読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

吉川英治の『新書太閤記(九)』

2021年06月10日 | 読書

◇『新書太閤記(九)
  著者:吉川 英治  1995.5 講談社 刊 (吉川英治歴史時代文庫)

  

  第9巻はほぼ全編秀吉と柴田勝家との攻防の様子に終始する。
     友人だった能登の前田利家はともかく柴田勝家は秀吉が気に食わない。
 一戦を交えたいが冬季は動きにくいので前田利家を口説いて秀吉に和睦
 を働きかけるよう頼んだ。秀吉は約束は反故にされると承知の上でこれ
 に応じた。

  利家はその裏で信長の次男信や秀吉嫌いの富山の佐々成政らと呼応し、
 冬季の行軍の困難さの裏をかき、先ず秀吉の長浜城の守り、余呉の大岩
 砦を陥すべく甥の玄蕃允盛政を向ける。作戦は成功したが、盛政は居座 
 らず引けという利家の軍令を無視し続ける。
  大岩砦陥ちるを知った秀吉は滞在中の大垣から夜を徹して長躯の移動
 を敢行し、大岩城に籠る玄蕃を一気に攻め立てる。応援に駆け付けた勝
 家の本軍もたまらず敗走する羽目に陥る。
  前田利家もこれまでの勝家とのかかわりから応援に駆け付けるが、秀
 吉との誼もあり積極的には動かない。

  秀吉の大軍はわずか3日にして長浜に達し、大岩砦の奪回を果たす。潰
 走する玄蕃の兵と勝家率いる本軍は共に雪山の中を敗走し北ノ庄(現在
 の福井市)を目指す。   

        勝家はわずか3千の兵と共に命からがら本拠北ノ庄の城に辿りついた。
 玄蕃と息の勝敏も捕われたし羽柴軍勢に取り囲まれた勝家は敗北を観念
 し、割腹の覚悟を決める。
  側室のお市の方には「そこもとは信長公の妹御、息女3人は浅井殿の遺
 子、秀吉もつらくはすまい。城を出られよ」とすすめたが、お市の方は
「武門に嫁いだからにはかかることも覚悟の前、筑前の陣門に頼るなども
 ってのほか」と答え、3人の息女(茶々、初、江)のみ城を出て秀吉に託
 すことに同意した。 
        柴田勝家はお市の方と共に自害し、天守閣に火を放ち遺骸を敵に曝す
 ことはなかった。
 
  さて不気味な存在は家康である。前田、柴田、羽柴らとは異なり、太
 い絆で結ばれてはいたが、信長の臣ではなかった。天下国家を望む立場
 としては彼らと同等である。実は柴田勝家は家康に使を送り、甲州攻め
 の賀を述べ暗に筑前打倒の同腹を誘ったが、家康はそっけなくあしらっ
 た。織田家の同士討ちに巻き込まれるのを避けたのである。
                      (以上この項終わり)

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