【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

世界大相撲

2013-05-31 06:48:20 | Weblog

 大相撲の世界も国際化の波に洗われていますが、いっそのこと柔道のように世界中に普及させてオリンピック種目にしちゃうというのはどうです? 「金メダルを目指そう」が言えたら、有望な若者がどんどん入門志望をしてくれるようになるかもしれません。世界中どこに行っても土俵がある地球、って、なんだか面白そうじゃありません?

【ただいま読書中】『穢れと神国の中世』片岡耕平 著、 講談社(選書メチエ545)、2013年、1700円(税別)

 昭和30年代の日本各地には「出産や死の穢れ」に関する風習(火を別にする、産婦は神社に参拝しない、他家の者は飲食をともにしない、など)が“生きて”いました。その歴史をたどると著者は「延喜式」に行き着きます。ここの「穢れの条文」は実に細かく、その後の日本の「穢れ」のしきたりをずっと縛り続けることになったのでした。
 「式」とは「律令格式(りつりょうきゃくしき)」の一部で、法律の「施行細則」です。これで「穢れ」を規定するということは「中央政府が日本中を『穢れ』(の人為的概念と行動)によって支配する」とも言えます。著者はこれを「日本ナショナリズムの発祥」と位置づけています。
 「穢れ=不浄」としたら、その対極は「清浄」です。そして「究極の清浄」は「神」なのか「天皇(の肉体)」なのか。ともかく、都の中心が「一番清浄な場所」で、そこから同心円状に「穢れの侵入を防ぐ結界」が想定されていることが明らかにされます。だからこそ都での「呪詛」「生霊」「物の怪」などには重要な意味が付託されるわけです。ついでに、当時行なわれた「恩赦」には「生前の罪を許すから、怨みをはらそうとするのをやめてくれ」という“取り引き”の意味があります。
 そのうちに「一番清浄であるべき(穢れから守られるべき)存在」は「天皇の肉体」ではなくて「神」そのものであることが、明らかになってきます。天皇は「神を穢から守る」「神を崇敬する」ことを自身の責任において果たす必要があります。つまり「天皇」は「清浄そのもの」ではなくて「清浄の象徴」だったわけ。おやおや、平安時代にすでに「象徴天皇制」ですか。
 「穢れ」に触れることはタブーですが、清める手段は「式」によって確立しています。とりあえず他人に穢れをうつさないようにある一定期間籠ればよいのです。さらに「穢れの主体である物体(多くは死体)」を移動させるための“専門家”として「」が重要な役割を割り当てられることになりました。彼らの生計の道は「葬送に従事」「仏事や法要の際に施行を受ける」「乞食」と定められていました。「乞食」は公認の専門職だったわけです。
 ところで、狩猟が盛んな地域では穢意識は希薄となりがちです。「死」が身近にありますから。ただし、全国に張り巡らされた神社ネットワークでの穢れ対応マニュアルには東西差はありません。結果として、穢れの観念とそれに対する行動規範、たとえば服喪の期限などは全国共通となっていきました。著者はそれこそが「われわれ」意識の誕生に深く関わっている、とします。
 ふうむ、「日本人」が「穢れ意識(と行動)」によって誕生した、というのは、ちょっと意外でした。ただ、この指摘は正しいようにも感じられます。問題は、それが薄らいでしまった現代社会で、何が「われわれ」をつなぎとめているのか、でしょうか。



2013-05-30 06:28:05 | Weblog

 よく「三つ星シェフ」なんて言い方を聞くことがあるのですが、これはミシュラン・ガイドの「三つ星」からでしょう。ただ、ミシュラン・ガイドで星が与えられるのは「レストラン」に対してであって「シェフ」に対してではありません。もちろんオーナーシェフのレストランだったらほぼ同じ意味にはなるでしょうが、「本来の使い方」を平気で無視するのは、ミシュランに対してもシェフに対しても、なんだか失礼な気がします。

【ただいま読書中】『直島インサイトガイド ──直島を知る50のキーワード』直島インサイトガイド制作委員会、講談社ビーシー、2013年、2667円(税別)

 「地中美術館」と言われたら「ああ、あの島」と言いたくなったのですが、実は私はまだここに行ったことがありません。本書は、直島ひとつ丸ごと、その文化や歴史、街並み、出身者、産業、食べ物などをたっぷりの写真とともに立体的に紹介してくれています。
 一度ゆっくり行ってみたくなりました。地中美術館もですが、それ以外にもいろいろと面白そうな島です。
 香川県の島ですが、本州のすぐそばで、本州からなら宇野港からすぐですね。行くとしたら、鉄道か、車か、ちょっと迷うところです。……あらら、もしかして私は、すっかり行く気になっている?



