【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

夏休みの不自由研究

2019-08-11 08:40:57 | Weblog

 私は小学生の夏休みの宿題で「自由研究」というお題を毎年出されていて、苦労しました。だって、普段からそんなことをやっていないんですもの。普段自由に研究する習慣がない人間が「夏休みだから」という理由だけで「さあ夏休みだ。自由に研究をしろ」と言われても、何をどう研究してどうまとめたら良いのか、わけわかんないでしょ?
 もっとも教師の方も、毎年毎年生徒の数だけ指導をするのは、大変でしょうけれどね。だから「自由(放任)」だったのかな?

【ただいま読書中】『進撃の巨人 23』諫山創 作、講談社、2017年、463円(税別)

 前巻でエレンたちは「海の向こう」には「敵」がいることを知りました。その敵について、本巻で描写されます。
 エレンたちにとって巨人は究極の恐怖の対象でした。しかし、この「世界」では「巨人兵器」としての扱いです。たしかにその威力は絶大ですが、技術の進歩によって巨人を倒す通常兵器も開発されています。エレンたちの兵器テクノロジーがほとんど中世レベルであったのと、対照的です。
 さらに「巨人の力」をめぐっての「正義」が、非常にややこしくなっています。「正義の反対側」もまた「別の正義」だったりするのです。
 「指輪物語」では「指輪」は核兵器のアナロジー、という読み方がありますが、さて、本シリーズでの「巨人」は何かのアナロジーなのでしょうか? アナロジーだとしたら、この世界の、何?



表現の不自由

2019-08-10 07:29:05 | Weblog

 展覧会が暴力的に中止に追い込まれたということは、日本には表現の自由はない、ということが証明されたということになりそうです。「こんな変な表現をしている人がいるよ」と実物を前に笑うチャンスもない、ということにもなるんだなあ。

【ただいま読書中】『張衡の天文学思想』高橋あやの 著、 汲古書院、2018年、9500円(税別)

 古代の世界では西洋でも東洋でも、天文学は「暦」の基準であり、かつ、占いの手段でもありました。規則正しい天体の運行に時にそれを乱すもの(惑星の動き、彗星、流れ星、日食や月食、超新星爆発など)が出現することが、この世界の在り方が空に反映されているように思えたのでしょう。科学と占いが同時に存在するとは、面白いものです。ちなみに「天文」とは「天の文様」のことで、「地理」と対になる言葉です。
 古代中国では「天帝」による「天命」が地の支配者「皇帝」の正当性を保証するものでした。だから為政者の重要な仕事は「天の祭祀」です。同時に天体観測を行って暦を作ることも権力者の仕事でした。
 本書の“主人公"張衡(西暦78〜139)は後漢の科学者・政治家・文学者として知られた人です。日本はまだ「魏志倭人伝」にも取り上げてもらえない弥生時代。そんなとき、中国では宇宙の構造について「蓋天説(天が笠のように地に覆い被さっている)」「宣夜説(宇宙は無限の虚空)」「渾天説(球形の天が地を包んでいる)」の三説が主張されていました。そういえば「宇宙」ということばは紀元前の前漢の時代の「淮南子」に登場していますし(ちなみに日本書紀の天地創造の部分はこの「淮南子」からのパクリです)、古代中国人の「天」への探究心はとても強かったのだな、と思えます。
 「渾」は「渾沌(こんとん)」という用法もありますが、天文学では「球」の意味で用いられていたようです。すると西洋での「天球説」と似ているのかな? ただ張衡が「地」を平面と思っていたのかそれとも球体と思っていたのか、については現在の学会では意見が割れているそうです。「天」を「卵の殻」、「地」を「黄身」にたとえた記述から「地球」説を唱える人もいますし、その記述は後世の注釈だから張衡の主張ではない(他の著書で「地は平」と書いてあるから「平面」だ)、と言う人もいるそうです。直接会って聞けたらいいんですけどね。
 張衡は「月は太陽の光で光る」ことを正しく認識していましたし、さらに「地球照(地球からの反射光で、月の欠けた部分がぼんやりと光る現象)」も正確に理解していました。科学的な観察に優れています。
 占いに関して、張衡は星座を「中央」と「四方」の5つに分類していました。五行の思想からは当然の分類に思えます。
 著者は「張衡の思想の中身」に注目して欲しいのでしょうが、私は「2000年前にこんなことを言う人がいた」こと自体に衝撃を受けています。望遠鏡もなしに宇宙についての観察と思索を実行できたのは「偉業」だと思えるものですから。こんなざっくりした感想で、著者にはごめんなさい、ですが、素人なので許してね。




○○焼き

2019-08-09 06:40:09 | Weblog

 イカ焼きは見ただけでイカだとわかりますが、たこ焼きでは中に入っているのがタコだとはすぐにはわかりません(時に、タコが入っていない場合もあります。私はお祭りの屋台で悲しい思いをした経験があります)。
 ところで、タコの形をしたたこ焼きを作ったら、イカ焼きに対抗できるのではないでしょうか。対抗する必要があるわけではありませんが。
 しかし、たい焼きに至ってはどこにも鯛は入っていませんよね。鯛の形だとは言うけれど、あれ、本当にリアルな鯛の姿に見えます?

