沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩213

2010年10月16日 11時27分20秒 | 政治論
 沖縄県議会、名護市議会、沖縄県知事、名護市長、所謂議会制民主主義の地方レベルの総意が普天間代替施設の県内移設反対という結論を内外に示した。にもかかわらず何のアクションも起こさない起こしたこともない日米政府というものを考えると、そこにおどろおどろしい保守的停滞を感じるし、そもそもが日本の前時代のエンペラーが帝国主義的発想に基づいた沖縄人質判断をした時点で、今日の状況は用意されていた、といえる。やくざの杯ともいえるこの沖縄住民を人間扱いしなかった行為は現在、なんの反省もなく踏襲され、そのおそるべき内実を抱えたまま未来へ引き渡されようとしている。この政権に普天間問題を解決する断固たる決意も覚悟も見えない以上、普天間固定化は現実のものとなりつつある。国家又は日米政府対人民又は沖縄県民という対立軸を措定し、人民はいかに自己の生存権を保持するか、いかに基本的人権を保証させるか、財産権を確保するか、を考究し続けなければならない。沖縄問題はこの国の戦後を本質的に抉ろうとする歴史的課題だ。沖縄の反戦思想は血塗られた沖縄戦の体験から立ち上がった、原爆と同じ実質の国内最高級の内容を有する世界的思想だ。オバマごときが大嘘つこうが、その軸のぶれは一切ない。日本政府に訴えるのではなく全世界に向けてこの思想を発信しなければならない。日本政府は国家専権事項と嘯くことで沖縄を一地方の一般的政治的障害にまで貶めようとする。こんな国の不毛な政府に頭を下げる必要はないし又効果もないだろう。議会制民主主義を踏まえ甲斐のない交渉を続けるのもいいが、原爆同様アメリカ覇権主義のまえに敢え無く潰える姿が見えてくる。あいつらには地図上の戦略的軍事的構想しか頭にないのだし、ローマ以来の征服民族的発想だけが生きがいなのだ。こうして沖縄の嘆きは永遠に無制限に継続する。しかし沖縄の嘆きは間違いなく全世界の叫びである。