立春もすぐ。
気になるのね、お雛様。
Cちゃんパパが今年は飾るの止めにしましょう、と言ってくれたけど。
毎年飾るのは夫だから。
私は毎年外の物置から運ぶ位。
昨年秋に、娘のお雛様をそろそろ処分しようかと話していたの。
当時の8段飾り、これが飾るの大変なのね。
お内裏様とお雛様だけにしょうよと。
ガラスケースも「木目込みの3段セツト」だけに。
四十数年、充分飾ってきたもの。
お雛様一式ってとっても場所をとるから、3月と5月の一式で小屋はいっぱい。
ガラスケースは畳まらないからね。
Cちゃんの素敵なお雛様もあるし。
私の作ったつるし雛も・・・・・いっぱいあるし。
夫に今日あたり飾りませんかと、提案。
私傍についている位できそうだからね。
美容院に行く矢先の骨折だったから、迷ったのね。
このままグレーヘアーにしてしまおうかとも。
もう20日も行けなかったらそうしたかもしれないけど、今日行けたの。
もうグレーは通り越しているかもしれない、とも思えたのね。
そうしたら義母と並んだら姉妹に見えてしまいそう(笑)
ここ1年ほどカラーを止めるかどうか心が揺れていたけど、すっきり解決したわ。
もう継続しかないって。
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今年1年は地域の祭典のお当番(3人1組)ということで、先日来、祭典の日に飾る旗の道具が回ってきていました。
お当番とは私の認識では、春祭りと秋祭りに幟を立てる役目位しかありませんでした。
つい最近まで、幟だったのが、日の丸の旗に変わっていました。
夫が日の丸の上に付ける金色のボールが壊れているからと、接着剤で補強していました。
「旗は大丈夫ですか」と聞きましたら、前任者がそろそろ新調したほうがいいと言っていたとか。
その言葉が気になって広げて見ましたら、凄い状態になっていました。
日の丸、近くで見ると結構大きいのです、長辺が2m位あります。
その裾がほつれてというか切れて、40~50㎝も垂れ下がっていました、4枚共。
お当番は前任者から引き継いだものを当日持ち出していくのでしょうね。
そこで気が付いても、時間が無いので、垂れたままだったのかもしれません。
まだ5日程日がありますので、裾を全部カットして縫い直しをしました。
ミシンはとうに処分してしまいましたので、チクチクと手縫いで補強のため、一つの裾に2本のラインを入れました。
夫がこれでしばらくは大丈夫と。
引き継いだ箱を見たら、毎年のお当番が明治20年頃から書かれた綴りが出てきました。
昭和30年以前位の物までがありました。でも皆さん達筆で読めません(笑)
あらー、面白そうではありませんか、今年中は我が家に滞在する古文書です、ひも解いてみましょう。
今朝、コピーを取り始めました。
それで分かったことは、順番に綴じられている訳ではないことにです。
その年度に記録されたのを、途中どなたかが綴られたのでしょうね。
半分程コピーしたところで、前後が分からなくなってしまいました。
まさかバラしてとる訳にはいきませんから。
世界の歴史も日本の歴史も勉強しましたが・・・・いえ最近は世界史勉強しないらしいですが。
地域の事を知るということがありませんでした。
明治になってからの、地域の歴史の一端が記されていますが、最近の物はとっても簡単です。お当番の順番だけしか記されていません。
その昔は購入した物品と金額も書かれています。祭典が行われていたのでしょう、その中身を見ると分かります。
今や、幟や旗を上げ下げするのみ・・・・私の認識もその程度でしたから。
この綴り、初めて見ました。15~16年前にも当番でしたが、その当時は義父の名前でしたから、我が家に来たとしても現役の私たちは目にすることもありませんでした。
この手の物何もかもが簡単に済ませたいという傾向があります。
我が一族の先祖祭りの記録も、ちょうど同じ頃からの記録が残されています。明治のその頃はそういうものをきちんと残そうという時代だったのでしょう。
女性たちが続けてきている、十九夜様の記録も、最近は残されない傾向です。というより存続していくこと自体が風前の灯でしょうか。
これからは空き家が増えていく田舎です。地域に連綿と繋がってきたものが、ここしばらくの間に消えていってしまうかもしれません。
我が国の人々の目指していく将来ってなんなのでしょうか。
ちなみに、私が補修した「日の丸」は昭和39年購入の領収書が添付されていました。
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お読みいただきありがとうございました。
