沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩334

2011年07月15日 19時50分21秒 | 政治論
 例えばwikipedia辺りは何気にこの国を維新以来国内的には立憲君主政体として紹介するが果たしてそんな簡単な定義でいいのだろうかと思ってしまう。その謂いはいわば欧米流の翻訳文化的に「立憲君主制」を当てはめようとするといかにも齟齬する現実的側面を突きつけられるということで最後にどうしても「天皇」に関する極めてあいまいな国民意識に想到するということだ。そしてここが重要だがこうした我々が持つ「立憲君主制」という機械的分別法に対する拭い難い違和感こそこの国が本来持つ、持つことに関心を持たなければならないアジア的東洋的実質の証左ということだ。漢学の充実した素養により幼少から東洋的文化に慣れ親しんだ漱石がむしろ必要性から始める英語学乃至英文学にのめり込んで行った時丁度ロンドン留学時に生じ始めた生理的ともいえる消化不良な文化的軋轢感は彼を分裂気味の精神的変調へ落ち込ませた。彼の文学的生涯は「国民作家」のそれでありまさしく東洋でありアジアである日本の維新以来の欧化策乃至同化策が漱石という極めて敏感で誠実な器においてまるで化学実験のように明らかなリトマス試験紙を表現している。漱石に現れた実験結果は「丁度平衡を保っている秤」と芥川が評した彼の「モラルバックボーン」に支えられた二つの相容れざる文化実質から国家的殖産的軍拡主義にできるだけ距離を置く「個人主義」、恐らく彼の中の最も哲学的な深みにおける「自由主義」に至ったとき「則天去私」はまさしくこの国の倫理的支柱を意味する最後の砦と思われた。しかしながらこの「天」はまさか天皇ではあるまい。読み方を間違えると「滅私奉公忠君愛国」になってしまう。「こころ」の「先生」の自死において「明治」という時代に殉ずる、明治天皇に殉ずるという時代錯誤をあえて犯させるとき漱石における「天」はやはり「仮託」、パスカルの賭けだったのだろうか。漱石の限界を「門」の宗助にみるのは容易であるが逆にここが発端ともいえる。アナロジーでいえば芥川の「羅生門」ではまさしく荒々しい修羅の現実に直面して反社会的行為へと走る究極の人間性が立ち現れるが、どこからともなく忽然と大泥棒多襄丸が出現してありきたりの道徳的逡巡を超えたところで現代社会の新しい価値、倫理性を帯び始めるとき、運動する精神の可能性を「実存」の本質において眼を凝らし見つめる先にアナーキーな「共同体」という「他者」つまりは「天」が思いもかけず行幸するということか。一度「天皇制」を廃止し更地にて原始的共同体を自生せしめ、実験的に真の国の核を見出す作業はこの国の希望となると思うのだが。(中断)