県境

2013-05-29 07:11:21 | Weblog

 東の人間から見たら「四国四県」とか「島根と鳥取の位置関係」、西の人間から見たら「北関東三県」などは、すっと答えられない“難問”です。で、そういったのは簡単だ、と豪語できる人に、もうちょっと難しい質問をしてみましょう。
 中国地方の島根・鳥取・広島・岡山の4県の県境はどうなっているでしょうか。
1)県境が「+」の形になって4県が角で接している。
2)広島と鳥取が県境を共有していて、岡山と島根は接していない。
3)島根と岡山が県境を共有していて、鳥取と広島は接していない。
 正解は……地図を見てください。もしかしたら、地元の人間もあまり知らなかったりして。

【ただいま読書中】『日本一へんな地図帳』のり・たまみ 文、ワンカップP 題字・イラスト、白夜書房、2008年、743円(税別)

 富山県富山市と長野県大町市の県境は「野口五郎岳」(タレント野口五郎の芸名のもとはここだそうです)。福島県喜多方市から伸びた「県境」は、幅1メートル長さ8キロも新潟県と山形県の間に伸びている(要するに一本の山道が「福島県」として山中に伸びているのです)。十和田湖と富士山頂は県境が確定していない(本書執筆当時)。銀座にもどこの区に所属するか確定していない場所がある、という文字通りの「ミステリー・ゾーン」が紹介されます。
 合併促進法もあって日本中でどんどん合併が行なわれましたが、「市」になるための条件って面白いですね。人口だけではなくて「映画館がなければならない」なんて条件の条例を持つ都道府県がけっこうあるのだそうです。「都市としての要件」ということなのでしょうが、今だとけっこう厳しい条件ということにもなりそうです。コンビニとか貸しビデオ屋があること、にしたらどうでしょう? 平成の大合併は「3200ある市町村を1000にしよう」が掛け声でしたが、結局1820にまでは市町村の数を減らせたそうです。新潟県は112が31になったそうで、地図がずいぶんシンプルになったでしょうね。
 たとえば南大阪市(現羽曳野市)など、「たった一日だけ」あるいは「数日だけ」存在した「市」がいくつか(20世紀だけで20箇所も)あります。その原因は縦割り行政。「町」が「市」になるためには国の許可が必要です。ところが「名称の変更」には都道府県の許可が必要なのです。国と都道府県の許可に“時差”があった場合、「とりあえず仮の名前」をつけておいて、ということで短命な市名が誕生するわけです。
 「お上に楯突く不良の集まり」は福島県の矢祭町。「合併しない宣言」「住基ネット拒否宣言」などお上に楯突くだけではなくて、本気で行革をやったり企業誘致をしたお蔭で、役場は年中無休・公共料金は福島県では最安値・赤ちゃん誕生祝い金(3人目の子供から祝い金が100万円)、などのいかにも“不良”っぽい政策を実現しています。
 ところどころにさりげなく苦みが利かせてあって、たんなるおふざけの地図トリビア集ではありません。もちろん、ややこしいことは抜きにして、わはははは、で楽しむのもアリの本です。ただ「へん」で特集をすると、「回りの現実(常識)の方が変な場合もある」ことがあぶり出されてくることがあるのは、それはそれで面白いものだと思いながら読めました。



シンボル

2013-05-28 06:51:08 | Weblog


 かつてタバコは「成熟した男のシンボル」でした。私にとって葉巻はギャング、シガレットはトレンチコートの男が咥えているものですが、これは映画の影響が大きすぎるのでしょうか。
 今のスモーカーは、ニコチン中毒者扱いです。つまり「弱者のシンボル」扱い。
 私自身は、吸っているときは人前では煙草は喫わない主義だったし、今はノン・スモーカーですからどんな扱いを受けても平気ですが、ほんの数十年でここまで扱いが逆転するのを見ると、ちょっと恐いな、と思うこともあります。