土曜日、お雛様を飾りました。少し早いとは思いますが、少しでも長く慈しみたい気分で。まあ―出し入れの労力は同じならできるだけ長く楽しみたいというところです。
ちーちゃんとちーちやんママのに、私のつるし雛までが勢揃いしました。
この6年の間に作ったものですが、溜まりました。さすがに五月の節句と七夕あたりの物は除いて飾りました。
賑やかで華やかな我が家のお雛様です。
家中のしつらいもお雛様にしました。
日曜日、美容室の予約の前に、自分のお部屋の額の掃除です。
暮に目をつぶったところです。大小12枚の額、おもに写真と似顔絵です。
布団や衣服のあるお部屋は綿埃がたまります。少し斜めに飾っておいたのは、まさに溜まっています。
そして今回懸案事項があったのです。私と夫の枕元の壁に掛けていたのを全部移動させました。
もし地震がきたらとずっと気になっていたのでした。
出入口のドアの上もやめました。
廊下に出ればスリツパがあるので歩けますから。
そして廊下の壁の額9枚も掃除しました。こちらは部屋の中と違ってほぼ誇りはありませんでした。
こちらは旅行の思い出コーナーです。
最近は絶対増やさないと決心して行くので・・・・それほどは増えていませんが(笑)・・・増えてています。
せっせと飾って死蔵品にしないように努力しています。
午後、お手玉を10個完成させました。
けい子さんがたくさんのお手玉用にカットして1面をミシン掛けした布をたくさんいただいていたので、その助っ人をすることにしたのでした。
本当は自分の布を消費したいところですが、まあー、とりあえずチクチクするものがあれば良しとしましょう。
全国県別対抗駅伝を横目で見ながらです。長野県は8回目の優勝でした。おめでとうございます。
そして御嶽海の応援ですが‥‥我が郷土の御嶽海頑張れ!!
毎日テレビの前で応援しています。
それでは皆様も
依田 美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅・涼温な家 中島木材の家
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良い1日をお過ごしくださいね。
多少の体調は悪くても収穫してもらった野沢菜は漬けなければならないからです。
土曜日朝8時過ぎから野沢菜洗いを始めます。
11時半までかかって65キロを2樽に漬けました。
樽に入り切らない5キロは醤油漬けにして大仕事を終えました。
例年3パーセントの塩で漬けていたのですが、葉先分をかなり落すのでなかなか水が上がらず、差し水をしたりしていました。
ので今回は3.5パーセントにし2樽目は4パーセントにし、春先に食べることにしました。塩は正直です、すぐに水が上がりました。
今年は野沢菜が上手にできたのです・・・・・夫作です。
1樽だと、最後に野沢菜の煮物にする分がないのでした。
日曜日の夜、醤油漬けの浅漬かりを食べていたら、ちーちゃんが「野沢菜の炒めたのおいしいよね」と。
一瞬みんなが、ちーちゃん野沢菜の煮物をたべたっけ?と。
ちーちゃんパパと私が同時に思い出しました。
たしか、今頃の野沢菜をダイレクトに炒めたわと。
たぶん昨年は作った記憶がないから、その前の年だわ。
たしか・・・たしか・・・油に塩を入れて置いてから炒めたハズ。あんまりやさしい調理だったからレシピも残っていないハズ。
今夜試してみましょう。
土曜日午後から区民祭のお手伝いと作品展の作品の持ち込みがありました。
日赤社協のお当番は災害時のごはんの炊き方実習とおにぎり作りです。
前日の準備は基本的にお米を研いでお釜にセットするところまでです。
いつも仕切ってくださっている先輩が4升は炊けるはずと。でもどう見ても無理そうに見えます。
結局ネットで検索したら3升炊きでした。よかったわと胸をなでおろしました。
それと水加減です。ベテランの先輩たちは、手加減ですが、私には怖くてできません(笑)
私は中学生の時習った基本2割増で今も毎日それで炊いているのです・・・・・あのメモリがよくわからなくて。
あの3升炊きにはリットルのメモリのみです。
日曜日は9時から準備開始。お天気も穏やかでいいお天気です。
おにぎりを15升にぎりました。
豚汁に綿あめに焼きそばにフランクフルトが用意されました。
この地区にこんなに子供たちがいるのかというほど集まりました。
ちーちゃんが、展示してある自分の習字を見に来たいなあー、と言っていたので見渡しましたがいません。そうでしょうね、水曜日はテストですもの。
今回の区民祭の企画の中に、災害時の対応についてが加わりました。
