辺野古 400人が座り込み 釈放の瀬長さん「騒乱原因は機動隊に」
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-185635.html
8日に釈放され、ゲート前であいさつする県統一連の瀬長和男事務局長=9日午前7時ごろ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-185635.html
8日に釈放され、ゲート前であいさつする県統一連の瀬長和男事務局長=9日午前7時ごろ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前
沖縄タイムス辺野古取材班 @times_henoko 2時間前
12月9日午前8時50分、キャンプ・シュワブゲート前座り込みに参加している市民は、長時間の抗議行動に備えてストレッチしています。#沖縄 #辺野古
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/171264/1
この人は、多分沖縄県に移住したものの多くのヤマトゥンチュ(年間2万5千人から来沖するが住み続けるのは2500人程度という、9割近くがUターンしている)同様に言葉もままならず沖縄の地域社会には溶け込めなかったのであろう。宜野湾市というまさに日米安保最大の危険区域に住する結果として、沖縄市民運動とは真逆の「暴力的報復」という一種の孤立した個人的な考え方に陥ったのである。沖縄の市民運動の最大で絶対的な基本的姿勢は徹底した「非暴力」であり、同時に決して「チルダイしない」不服従に貫かれているし、その故にこそ、戦争という国家的な暴力を排し、そこにつながる軍事基地に強制的に加担させられている現状を憂い、これを撤去させるべく日米国家に堂々と異議申し立てをしているのだ。当然辺野古移設などとんでもないことであり、戦争状態の更なる拡大継続でしかないと、見切っている。
1941年(昭和16年)日本時間12月8日未明、日本陸軍が先ず英領マレー半島コタ・バルに接近し上陸、英印軍と交戦し(マレー作戦)、英国政府に対し宣戦布告なき奇襲をかけて所謂太平洋戦争の戦端を開いた。次いで日本海軍航空隊によりハワイオアフ島真珠湾攻撃が日本時間午前3時19分に奇襲作戦として開始された。
当時、午前7時のラジオ放送は次のようにこれを伝えている。(臨時ニュースとしているが実際は定刻放送であった)
「大本営陸海軍部12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は本日未明、西太平洋においてアメリカイギリス軍と戦闘状態に入れり」とある。
真珠湾攻撃
マレー作戦地図
この日12月8日が大日本帝国没落廃滅の確実な第一歩となったのだが、これより先15年戦争としては既に大東亜共栄圏構想(対中戦争はまさに大東亜の一角そのものを武力攻撃することである)の偽善性は、陸軍に拠る謀略と共に中国への侵略行為となって論理的にはその破綻した真相が余すところなく暴露されている。今になって安倍晋三がいかに史実改竄の言い訳を連発しようともこの事実は消しようもない。従って安倍晋三とその一派ががなり立てている「歴史修正主義」の欺瞞性は、彼ら自身の発狂的性格(通常あり得ない公人によるでっち上げ)を露呈している。しかしこの国の民はこういう連中に政治的権力の全て(安定多数)を預けてしまった。だから彼らは図に乗ってやりたい放題言いたい放題を繰り返し、その政策実現に非知性、非論理、反倫理、反民意をかえりみず、なりふり構わぬ人民弾圧、言論封殺、恫喝懐柔、といった前時代的な手法をナチス並に駆使して完遂しようとしている。これはこの国の未来への「やっつけ仕事」であり、必ず後時代的反動を招く、実に無駄で明らかな亡国的結果を準備することになる。辺野古強行はまさにその最前線の愚行である。(つづく)
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=145058
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=145060
9日早朝、議員総行動を含む大規模行動日の水曜日のシュワブゲート前では、辺野古移設に反対する市民ら約400人が座り込んでいます。午前7時を過ぎましたが、機動隊や工事関係車両が姿を見せていません。#辺野古
http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-185412.html
高江の問題は辺野古と同列の、琉球沖縄にとって到底肯んじない軍事的犯罪行為であり、市民運動は今後とも激しく権力の圧力を跳ね除けようと続けられる。米軍と日本政府はとっととここから出ていくがいい。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-185434.html
裏切り自民党議員の論点のすり替えにすぎず敢えて反論する必要もないことだ。基地問題の根底には明白にヤマトゥ常民の故知らぬ差別感があり、それが政府方針官僚政策立案と渾然一体となって琉球人の民族性を逆に強調する結果を生み出している。従って、琉球人のヤマトゥへのメッセージとしては、安保に関しこれ以上の「甘え」を許す訳にはいかないし、場合によっては運命共同体のような現状から離脱し琉球独立へ向け「民族自決」的に自律的行動を起こすことになる、ということだ。