【ただいま読書中】『イカ4億年の生存戦略』ダナ・スターフ 著、 和仁良二 監修、エクスナレッジ、2018年、1800円(税別)

 恐竜が地上を席巻するより遙か昔から、海は頭足類が支配していました。頭足類とはイカやタコが含まれるグループですが、「頭から直接足がはえている」ことを意味するネーミングです。その先祖は巻き貝のような形でしたが、殻の中に空気を貯めて水中にぷかぷか浮かぶことができました(海底の捕食者から逃げることが可能になりました)。ここから、オウムガイ類・鞘型類・アンモナイト類が生まれます。古生代(5億4100万年〜2億5200万年前)に魚類が進化すると、それに合わせてこの3つもそれぞれ進化します。
 カンブリア紀の“爆発"によって海は生命で満たされましたが、その中にはアノマロカリスのような強力な捕食者もいました。そこで頭足類は「ジェット推進」を手に入れます。「息」をぷっと吐くことで体を移動させる手段です。種は多様化、体も大型化させ(アノマロカリスは2メートルくらいですが、エンドセラス・ギガンテウムという頭足類は体長3.5メートルにもなりました)、とうとう「捕食者ナンバーワン」の座をアノマロカリスから奪ってしまいました。しかし魚類、特に顎を持つ魚類が登場すると、頭足類は「食う側」だけではなくて「食われる側」の立場も経験することになります。そこで頭足類も顎(くちばし)を発達させて対抗することにしました(順番は実際には逆だったかもしれませんが、ともかく共進化です)。
 陸地で植物が繁茂、落葉などで栄養が海に流れ込みプランクトンが大発生するようになります。それまでの「餌が乏しい」環境が質的変化をしたわけで、頭足類(特にアンモナイト類)はそれまでの「大きめの卵を少数産む」から「小さい卵をたくさん産む」に生存戦略を変更します。餌が多い環境ではその方が生き残る子孫の数を増やせそうですから。
 ペルム紀末、シベリアで(10万年も続く)大噴火があり、それが結果として「大絶滅」を引き起こします。地球の生命の歴史で「大絶滅」は何回かありますが、著者が本当に興味を持っているのは「そこから生物がどのように立ちなおったのか」のようです。ともかく、大噴火で大地は大量の二酸化炭素を吐きだし、地球は温暖化、それが水に溶けて酸素は減りpHが下がります。そのせいかどうか、海に棲息するあらゆる種の96%が絶滅しました。
 ではここから生命はどう立ちなおるのか?
 ペルム紀末、地球の大陸はすべて一箇所に集まっていました。超大陸パンゲアです。しかしそれが少しずつ分かれていきます。三畳紀にまずテチス海が生まれ、次いでジュラ紀の始めに大西洋が生まれます。テチス海はやがて縮小し現在の地中海になります。こういった海洋の多様化が、生命の多様化を促進したのかもしれませんが「三畳紀爆発」が起きます。これは「カンブリア爆発」に匹敵する規模で、起きた場所がほとんど海、という点も共通でした。しかし、三畳紀の海は過酷な環境だったようで、この時代に頭足類は2回の大きな絶滅と2回の小規模な絶滅に見舞われています。それをやっと生き延びた頭足類は、こんどは魚類だけではなくて、地上から海に戻ってきた陸棲爬虫類(イクチオサウルス(魚竜)、プレシオサウルス、モササウルス)からも逃げる算段をしなければならなくなりました(この海に戻ってきた陸棲爬虫類は、おそらく恐竜との戦いから逃げてきたのでしょう)。食われる側は、生き延びるために殻を厚くし棘を生やします。そして鞘型類は「殻を体内に入れる」というとんでもない選択をしました。柔らかい体を保護してくれる鎧を捨ててその代わりにスピードを手に入れるのです(現在、タコはくちばし、イカは軟甲にその「殻」の名残を残しています)。中生代には鞘型類から、イカの祖先とタコの祖先が枝分かれしますが、どちらも初期にはしっかり体内の「殻」を持っていました。そして少しずつ殻は小さくなっていきます。新たな防御手段は「墨」でした。(余談ですが、頭足類の化石からメラニン色素があまりにしっかり見つかることにヒントを得たジェイコブ・ヴィンザーは他の化石(たとえば恐竜の羽根)にも色素が残っていないか、と調べることで「恐竜には派手な色がついていた」という証拠を発見しました)
 白亜紀末の大量絶滅は、まず「大量絶滅があった」と認めることから話が始まりました。それまで学者たちは「恐竜から哺乳類への交代は、ゆっくりと行われた」と考えていたのですが、“例の"アルバレズ父子が巨大隕石衝突による地球規模での絶滅説を唱え、積み重ねられた証拠が様々な抵抗を打ち破ってその説が定着します(この話だけで本が1冊必要ですね)。で、地上で(非鳥類型)恐竜が絶滅したのと同じ時期に海ではアンモナイト類も絶滅していました。「では、実際に何が起きたのか?」。どうやら、隕石衝突による環境激変にプラスして、続けて起きた火山の大噴火もまた地球環境に重大なインパクトを与えているようです。
 この大量絶滅を生き延びた頭足類は、住み処・行動などを変えて新しい環境(新しい気候、新しい天敵)に適応しました。クジラの祖先は最初は視覚に頼っていたと考えられますが、やがて反響定位(音で周囲の状況を詳しく把握する)という手段を手に入れます。それに対して「軟体によって音を反射しづらい」ステルス性能で抵抗したのがイカやタコでした。
 頭足類は優秀な捕食者であり、同時に多くの種の豊富な餌です。ところが人類が大量漁獲をすることで、海の生態バランスを崩している恐れがあります。もちろん崩していないかもしれませんが、それを言うためにはちゃんと知る必要があります。著者もそれを主張します。「海の中について、もっと知ろうよ」と。だけど、何かを強く断言するためには無知な方がやりやすいんですよねえ。



