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心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

精神病は人格障害よりはアルツハイマー病に近い

2012-07-13 10:48:41 | 精神医学

多くの人は「精神病」と聞くと、人格障害や変質者を思い浮かべてしまう。
そのイメージを代表するのは「宮崎勤」である。
もう死刑が執行され、この世にいない彼はけっして精神病ではなかった。
彼は人格障害ないしてサイコパスなのである。
要するに医学的疾患、つまり脳の病気として精神分裂病(統合失調症)ではなかった。
この点で中安信夫の精神鑑定は全く間違っていた。
そもそも中安は何度も誤診している。理論優位の彼の姿勢が原点であった。
とにかく、宮崎は分裂病などの精神病ではなく、快楽殺人者にすぎないのだ。
この点にいち早く気づいていたのは、FBIの心理分析官ロバート・レスラーである。
宮崎は仮病を使っていたのだ。

なぜ、ほとんどの人は宮崎のような変態を精神病の典型と思ってしまうのであろうか。
それは「精神を病んでいる」「人格が壊れている」といったイメージにとらわれてしまうからである。
統合失調症の本来の病理を表すのは、幻覚妄想や興奮・暴力などの陽性症状ではなく、廃人につながる陰性症状である。
陰性症状は神経細胞の死滅にゆらいするもので、アルツハイマー病と類縁性をもっている。
統合失調症は、人格障害ではなくアルツハイマー病をモデルとして理解すべき「脳の機能的疾患」なのである。
統失が最初に「早発性痴呆」と呼ばれていたことを忘れてはならない。


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精神病と精神医学に対する誤解

2012-07-13 10:20:44 | 精神医学

精神病と精神医学は昔から誤解され、偏見の対象となってきた。
近年、この傾向は著しく弱まったが、まだまだ残っている。
かつて精神分裂病と呼ばれた病気は2002年に統合失調症という穏当で平板な名前に改められ、偏見の除去に大きく寄与した。
「精神分裂病」とは何と不気味でおどろおどろしい病名だろう。
この病名は精神病の代名詞であり、すぐに「精神異常」というイメージに結びつく傾向が強かった。
また、「分裂質」という性格類型のイメージも大衆に流布し、変人や神経症のひとすべてが「精神異常」として「分裂病」にカテゴライズされやすかった。
ところが、「統合失調症」という病名は自律神経失調症のように平板なイメージを喚起し、不気味な印象を素人に与えない。
これは喜ばしいことなのだが、精神科の敷居が低くなりすきで、別の弊害が生まれてしまった。
それは、不登校や引きこもりや発達障害の一部を安易に統合失調症と診断し、抗精神病薬を投与してしまう、という薬害が起ってきたのである。
かつてのハロペリドールやクロールプロマジンといった副作用の強い抗精神病薬に比べてれば、リスペリドンを代表とする最近の抗精神病薬は副作用が弱く、しかもよく効く。
しかし、何と言っても抗精神病薬である。抗不安薬や睡眠薬のようにはいかないのである。
やはり副作用は無視できない。
この点はSSRIやSNRIも同様である。
日本の精神医学は薬物療法中心であり、精神療法を軽視してきた。
これには保険の点数が関与している。
また、診察時間の関係もある。
精神療法は保険の点数が安く、時間もかかりすぎるので、クリニックの存亡にかかわることになる。
また、精神科医よりも臨床心理士の方が精神療法ないしカウンセリングが得意だという事情もある。
とにかく、薬物療法だけではなく、認知行動療法を中心とした精神療法をぜひ行わなければならないのである。
ただし、薬物療法でほどんど治ってしまうケースもかなり多い。

問題は、精神医学そのものを否定するような一部の意見である。
昔から、精神病は甘えであって本当は病気ではない、という意見があった。
また、精神病を薬で治すことに対する批判も多かった。
こうした考え方の背景には、精神と脳は別の次元にある、という心身二元論がある。
この二元論をシステム論によって克服しない限り、精神医学の真の合理性と科学性は実現できないのである。

最近『精神科医は今日もやりたい放題』という、内海という内科医が書いたトンデモ本が売れているようだが、由々しき事態である。
この本の内容を鵜呑みにすると、うつ病の自殺や統合失調症の悪化が激増する羽目になる。
内海のアナクロニズムは筆者の神経哲学によって壊滅しなけばならない。

コメント (1)
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