【ただいま読書中】『スモーカーズ・サバイバル・マニュアル』片岡泉 著、 マガジンハウス、2012年、1200円(税別)

 現代日本社会では喫煙者は「社会的弱者」だそうです。かつて、映画館でも国鉄の車両でも喫茶店でも、学校や病院でさえ紫煙がもくもく状態だったことを思うと、隔世の感があります。本書はそういった「社会的弱者」がなんとか周囲とトラブルを起こさずに生きていくためのマニュアルです。
 まずは「安全地帯の確保」。灰皿があればそこは安全に煙草が吸える場所、とは思ってはいけません。煙の行方にも配慮し、周囲から冷たい視線を向けられずに済む場所を探す必要があるのです。
 次は「リスクの高い場所」。うっかり安全地帯(または中立の場)と思って煙草を喫ったら、ひどい目にあう可能性が列挙されます。
 そして「カモフラージュ」。臭いを消したり歯を白くしたり、のテクニックが具体的に紹介されます。
 最後は「ケース・スタディ」。様々な状況でスモーカーがいかにふるまうべきか、がきわめて具体的に語られます。たとえば、喫煙可の場所で灰皿が出ていても、かならず「May I smoke?」と尋ねるべき、とか、「ルールとマナー」についての記述が続きます。
 ……というか、これまでの歴史で、喫煙家がルールとマナーを守ってきていたら、こんなに“迫害”されるようなことにはならなかったのではないか、と私は思います。今さら言ってもしかたないことではありますが。


透明マント

2013-05-27 06:55:28 | Weblog

 光学迷彩技術がどんどん進歩したら、その内に本当に透明マントが実現するかもしれません。
 私の希望は、その技術を自動車に応用して、ドライバーから全方位がすっきり見えるようになることです。窓ガラスに視界が限定されているのは、どうも危なくてしかたないように思えるものですから。たとえばタイヤの位置も運転席から「肉眼」で確認できたら、駐車の時も楽になりません?  見えにくいところにいる幼児をひきつぶす心配も減ります。

【ただいま読書中】『偽金鑑識官』ガリレオ・ガリレイ 著、 山田慶児・谷泰 訳、 中央公論社(世界の名著26)、1979年、980円

 「宇宙は数学の言葉で書かれている」のフレーズでやたら有名な本です。
 ガリレオ・ガリレイは木星の衛星を発見したことなどで“時代の寵児”になっていました。「実はガリレオより先に自分が幾何学用のコンパス(一種の計算尺)を発明していた」「実はガリレオよりも先に自分の方が木星の衛星を発見していた」などと著者の“功績”を“盗”もうとする輩がやたらと多かったそうで、そのことには笑ってしまいますが、あまり笑えないのは「敵」が多かったことです。そういった輩の中でも、特にサルシという偽名を使ってガレリオを激しく攻撃したグラッシに対しての容赦ない反論をまとめたものが、本書です。
 ガリレオは真剣に書いているのでしょうが、こちらは読んでいて笑ってしまいます。単に相手の主張のおかしな点を指摘するだけではなくて、偽名の陰に誰が隠れているのかをちくちくと皮肉たっぷりにほのめかし、揶揄し、幾何学的な間違い(サルシの図では「平行線」が交わってしまう、など)についてはずばりと指摘しています。まるで「文章による“口げんか”教本」の様相です。
 それにしても「彗星が月より向こうに存在すること」や「彗星の地球からの距離の測定」が宗教がらみの論争になるとは、しんどい時代です。なにしろ「彗星の軌道」は、これまでの天動説の説明(地球を中心にすべての星は「正円」で周回し、惑星はそれに離心円などを追加する)はほとんど無力なのですから、ガリレオに反論する側も“必死”なのです。ガリレオが発見した「木星の衛星(地球を中心にして回っていない星の存在)」「太陽の黒点(太陽が無欠の存在ではないことの証明)」「月の表面の凸凹(不完全な星)」などは「天動説」に対する“脅威”でした。そしてまた「彗星が天体であること(天動説の基本概念である「天球」におさまりきれない「星」の存在)」をガリレオが証明してしまったら、これは「従来の天文学とキリスト教会の権威」が揺らぐことになってしまうのですから。
 ガリレオは“素人”の教皇室長チェザリーニ閣下に書簡で説明する形で、きわめて平易に自分の考えを述べています。さらに、サルシが「ガリレオの主張の引用 + それに対する批判」で公開した文書をさらに再引用して「自分の主張の引用 + サルシの批判 + サルシの主張の否定」という形を繰り返すことで、最初の「自分の主張」を何回も読者に印象づける手法を採っています。その文章は、今ネットで盛んに行なわれているフレーミングそのものの“御先祖様”に見えます。昔も今も、人は“同じこと”を繰り返し続けているようです。
 それにしても、『天文学的哲学的天秤』によってガリレオ・ガリレイの主張をけちょんけちょんにしてやった、と得意満面だったはずのグラッシは、その自分の著書がガリレオから「ほぼ全文引用 + 一文ずつの容赦ない否定」を食らったのですから、これはもう怒り心頭どころではなかったでしょう。「絶対にタダでは済まさない」と固く決心して教会の中での活動を強めたであろうことは、容易に想像ができます。いや、それくらい容赦ない“口撃”ぶりですよ。ガリレオって、平和な時代には、敵には回したくない人です。