ラジオ体操の夏休み

2019-08-08 07:23:07 | Weblog

 昭和の私が小学生時代には、朝のラジオ体操は毎日ありました。だからお盆の帰省の時には出席のハンコをどうやってもらうか困ったものでした(大体親の実家の地域のラジオ体操に参加してそこでハンコを押してもらっていました)。ところが平成頃から(少なくとも私が暮らす地域では)夏休みの最初と最後の2週間くらいはラジオ体操をやっていますが、中間はお休み(ラジオ体操の夏休み?)になっています。だから今朝も近くの公園は静かでした。子供たちはお盆のハンコの心配はしなくて良くなっているようです。ただし、帰省ではなくて塾の合宿で忙しいのかもしれませんが。

【ただいま読書中】『潜航ダーダネルス』(海の異端児エバラード・シリーズ3)アレグザンダー・フラートン 著、 高津幸枝 訳、 光人社、1987年、1300円

 ニックが重傷を負って半年、無事傷は癒え(しかし療養中の実家で義母との間には何かが生じたようで心にはストレスを抱え)、彼の姿は地中海にありました。
 ロレンス大佐(「アラビアのロレンス」)に率いられたアラブ軍はダマスカスを落とし、アメリカの参戦でフランスの情勢は変わりつつあり、ロシアの黒海艦隊では反乱が発生し、オスマン・トルコはもう戦争から手を引きたい気配を見せています。しかしコンスタンチノーブルにいるドイツの巡洋戦艦ゲーベン号がそのトルコの動きを抑止しています。そこでイギリス軍はフランス軍と協力して、ゲーベン号をおびき出してやっつけよう、というややトリッキーな作戦を立てました。そのためニックは、嫌いな潜水艦に放り込まれ、ダーダネルス海峡突破に付き合わされることになってしまいます。そこはトルコが密に植え込んだ機雷と防潜網のジャングルなのですが。
 敵を避けながらの潜水艦による推測航法の道行きは、とてもスリリングです。外は見えず、磁気コンパスやジャイロで方位を得、モーターの回転数とその場所の潮流から速度を推測しつつ少しずつ進みます。しかし、敵が近づいたりトラブルがあるたびに深度を変えるのでそのたびに位置の測定には誤差が加わっていきます。帆船時代のクロノメーターがなかった頃の推測航法を思い出させてくれます。
 潜水艦の中でニックはただの“(目的地に届けられるべき)荷物"にすぎません。だからでしょう、潜水艦の中で著者は他の乗組員たちにつぎつぎ注目して、艦内の様子を描写してくれます。それによって何もわかっていないであろうニックが感じているはずのスリルがさらに増しているように私には感じられます。
 潜水艦内部の描写が延々と続き、ニックは影がどんどん薄くなっていくようですが、最後にやっと見せ場が。といっても敵地での破壊活動ですから、あまり派手に見せるわけにはいきません。実際になんとなく竜頭蛇尾にその活動は終わってしまいますが、“実戦"と映画などとはそこが違う、ということでしょうね。
 本シリーズを読んでいてちょっと物足りないのは“相棒"です。ホーンブロワーにはブッシュ、ラインハルトにはキルヒアイスがいますが、ニックにはまだそういった人がいません。次に乗る駆逐艦で、そういった副官に恵まれたら良いのですが。ニックに対してまるで保護者のような感覚を抱く人がこのシリーズにはけっこう多くいるようですが、私自身もそういった感覚を持ってしまったようです。



力士

2019-08-07 06:52:45 | Weblog

 貴景勝関が大関昇進の挨拶で「武士道精神を重んじ」と言っていましたが、力士って武士でしたっけ? 江戸時代にはたしかに大名が各部屋のスポンサーについていましたが、士分に取り立てられていたわけではありません。もし本当に武士だったら、屋外では常に帯刀していなければならないはずですが、二本差しで道を歩いている力士っていましたっけ?
 というか、「力士」と名乗った時点で「武士」ではないと私には思えるのですが。

