【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

遺産の未来

2015-05-31 07:48:14 | Weblog

 世界遺産と言いますが、文化遺産の場合それができた時にはそれまでにない「新しいもの」で、未来を指向していたはずです。そして、その未来志向が強いからこそ、現在まで存続できたものが多いはず。だったら「遺産」と呼んで「過去のもの扱い」するのではなくて「未来に向かっての人類の財産」と考えた方が良いのではないでしょうか。となると、「生活に不便」だから世界遺産に変更を加えたくなったときに、その変更が「現在の不便」だけではなくて「未来を指向しているかどうか」も考える必要がありそうです。

【ただいま読書中】『ペーターのドイツ世界遺産全踏破』ペーター・エンダーライン 著、 平凡社新書741、2014年、840円(税別)

 単なる観光案内ではなくて、世界遺産を古い順に見て回ることで「ドイツの歴史」を知ろうとする本です。
 ところが「ドイツ」って何でしょう? 古代ローマ時代には「ゲルマニア」です。中世前半はフランク王国で後半は神聖ローマ帝国(の一部)。近世はプロイセンが軸にはなりますが、日本の藩幕体制のような感じの小さな「国」の集まりで、近代はドイツ帝国やワイマール共和国。そして、現在の「ドイツ連邦共和国」は1990年に成立した“若い国”です。
 まずは「トイトブルクの森」。ヨーロッパ中に進軍していたローマ軍がこの森で大敗北を喫し、そのためライン川とドナウ川が“国境線”として確定しました。つまりこの森での戦いが現代の地球にも影響を残しているのです。
 1978年に世界遺産「第一号」として、文化遺産8件と自然遺産4件が登録されました。アーヘン大聖堂はその「第一号」に含まれています。この大聖堂は786年にカール大帝が建設を始めた王宮礼拝堂の聖マリア教会から始まっています。いわばフランク王国の歴史そのもの(+それ以後の歴史)です。ここで戴冠式を執り行った歴代のドイツ国王や神聖ローマ帝国皇帝は30人。カロリング朝の末裔でアリ古代ローマ帝国にまでその系譜を遡ることができる、という「ルーツ」の証明の場でもあったようです。神聖ローマ帝国を潤したゴスラーの銀山と水利システムも世界遺産となっています。日本だったら石見銀山を思い出しますね。
 プロイセンの事実上の首都だったポツダムには、世界遺産が集中しています。「ポツダムとベルリンの宮廷群と公園群」という名前ですが、つまりは「群」なのです。これは大変です。京都や奈良をまるごと一つの遺産として登録したようなものかな?
 ドイツには(2014年5月の時点で)38件の世界遺産があります。その数はフランスと並んで世界4位。これだけあったら、それをたどるだけでもドイツ史が見えてくる、という面白い企画でした。ここで私は我が国のことを思います。日本の世界遺産もこういった「日本史の流れ」「日本という国」の観点から見つめようとする動きがありましたっけ? 個人が勝手にやれば良いことなのかもしれませんが。ペーターさんに期待しようかな。
 ちなみに、本書をガイドブックにして大急ぎの駆け足でドイツ国内の世界遺産を見て回ったら、最短でも3週間は覚悟して欲しい、とのことです。ちょっと興味は持ったのですが、それでは楽しみよりは疲れしか残らない気がするし、と言ってたっぷりの時間は捻出できそうにないし、これは困りました。


