masaring

自己チューの進行形日記でshow。

「そっとおやすみ。」2012。

2012年09月10日 | masaringは、芸術家!??

Kihoku

【紀伊半島北部。我が故郷の黄昏前。今夜も良い夢を見ようネ。】
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「そっとおやすみ。」は布施明さんが歌った、1970年7月発売の
ヒット曲。当時、布施さんは23歳。

作詞・作曲は、元G.S.ハプニングスフォーのチト河内さん。
クウォリティーの高い作品だ。
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1970年って、昭和45年ですよ。
私、高校2年生でありました。

昭和45年と言えば、やはり万国博覧会であります。
私も確か、2回位は行ったと思います。
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熊本の従兄弟達集団も物見遊山?で
「大阪万博ツアー。」に来て

我が家に泊まったのでした。
懐かしいですネ。熊本に私の従兄弟は何人いるのか、、、。
その親達は、全員亡くなってしまいましたから、
人数は未だに分からない。
父の除籍謄本を取った時、
父は、八男って書いてましたから、、、、。

私の父が熊本から和歌山へ来て、母と結婚。
42歳で死亡。(食道ガンでした。)


兄妹で一番早くあの世へ行ってしまいましたネ。

従兄弟の何人かは、大阪で就職。
私の父は、末っ子でした。
だから勤め人の従兄弟達も全員、
定年退職したことになりますネ。

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私は、1970年にギターを始めたのでした。
ピアノは小学校の時に
始めた訳だから、ギターは新鮮でしたネ。
その後、それが昂じて、まっちゃんバンドへと
発展する訳ですネ。
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同時にスマッシュヒットした「そっとおやすみ。」
私が歌うには無理と、ずっと思ってました。
50代後半の今。ある番組で
この歌と巡りあい、とても好きになってしまいました。

無性に歌いたくなり、例によってYou Tubeにしました。
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光陰矢のごとし。もう、あれから42年経ったのですネ。
私、精神的に全く成長してないとつくづく思うのです。でも、
この年齢になって、歌いたい曲のひとつとなったのです。
それにしても、難しい歌でありますネ。
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それでは「そっとおやすみ。」下↓をクリックして
見て、聴いてくださいネ。

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YouTube: masaringの「そっとおやすみ。」2012。

↑の画像、もしくは文字をクリックして
歌と画像を見て、聴いてくださいネ。

従兄弟の皆さん、お元気ですか?
私、紀州北部でひっそりと、でもしたたかに今日も働いています。
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Noshiran

【日陰で静かに咲く熨斗ラン。白くて穏やか。花言葉はひっそり。】
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4 コメント

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ノシランが上品に咲いてます。良い雰囲気です。 (kazuyoo60)
2012-09-11 12:15:56
昔のご自分ではない、好むと好まざるに関わらず苦労が押し寄せたはずですから。深く考えられて取捨選択されて今がおありのはずです。
23歳でこの曲とは。もちろん聞き知ってる曲です。
しっとりと歌われましたね。
返信する
お邪魔します。 (龍山)
2012-09-11 16:02:28
 そっとお休み、懐かしい歌ですね。まっちゃん様高校2年の時私は、万博会場で日本政府館、地方自治体館、万博ホール、お祭り広場、太陽の塔の音響技術指導者として働き、私の一番輝いていた時代でしたね。万博ホールの舞台から誰もいない客席に向かってこの歌を歌ったことを鮮明に思い出しました。懐かしい歌良いですね。

余談ですが
 お父さんは8男だったのですね。
 私は9人兄弟の8番目です。私の父は48歳で尿毒症でなくなりました。私が中学1年の時でした。

 我が家でも今、熨斗ラン満開です。

返信する
[E:diamond]kazuyoo60様へ (kazuyoo60様へ)
2012-09-19 20:50:32
kazuyoo60様、本記事へもコメント
ありがとうございます。
ノシラン。我が家の裏庭の隅で
ひっそりと咲いています。
そんなノシランに「そっとおやすみ。」と
言いながら、今日を終え
そして、新しい朝を迎えています。
歌は人生を写す鏡だと
最近、再び確認しています。
最近、この曲を聴いて
万博や知っている従兄弟の顔が
浮かんできました。
勿論、当時の顔が、、、。
会うことがあったら、
随分年を経たことを
当然認め合うことになります。
過去があり、今がある。
当然のことですが
それを歌が諭してくれる。
不思議ですが
歌というのもまた
時代を超越させる不思議な
また、大切なものなのです。
歌って良いものだと思っています。
ご訪問ありがとうございました。[E:club][E:eye][E:ear]
返信する
[E:xmas]龍山様へ (龍山様へ)
2012-09-19 21:03:23
龍山様、本記事へもコメント
ありがとうございます。
この記事へのコメントで
貴殿自身が、輝いていたと考える
時代だったと初めて知りました。
我が家は当時、、、。極めて貧乏。
万博も学校の遠足と小遣いを貯めて
1回行きました。
世間の人は何て金持ちなんだろうと
羨ましく思ったものでした。
龍山様が、今も輝いているのは
こういった経験に裏付けされたからだと
思います。
万博ホールは、万博が終わってから
ずっと後、訪れました。
鶴瓶さんのライブで。今の容姿ではなく
アフロの頃。
そのホールで、この歌を歌われた。
時は違っても、空間を共有した。
ホールって不思議なものですネ。
音響の大切さは今も昔も
そして、これからも変わりません。
なお一層のご活躍を
願っています。
ノシランも共有ですネ。
次の記事も歌記事になると思います。
どうぞ、よろしく。
ご訪問ありがとうございました。[E:bottle][E:cake][E:riceball][E:cherryblossom][E:maple][E:bud][E:sun][E:sun][E:sun]
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