今まで災害とは縁がない地域と思っていましたが、なんか少し違ってきていると皆さん感じられてきていると思います。
演劇あり、みんなが参加するや踊りがあり、賑やかな区民祭でした。
作品展もたくさんの作品が集まり、皆さんが日々いろんなことに挑戦なされているのを目にしました。
私も「つるし雛」と「チョークアート」を出させてもらって・・・・・ようやく出せる物があるようになって肩身の狭い思いから解放されました。
こうしてまた一つの行事が終わりになりました・・・・日赤社協の役は来年まで。来年もう1年楽しめそうです(笑)
依田 美恵子
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今日は19夜様。
しかし長いこと働いている人がいるので、お彼岸前の日曜日に開催していました。
昨年と今年はお当番です。しかし今年は孫のおっかけに行きたいがために、欠席することにしました。
昔から当番も本当番があって昨年それを済ませていたのでいいかなあーと。
すみません、おまかせします、ということで。
それが急遽1日早い土曜日になったということで、参加できることになりましたが、今回は19夜塔にお線香をあげて、その後お店で食事会になっていました。
おまかせします、と言った以上何も言えませんでした。
考えてみれば、もう続けていられるのも時間の問題かもしれません。
どんななりにでも続けていくしかありません。
地区の19夜様の歴史を少しでも残しておかねば、と参加した88歳の長老にお聞きしました。
私が嫁に行った少し前に公民館が新しくなりましたが、その頃に大きく変わったような気がします。
それまでは個人の家で回していたからです。当番は3人で前年やった人と本当番と次年度本当番になる人をほっぺた回しにしていたようです。
昼間「おまる」を作って、学校から帰った子供たちが楽しみに寄ったようです。
そして夜本当番の家でお念仏をあげお茶をしたようです。
私が学校にあがる前、実家の母について19夜様に付いていったことを思い出しました。
19夜様には余興がつきもので、母が「うちの女房には髭がある」役をやっていた姿がいまも思い出されます。
女手がなかった母が練習にはいけないので、当日は何でもやりますからと言ってあてがわれた役だったと、その時の母の言葉も耳朶に残っています。
外に出かける機会も少なかった昔の嫁たちにとって、19夜様は大手を振って出かけられる楽しみの場だったと思うのです。
私の19夜様は嫁にいってからでした。当初はお当番の時だけの参加です。当番でない時母が出ていました。
最初の当番が終わった時、この次のお当番は30年後位かなと計算していました。
それが年を追うごとに早くなり、もう6回位お当番しているような気がします。
休会しますという体のいい退会者が出てきましたし、最初から入らない方もいたからです。
そして今は6年の内2年が当番となりました。
中身もどんどん簡略化してきました。
そして前回の当番の折は、参加者が当番の他に2~3人になってしまい。それからは当番だけでやって回すことになりました。
前のお当番は「おまる」を作ることもやめ、買ったもので済ませました。
それでも「おまる」作りは若い人たちには覚えておいた方がいいと、昨年は実施したのでした。
家でお団子を作らねばならない時がいつかきます。その時のために習っておく方がいいし・・・・。
実際作ったことのない人もいるのです。
19夜様にお祝いをいただいた方には大きなおまるをお返しにしていましたが、今回はありませんでした。
10日程前、19夜塔の廻りをきれいにしました。
昔から19夜塔にお線香をあげるのは若手の役目でした。
若いうちは何が何だかわからないのが現実で、実際どこへお線香をあげていたのか不明です。
19夜塔の横にはお地蔵様が建っているのです。たぶんそこにあげていたのかもしれません。
どなたかが植えられたつつじや紅葉が年々大きくなって十九夜塔の前にはお線香が立てられる状態ではありません。
1昨年道祖神のお当番をした時から、そこに隣接する19夜塔とお地蔵さん廻りの草取りや植木の剪定をしてきていました。
今年は欠席するつもりだったので、皆さんがお線香を立てやすいように枯草や植木の剪定を始めました。
作業していたら、軽トラが横に停まりました。見上げたら夫でした。
出たゴミを片付けに来てくれたのでした。
この先、どんなふうに19夜様のやり方が変わって行こうとも、私にできる19夜様はこれかなと思ったのでした。
19夜様塔の後ろに「弘化4年」とありました。西暦で1847年江戸も末期の時代です。
