哲学者は、ふだん使う言葉の重みで口が折れた学者なのです。
【ただいま読書中】
『レモネードを作ろう』ヴァージニア・ユウワー・ウルフ 著、 こだまともこ 訳、 徳間書店、1999年、1600円(税別)
なんとも特徴のある本です。本書を適当に開いたところから引用してみます。
父さんが死んだことって、おしゃべりの種にするようなこととはちがう。
それは、いつもわたしが背負っているもの。
うちの学校に「蒸気教室」というのがあって、
わたしも出席している。
自分の背負っている荷物が自分のせいだと責めてはいけない……そういうことを教えてくれる。
自分のせいでそうなったんじゃない、自分が悪いんじゃない、
その荷物をおろすことはできなくても、自分を責めてはいけない、と。
友達のアニーが背負っている荷物は、親が二回も離婚したこと。
マートルのは、家庭にドラッグの問題が多すぎること。
そしてわたしのは、父さんがひどい死に方をしたってこと。
引用はここまで。
ごらんの通り、まるで散文詩のような文章がならんでいます。ただ、一文一文が妙に味が濃い。
貧乏から脱出するためには大学に行かなきゃ。でもうちにはお金がない。そこで14歳のラヴォーンはベビーシッターのアルバイトを始めます。尋ねた家には17歳のシングルマザー、ジョリーがシッターを待っていました。2人の子ども(2歳のジェレミーと赤ん坊のジリー)を抱えては仕事ができません。だからシッターが必要なのです。家の中はめちゃくちゃ。子どもたちはどろどろ。友達も母親も、ラヴォーンのバイトに賛成しません。ラヴォーンは、ジョリーのような境遇の人からお金をもらって大学に行くことにためらいを感じつつバイトを始めます。
ジョリーは妊娠で学校を中退したため文字もろくに読めず家事能力はゼロ、仕事はすぐに首になります。付き合っている仲間は暴力やドラッグにとっぷりつかった連中です。仕事を失ったジョリーからはバイト代が払ってもらえませんが、ラヴォーンは一家のために何かしたいと思うようになります。ジョリーのために、ジョリーの子どもたちのために、そして、自分のために。
ラヴォーンはいやがるジョリーを、同じ高校の「立ち上がる母親計画」クラス(妊婦または子持ちで高校を卒業したい人のためのクラス)に放り込みます。そして大学進学に必要な(でも取りたくない)授業に自分自身を放り込みます。
14歳にしてはちょっとできすぎた少女ではありますが、悲惨な境遇の人に対して、口先だけ同情したり(「まあ、なんてお可哀想」)あるいはお気軽に批判したりする(「なんでもっときちんとしないの」)人とは違って、彼女は覚悟を決めて関わりを持っていきます。そしてその行動が周りの人間にも影響を与えていきます。最後の「レモネードを作ろう」。胸にしみる希望のことばです。明るいかどうかはわかりませんが、とにかく「未来」について一緒に語ろう、と言うことばなのですから。「自分の未来」ではなくて「自分たちの未来」を。
【ただいま読書中】
『レモネードを作ろう』ヴァージニア・ユウワー・ウルフ 著、 こだまともこ 訳、 徳間書店、1999年、1600円(税別)
なんとも特徴のある本です。本書を適当に開いたところから引用してみます。
父さんが死んだことって、おしゃべりの種にするようなこととはちがう。
それは、いつもわたしが背負っているもの。
うちの学校に「蒸気教室」というのがあって、
わたしも出席している。
自分の背負っている荷物が自分のせいだと責めてはいけない……そういうことを教えてくれる。
自分のせいでそうなったんじゃない、自分が悪いんじゃない、
その荷物をおろすことはできなくても、自分を責めてはいけない、と。
友達のアニーが背負っている荷物は、親が二回も離婚したこと。
マートルのは、家庭にドラッグの問題が多すぎること。
そしてわたしのは、父さんがひどい死に方をしたってこと。
引用はここまで。
ごらんの通り、まるで散文詩のような文章がならんでいます。ただ、一文一文が妙に味が濃い。
貧乏から脱出するためには大学に行かなきゃ。でもうちにはお金がない。そこで14歳のラヴォーンはベビーシッターのアルバイトを始めます。尋ねた家には17歳のシングルマザー、ジョリーがシッターを待っていました。2人の子ども(2歳のジェレミーと赤ん坊のジリー)を抱えては仕事ができません。だからシッターが必要なのです。家の中はめちゃくちゃ。子どもたちはどろどろ。友達も母親も、ラヴォーンのバイトに賛成しません。ラヴォーンは、ジョリーのような境遇の人からお金をもらって大学に行くことにためらいを感じつつバイトを始めます。
ジョリーは妊娠で学校を中退したため文字もろくに読めず家事能力はゼロ、仕事はすぐに首になります。付き合っている仲間は暴力やドラッグにとっぷりつかった連中です。仕事を失ったジョリーからはバイト代が払ってもらえませんが、ラヴォーンは一家のために何かしたいと思うようになります。ジョリーのために、ジョリーの子どもたちのために、そして、自分のために。
ラヴォーンはいやがるジョリーを、同じ高校の「立ち上がる母親計画」クラス(妊婦または子持ちで高校を卒業したい人のためのクラス)に放り込みます。そして大学進学に必要な(でも取りたくない)授業に自分自身を放り込みます。
14歳にしてはちょっとできすぎた少女ではありますが、悲惨な境遇の人に対して、口先だけ同情したり(「まあ、なんてお可哀想」)あるいはお気軽に批判したりする(「なんでもっときちんとしないの」)人とは違って、彼女は覚悟を決めて関わりを持っていきます。そしてその行動が周りの人間にも影響を与えていきます。最後の「レモネードを作ろう」。胸にしみる希望のことばです。明るいかどうかはわかりませんが、とにかく「未来」について一緒に語ろう、と言うことばなのですから。「自分の未来」ではなくて「自分たちの未来」を。