沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩216

2010年10月19日 09時31分42秒 | 政治論
 三島由紀夫で終わった戦後国民文学、という捉え方で考えると、拙劣ともいえる彼の政治的奮闘が戦後日本文学の究極の姿なのかなと一瞬錯覚する。生硬な法律序文のような彼の文章から政治という畑違いのジャンルに一直線な道を見る時、戦後焼け跡からの起死回生などというのとは全然違う復興する日本への警鐘こそ戦後文学がその役割を担うとすれば負うであろうシビリアンコントロールという役目であった、と一応いえる。今更文学の再生でもあるまい。この絶望する精神の発露は堕落し損なった国家へ向け、ドンキホーテの孤軍奮闘以外には手がないことを肝に銘ずることだ。しかし果たして救い出すべき姫は元々彼の中にいたのかどうか。本質的に重大な問題はまさにそこだ。君は死をとしても救うべき思い姫を持っているのか?ベアトリーチェ、ノスタルジャ。川端康成「美しい日本と私」。民衆は?夜鷹の星。