それ以前から続けられていたのでしょう。
これを私たちの代で絶やしていってしまうことは出来ないと思うのです。
そして簡略化を始めると際限なく簡略されていくものだというのもわかりました。
しかし・・・・現実は人的に厳しくなっていくのです。
お読みいただきありがとうございました。
依田美恵子
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夏が行ったり来たりしているのか、秋が行ったり来たりしているのか、着るものに迷います。
お彼岸の中日に毎年一族の先祖祭りを行っています。今年はお当番です。
お堂の掃除を朝みなさんで行い、午後2時から菩提寺の住職さんにお願いして夫婦で参加です。
お経の間、私が嫁に来て出会ったすべての方を思い出します。
45年間の間に、多くの方を送りました。
つい最近まで、葬儀は一族が取り仕切り、2日間のお手伝いもあったのでした。
今人の送り方も変わりました。
この先祖祭りも平成22年までは、男性は2時、女性は7時と二部制でした。
この年大きくやり方を変えました、というより変えざるを得なかったのです。
家族の在り方が様々になってきて、家に必ず次の世代がいるとは限らなくなったからでもあります。
お当番の夫が、挨拶の中で、先祖祭りの記録が明治38年から残っていることを紹介しました。
知っている人もいますが、その記録を知らない方もいるので、厚い和紙綴じを回しました。
記録というものは大したものです。こうして長い年月を通すと、生きた歴史が見えます。
堂の壁に昭和60年に堂を新築したお祝いの集合写真が買させられています。今から33年前です。
写っている皆さんの中で、本日の先祖祭りにこられている方は、ご住職と庄屋のお二人だけでした。
ちょうど世代が一世代変わった感がありました。
みんなで若かり日の顔を見つつ懐かしんだのでした。長生きの時代ですから、ここに来られなくとも元気な方も大勢おられるのです。
この次のお当番の時は息子に出てもらおうね・・・・なんて夫と話したのでした。
お経の始まる寸前、嫁ちゃんから「優勝しました」と電話が入りました。小6がレスリングの愛知での大会て優勝したのでした。
細かい話は聞いていられませんでした。
お読みいただきありがとうございました。
依田美恵子
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まあ―私は笛を吹いているだけで、ちーちゃんパパと夫が踊ってくれたけど。
あとは引継を残すのみ。
それが終わったら、次ぎはと19夜様の準備を始めた。1年前のお当番から一式お預かりして、1度整理をして物置に仕舞って置いたのを持ち出した。
19夜様用の自分のファイルを開いたら、前回の人の引継がメモってあった。そこに残金も記してあるのだけど、肝心のお金がそこにない。
お金はともかく、書きものもあったっけと、1年前の記憶を探ったのだった。
この頃頻繁に回ってくるお当番、休会しますという体のいい退会者が増えて、5年に1度回ってくるようになった。それも2年ずつやってである。
私たちの時代に止めてしまうわけにはいかない、その使命感。いったん止めれば復活はあり得ないだろうから。
だから簡素化を図った。会費を集めるのを止めて、当番だけでお念仏を上げることにしたのが、今から3年前。
だから申し送りの書き物がなかったのだ。
お道具類の箱を全部出したら、しっかりお金が入っていた。やれやれ、捨ててしまっていなくてよかったわ。
一つひとつ目の前のことを片付けていくだけ。
縫い物を趣味にしている姪が帰ってきて、仕舞ってあった古い着物を探し出してきた。
昭和53年の新聞が一緒に入っていたという。ということは、私の生まれた家の土蔵を解体した時、土蔵から出した物である。
私の祖父の着物だ。明治から大正の頃のに違いない。袴や羽織に着物が何枚もあった。羽織の裏が粋である。男物は地味だから、つるし雛に使うような物はないが、細い縞の単衣の着物を貰い受けた。
これだったらテズクナができそうに思えたから。
これを縫ったのは、私の生まれる前に亡くなった祖母だろう。命のつながりを思いつつ、ほどき始めた。
鋏を入れる前の最初はやっぱり緊張する。そしてこれを着た祖父と会うことのなかった祖母と心の中で語らう。
私の作業部屋にまた物が増えた。
だから・・・・だから…紙類を減らしている。
寒いけれど、やっぱり寒さが違う、もうすぐ本当の春がきそうになってきた。
インフルエンザにここまで無傷できた、ちーちゃんのクラスだったが、ここにきて一人でたという。卒業までもうちょっとがんばれ!!がんばれ!!
