沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩343

2011年07月27日 10時30分20秒 | 政治論
 何故国民は先の衆議院選において自民政権にノーを突きつけ民主政権を選んだのかという観点が現在の国会議員たちに全くないことは、単に国政の空洞化というばかりでなく日本の政治自体が「民主主義」を本質的に体得してない証左ということになる。例えば国家的専権事項といつでも言いのける「安全保障問題」についての本質的な論議が尽くされたことはただの一度もないが(国会審議がないというのでなく常に「国家」が単独にまたは政権がなし崩しに決定するという意味で)「普天間問題」において政治家たちが外務防衛官僚の「米国偏重主義」にいかなる政治的主導性も発揮し得ない理念的脆弱さを露呈し、大事故を引き起こし問題が拡散拡大しつつある原発を未だに「国策」から斬り捨てられない「非常事態危機管理」能力の欠如が判明し、こうした不手際の根本にある「成長成熟しない日本の民主主義」という重大な問題性を発掘してしまった。彼らは誰も最終的には決してこの国の国家的方向性への理念的展望と確固とした現実的裏づけに関する責任を執ることはない。むしろ戦後解体すべきだった日本帝国官僚組織こそ永続的にこの国の政策責任を負わねばならない実質に貫かれていることを我々は十分に認識しなければならない。したがって今となっては民主政権の体たらくを追究する時間の無駄を回避して革命的に官僚組織の全面的解体再編という手法に打って出ることだ。思うに国民が前の自民政権に逆戻りすることを選ぶならそれは二大政党体制という砂上の楼閣造りには格好の手段だがこの国のストレスのたまる政治環境の改変にはなんの効果もなく、浸潤する放射能汚染による永い滅亡準備期間を用意し徐々に腐っていくという無様な後世へ自分らの子孫を誘って行くというわけさ。勿論現民主政権やらその他の「雨後のたけのこ」党やら有象無象に牛耳られるにしろ何一つ国民の思うようには事が運ぶことはないだろう。国民国家とは名ばかりの官僚対米追随無政府国家という実質にあるこの国に未来はない。(中断)