沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩596 辺野古浜通信 【拡散】19日東村へ結集を 東村役場〜北部訓練場メインゲート

2016年08月16日 10時54分56秒 | マスコミジャーナリズム

【拡散】19日東村へ結集を 東村役場〜北部訓練場メインゲート

高江で抵抗を続ける山城博治さん、および高江連絡会からの呼びかけです。

8月19日金曜日早朝、旧盆の明けの東村N1への資材搬入再開・本格化に向け、最大規模の結集を求めます。現場では全国の機動隊による市民に向けた圧力が強まることが予想されるため、東村役場近くの県道70号線に集まって後、米軍北部訓練場メインゲートを目指します。

今後の抵抗に向けた新たな取り組みです。19日以降も継続的な高江への支援、参加をお願いいたします。
嘉手納基地・普天間基地での抗議・ゲート前行動への参加をお願いいたします。

5時  東村平良にある東村役場近くの県道70号線に集合
5時半 出発
6時  北部訓練場メインゲート前で集会

当日は機動隊による道路封鎖も含め、あらゆる市民行動の制限が予想されます。twitterなどで発信を続けることを試みますので、状況の変化に対応し、行動を続けましょう。 @henoko_tushin

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詩596 日刊ゲンダイ記事 沖縄・高江の弾圧激化 警察が誤認逮捕まがいの“見せしめ”

2016年08月16日 08時40分18秒 | マスコミジャーナリズム

沖縄・高江の弾圧激化 警察が誤認逮捕まがいの“見せしめ”

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/187774

現今ジャーナリズムは生ぬるい。安倍晋三ゲシュタポの明らかな違法行為に取ってつけた?マークで対応してたら、ユダヤ人ホロコースト並の民衆大量虐殺が公然と行われる日は遠くない。ジャーナリズムは決然と厳しく体制と政府を批判し続けなければならない。あり得ない蛮行が高江辺野古沖縄ではまかり通っているのだ。


詩622 琉球独立戦争の端緒 10 日本の敗戦

2016年08月16日 07時59分20秒 | 政治論

 対米従属路線(アメリカの戦争に日本人が死を持て参加すること)、不平等日米安保体制(日本政府はその治外法権性を直視しない....恐らくそれの悪影響が直に沖縄に限定されつつあるので)、軍産複合戦争経済主義(軍需産業の旺盛、利権、既得権益、安保マフィア、右傾政治家、財界)、戦後レジーム踏襲そのもの(安倍晋三の大嘘の始まり)、自民系保守王国(実質的民主制の不可能性.....支持率と議席数が全く比例しない上に有権者の半分近くが棄権している実態にある....)、幻想的国防論(世界の硬軟戦略事情と弾道ミサイルレベルから、これまでの核の傘信仰、抑止力依存は完全に意味をなさなくなった)、戦前回帰主義(復古主義、時代錯誤、意味のない過去価値への迎合)、大日本帝国復活(天皇神格化......皇民化教育乃至愛国的道徳教育)、自衛隊国軍化(平和憲法理念の破棄、人殺し軍団養成)、侵略敗戦の明確な事実を否定し(歴史修正主義)大東亜共栄思想を全面的に肯定し(国民生存生活軽視、国家主義礼賛)、靖国に象徴される国家神道の日本統一を目指し(一億総狂気化、狂信化.....日本会議)、特攻精神をもって愛国心とし、玉砕(国家滅亡の意味)を究極とし(諸共に滅びようという歪んだ美学信奉)、とりわけ沖縄差別剥き出しの辺境地域軍事的拡大方針を具体化している。

 このような日本国が現憲法を捨てたなら、琉球沖縄はこの国に属する本質的な意味を事実上持たなくなる(沖縄返還は平和主義の日本国憲法下に入るという意味だったはずだ)。自民党憲法草案が効力を持ったなら、沖縄は再び一家掃滅の悲劇を味あわされる境遇を招来するだろう。

