2001年9月11日圧倒的な表現手段でアメリカ覇権主義に風穴を開けたそのテロリズムの10年後として迎えた2011年現時点では、不気味な程頻発する各地のある意味小規模なテロ暴発事件がどちらかといえばより強烈なカタストロフィーの準備期間を経過しているかのように印象されるとして、今後アメリカが振り上げたこぶしのやり場に窮して益々愚劣な「対テロ戦争」なる弾圧手段の強化、押し付け、横行が無辜の民の生活の場に繰り広げられることを想定しなければならない。我々の想像力はアメリカの覇権主義が転回する世界軍事行動よりはるかに広範囲に緩急自在で地球上宇宙空間まで飛翔する。世界史はアメリカ史であり国際連合はアメリカ支配ヒエラルキーに他ならない。敗戦国日本などは、東洋の敗残低姿勢国家としか評価されないし、戦後世界構造上最も抑制された名目上の独立国家という位置づけが正確らしい。この意味ではナチスドイツという、過去をどこまでも追究し続けるべく歴史的に義務付けられた現行ドイツ連邦共和国に同じいが実質は文化的哲学的理念的の意味で両者は真逆な運命に支配されている。実際はこのことはなんら運命的ではなく弱弱しいネオナチ的大東亜共栄圏思想かぶれ連中に特徴的な中途半端な国家主義からみても、およそ精神の問題としては永久に本質的でない捲土重来的な起死回生論に過ぎずこの国を憂うという偽善に満ちて度し難い時代錯誤の中にいる。従来タカ派といわれた軍拡論者にも遠く及ばない戦争を知らない軍国主義者というほかいいようがないのだが戦争を知らずして戦争を空想する児戯に似たシュミレーションゲームに付き合わされる国民はたまらない。戦中戦前世代が事実上現存しなくなる近い将来には日常的に「沖縄戦」を語り継ぐ沖縄戦後世代においてのみ大戦はより現実に近い悲惨さを後世に伝えうる可能性が残されるのかも知れない。ここ沖縄では報道ジャーナリズム教育学問研究芸術等あらゆる分野で広範囲持続的に深く広く県民の中にむしろ生き生きと戦争が語られているし、現に米軍基地の存在によって世界中に転回拡大するアメリカの恒常的な戦闘状態に確実におかれた島の日本国における異常な待遇において、戦争は最も日常的で全人的な意味合いを帯びている。ここから発した反戦の祈りは本土のまがい物とは全く違うと彼は教えられた。(中断)