沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩338

2011年07月19日 13時45分52秒 | 政治論
 まことしやかに軍事専門家や戦略参謀並みに国際間の軍事的紛争や軍事的転回又は異国の国防路線につき知ったようなくいかじりの知識を振り回す自称「賢人」なんていうのは多くの「愚者」にとって「おえらいさん」なのだが彼らが意図する方向性は全く見えてこない。何故彼らは国家権力や圧倒的覇権国家になんの得にもならない媚を売るのかというと多くの場合「寄らば大樹の陰」的「事大主義」によるのだがどちらかというと己を利口そうに見せるためというのが真相らしい。なぜなら彼らの言い分の大多数が「見てきたような嘘をいい」でありとても内容的に信用してかかれないもどかしさで終わるのが通例だということで、これは特にあらゆる右翼的愛国者エピゴーネンに共通する非論理的弁明の特徴的な現象である。沖縄戦の悲劇の第一因は一般県民の安全確保を国も軍も完全に蔑ろにしたことだ。そればかりか本来死しても守るべき日本国民をむしろ盾にし置き去りにし追い立てて己の保身と薄汚い名誉のために利用した。(と多くの経験者が伝えている)歴史は参謀本部が沖縄を捨て沖縄県民の命を無視した「捨石作戦」を執った事を示している。おまけに米軍の動きを読み誤り台湾に最強兵団を沖縄から抜き取った。この狭い沖縄本島の北でも南でも逃げ場がないことなど最初からわかっていたにも拘らず北部への疎開など愚にもつかぬこれみよがしの欺瞞的手法でごまかし県民を殺人的に愚弄した。かかる実態を見るならば国も軍も決して人民のためには命を懸けないということが見えてくる。何故なら彼らは人民ではないし国家であり有無言わさず任務遂行するように機能化されているのだから。(中断)