繰り返しません

2013-05-26 06:45:27 | Weblog

 ダッハウの強制収容所あとには博物館があり、慰霊碑が設置されています。そこには名前もわからない犠牲者たちの遺灰が納められ、各国語で「ふたたび繰り返しません」と刻まれているそうです。
 だったら、ヒロシマの慰霊碑の「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」も“各国語”で刻んでおけばよかったのではないでしょうか。その“主語”は「人類」のはずですから、というか、「人類」でなければ意味がない文章なのですから。今からでも、そうするのに遅すぎることはないですよね。

【ただいま読書中】『鉄条網の歴史 ──自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明』石弘之・石紀美子 著、 洋泉社、2013年、2400円(税別)

 1860年代、米国西部の農民たちは「柵不足」に悩んでいました。土地は広大ですが、木材が圧倒的に不足していたのです。そこに登場したのが有刺鉄線(鉄条網)でした。最初の成功者グリッデンにあやあろうと、その後570もの特許が出願されます。つまりそれだけの数の鉄条網があるということです。鉄条網の最初の目的は、畑の作物を家畜から守ることでした。
 開拓が進むにつれて、牧場主と農民の対立が激化します(映画の「シェーン」を思い出します)。鉄道による牛の輸送に便利な土地や水場を鉄条網で囲い込むことが盛んになります。つまり西部劇には、ピストルや機関車と同時に鉄条網ももっと登場するべきなのです。大草原は、過剰な生産を強いられて土壌がやせ細り、砂塵と干ばつが常態となってしまいます(1934~36年の深刻な干ばつで大平原の農牧地の80%が被害を受け15%は砂漠になってしまいました。『怒りの葡萄』です)。その“責任”の一端が鉄条網にあります。
 家畜の動きを制限するために生まれた鉄条網ですが、1880年頃には戦争用の鉄条網(カッターで切断しづらいもの)がフランス陸軍で開発され、88年には英国陸軍も導入を決定します。実際に鉄条網が戦場で使われたのは1889年の米西戦争で、スペイン軍がキューバの砦の防衛用に用いたのが最初とされています。
 機関銃が登場すると、鉄条網との組み合わせにより防衛が強固となりました。この「機関銃+鉄条網」が最強(最凶)の防衛力を見せたのが日露戦争です。日本兵は白兵戦を挑んで大量の“消耗”を強いられることになりました。その“教訓”が生かされたのが第一次世界大戦です。あまりの死傷率の高さに戦線は膠着し、塹壕戦が延々と続けられることになります。これは『西部戦線異状なし』です。
 自分たちを囲って身を守っていたのが、そのうち敵を囲う目的にも使われるようになります。たとえば強制収容所です。鉄条網で囲った強制収容所が初めて登場したのは、19世紀末~20世紀の南アフリカ戦争(ボーア戦争)です。ゲリラ戦を続けるアフリカーナー軍に手を焼いた英国軍は焦土作戦を決行、住民たちを片っ端から強制収容所に入れました。収容者数は最大時に約16万人、病気・栄養失調・虐待などで14箇月に約28000人が死亡、その8割が16歳以下の子供でした。一時的な拘束を除く長期収容者の死亡率は35%、乳幼児は43%。ダッハウ強制収容所の死亡率は36%と言われていますので、英国軍はナチスと肩を並べていたわけです。
 「ベルリンの壁」も当初は鉄条網でした。迅速に設置できる利点を生かしてまず鉄条網で交通を遮断し、それからゆっくりとコンクリートの壁を建築していったのです。もちろん壁の上には鉄条網が設置されていました。
 1970年代に、鉄条網は“進化”しました。それまでの「棘」に変わって「刃物」がつけられるようになったのです。そういった「進化した鉄条網」が大量に消費されるのが「国境」です。たとえばUSAとメキシコ、北朝鮮と韓国。あるいは、中国ウイグル自治区の西側の国境。国境どころか、国の“中”でさえも、分断のための「武器」として、鉄条網は人気なようで、その実例が本書には豊富に登場します。
 ふっと思ったんですけどね、「国の不健康度」を測定する指標として「人を対象とした鉄条網の使用量」がそのまま使えるかもしれません。