 流れというのは一人二人では防ぎようもない、と先の大戦は教えている。ましてメデア・マスコミ・ジャーナリズムこぞって戦争礼賛まっしぐらだったあの時代、全ては必ずエゴに近い言い訳で自己正当化できたのだった。今、あの時代の大新聞の報国的宣伝主義は簡単に非難し批判できるが、逆にそういう批判精神の自主規制すら始っているので、現在のこの国の報道の自由ばかりかその理念性は保障できそうもないということだ。つまり大新聞等報道関係から送り込む情報は殆ど信用ならない域に入ってきた。つまりここにかの「大本営発表」が図々しくも復活してきた、ということだ。おまけにSNS全盛の時代、ネトウヨの暗躍は引きも切らない、そのマイナス効果は人心を根こそぎ滅ぼす力がある。完全におおやけに嘘、デマ、中傷、こきおろし、がまかり通っている。これも殆どシャットアウトできないのは自明であろう。

 沖縄にとって、こうした現在の日本国から言わば古典的に独立しようという企てにあっては、既に琉球処分以来培った日本人化が至る所に浸潤し、到底当たり前の大衆的ムーブメントには至らないだろうと思われる。だが、国連勧告にもある「先住民族」という事実は隠しようもなく消しようもない。「ヤマトゥンチュになりたくてなりきれない」(西銘順治)のは、異民族と同化することの永遠の不可能性を言っているので、そうであるなら、何も無理強いに日本人であろうとする必要はないわけで、民族的分離を具体化してのち交易を通じて日琉相互に関わりを持つ道を模索するのが妥当だと言える。

 要は、「いらない、いやだ」、と言っている基地さえなければいいので、そのために日本国籍から外れ(日米安保体制から除外され)米国軍隊を追い出し、琉球の国土を確保する、ということだ。

 琉球独立論は沖縄ではマイナーな主張とされている。筆者に言わせれば、諸悪の根源たる米軍基地を撤退させるには、今の日本からは独立(方途として)するのが最短の途だということになる。これから普天間は恐らく何十年と固定化されるし、「辺野古唯一」以外何も考えない日本政府は今後あらゆる言い訳を駆使してこの自説を曲げず強行姿勢でいくだろう。最大の被害者である当の沖縄が自律してアクションを起こすしかないのだ。

 沖縄戦は大日本帝国の人身御供、単なる時間稼ぎ、許しがたい捨石扱い、国民軽視、沖縄差別の悲惨な典型だった。沖縄はあの戦争から、軍隊は住民を守らない、戦争は民衆をこそ犠牲にする、という経験知を得たにすぎない。何より、皇民化教育が県民の心根に達したわけではなく、天皇は異民族の神に過ぎなかったのであり、県民はニライカナイの不死信仰に己を託した。天皇の為に死んでいったわけではない。天皇神話は二度と沖縄を騙すことができない。

 日本国の敗戦は沖縄が日本から分離して米国の占領下に入ることだった。それが1972年沖縄返還まで続いた。しかし実際は、米軍基地温存海兵隊流れ込みによって、占領時以上に矛盾に満ちた状態への捩じ込みとなった。しかしとにかく、施政権返還と日本国への帰属は、沖縄振興策とともに沖縄を何らかの意味で本土並みにする企てとはなった。そして現状は、明治以来欧米風イデアを消化しきれなかった大和民族が、伝統的曖昧さを身に帯しながら曖昧に欧米風植民地主義を実地に移すことで、沖縄の異種民族性を図らずも明確に析出していくこととなった。この日本風支配は支配者たる日本人にはその曖昧さのゆえにあらゆる言い訳を準備することとなったが、客観的に見て明らかな矛盾乃至虚偽を表出する段に至っては最早逃げ切るしか方途はない。大和民族は沖縄問題から永久逃亡を図ろうとしている。

 沖縄が辺野古高江で、こうした日本風支配の及ぶ基地新設行為を水際で食い止めようとするのは逆に言えば沖縄から見た日本国の、病的ともいえる対米依存、追随姿勢から繰り出される沖縄施策の犯罪的誤謬が、はっきりと見えているからでもある。(つづく)

 

 


8月15日(月)のつぶやき

2016年08月16日 04時57分29秒 | マスコミジャーナリズム