今日の沖縄問題の最も根本的な原因は、沖縄に関する認知度の低さにあることは間違いない。例の教科書記載の訴訟沙汰は沖縄県民が大騒ぎするほど本土には重大でないことを、県民は十分に知っておく必要がある。一方、集団自決に関する裁判の大向こうの評判はただノーベル賞作家大江健三郎と岩波書店が被告だという事実によってのみ本土の耳目を惹いているということだ。先の大戦の沖縄戦と集団自決は沖縄にとって大損こいた悲劇であり、今日の基地被害や普天間は沖縄の大変な貧乏くじとしか言いようがない。この国の政府、ジャーナリズム、国民の大半は、「沖縄など知ったことじゃない」のだ。集団自決の割に合わない犠牲は、その悲惨な地獄的様相よりも皇民化教育の恐るべき効果ばかりが目だって、一体この悲運はどういう目的を持っているのかと心底疑問に思う。領主様然としているアメリカ、多大の貢物を献納し続ける日本人、今度は中国にねらわれているらしい。敗戦の負い目?優秀民族優等生主導のおりこうさん国家は泥臭いじたばた抵抗は性にあわないらしい。負け戦から何を学んだのか。返す返すもこんな日本に住みついた沖縄は、残念な運命を背負ってしまったのか。どこに人間としての普遍的価値をみればいいのか。絶望的な文化的環境を強いられた沖縄の未来は、ただただエメラルドグリーンのちゅらうみと温存された人情のみが救いの神器なのだろうか。しかしながら沖縄の人々よ、本土の人間もやはり同じ日本人なのだよ。この情けなくも落ちぶれ果てた精神の落伍者たちは、おのれの進む道を知らないのです。あの戦争から学び続ける沖縄だけが日本の未来を見つめることができるのです。