遠距離

2013-05-25 06:43:10 | Weblog

 遠距離恋愛ができるのだったら、老親の遠距離介護もやり方によってはごくふつうにできるようになるかもしれません。いっそ遠距離子育て……って、これはさすがに難しいかな。

【ただいま読書中】『最終定理』アーサー・C・クラーク、フレデリック・ポール 著、 小野田和子 訳、 早川書房(ハヤカワSFノヴェルズ)、2010年、2200円(税別)

 クラークの遺作です。
 太平洋戦争に関して、二人の著者の前書きが、それだけで読ませる“作品”となっています。訪日したフレデリック・ポールたちが、ヒロシマやナガサキの原爆の閃光を近くの星の住人が(もしいるとしたら)目撃しているかもしれない、と着想するところで、さすがプロのSF作家たち、と私は唸ってしまいました。日本のSF作家の“第一世代”もそうですが、「戦争の記憶」をきっちりと持った人たちは、世界を見る目の深さが“戦争を知らない世代”とはちょっと質的に違うように感じられます。
 本書の主人公(の一人)は、ランジット・スーブラマニアン。初登場の時には16歳でコロンボの大学1年。頭のよいタミル人で、親友はシンハラ人です(えっと、スリランカの内戦は、この二つの人種の対立でしたよね)。父親とは絶縁状態、親友はロンドンに留学、大学の授業には不満足です。彼はフェルマーの最終定理を解いたワイルズの証明をきちんと検討したいのですがその機会に恵まれないのです。しかし、シージャック事件に巻き込まれ、テロリストと間違われて投獄・拷問の日々を過すこととなり、そこで「フェルマーが当時利用できたものは何か」に絞って内省に浸っているときに「証明」が突然彼に訪れます。そして、牢獄からの解放も。
 えっと、これは「数学小説」ではありません。SFです。いかにも著者二人が好みそうな、壮大なSF的な仕掛けが「フェルマー」と同時進行しています。それと同時に、世界(地球)が戦争やテロで破滅への道をたどり続けていることも断続的に描写されます。それどころか、本当に地球には「滅亡」が迫っていたのです。
 私たちは、蚊が腕にとまったらぴしゃりと叩きます。それと同様に、21世紀が舞台となった本書では「ならず者国家」が“ぴしゃり”と叩かれます。それは「地球の安全」を守るために必要な処置です。では、地球の人類が「銀河の安全」を(将来的に)脅かすと銀河の支配種族が判断したら、地球は“ぴしゃり”と叩かれて人類が根絶されても文句は言えないのでしょうか? なかなか苦みが利いている作品設定です。
 クラークの『2001年宇宙の旅』『楽園の泉』『太陽からの風』『幼年期の終わり』、フレデリック・ポールの『ヒーチー年代記』なども“脇役”として登場するという豪華版の作品です。著者二人の年齢が原書出版時に合計で178歳というとんでもない数字ですが、きちんと読める作品です。さすがに過去の蓄積が反映されて、若々しい作品、とは言えませんが、それは仕方ないことでしょう。それより、その年齢で創作活動ができる(さらには作中で自分自身も笑いの対象にできる)のは大したものだと思います。こういう年の取り方には、憧れを感じます。



取り返す

2013-05-24 08:16:40 | Weblog

 ギャンブル依存症の人は「負けを取り返す」ためにギャンブルに走ることがあるそうです。だけど、さっさと「取り返せる」くらいだったら、最初からそこまで負けていないのでは?

