沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩352 日本という国  6

2012年03月27日 08時32分25秒 | 政治論
 これは「オキナワ」単一の話ではなく、沖縄を含めた日本の話である。沖縄戦時首里城地下に掘られた第32軍司令部壕跡に通ずる開口部に、観光客訪問者向け説明案内板が立てられてしまったのだが、その説明文を文案提示した検討委員会の意図に反する文章改竄が行われ、しかもこれに抗議する委員会との意見交換の場を設けることになっていたにもかかわらず、交換会開催前に板作成設置という不手際を県がしてしまったのだった。そう、これは勇み足、不適切対応という行政の過誤であり、ただちに現状復帰、説明板撤去の運びとしなければならない。そしてあらためて意見交換の結果に基づく正当な対応により事態を収拾しなければならない。そもそも検討委員会を押し立てたのは県であり、これが正規の手続きにより検討検証して提示した文案について委員会の意見聴取もないうちに改竄しあまつさえこれを拙速に製作立板するというのはよく言えば不作為の作為、悪く言えば沖縄県行政一般ないし仲井真県政全般における右傾化、中央寄り、旧軍擁護の謗りを免れない事態と言って過言ではない。歴史というものは、史実があって伝承があり、伝説奇談まで達すると完全な「歴史離れ」となるが、換骨奪胎を得意とした芥川龍之介に言わせると「一面の真理」はこれらの作物にも潜んでいて例えば今昔物語なんぞはまことに古代の民衆的野趣に富んだあからさまな真実が垣間見られて興趣尽きないものがあるそうだ。歴史的自然とでもいうべき、人知に関与する「確からしさ」が、歴史にははじめから付いて周り、一介の行政府の長がこれを「立証する根拠に乏しい」と評価して並み居る学者識者を尻目に勝手な決定的公文書を発しては、僭越と酷評されても文句は言えない。それでこれに関しては当ブログにあっては「海鳴りの島から」と銘打った目取真俊氏のそれに、実に詳細かつ豊富な証拠物件を掘りおこされているので知事は是非熟読してほしいと思う。沖縄戦の記憶は体験者だけが独立して所有しているものではない。「歴史は思い出」と小林秀雄が書いているが如何に正当に非体験事件をうまく現代によみがえらせるかはこれを扱う我々現代の日本人が戦争というものをどう捉えるかにかかっているわけで、この事件はそうした物の見方の方向性が問われているのだ。ここに連動する、北朝鮮人工衛星を弾道ミサイルと見立てて本島先島八重山に迎撃装置を配備する国の動きには、沖縄が最も忌み嫌う戦争連想国家行為が見られるのであり、国家のこうした浸潤する翼賛傾向に対し、沖縄県知事とその下部構造には時勢を読んで「沖縄的特殊性」に想いをはせ、国に同調して軽々に歴史的展望を曲げるようなことがあってはならないことだといえる。(中断)