【ただいま読書中】『F1サーカス放浪記 ──カメラマンの見たGPレースの歴史』ジョー・ホンダ 著、 グランプリ出版、1988年、1300円

 1967年海外渡航が自由化され、著者はヨーロッパでレース(特にF1)取材を始めました。それから「20年間の歴史」が本書となっています。写真を見たら「なつかしい」と私は叫びそうになります。葉巻型の車体、ナショナルカラーのマシンたち(イギリスは緑、イタリアは赤、フランスは青、ドイツは銀、そして日本は白(と日の丸))、そして「サーカス」。F1のレースはヨーロッパ各地(現在は世界各地)を転戦します。移動してテントを張ってレースをしてテントを畳んで次の場所へ、ということから「サーカス」なのです(実際にはテントではなくてキャンピングカーなどですが)。
 F1世界選手権は1950年に始まり、日本のホンダは64年から参戦しました。
 67年モナコグランプリ、フェラーリのバンディーニはコースアウトしてコーナーの麦わらの束に突っ込みマシンは炎上、ところがレースは中断されず救助活動がおこなわれる脇を他のマシンはつぎつぎ通過していくのに著者は驚きます。今だったら即座にレースは中断、コースマーシャルは迅速に駆けつけるし、そもそも麦わらではないしマシンもそう簡単には出火しないようになってます。しかしこの当時、まるで「死者が出るのは折り込み済み」のような態度でF1は戦われていたのです。
 同じく67年の第9戦イタリアGPでは、ホンダが優勝。著者も大喜びでピットに行くとシャンペンを振る舞われたそうです。はじめはホンダチームは「どこのカメラマンだ? もしかしてスパイか?」といった感じで著者を怪しんでいたのですが(フリーランスのカメラマンは珍しい時代でした)、この頃にはだいぶ馴染んでいたようです。
 68年シーズン、ロータスがナショナルカラーを捨ててスポンサーカラーを身にまといました。ロータスにはやたら先進的な技術をいちはやく採用するイメージがありますが、ビジネスをF1に取り入れるという態度でもやはり開拓者だったようです。ホンダはこのシーズンでF1から撤退。しばらく本業に専念することになります。このあたりから、ドライバーのヘルメットが、ジェット型(とゴーグル装着)からフルフェイス型に変わっていきます。
 70年代は「コマーシャル時代」。F1カーは「走る広告塔」として注目を集めるようになります。車体は葉巻型から平たくなり、車体の下を通過する空気について空気力学が考慮されるようになります。私がF1について興味を持つようになったのは70年代後半ですが、70年代前半から、ニキ・ラウダとかエマーソン・フィティパルディとか“知っている名前"が登場するようになります。そしてマシンの形も少しずつ“見慣れた形"へと進化していきます。写真が多いと、こういった点が“一目瞭然"なので助かります。さらにヘルメットを脱いだドライバーの姿も多く含まれていて、「ああ、こんな人だったのか」と確認できます。レースの時って、全然顔が見えませんから、これは嬉しい。
 76年〜82年を著者は「ビッグ・ビジネス時代」と呼びます。レースの場は「欧米」から「世界」に拡張され、これまでより巨額の金が動くようになりました。フランスの国営企業ルノーが翌年から参戦することが発表され、日本で初めてF1が開催されたのも76年です(この時の日本の新聞記事では「レースは暴走族の延長」扱いでしたが。自動車レースが貴族の子弟の遊びから始まった、とか、ビジネスとして行われているスポーツである、といった観点を一切欠いた、情緒に流れるだけの無教養な文章でしたっけ)。エンジンにはターボが登場。ウイングカーやティレルの6輪車も登場して、70年代後半のF1は、ビッグマネーとハイテクマシンの時代になっていきます。だけど「人」がドライブをし「人」が整備をして競走することには何の変化もありません。
 ルノーによってターボエンジンがF1に搭載されるのを待っていたかのように、ホンダがF1に復帰。前回は車体までホンダが開発しましたが、今回はエンジンだけ供給する体制でした。そしてホンダターボエンジンは世界を席巻しました。87年から鈴鹿でF1GPが開催されることになり、フル参戦をする日本人ドライバー中嶋悟が登場。日本でもF1がやっと正当に評価される時代となりました。
 本書はここで終わります。過去の歴史と言うことも可能ですが、私にとっては自分の人生の一時期としっかり重なっている過去ですからまだ「歴史」と呼びたくはありません。これは私にとっては「現在」の一部なのです。



書類の形式主義

2019-08-06 06:59:03 | Weblog

 かんぽ保険の無茶な契約やセブンイレブンのなんちゃって事業主の契約書、冤罪事件の自白調書などで、「書類の形式は整っている」と主張してその主張が通ることが多い世の中です。でも「文章」だけで世界のすべてがわかる、というのは、実は世界のことを何も知らないと白状しているに過ぎない、と私は思います。たとえば「一身上の都合により」と書かれた退職願って、本当に「その人だけの都合」(企業の側の都合は一切関係なし)が100%と考えて良いです?

