沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩352 日本という国  8

2012年03月30日 10時37分51秒 | 政治論
 大日本帝国官僚という人種は国家的翼賛手段としての戦争、戦争準備行為、あるいは皇国公民の一億殉国天皇跪拝精神鼓舞といった形式を執らないでは、彼ら自身の公僕的仕官の大義が実践されない仕組みに馴らされているらしく、この国のとりわけ戦後保守停滞政治環境の醸成にはそういう彼らの一般的傾向が実質的傾斜を加えたものと思量される。彼らの有するインテリジェンスは強固にして強靭なマグネティズムに支配され、さながらエアポケットのごとく、旋回する政治集合をトルネードスピンさせ墜落させるのだ。戦後民主主義の脆弱さのせいもあるがこの国の議会制民主主義、政党政治は、強力な磁界を形成するこの官僚組織のまえに悉く陥落して去った。ということは、政治力を信奉する無力な政治家にあっては、初めから白旗揚げて官僚の政策立案の熟読精査につとめ徹底的に検証し、各省庁において議論を上下する討論形式の意見交換会を頻発することだ。国政への絶望は沖縄の日常的実感として、戦後あるいは復帰後常にあったのであり、沖縄の敵は恐らく戦前戦後を通じこの国を実効支配した彼らにおいて明瞭に認知されていた。島ぐるみ闘争として戦後米民政府下すさまじい弾圧圧力に抗しながら「復帰運動」を展開したのは決して単一な「祖国回帰」の純然たる一心においてあったのではない。当時からヤマトウとウチナーの決定的相克関係を認知していた知識人の中には当然のように「沖縄独立」琉球国復活の論陣を張る一群もあったのだし、結果的にはあらゆる琉球政治総括論として沖縄返還は多大な矛盾を剥き出しにして実現されたというのが真相である。勿論敗戦国たる日本国に琉球沖縄奄美等南西島嶼を主導的に自由裁量する国力などあろうはずもなく、戦後処理のなかでもアメリカは当時の国民政府(蒋介石)に沖縄処遇の打診をしたのだが内紛を抱える国府は放棄した。沖縄をどうするかは、かくして、「潜在主権」たる奇妙な領土権を付して日本国でありながらアメリカの委任統治状態を継続する形で、返還までは米国民政府の支配下に置かれた経緯のなかで、明瞭な結論を得ることなく今日に到ったということであろう。ここには戦前の琉球沖縄が日本の差別政策によって虐げられた弱小民族というアメリカの思い込みないし琉球人の日本への決定的反感という誤解があったのかと考えられるが、実質的な評価はアメリカが思っているよりはるかに複雑で、対明国朝貢外交でさえ琉球王府の優れて政治的判断と評価されるところがあり、島津侵攻という大和民族の野蛮性覇権意思が顕現した事件も、軍事的戦略的無効性の認識から受容された平和外交の一環と考えられ、琉球処分が一方的支配構造によって偏頗に処理されたという認識よりも「近代化」の歴史的評価一点では十分に人民的解放を促進したのであり、アメリカ流後進国「愚民」政治の対象にしたときには全く意に反する事態を招来するだけなのだ。アメリカの日本政府への乗っかり方は沖縄からみると実に歯がゆいが、前述したこの国の官僚支配体制にあってはアメリカよりもしたたかな官僚的国策政治がまかり通り、この踏み潰せない「ダニ」をキレイサッパリ殺さない限り沖縄の「自由」と「権利」は決して戻らないと思われる。つまり米軍基地自衛隊展開は益々先鋭化する。しかしながら反米軍基地闘争の間断ない継続は必ず情勢としての変化を生み、流れを変え、アジア太平洋地域に全く新しい「アジア的平衡」(平和?)の実現が可能かと希望的に想像する。ところで官僚たちの脳髄に染み込んで離れない沖縄差別意識の根拠は一体何か。岩国拒否の海兵隊受け入れは新しく改変する事務上の煩瑣という事態しか思いつかない。つまり彼らの中にはこの国の根本的傾向である保守停滞主義という気違いじみたものが澱んでいるとしか思えない。「沖縄問題」が彼らにとってその解決が「大義」でないと思われているのだ。(当然日米同盟が彼らの「大義」だ。)ここにあるのは、少なからず本性を見せ始めたこの国の、再軍備核武装による「富国強兵」の再来、明治維新の矛盾した「近代化」が戦争へ突き進んだ、あの時代へタイムスリップするということ。彼らの中にある危険なナショナリズム(しかも彼ら、のなかにはこの国の一方の権力構造が満を持して潜んでいる)を見逃すな。但し、この国の政治的怠慢は「怪我の功名」で、文民統制はある意味成功している。単なる「優柔不断」にすぎないのだが。(中断)