菅首相の所信表明は普天間に関する限りこの国の現実に置かれている地位について逆に証明しているのだが、地元がいやだいやだといっているとき何故菅もオバマも辺野古にこだわるのかわからない。民主主義が正常に行われてないこの事態を何故大言壮語のオバマは看過してしまうのか。核廃絶といい現実的平和論をいうわりにはこの現実には眼を瞑るとはどういう了見なのか。そもそもアメリカの大統領は日本的常識からするとどうも不可解な事跡を残している。ベトナムを泥沼化したのはケネデイだし、すでに明瞭に末期的症状を見せていた日本を戦争に追い込んだのはルーズベルトだ。60万の人民を死に追いやったのはリンカーンである。つまり普通偉人として紹介されたアメリカ大統領はよくよく考えると、どうやら悉く戦争好きらしい。このアメリカ仕込の好戦的姿勢を日本人が何故真似る。ここにも教育の弊害がある。日本人は彼らを偉人として紹介してはならない。日本国憲法の理念からすれば明らかに憲法違反の人種である。憲法の平和思想は連合国による懲罰的処置ともいえるが、それだけにその後憲法論議はいかにも喧しい事案となって戦後論壇を賑わしている。いずれにしろアングロサクソンの民族的好戦性をアジアの東洋のすでに戦争の悲惨と敗戦の悲痛を決定的に体験した国民は決して猿真似してはならない。その経験は何にも替えがたくむしろこの国固有の精神的財産なのだ。とりわけて史上最悪にして醜悪な日本唯一の軍官民総ぐるみの地上戦を味わった沖縄は、アメリカの横暴を決して受容してはならないし、日本政府の理念のない安保思想に屈服させられてはならない。今や国家対人民の構図は沖縄固有の対立軸であり、沖縄だけがこの国のあやまちを正常化させ得る資格を持っている。