【ただいま読書中】『奇襲Uボート基地』(海の異端児エバラード・シリーズ2)アレグザンダー・フラートン 著、 高津幸枝 訳、 光人社、1986年、1300円

 1917年クリスマス、ニックはドーヴァー海峡で任務に就いていました。駆逐艦マカレル号の「ナンバーワン」つまり副長です。前巻より出世したように見えますが、実際にはワイアット艦長のしもべとして容赦なくこき使われているのですが。仕事は、機雷原のパトロール。対してドイツ海軍は、機雷原のパトロール部隊を潰し、Uボートが外洋に進出しやすいように(あるいは帰投しやすいように)作戦を立てています。夜の闇の中、お互いの腹を探り合いながら命を賭けた“ゲーム"が進行します。
 本書では船の操縦についても極めて具体的な描写が特徴的です。船の現在の進路と速度、それに対して船長が下す命令(進路の変更と速度の変更)、ところが船は行き足がついているし舵はすぐには効きません。またすぐに船長は「舵を元に戻せ」と命令します。こういった命令から「新たな進路と速度」を予想し、それによって本艦の次の行動(攻撃をするなら右舷か左舷か、など)を予想するのが、ニックの仕事です。艦長はいちいち詳しく説明なんかしてくれませんから。ただしニックは「先読み」が大の得意です。自分の艦の状態や戦闘場面で「次(の次、の次)」がどうなるか、ほとんど一瞬で読んでいます。ただしあくまで副長ですから、艦長に対して差し出がましい口をきくことは許されないのですが。
 ところでイギリスは「モニター艦」をドーバー海峡のあちこちで使っています。えっと、この艦種(速度や操作性は悪いが火砲は強力)はたしかアメリカで南北戦争の時に開発されたもののはず。イギリスは第二次世界大戦でも複葉機(ソードフィッシュ)を活用していましたし、兵器に関しては“ものもち"が良い国なんですねえ。
 機雷敷設の任務で敵駆逐艦隊と遭遇、戦闘となり、マカレル号は大戦果を上げました(その中でニックの分は艦長に持って行かれました)が、マカレル号も甚大な被害を生じ、艦を救うためにニックは獅子奮迅の活躍をさせられることになります(その功績もほとんどは艦長が持って行ってしまいましたが)。
 本当は軍法会議ものだったはずのニックだったのですが、功績も勘案されたのか(というか、見る人が見たら「あれだけ優れた軍人が、なぜ本務とは無関係なところでチョンボをするんだ」と腹立たしい思いをニックに対して抱いていたであろうことは容易に想像できます)、魚雷艇の艇長を拝命。乗員3名の小さな艦(木造で武器は魚雷一本(と士官が持つ拳銃)だけ)ですが、「長」です。それを命じた人の言葉によると、戦闘能力だけではなくて、戦闘から生きて帰ることも「才能」として英海軍ではプラスに評価しているようです。ということは、この魚雷艇(2隻とモーターランチ1隻)が投入される作戦は、相当危ないもののようです……って、タイトルでネタバレしていました。といっても、まず行うのは、ドイツのトロール漁船の捕獲なのですが。
 ニックは、ちょっと不思議な性格をしています。未熟で世間知らずなのに、妙に老成したところもあります。他人を見る場合、きらいな人間には非常に厳しい見かたをするのに、多くの人には欠点ではなくて長所を見つけそれを活かす道がないかと考えています。ニックは自分にも厳しい見方をしているのですが、これはつまり、ニックが自分のことを好きではない、ということに? ともかく、他人に対するこういった態度は、他の士官にはウケが悪いのですが、普段士官たちにひどい目に遭わされている一般乗組員には海軍では極めて珍しい「美点」として受け取られています。これがシリーズ名の「異端児」の由来かな? ニックに好意的な上官は「きみはあまり人を信じないようだな」と言います。いいえ違います。ニックは、自分の幸運を信じていないだけです。子供時代から父や優秀な兄にひどい目に遭わされ続けていたため何か悪いことが起きるのが当然と想定する癖がついているだけなのです(だからこそ「先読み」の癖もついたわけですが)。
 そして、ついに本番の奇襲作戦が開始されます。第二次世界大戦でイギリスのコマンド部隊が行った「サン=ナゼール強襲作戦」を思わせるような、Uボート基地に対する海陸協働の奇襲作戦です。突っ込む船に爆薬をたっぷり詰め込んでおいて、突っ込んでから導火線に火をつけて船から逃げ出す、という点もよく似ています(サン=ナゼールは時限爆弾でしたが)。そしてニックは、艦に甚大な被害が出るだけではなくて、自身も重傷を負いながら、また生還をします。ニックは必ず帰ってくる才能があるのです。



南無

2019-08-05 06:43:33 | Weblog

 南が無いということは、東西北中央だけ、ということに?

