沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩333 その6

2011年07月11日 13時47分41秒 | 政治論
 沖縄が米軍基地に出て行ってもらいたいのは彼らの総体につき批判的なせいではなくまた当然守礼の邦琉球にあって無碍に異国人を蔑ろにする意図も企てもないのであり理由は極めて謙虚にして切実な経験体験そして築きあげてきた確固とした理念に基づいているのだ。本土の日本人と沖縄県民はその生い立ちと歴史と感受性において全く別人種である、という言い方が悪いなら、一線を画す存在形式と言う評言になろうか。「日本人」という括りにおいてはむしろ「日本人と沖縄県民」というふうに最初から峻別したほうが実情に沿うと思われる。彼ら為政者はじめ本土の日本人がかかる「沖縄」の特区性質を度外視するか又は現状認識に関しての不足が原因して「普天間問題」は政治停滞を招いた。16年以上飛行場に関して具体的には一歩も進めない理由を日米政府が分析しないはずはなく彼らが努めて避けている問題こそ沖縄の特殊性なのだが、それを作り出した当の本人がアメリカであり戦後日本政治のあり方だったわけで、ことは日米安保体制そのものの見直し乃至現実的改変を要請される事態になりかねず、いわばこの「普天間固定化」自体は日米政府にとって瓢箪から独楽に近い願ったりの状況ということになる。従って偶成としかいいようのない現状を踏まえるなら今後沖縄はむしろ原告の立場であらゆる公の場において徹底的に司法乃至世論の俎上に彼らを激しく追い立てる必要がある。日本国憲法における「基本的人権」「財産権」「幸福の追求」等に関する憲法違反、国際司法上の「占領国扱い」に関する違反行為乃至敷衍する「第二次大戦戦後処理」における軍事裁判上の「人道に関する罪」の摘要、その他いくらでも訴因はみつかるはずだ。沖縄が泣き寝入りし自己の特殊性を誇示することなくなし崩しに日米政府ならびに本土の日本人の無理解無関心により生きたまま殺されるくらいなら、斬り死にでも格闘するほうがよい。(中断)

詩333 その5

2011年07月11日 10時57分09秒 | 政治論
 前原ら超党派の沖縄懐柔軍団が「日本国本土の日本国民は沖縄辺野古に必ず米軍殺人部隊を新設し沖縄から永久に軍事的領域を分捕りおまえたち沖縄県民には引き続き今後とも騒音墜落危機基地公害を存分に味わってもらう」といいにきた。この保守停滞官僚主導のアメリカ従属現安保軍事同盟堅持主義者たちにおいては無論、現政権基本沖縄策の破棄(負担軽減)、はもとより従来からの自民政権下にあってすべてなし崩しに強行されてきた旧帝国官僚主導政治に完全に逆戻りし、恥知らずにもこれを度外視していよいよその非民主的根性をむき出しに沖縄財界自民系保守政治家たちの取り込み囲い込みと名護市長沖縄県知事並びに辺野古新基地反対者の威圧的きり崩しを図りにきやがった。暇人前原などは次期首相などというやからもいるにはいるが国民沖縄県民からすればいよいよ亡国政治の加速化としか見えない。いったいに戦後戦無派のこうした所謂若手の政治指導者たちは何ゆえに戦後66年の現今日本にあって日本人を精神的に心理的にまたは肉体的にさえ駄目にした安保体制を「若いくせに」保守的停滞性非理念的思考停止的に継続しようという情けないアタマになってしまうのか、戦後民主主義の駄目さ加減に辟易している団塊の端くれとしては彼らにさえ期待できない恐ろしいもどかしさを感じないわけにはいかない。これは大震災原発瀕死の公害状況にある日本国民として全く残念であり国政がすでに未来に向け死滅しつつあるという認識を老化するアタマに加えることになろう。(中断)