【ただいま読書中】『大人もぞっとする 原典 日本昔ばなし ──「毒消し」されてきた残忍と性虚と狂気』由良弥生 著、 三笠書房(王様文庫)、2002年(07年6刷)、533円(税別)

 目次「手なし娘」「人魚と八百比丘尼」「食わず女房」「蛇の婿入り」「かぐや姫」「赤い髪の娘」「姥捨て山」「天道さんの金の鎖」「糠福米福」「六部殺し」「俵薬師」

 人魚の肉で不老不死、は高橋留美子の漫画で知りましたが、本書では人魚の肉を食べた娘は色狂いとなり男の精気を吸収して男を死に追いやる存在になってしまいます。死ぬまで搾り取られちゃうのかぁ……
 「蛇の婿入り」では夜這いの風習を扱っていますが、やって来るのが不思議な存在。『古事記』「崇神天皇」の章で、女の所に夜這いに来る意富多多泥古(おほたたねこ)は戸の鉤穴(かぎあな)を通って部屋に入りますが、それは神性の証明でした。だから正体を知ろうと麻糸をつけた針を着物に刺しておき、男が帰った後糸をたどると神社に導かれ、残った麻糸が三勾(みわ=三巻)だったから「美和山神社=三輪山神社」、というきれいなダジャレオチになっているお話ですが、本書の方はなにせ「蛇」ですから、針を刺すとその「鉄」の“毒性”によって蛇は苦しんで死んでしまいます。この昔話だけから“教訓”を引き出すとしたら「夜這いをかけられても、知らない男は家に入れるな」でしょうが、古事記を念頭に置くと、昔の日本にはこういった「不思議な存在が山から夜這いにやってくる」「針」という共通点を持った話が何か別の形で存在していたのではないか、とも私は想像しています。
 「かぐや姫」はちょっと意外な展開でした。「月に帰る」のではなくて「月を見ながらの狂死」なのです。
 「糠福米福」は「シンデレラ」。ヨーロッパのが有名ですが、中国、韓国、ミャンマー、トルコなどにも同系統のお話があるのだそうです。
 性欲・食欲・物欲などがほぼ手加減無しに開陳されているし、人の命があまりに軽くて、あまりお子様向きとは言えません。ただこういった「“ぞっとする”昔話」が「おはなし」ではなくて「現実」だった時代もあったのではないか、と私は思っています。そして、そのことを簡単に忘れてしまっている今の日本に対しても、ちょっと“ぞっ”とする気分です。



鞘と刀身

2013-05-23 06:59:07 | Weblog

 日本刀の場合、刀ができてからそれに合わせて鞘が作られます。その逆はありません。やってやれないことはないでしょうが、おそらく抜きにくいか切れないか美しくないか、の刀(と鞘)になるのがオチでしょう。
 しかし現実社会では、そういった「鞘を先に作ってそれに合わせて刀を作ろうとする」姿勢があるように私には思えます。たとえば「現実を無視した判決」。いくら言葉と論理の限りを尽くして判決文を書いたとしても、それは刀の存在を無視して鞘だけ作った、ということに私には見えるのです。

【ただいま読書中】『原発と裁判官 ──なぜ司法は「メルトダウン」を許したのか』磯村健太郎・山口栄二 著、 朝日新聞出版、2013年、1300円(税別)

 1970年代から原発の建設や稼動をやめるように求める裁判は約20件提訴されてきました。地裁と高裁で住民側が勝利したのはただ2例だけ、しかもどちらもその後逆転敗訴となっています。「もしかしたらフクシマは防げたかもしれない」方向への運動を、司法も行政や電力会社と団結協力して妨害していたわけです。
 もちろん中には「訴訟における主張・立証だけで判断する。結論として住民らの主張が認められるとすれば、たとえ国策に反していても国を負かす判決を下す。それが裁判官の仕事です」ときちんと述べる裁判官もいます。ただしこういう人は、真冬の夜にも嫌な汗をかかなければならないのですが。そしてその判決「志賀原子力発電所二号原子炉の運転差し止め」は「電力会社の地震想定が甘すぎる」「外部電源喪失」「非常電源喪失」「配管破断」「シュラウド破断」「冷却材喪失」「緊急炉心冷却システムの故障」などを根拠として下されました。しかし高裁で住民側は逆転敗訴。最高裁で住民側の敗訴が確定。「フクシマ」が起きる半年前のことでした。
 裁判官も大変だとは思います。文系の人間が科学の、それもとんでもなく複雑な問題の非常にレアなケース想定について判断しなければならないのですから。それでも「国や専門家のいうことを丸々信じる人」と「自分で必死に勉強する人」とでは見事な差が出ています。これからの日本に必要な人材は、後者ではないかなあ。そしてそういった人を(お国に逆らったからと)人事で冷遇するのではなくて活用するようになったら、まだこの国は伸びていくはずなのですが、これは「日本というシステム」の話になってしまいますね。
 フクシマ以降、各地で様々な「原発訴訟」が起こされているそうです。それにたいしてこれからどのような判決が下されるのか、これは注視し続ける必要がありそうです。



