130J輸送機の訓練も激化し、離着陸回数が急増しています。

 福生市が滑走路南側の同市熊川の誘導灯付近で行っている航空機騒音調査では、測定した騒音の回数が2018年度に過去最高の1万2313回に達していました。今年度は10月時点で、前年度同月現在を1656回上回る8391回と、さらに速いペースで増加しています。
基地強化の動き

 CV22を運用する米空軍特殊作戦コマンドは今月5日、横田基地への恒久配備のため、新たな駐機場の起工式を行いました。専用のシミュレーター施設についても、建設業者選定にむけた市場調査を始めるなど、基地強化の動きが強まっています。

 「あきる野9条の会」の前田眞敬(まさよし)さん(75)は、事務局だよりのブログに自宅上空を頻繁に飛行するCV22やC130J輸送機の様子や写真を掲載しています。あきる野市は、多摩川をはさんで横田基地の西側にあります。

 前田さんは「飛行機が自分に向かい迫ってきて、自分たちが狙われているようで怖いし、いつ落ちるかわからないという不安が大きいです。オスプレイは自分たちの思うままにいろんな飛び方をします。C130輸送機もあきる野市全域で訓練飛行をおこなっており、最近は低空で旋回を繰り返す飛行が多くなっています。病院や学校や住宅もある市街地上空が訓練場にされています。10月に、市民連合と政策協定を結んだ市長が誕生しました。オスプレイ配備撤回へ自治体と住民がいっしょになった市民ぐるみの運動を進めていくことが必要です」と語ります。

 安倍自公政権が狙う木更津駐屯地(千葉県木更津市)への陸上自衛隊のオスプレイ17機の配備について、木更津市議会は今月18日、自民、公明などが5年間の暫定配備を容認する意見書を可決。同市の渡辺芳邦市長は25日、河野太郎防衛相に対し、5年以内の暫定配備受け入れを表明しました。

 市議会で5年間の暫定配備容認の意見書に反対したのは、日本共産党、立憲民主党、市民ネット、無所属の4議員でした。

 同駐屯地には、17年1月に、普天間基地(沖縄県宜野湾市)配備の米海兵隊MV22オスプレイの整備拠点が設置されています。

 (佐藤つよし)
          
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さらに福山氏が「レッテル貼りだ。内訳を聞いている」と追及しても「4年でやろうと思ったらそれぐらいかかる」としか答えられませんでした。無責任ぶりと市民の切実な要求に背を向ける姿勢をさらけだしました。

2019-12-29 10:10:56 | スポーツは世界をつなぐ!
京都市長選 候補者討論会
福山氏の反論に門川氏が“答弁不能”
「観光公害」でも二極対決


           

 告示まで3週間に迫った京都市長選(来年1月19日告示、2月2日投票)に立候補表明した、弁護士の福山和人、現職の門川大作、京都市議の村山祥栄の3氏が参加した「京都新聞」社の討論会(同紙24日付~27日付に掲載)が行われ、激論が交わされました。

 福山氏は、全員制の中学校給食や給付制奨学金の創設など「くらし応援すぐやるパッケージ」の施策は、市予算の1%未満の年約70億円でできることを説明。これに、門川氏は「福山さんが言っていることを検証したが、(政策の実行には)200億円ほど足らない。いいことばかりおっしゃっているというのが本音だ」(27日付)とかみつきましたが、200億円不足の根拠を示せず“答弁不能”に陥りました。

 福山氏は、数字は市の財政当局にも確認しているとし、門川氏に計算の根拠をただすと「またあらためて」とはぐらかしました。

 さらに福山氏が「レッテル貼りだ。内訳を聞いている」と追及しても「4年でやろうと思ったらそれぐらいかかる」としか答えられませんでした。無責任ぶりと市民の切実な要求に背を向ける姿勢をさらけだしました。

 ホテル・宿泊施設のラッシュや景観破壊、「観光公害」もテーマになりました(24日付)。

 焦点の一つ、世界遺産・仁和寺(にんなじ)前のホテル計画について、福山氏が「ホテル建設をやめないのか」とただすと、門川氏は「住民の多くは賛同している」などと推進の姿勢を示し、村山氏も「僕は仁和寺はいいと思う」と容認しました。

 この計画は、京都市が創設した「上質宿泊施設誘致制度」の適用を前提にしたもの。住民からは建設の特例措置を出さないよう請願署名も提出されてきました。

 安倍内閣の“外国人観光客を増やせ”の号令に呼応する門川市政と、ホテルの総量規制を打ち出す福山氏との「二極対決」の構図が浮き彫りになりました。
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茨木さんは「町内全ての石碑のいわれが分かった。石碑から、昔の宇治田原に思いをはせてほしい」と話す。

2019-12-29 08:30:54 | 歴史に照らして整合性を!
石碑の来歴「全て分かった」 古文書発見で謎解明、歴史語る会会長が調査
2019年12月27日 18:35




往来安全碑(宇治田原町郷之口)
煎茶元祖地の碑を眺める茨木さん(左)と長野さん=宇治田原町湯屋谷・永谷宗円生家前


 京都府宇治田原町にある石碑について、宇治田原の歴史を語る会会長の茨木輝樹さん(76)が調べ、まとめる準備を進めている。町内で保管されていた古文書などから全15基の詳細が分かった。茨木さんは「町内全ての石碑のいわれが分かった。石碑から、昔の宇治田原に思いをはせてほしい」と話す。

 町内の石碑15基のうち同町郷之口の府道宇治木屋線に置かれた「往来安全」と同町湯屋谷の「煎茶元祖地」の碑は詳細が分かっていなかった。
 茨木さんはことし、町内の旧家の倉庫から1895年に往来安全碑の除幕式で使われた古文書を発見。江戸時代に宇治と宇治田原をつなぐ道を開いた町内の豪農「今西又衛門」の遺徳をしのぶため、子孫たちが碑を建立したことが分かった。
 煎茶元祖地の碑も町内の資料から、1935年ごろ、湯屋谷区と茶業者が建てたものと判明。京都市伏見区の石熊石材店が二つの碑を手掛けたことも分かった。
 12月、同町を訪れた石熊石材店5代目の長野加代さん(48)は「宇治田原と関わりがあるとは聞いていたが、作品があるとは知らなかった。浮かし彫りなど、すごい技術だと思う」と石碑を丹念に見てまわった。
 町内の石碑について、茨木さんは近く冊子にまとめる予定。全ての石碑の詳細が分かったことで「宇治田原の歴史に新たな一ページが追加された」と話している。
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