彼は、未だ大震災も原発暴発もなかった頃に「フクシマ」から沖縄へやってきたが、類推される「沖縄原体験」の端緒は、公設ライブラリーから借り出した数十冊の沖縄関連図書に集中した。もし内地の図書館に同種の沖縄関連書籍があったなら、やはり衝撃的といえる体験として感得されたかもしれないが、実際はむしろそれほど興味を惹かれずに終始したとも想像され、偶然ながらも必然的に引き込まれた沖縄戦、集団自決、米兵犯罪、等に関する図書も、「沖縄」に対する彼自身の奇妙なシンパシーなしにはその体験としての度合いがまるで違っただろうと思うと、この移住行動は、その住む土地にまつわる彼の尋常ならぬ精神的深化のきっかけだった、ということに疑いはないようだ。奇妙なシンパシーとは彼自身正確には説明できないし、具体的に関係する事実の、あれこれを述べる必要も感じない。彼は沖縄観光コマーシャルじみた、取り立てて特記すべき「沖縄人」の優しさ、人の良さのようなものに予定通り触れた、というわけではないのだ。疾走する米軍ジープが住民を跳ね飛ばしてそのまま闇に消え道路下の畑には無残な轢死体が転がっている、婦女子を見つけては追廻しその夫の目前で陵辱する米兵、戦後間もない沖縄で繰り広げられた信じがたい光景が次々と、活字として目に飛び込んでくるという体験は、雰囲気として、多少は予感されたものといい条、彼の中でなにものかを徐々にはっきりと定着させる作業を繰返した。多くの特徴的な戦時体験の語りからもその何かは益々堅固に形成されていった。今彼が直面しようというそのものは、もしかすると曰く言いがたい何かなのかもしれない。あるいは語れば嘘にしかならないものかも知れず、例えば誰かが「それはおまえさんの思い過ごしな過剰反応だよ」といったなら、これに対してはむきになって否定しようとするだろうし、全く手付かずに生まれ育ち成長したそのものを、つかの間の幻影のようには到底思えないわけで、如何ともしがたい実体として、あらゆる局面にあって実質的なひとつの顕著な傾向を造出していったのだった。内地にいては決して起こりえなかっただろうこの傾向は、彼の人生にあっても無類の「確からしさ」に属するのだが、この国の政府と議員、あるいは大雑把に「政治」というもの、それらが「沖縄」に関わるとき発する、一般的な落差のうちにある、絶望という意匠に成る尋常ならざる意思の臭気は、かつてそこ(本土)に住していた人間としては無性に我慢ならぬ悪臭としてのみ、捉えられたのだった。鳩山のギロリとした目線も菅の脂下がった笑い顔も、野田のとぼけた変化のない表情も、ただ「胡散臭い」という印象ばかりが先行し、混濁して遣る瀬無い情念の奔出に苛立つ日々が続いた。「最低でも県外」といっていた鳩山が辺野古に墜落したあの日、雨中に声を嗄らして抗議する稲峰市長の映像を眺めながら、彼はすでに3年目を経過した移住生活すら忘却したように沖縄からの悲痛な憤怒、やり場のない胆汁質を自身のうちに見ていた。沖縄の彼の本土への印象は、本土が沖縄を決して他府県同様に扱わない驚嘆すべき絶対性だった。千葉県知事森田健作という男が発した耳を疑う言葉「我々のところに火の粉を飛び火させる積もりか」は、本土の人間一般が沖縄に対して当初から有していた止むことのない罪業の一端と思われ、ここから敷衍して「負担軽減」といった「美辞麗句」に隠れている醜悪な人間性が想像され、いよいよ嘔吐を伴った激越な反応として顕現する、己の自家中毒現象を呆然とやり過ごすばかりだった。(中断)