【ただいま読書中】『念仏と流罪 ──承元の法難と親鸞聖人』梯實圓・平松令三・霊山勝海 著、 本願寺出版社、2008年、800円(税別)

 法然の教団には朝廷から「念仏停止」の勅命が下り、教団の主要な幹部は逮捕、四名は死罪、親鸞は越後に流罪になりました(当時流罪は死罪に次ぐ重罪です)。これを親鸞側からは「承元の法難」と呼んでいます。
 法然は「選択本願の念仏」を唱えました。「選択」とは「取捨選択」、そこで取られるのは「念仏」ですが、では捨てられるのは? 戒律などこれまでの仏教で重要視されていたものすべてです。これは既成仏教の立場から見たら「危険思想」です。単なる邪宗なら放置しても良さそうですが、この「念仏だけ」が人気を博して庶民の間にどんどん普及していく、これはまずい。そこで「仏教の秩序と社会秩序を乱す危険思想だ」と朝廷を動かした、ということです。
 たしかに「危険思想」と言えそうです。だけど概念的には時代は「末世」で、現実的には「乱世」。非常時には非常時の宗教が人気になるのは、仕方ないでしょう。落ちついた世の中で、優れた人がひたすら修業をすればその努力と成果に応じて御褒美(浄土へのご案内)がある、という「仏教」では間に合わなくなっている時代だったのです。
 そういえば、人々は永遠に輪廻転生を繰り返すが、身分が上の人間だけは修業をすることでその永遠ループから解脱できる、というバラモン教の教えに対して、「それでは一般大衆はあまりに救いがないではないか」と釈迦が異議申し立てをしたのが仏教の起こり、と私は理解していますが、法然の態度の根底は、釈迦のそれと相似形ではないか、と私には感じられます。
 さて、興福寺からの告発状を受け取った朝廷は、困ります。蔵人頭(今だったら官房長官?)の三条長兼は藤原氏の氏寺である興福寺を軽く扱うわけにはいきません。しかし三条家の“本家"である九条家では九条兼実が法然にぞっこん。兼実の子良経は現役の太政大臣。興福寺を敵に回すわけにはいきませんが、九条家を敵に回すわけにもいきません。そこで探られるのが「落としどころ」です。話は「政治」になってます。しかし「スキャンダル」が勃発。後鳥羽上皇が熊野詣でに出かけたとき、留守となった宮中に法然の弟子たち(特に美形の者)が上がり込んで、女房たちとなにやらよからぬことをした、その中には後鳥羽上皇のお后も混じっていた、というのです(「愚管抄」(天台座主を4回も務めた慈鎮和尚慈円の書)に書き残されています)。熊野から戻った後鳥羽上皇は激怒。4人は死罪、8人が流罪(うち二人は慈円和尚が身柄を預かっていわば執行猶予)となり、専修念仏を禁止するという太政官布告が出されました。法然は「七箇条制誡」(世間、特に天台宗には揚げ足を取られないように行動には気をつける、という誓約書。法然以下190名の署名つき(親鸞はトップから87番目に署名しています))で弟子たちに「行動の自制」を求めていたのにねえ。
 この「法難」は、宗教弾圧と不倫スキャンダルの罰とが混ざっていますが、どちらがメインだったのでしょう。
 流罪は終身刑です。ところが法然は(おそらく高齢が理由となって)途中で赦免となり、親鸞も(まさかそのついで、と言うことはないでしょうが、詳しい理由は不明のまま)赦免となります。もしかして、冤罪だった? しかし親鸞は京には戻らず、越後から関東に入ります。本書では、法然の弟子たちで京に留まった人たちは“旧仏教化"してしまっていて(また、そうしなければ弾圧下では生きていけなかったでしょう)、それを親鸞が嫌って京に戻らなかった、という推論が示されています。赦免の知らせが届いたときちょうど子どもが産まれたばかりで、京への長旅ができなかった、という理由もあるのかもしれませんが、それだったら関東への移動も難しいですよね。ともかく“中央"から離れたところで親鸞はその教えを純化させ、広めていきました。
 浄土真宗の人の話を聞いていると、一番大切なことは「人生の最後に本気で『南無阿弥陀仏』と言えること」で、そのための前提条件が「本気で生きていること」のように思えます。本気で生きていてもそれが“正しい"かどうかはわかりません。だけど、それが正しいかどうかは阿弥陀如来に完全に任せてしまって、人は人でできる最善のことをする、という態度を親鸞さんには求められているような気が私にはします。この解釈が間違っていたら、ごめんなさい、ですけどね。南無。



危ないと感じないこと

2019-08-04 07:26:37 | Weblog

 年を取ると車の運転中に「おっと、今の自分の運転は危なかったぞ」と感じることが増えて、がっかりします。だけどよく考えてみると、「危ない」と感じるだけまだマシで、これが本当に危ない運転をしていながら危ないと感じなくなったら、これは本当に危ない事態になっている、と言えます。
 ということは、現在でも「危なくない」と思っている運転が本当に安全な運転なのかどうか、再チェックをきちんとする必要がありそうです。本当は若いときからその癖をつけておくべきだったのですが。

【ただいま読書中】『横浜駅SF』柞刈湯葉 著、 KADOKAWA、2016年、1200円(税別)

