沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩315

2011年04月19日 23時04分42秒 | 政治論
 彼は戦争を、戦後焼け跡を、戦後のドサクサを、知らない。戦後5年して早くも勃発した朝鮮戦争など戦後が決して劇的に別の世界に変貌したわけでないことを彼は認識する。日本は敗戦で平和憲法により戦争のない国に生まれ変わろうとしたらしいが世界は米ソ対立冷戦時代を迎えていた。日本史観と世界史観の間に「戦勝国」と「敗戦国」のギャップが生じているとき日本人は当然「敗戦国」としての世界史観と再生日本なる日本史観の両方を具有する運命にあった。「敗戦国」としての世界観とは戦争以前の日本史を含めた日本人の、世界におけるアイデンティテの検証を伴って形成される。しかしながら「敗戦」は戦争裁判による国際司法の評価判断だけでは到底解決し得ない多くの問題を抱えているという事実がとりわけてあの東京裁判の検証から数多く浮かび上がり、現代史の一面にはこの戦後の出発点を素通りしては本質を見失う危険がひそんでいたことを今や十分に認識する必要があると日本人は思っている。この歴史評価は正しい。欠けていたのは戦争全般に対する本質的考察であり東京裁判がはからずも条例化した(実際はニュルンベルク)「平和に対する罪」「人道に対する罪」は広くあらゆる「戦争行為」に対して厳格に適用されることで世界史にその前例となりえたのだが残念ながら「復讐裁判」は決して敗戦国の国際社会における地位的保証を許容しなかったということだ。つまり日本国にとって「敗戦」は、戦後の国際社会における運命的な枷でありそれは単に再軍備脅威の可能性遮断という意味だけでなく敗残者の自虐的抑制歩行を強制していた。この不健全な戦後日本の歩みから生じた戦後民主主義は当然現実主義的に雲散霧消し、唯一の理念的独自性から放逐された格好で21世紀の価値観喪失時代へ突入した。そこでもう一度敗戦後を眺めると日本人にはその歴史的絶望と精神的未解決の果てしない荒野だけがあったのであり、いわばそこから一歩も踏み出さなかった本質があった。日本人はただ経済的に潤っただけなのでその精神の闇は途轍もなく暗い。この度し難い暗黒に追い討ちをかけたのがこの大災害であった。記憶も薄れた阪神淡路震災がその端緒である。何も規模の大きさで「かのような」危機感を煽るわけではない、というよりもこうした不可抗力の災害が起きる以前に日本はある種壊滅的なダメージを受けていたのだ。最後の砦、その戦後経済の実質的破綻と国としての凋落だ。功利主義の選択が国防を戦勝国に肩代わりさせた奇妙で狡猾な国策において当初の達成目的たる国家の軽負担復興を成功させたのはいかにも他国を利した巧妙なる外交的勝利のように喧伝するが、事実は大国アメリカの言いたい放題したい放題を許している完全な従属的実質を体現している。つまりはこの国幹ともいうべき国防国土保全国民主権における精神的従属性が今この国を本当に揺るがしているのだ。誇り高き大和民族の真の「復興」は精神的従属性という一人歩きする病弊が、主にいかなる病理的治療を要求するかを知らずには始まらない。(中断)