◇『おじいさんに聞いた話』(原題:De trein naarPavlovsk en Oostvoorne)
著者:トーン・テレヘン(Toon Tellegen)
訳者:長山 さき
オランダ生まれの医師であり作家の作品。ロシア人の祖父の記憶を語る自伝的作品集。
39の掌編がつづられている。
医業の傍ら詩や絵本を発表し続けてきた作者。この作品では、祖父のこと、母のこと、
子供のころ間近で見ていた彼らの人生を、9歳ころの作者に対して祖父が語るスタイル
で綴っている。しかし実は作者が祖父から直接聞いた話は一つもないという。母から間
接的に聞いた話もあるが、大半は「自分が祖父から聞くことができたかもしれない話」
になっているのだという。
それにしても話は脈絡がないというか十割そばのようにぶつぶつ切れたエピソードの
ようなものが大半であるが、祖父が育った革命前のロシア・サンクトペテルブルクの様
子や国民みんなが詩人だという(これはどこかで読んだ不確かな情報)ロシア人だけに、
一風変わった価値観や表現ぶりが満載で、まさに不思議な時代の、不思議な国の、不思
議な人たちの物語である。
祖父は詩を書いていた。神や天国、死に就いての詩だ。<詩人>
ロシア語には罪を示す言葉が11もある。と祖父は言っていた。イヌイットに雪を示す
言葉が30もあるように。<罪>
祖父は陰鬱な男だった。…子供の時から陰鬱で、まじめ。ふさぎがちな性質だった。
祖父はよく死について話した。<死ぬこと>
「まず第一に、それ(悪魔)はいないんだ」祖父は言った。「おじいちゃんの言う
ことを信じられないんだったら、この話はしないよ」<悪魔>
19世紀末のサンクトペテルブルクには多くの外国人医師がいた。…酔っぱらって往診
に来るロシア人の医師のことを市民は信頼していなかった。<医師たち>
ロシアでは、正直に嘘をつき、残りの世界では、不正直に真実を話す。<裸の皇帝>
祖父は歳を取っていた。長く白い髭をたくわえ、タバコのにおいがした。杖を突いて歩
き、いつでも黒い服を着ていた。食事をよくこぼした。
でも、祖父には飛ぶことができたのだ。戸棚の中の段ボール箱に二枚の翼がきちんと
たたまれていた。
祖父は僕が13歳の時に死んだ。<翼>
葬儀の後みんなが陽気にハムとチーズのサンドイッチを食べ、伯父の話に笑った。祖母
は何も言わず、誰の話も聞かず、誰の方も見ていなかった。
僕もサンドイッチを食べ、伯父の話に笑った。祖母の両手は膝の上に置かれたままで、
誰も見ていなかった。
ぼくは自分を恥じた。
ぼくは家の裏庭に立ち、アウディ・ライン運河の前に立っていた。亡くなったおじいさ
んが隣に立っている気がした。
「この河の名前を知っているか?」と訊いた。
「ネヴァ河だと思う」僕は目を開けて祖父を見た。祖父はうなずいて、ぼくの髪をなで、
そしていなくなった。
僕は振り向いた。母がぼくを呼んでいた。
ぼくたちは家に帰っていった。
何と詩情豊かな一文ではないか。
<フェーデ>という短編もいい。
この本は大人のメルヘンといってよいのではなかろうか。
(以上この項終わり)
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