 長篇ですが、各章のタイトルが、「時計仕掛けのスイカ」「構内二万営業キロ」「アンドロイドは電化路線の夢を見るか?」「あるいは駅でいっぱいの海」「増築主の掟」「改札器官」。いやもう、有名SF作品のもじりばかり並んでいて、目次を見るだけで私はしばらく笑えました(元は「時計仕掛けのオレンジ」「海底二万マイル」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」「あるいは牡蠣でいっぱいの海」「造物主の掟」「虐殺器官」で間違いないでしょう)。ところが本書のタイトルが、謎。「横浜駅SF」って、何?
 読んで驚きます。「冬戦争」のあと、横浜駅が自律的に拡張と増殖を繰り返して、本州ほとんどを覆ってしまった未来(北海道と九州はかろうじてその侵入を防いでいます)、エキソトで横浜駅からの廃棄物に頼って生きている三浦半島の小さな村からエキナカに潜り込んだ少年ヒロトの冒険物語なのです。なるほど「横浜駅」で「SF」だわ。
 反横浜駅の活動をしている「キセル同盟」のメンバーにヒロトは5日間有効の「18キップ」をもらい、それでキセル同盟のリーダーを救出することを頼まれます。エキナカは、自動改札(駅の中での破壊活動や暴力行為を取り締まる自動機械)と駅員(エキナカの人間から構成された自警団のようなもの)で“秩序"が保たれていて、それにうっかり違反したらとんでもないことになります。エキナカの掟がわからず冷や冷やしながら移動するヒロトは「北の工作員(JR北日本の調査アンドロイド)」ネップシャマイに出くわし、甲府に有力な手がかりがあることを知ります。さて、スイカ(体内埋め込み式の自動認証・決済装置)を持たないヒロトはどうやってそこまで行ったらよいでしょう?(鉄道を使う? 「駅」の中には、エスカレーターかエレベーターくらいしか機械的な移動手段はないのです)
 だけど行けちゃうんですよね。その手段は、ナイショです。興味のある人は、読んで下さい。
 さて、キセル同盟のリーダー(天才的なハッカー)に出会えた(救出する必要はなかった)ヒロトは、つぎに「すべての答えがある」と教わった「横浜駅42番出口」に向かいます。甲府から100kmほど西、日本アルプスのど真ん中に位置しているようです。
 さて、ここで舞台は変わります。「横浜駅」は、関門海峡を越えようと触手を伸ばし続けていましたが、JR福岡に撃退され続けていました。四国へは瀬戸大橋を伝って侵入に成功。四国は大混乱から無政府状態になっています(そもそもすでに「日本政府」は存在しないのですが)。JR福岡の社員トシルは冒険を求めて四国に渡り、そこで北の工作員ハイクンテレケを修理したのが緣で一緒に旅をすることになります。(ちなみに彼が携行する電気ポンプ銃は最新式のN700系。ここでもわはははは、です)
 ネップシャマイもハイクンテレケも幼児体型のアンドロイドですが(それには合理的な理由が示されます)、ネップシャマイは銃撃されて電光掲示板だけが生き残り、ハイクンテレケも騒乱の中で下半身を失いかけそれを修理してはもらったものの万全の状態ではない、というハンディキャップを抱えています。それがそれぞれ「駅の外の人間」と凸凹コンビを組むのですが、さて、これは何からの引用かな? もっともトシルとハイクンテレケの旅の仲間は、四国の端であっさり解消されてしまうのですが。
 スケールが大きいんだか小さいんだかよくわからない話ですが、面白く読めます。さて、次作は『重力アルケミック』というホラーですって? ホラーはどちらかというと苦手なんだけどな、図書館で見つかったら読んでみようかしら。



学校の身分制度

2019-08-03 07:02:17 | Weblog

 私が学校で教育を受けていた頃、「教師は無条件に生徒より偉い」という感覚を持っている教師に出会ったことがあります。「人間の優秀さとか人間性とかを見抜けないのは仕方ないにしても(「人を見る目がない」人はどこにでもいます)、生徒の中から将来文部大臣やノーベル賞受賞者が出ることは想定していないのか?」と私はあきれましたが、学校以外を知らない(学校を卒業したらそのまま学校に就職した)人には、学校が「社会のすべて」だったのでしょうね。だから「自分が一番エラい」だったのかな。

【ただいま読書中】『うつ病九段 ──プロ棋士が将棋を失くした一年間』先崎学 著、 文芸春秋、2018年、1250円(税別)

 将棋界が“新星"藤井聡太四段の登場に沸く少し前、「不正ソフト使用疑惑」によって将棋連盟はどん底状態でした。そんなとき著者はうつ病を発症します。

》うつ病の朝の辛さは筆舌に尽くしがたい。あなたが考えている最高にどんよりした気分の十倍と思っていいだろう。まず、ベッドから起き上がるのに最短で十分はかかる。ひどい時には三十分。その間、体全体が重く、だるく、頭の中は真っ暗である。寝返りをうつとなぜか数十秒くらい気が楽になる。そこで頻繁に寝返りをうつのだが、当たり前だがその場しのぎに過ぎない。

