沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩306

2011年04月03日 15時18分34秒 | 政治論
 我々が直面している現在の日本の状況がデスパレートな状況であることは間違いない。誰も東京首都圏大震災が間近と予感しないものはいない。中国北朝鮮テロ脅威よりはるかに現実味を帯びていることに注意しなければならない。一方はある程度の国際社会の抑制機能と、期待はできないが信頼はできる人間の理性により外交的に食い止めることができる相手であるし、元来アメリカ覇権主義主導の仮想敵にすぎないから、日本独自の視点さえ確保できるならまずは過剰な反応に歯止めを加えることは可能だ。しかるに原発という性急過ぎた文明歩調の鬼っこは一般住民には到底受け入れられない恐るべき危険物件でありこの東日本大震災によって不幸で愚劣で情けない実態が白日の下に曝されたことはさすがの推進派も認めないわけにはいかないだろう。原発行政などという妻妾同居の醜悪な政治とは手を切ることだ。元々アメリカがためらいもなく落とした原爆に対して怒り心頭に発して当然なのにかかわらず、その張本人のアメリカ「思いやり予算」はこのドサクサに一気に予算化しやがった。まさに「馬鹿につける薬はない」。戦争の脅威とはなにか。アメリカのどこにこの国を国際的孤立へ誘導する陰謀があるのか。何ゆえにすでに凋落の兆しさえある他国の軍隊頼みを国税を駆使して続行するのか。見えてこないこの国の現今政権の方向性を被災地の人々は複雑な感情と乱れる生活への不安感のなかで大変な不幸感とともにむなしく眺めるしかない。政治への絶望はしかし人民の最後の落城ではない。歴史は必ずこのような無様な政治家どもをあざ笑い人々は手探りででも一歩目を刻む。いずれにしろ寄らば大樹の政治家がアメリカに尻尾を振り続ける事実には無際限な阿呆さを見るばかりだ。「神の業」は見えないものにはやはりただの事象にすぎず、見えるものにはハッキリと確信を与えたということか。彼もまた多くの盲目な群れにあって右往左往しているにすぎないのだが。