「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

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月がとても綺麗な夜に気づいた、龍馬という存在の意味

2010-03-01 02:00:14 | その他
夕方、二時間寝たためなのか、まだ眠くありません。
今晩は、月がとても綺麗で、
ほとんど満月でした。
東京ではかなり低い位置に月がありますけど、
とても丸くて感じの良い月です。

昔の大河ドラマ「草燃える」のことを書こうと思っていたら
きょうの「龍馬伝」大河ドラマで少し感動してしまいました。
香川照之の演技力と福山の華のある存在感以外、
書くことがあるとは思っていなかった
ドラマでの驚きです。
僕が知らなかったエピソードなので少し書きます。

もちろん、ドラマなので
かなり脚色があるのは間違いないのですが
事実関係は次のような構図のようです。

坂本龍馬の親戚でもある
山本数馬(後の沢辺琢磨)が
ある犯した過ち(諍いで拾った他人の時計を勝手に質入した)から
切腹しろという状況に追い込まれ
そこで龍馬が逃げることを進めて逃げたという話です。
ドラマ的には龍馬が凄くよく書かれていますが
細かい事実関係の是非は僕にはわかりません。
ただし、この沢辺という人物の生死を救う行動に
龍馬という人物が出たことは事実のようです。
当時の幕末社会でも、切腹が当然な状況なのを
「逃げてしまえ」と龍馬がすすめる話です。

ドラマ本編ではここまでだったのですが
その後、エピソードの場所紹介で
御茶ノ水のニコライ堂の
映像が出てきて、
函館で沢辺が、このニコライ司祭の弟子となり
日本ではじめての司祭となったことが紹介されます。
つまり龍馬のそのときの行動が
日本におけるキリスト教の最初の伝道者になる人物に
つなげたことになります。

そこで、さらに関心を持って調べると
この沢辺が、司祭になる前に
新島襄と知り合い、彼が国外に行くのを
助けたらしいということもわかりました。
新島襄はもちろん同志社大学の創設者です。
この国外に行くことを新島ができなければ
日本におけるキリスト教系統の教育が
どういうことになっていたかは、わからない気がします。
たぶん新島が国外に行ったことは、とても重要なことだと思います。

くだらない諍いから、くすねた物のために
危うく死に掛けたような物騒な男である沢辺が、
人を助ける司祭に変わるなど(当然非暴力)、
色んな形での今の日本につながる部分に通じていることの
驚きがありました。
沢辺は、剣を十字架に変えた訳です。

僕には昔から、坂本龍馬という人物は
明示的には何をなしどけたのか、
ほとんどわからない人物でした。
この龍馬伝を見ていても
感想は同じだったのですが
(彼はいろいろしゃべり、行動しますが、
短期的に、直接的に成果はほとんどありません)、
こうしたなんとなくの彼の行動や言説が
実は周りの人々に大きな影響を与えていて、
それが彼の知らないところで
思わぬ形で花開いているという
状況があるのだということが痛感されました。

というか、少しうれしくなりました。

いろんな想いや行動というのは
なかなか日の目を見ることは難しいのですが
人に影響を与えることができるものというのは
思わぬところで思わぬ力が働いて、
また別の何かつながるものであるということ。
こうした事が、
たぶん人間が生きているうちの、
数少ない救いの一つだと僕は思います。

そして、龍馬という存在は、
改めてそれを教えてくれた気がしています。
長井さんにもつながるところがあるかもしれません。

また、僕には、この沢辺を演じた若い役者が
最後に別れ際、龍馬と語るぎりぎりの演技が
とても印象に残りました。
この大河ドラマ「龍馬伝」は
主役の華はあるが演技力は凄くない福山さんに
直接からんでいく役者が演技力がいまいちの場合には、
画面がつまらなくなるという欠点があります。
香川さんや寺島さんと福山龍馬が絡めば
逆にかなり面白い画面になります。
香川さんが演じた岩崎弥太郎が全く龍馬に絡まなかった
この回の中では、
この沢辺と龍馬の最後の会話のシーンが
最も面白いシーンになりました。

気になってこの役者を調べたら
橋本一郎という無名の若い役者でした。

ただし彼の父親は、役所広司でした。

最近、血筋や家庭というものが
昔よりも
役割が大きくなっている現実も僕はさらに痛感しています。