依田 美恵子
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一族の新年会が温泉で開催されて夫と共に出席。お迎えのバスの都合で10時に到着、宴会までが長いわー、と近くにあるチーズ屋さんまで、散歩というか時間つぶしというか、腹ごなしがてらに行くことにしました。
このチーズ屋さん、エンジニアを脱サラされて開業した是本健介さんの有名なお店。以前そのチーズをいただいて、とっても気になっていたのだけど、わざわざ来るにはちょっと距離があるのです。
夫が行ったら定休日だったりと、しばらくお預け状態だったのです。
何人かが一緒に行きたいということで出かけたのだったが、直線距離は短いが、歩くとなると500メートル以上の下り坂です。
工場を兼ねたお店の販売スペースは、全員が一緒に入れないかわいらしさで、ほとんどをネットで売っているらしいがうなずけます。
最初に入店した私は、外で待つ人のために、早々とフレッシュと熟成の2種をゲット、その時壁に「吉澤渚さんのチョークアート」が飾ってあるのは見逃しませんでした。
すばらしい!! 構成もいいし、チョークの色合いというか、チョークでしか出せない味があって、こんなお店にぴったりでした。
またみんなでテクテクと歩いて帰ります。それでも風がないからなんとか。
それから入浴。小さいけれど気持ちいい温泉で湯温も高めでうれしい。温まったところで露店風呂で冷たい風にほほをさらしながら、またまたじっくりと温泉を堪能したのでした。少し早いからほぼ貸切状態。
洗い場の鏡の曇りをはらったら、鱗がなかった、う~ん、合格。
始まった宴会・・・・出てくる料理の数が半端ではない。「なんか他所の倍位出てくるみたいね」と。最後までたどり着かないのに、最後の白飯が「立科産」ですって言われて・・・・これは食べて見なければと一同がんばったのでした。
食べきれない方は、おにぎりにしてどうぞ、なんてラップまで持ってきてくださった。ごはん持ち帰るなんて初めてだー、と皆で言いつつ、確かにおいしいお米だとなったのでした。
来年が我が家のお当番、ハイ即この場所に決定して仮予約を済ませたのでした。もちろんお迎えの時間早すぎないように指定しましたよ。
料理も良かったけれど、私的にはお風呂の鏡かな。そこがきれいと言うことは・・・・・浴室よく清掃されていました。
春日温泉の「ゆざわ荘」でした。
しばらくの間、このチーズでいろいろと楽しんでいます。
依田 美恵子
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転校してきたちーちゃん、最初の出足が遅れていたけれど、すっかり上手になりました。なんたって裏山がスキー場なんだから、行こうと思えば何時でもいけます。
このスキー場、高速道路横づけです。
土曜日天神講でした。地区の道祖神の担当区域の小学生とこの春1年生になる子供たちが対象です。「てんじん・てんまん」は低学年、「天神天満」は高学年が墨で3枚から4枚書きます。
傍で見ていると・・・・子供たちの性格が書く姿にも字体にも表れて興味深いですね。
それが終われば、昔からのお約束事の「炊き込みご飯」です。どの時点からそうなったかわかりませんが、5、6年生の保護者が炊いて持ち寄ります。
半分はお持ち帰りになるかなと思いましたら、子供たちの食欲というか、つられて食べるというかで、びっくりするほどでした。
子供って面白いわ。
こうして道祖神のお役目も、今日の天神講で終わりました。
物入れを整理し始めていたら、未完成のアルバムがでてきました。ちーちやんが1年生の時のようです。この後ちーちゃんママが体調をくずして、夫もアルバムを完成させる気力がうせたのかもしれません。
夫は孫4人のアルバムを丁寧に作ってきました。1人に付何冊もが並んでいます。
娘がいなくなって、私は有限を感じました。それ以来、写真も熱心に撮ることを止めました。というより焼いてアルバムにすることを止めました。
自分の昔のアルバムに至っては、アルバムを解体して10分の1にしました。
自分の写真、今撮られてもうれしくないものね。時たま会合や同級会の写真が送られてくる度に苦笑してしまいますものね。
その1年生のちーちゃんを見て、ちーちゃんが成長したのが実感できたのでした。
本当に大きくなったわ・・・・身体だけでなく気持ちがもう本当にお姉ちゃんになって。
本当に手がかからなくなってきて。
もうすぐ中学生。制服も間に合って。
小学校に通うのも、もう20日ばかり、いい思い出がいっぱいできたことでしょう。
お読みいただきありがとうございました。
依田 美恵子
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