どこ吹く風

旅のことを主に書く。

その翌日

2005年09月23日 11時23分00秒 | 旅-台湾

 翌日は基隆方面の観光をした。実質的な最終日である、3泊4日の旅なので往復の日を除けば実質2日しかない、基隆は母や伯父伯母にとって上陸の地であり、何度か通った事があるので懐かしい地の一つである。

 高台の観音像が立つ場所から港全体と街を見渡して数十年前に身体一つで上陸した頃を思い出している様子だった。それに引き上げのときもここから出た、そのときの様子はおぼろげながら私も覚えている。米兵が身体にDDTを吹きかけた、そしてLSTに乗り数日間揺られてカワサキに上陸した。たしか船の前が開いてそこを歩いて上陸した記憶がある。あの船は上陸用舟艇だったのにず~っと後から気づいた、LSTだから当然上陸用舟艇だけど大きな船だった、戦争映画で見る兵員の上陸用ではなく機械物資を運ぶ大型のLSTだったのだ。

 暫しの想いを後に野柳岬へ行き奇岩を眺める、クレオパトラとか亀の形をした岩が面白い。そのまま海岸線を走り陽明山への山道を上る。この辺りは田舎だ。陽明山は当時から知っているので懐かしそうに陽明山の名を口にする。

 硫黄が噴出しているところを見物したが雲が出てきて寒くなったので、早々に下山する、麓の温泉はかつて湯に浸かりに何回か来たらしく当事の様子を話している。姉は伯父と一緒に来たらしく、おんぶオンブとせがまれて疲れたヨ~と笑っていた。
戦前は物見遊山するゆとりも無かっただろうが、たまには北投温泉に入りに来たのだろう。

 士林の蒋介石別邸(?だったか・・)付近では、伯母が芋の苗をオーダー(もっこ)に担いできたことなどワイワイ我先に思い出したことを喋り捲る。とても和やかな車内であった。園山大飯店では丸山神社という地名が出てくるしアタマは昔に戻っている。

 今回のような企画はオヤジが生きているときにすべきだっただろうが、その頃は金が無かったし、そのような知恵も働かなかった。オヤジは引き上げ以来一度も台湾の地を踏む事は無かった。本来自分で行けばいいのに出不精なのか、行く勇気がなかったのかオヤジは行かなかった。

 行く勇気とは、自分で旅行社に申し込んでまで行くという行動、自分は台湾は知っているのだという自負心が観光旅行というものに偏見を持っていたのかもしれない。それともう一つ台湾で苦い思いがあったのかもしれない。

 伯父もいつも話しているが私から見てお祖父さんのこと、台湾で一緒に生活していたようだがオヤジと諍いが絶えず、いろいろあったらしい。今回もその話が出た、オヤジはその件も気がかりだったのやも知れない。
いずれにしてもそのあたりの事情を何も語らずオヤジは死んだ。

 台湾への旅は楽しくかつ有意義であった。
父・母に伯父伯母、それにお祖父さんのことを想う旅でもあった。
突如として父とお祖父さんが出てくるが、台湾はこの二人を外しては語れない部分もある。私も詳しく聞いてはいないがいろいろあったようだ。そのことは又にする。

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