 対局のために駅に行くと、ホームから電車の前に飛び込みたくなります。ここ、さらっと書かれていますが、とても恐い状態です。「飛び込む」というよりは「自然に吸い込まれる」感覚なのだそうです。
 あまりのひどい状態に家族も心配します。しかし「人権」問題から、本人が嫌がるのに強制入院をさせることはできません。ただ、著者のお兄さんが精神科医で、いろいろ動いてくれたおかげで慶応大学病院精神科に入院ができました。それで事態がやっと好転したのですが、ここで入院をしていなければ、おそらく著者は自殺をしていたことでしょう。
 症状についての具体的な描写は、体験者の話だけに、迫真というよりも、真実そのものです。世界は色彩を失ってモノクロとなり(しかもそのことに本人は気づいていません。回復して色が戻ったときに驚きとともに気づいています)、悪いことばかり連鎖反応的に考えて落ち込み、不眠に苦しみ、頭には石が入り胸には板が入っていて、さらに日内変動があり……
 軽い(あるいは明るい)話もあります。見舞いにもらって一番嬉しいのは現金、とか、「うつ病患者を励ますな」と言うが言われる側から見ると実際にはちょっと違う(大声で話しかけられたり「落ち込んでないで頑張って気合いを入れろ」とか言われるのはきついが、友人が軽く励ますのはOK)、とか。特にうつ病の人は自分が世界から見捨てられたと感じているので、「あなたは見捨てられていない」というメッセージ(たとえば「みんな待ってます」など)はとても嬉しいそうです(ただし小声で言うこと)。
 世界が色を取り戻し、字が少しずつ読めるようになり、決断が少しずつできるようになり、少し笑ったり泣くことができるようになり……著者は少しずつ回復をしていきます。しかし、「将棋」ができません。詰め将棋では、小学生の時にすらすら解いていた5手詰めでさえ、ものすごい苦労をしてしまいます。それでも回復し、7手詰めに取り組み、そして練習対局もできるようになります。ところがこの回復期にまた自殺の衝動が。最悪の時期には病気が理屈抜きに自分自身を消そうとしているようでしたが、回復期には将来の不安や現在への絶望が自殺衝動を駆り立てます。リクツがある分、対応は困難です。
 著者が休場をしている半年の間に「藤井フィーバー」が起き、将棋そのものでは「雁木」「早めの桂はねによる急戦」など戦法の大きな変革が起きていました。著者は焦ります。元と同じ状態になったとしてもタイムラグが大きくて戻りにくそうなのに、まだうつ病はどっかりと著者の中に存在しているのです。
 後輩の中村太地さんが王座のタイトルを獲得。それを祝いながら著者は「現役に戻りたい」と強く願っている自分に気づきます。しかし、弱肉強食の真剣勝負の世界に、うつ病がまだ完治したとは言えない人間が戻っていって、十分に戦えるのか?
 そのとき、著者はこの本を書くことを思いつきます。うつ病のことを知らない人があまりに多く、無知による偏見が根強いこの社会に、「うつ病の知識」を少しだけでも提供しよう、と。たとえば「うつ病はわりとポピュラーな病気(うつ病(精神科医が治療が必要と診断する「大うつ病」と呼ばれるもの)に一生で一回でもなる人は15人に一人、過去12箇月にうつ病になった人は50人に一人)」「男女差がある」「心ではなくて脳の病気(だから脳に効く薬が鬱症状に効く)」といったことは広くは知られていません。
 昭和の時代、「精神科の患者」はそれだけで差別といじめの対象でした。それが嫌だから周囲に隠したり通院をしなくなって薬が切れてそれで症状が悪くなってまた差別といじめがひどくなったりしました。しかし21世紀の時代には「精神病患者」という言葉は公式の場から消えて「精神障害者」となっているのですが、そのことも広く知られているのかな?



祝祭日

2019-08-02 10:59:10 | Weblog

 「ホリデー」はもともとは「ホーリーデイ(聖なる祝祭日)」だったはずですが、昭和の日本では休めること自体が祝うべきことで、令和では休日はあるのが当たり前、になっています。これはこれで「祝うべきこと」なのかもしれませんが。

【ただいま読書中】『本と鍵の季節』米澤穂信 著、 集英社、2018年、1400円(税別)

目次:「913」「ロックオンロッカー」「金曜に彼は何をしたのか」「ない本」「昔話を聞かせておくれよ」「友よ知るなかれ」

 高校二年生の図書委員(男子二人)が主人公、という変わった設定です。で、彼らがやるのが、謎解き。最初の数ページでその設定がわかった瞬間、これは私が読むべき本だ、と感じました。私自身、謎解きが大好きな図書委員でしたから。
 二人は“名探偵"です。最初から「謎を解いてくれ」という依頼もありますし、何もなさそうなところに二人で謎を見つけてしまってそれを解く場合もあります。高校生二人ですから、動ける範囲は限定されているし、できることに限界もありますが、それでも知性と観察力はそういった「限界」を簡単に突破してしまいます。
 二人の会話のあちこちに「本」の一部がさらりと登場します。いや、本筋とは関係ない場合がほとんどなんですけどね、(「読んでないんだよな」が口癖なのに)さすが図書委員です。
 軽妙な会話に鋭い洞察が加わり、二人はときに“余白"で会話を続けます。そして、どの作品も「解決した、万歳」では終わりません。謎が解けたときに残される余韻、これが本書の魅力です。
 そして、本書は謎を残したまま実に柔らかく終わります。私は気に入りましたが……松倉くんについてはいろんなことがわかりましたが、語り手の「僕」(堀川くん)についてはほとんど何も語られていないではないですか。こんどは堀川くんの「謎」についての本を読みたい、と著者に希望します。強く希望します。