書き言葉

2013-05-22 06:37:32 | Weblog

 ウエアラブルコンピューターが本当に普及したら、言葉の入力は音声が主流になるのではないかと私は思っています。すると、入力された言葉を文字化した書類は、書き言葉ではなくて話し言葉によって書かれたものがほとんどになってしまうのでしょうか。これはちょっとすごい文化の変容となりそうです。
 そういえば、そもそもなぜ書き言葉と話し言葉が別の存在としてあるのでしょう。もしかして人間の脳内で、論理系は書き言葉を使い、感情系には話し言葉を使っている、なんて区別をしているのかもしれません。

【ただいま読書中】『万葉 防人の歌 ──農民兵の悲哀と苦悶』金子武雄 著、 公論社、1976年

 万葉集巻二十には、短歌八十三首・長歌一首の防人の歌が収載されています。562年任那の日本府滅亡、663年白村江で日本軍が唐と新羅の連合軍に敗北し、半島からの侵攻を警戒するために、対馬・隠岐・筑紫などに防人がおかれることになりました。徴集されたのは東国(今の東海地方~関東地方)の農民たちで、任期は3年でした。そういった規定は律令の「軍防令」によりました。難波津までは国司が一同を引率し、そこまでの食糧は自弁、難波津からは船での移動で食糧も公から支給されるのだそうです。なお、任地までの旅程は「3年間」には含まれません。さらに任地での食糧は自給自足です(そのための空閑地は与えられます)。
 天平勝宝七歳(755年)、東国から徴集されて筑紫に向かった各国の防人が、難波津に到着するまでに詠んだ歌がまとめて官に進上されました。当時兵部省の少輔で万葉集の巻十七~二十を編纂していた大伴家持がそこから約半数をセレクトし、国ごとにまとめ、自分の歌を追加して万葉集の最後の巻に収載しました。
 妻や父母への思い、故郷から離れることのつらさ、などがシンプルに歌われています。もちろん、任務の重さや天皇への忠誠心を高らかに歌ったものもあります。大体「長」がつく立場の人の作品ですが。
 防人の家族の歌もあります。たとえば武蔵の国では、防人の妻の歌が六首収載されていますが、それぞれ別人です(夫の住所地が全部違います)。一体どうやってこれらの歌を採集したのでしょう。
 防人の歌はどれも技巧を欠いたシンプルなものばかりですが、そもそも東国の農民兵に作歌能力があったことがすごい。著者の推定では、この年に東国から集められた防人は約千人。そこに「歌を作るように」という命令が下されて、作歌したのが約百六十人。これはすごい率と言えるでしょう。著者が注目するのは「民謡」です。当時東国では民謡が盛んで、それだけ集めて万葉集の巻十四が作られました。防人はおそらくこの民謡を手本として「和歌(のようなもの)」を作ったのだろう、と著者は推定しています。(当時の農民はほとんどが文盲のはずですから、付き添いの役人が文字にしたのでしょう)
 大伴家持は明らかに防人の境遇に同情しています。それは自身の境遇(かつては武の名門だった大伴氏が没落しつつあり、自分自身も左遷経験を持っている)と重ね合わせてのことでしょう。それにしても、こういった歌を集めるという行為自体が「政権批判」になっている、と考えるのはちょっと“近代的”すぎるでしょうか。ただ、文学的には「稚拙な歌」が家持に感動を与え、万葉集の一巻を割かせたことは間違いのない事実です。文学の技巧や文字の持つ力って一体何だろう、なんてことも私は考えてしまいました。