アイの言葉

2015-05-30 06:15:58 | Weblog

 アルファベットは「アルファとベータ」、いろははもちろん「いろは」から。すると現在の日本語は「あいうえお」から始まりますから「アイの言葉」なんですね。

【ただいま読書中】『警士の剣 ──新しい太陽の書3』ジーン・ウルフ 著、 岡部宏之 訳、 早川書房(ハヤカワ文庫SF724)、1987年、520円

 セヴェリアンとドルカスはついに目的地のスラックスに到着しました。大瀑布の絶壁に彫り込まれた〈窓のない部屋の町〉へ。そこでセヴェリアンは警士として、刑務所の管理・拷問・処刑を担当します。
 辺境の町スラックスには、辺境の民が様々流れ込んでいました。非常にバラエティが豊かな人種の見本市ですが、これも恐らく伏線でしょう。その中にセヴェリアンは自分の命を狙い続けているアギアを見かけたような気がします。
 スラックスの執政官が開催した仮面舞踏会に参加した夜、セヴェリアンは火蜥蜴(サラマンダー)に追われます。そして、ドルカスの秘密を知ることになります。ドルカスは、愛と死とが複雑なダンスを踊って生まれたセヴェリアンの恋人でした。そして、二人がその愛を自覚した時が、二人の別離の時だったのです。ただし、再会の予感、というか、予告はあります。それが幸福な再会かどうかは予告では語られませんが。
 なんとも不思議な「異世界」です。一つの太陽、一つの(満ち欠けをする)月、歴史の古層を掘るとそこからは「地球の神話の数々」が発掘されます。すると惑星ウールスは未来の地球? 昼間でも星が見えるのには違和感を感じますが、これは太陽が死にかけているためですね。
 スラックスから単身脱出したセヴェリアンは、アギアと再会、また「死」に襲われ、息子を得、またまた牢獄へ入れられます。そういえばセヴェリアンは、各巻で必ず牢獄に入れられているような気がします。ただ、そういった牢獄の中でもセヴェリアンは退屈はしません。完璧な記憶力を巻き戻すことができるだけではなく、ある死者の記憶をおぞましい方法で移植されてしまっていて「自分」と「死者」の対話もできるのですから。
 しかし、本書では、悲しいというかはかない別れが続きます。あまりに簡単に人々は死んでいきます。そして、本書の最後の戦いで、セヴェリアンは愛剣とも別れることになってしまいます。なんだか、すべてを失ったようなのですが、さて、ここから話はどうなっていくのでしょうか。第四巻を早く読みたくなります。


普通ではない話

2015-05-29 06:50:00 | Weblog

 「普通はそんなことはしない」などと面と向かって言っている場面、それはつまり「お前は普通ではない(異常だ)」と面と向かって言っている、と解釈して良いです?

【ただいま読書中】『戦後日本海運における便宜置籍船制度の史的展開』合田浩之 著、 青山社、2013年、5000円(税別)

 日本ではなくてパナマ・リベリアなど法律が緩い国に船を登録することを「便宜置籍」と呼びます。
 実は戦前から便宜置籍船は運用されていました。明治42年より日本政府は外国中古船の輸入を制限し、自国の造船を奨励しようとしました。それに対して海運業者は、自由港(輸入関税がかからない)の関東州(や朝鮮)に子会社を設立してそこに自分たちの船を配置して、日本への輸入関税を回避しました(これには、中国人船員を安く雇えるメリットもありました)。昭和7年に中古船の輸入が日本・朝鮮・関東州・台湾で禁止されると、外国籍の船として日本の会社が運用する変態輸入船も登場しました。
 戦後も便宜置籍は行われました。理由は、人件費の削減。日本籍の船には日本人船員を配乗させる必要がありますが、日本人船員は外国人(多くは東南アジア)の8倍以上のコストがかかるのです。戦後すぐには、ドル調達が容易とか節税も理由でしたが、現在はその利益は消滅しています(日本では1979年に「タックス・ヘイブン対策税制」を導入しています)
 船は公海上を航行しますが、船上で何かがあった時、そこにどの国の法律を適用するか、それを決めるために「国籍」が必要なのです。
 著者は「仕組船」ということばについて、詳細に研究しています。現在は「日本の船会社が、外国に子会社を設立してそこで所有する船舶」が「仕組船」と呼ばれているのだそうですが、昔は別の意味を持っていて、それが変容してきたのにそれをこれまでの研究者が重視していなかったために便宜置籍船制度の研究が混乱している、と。研究論文のオリジナリティーを主張するためにはどうしても「これまでの否定」も折り込まなければなりませんが、あいにく私は「これまで」のことを何も知りませんので、申し訳ないけれどあまり感銘を受けません。ただ、日本の海運が戦前から「グローバリゼーション」の道を歩んでいたことには感銘を受けました。「外国との交易」に「国粋主義」は似合わない、ということなのでしょうか。


簡易宿泊所のかわりに

2015-05-28 06:13:36 | Weblog

 この前火災になった簡易宿泊所では、ほとんどが生活保護の高齢者だったそうですが、一泊2000円なら月に6万円。金額だけ見たらきちんとしたアパートを借りることができます。生活保護の住宅扶助が6万円位なのでそれが“基準”になっているようですが、アパートだと保証人が必要だったりするわけで、結局木造三階建て、一間3畳、台所などは共同、という悪い住環境で過ごさなくちゃいけなくなり、そこからの脱出も困難、ということなのだそうです。
 だったら、鉄筋コンクリートの公営住宅で、家賃4万円くらいに設定して、生活保護の人は住宅扶助はなしでそこに住める、としたら、行政も差額の2万円が“節約”できません? 必要がなくて空き家が多くても大丈夫。たとえば災害時の仮設住宅代わりに使えますから。こういったのが本当の意味での“公共”投資と言えるのではないか、と思えます。火災の可能性が減るだけでも街としてはありがたいでしょうし。

【ただいま読書中】『数学は歴史をどう変えてきたか ──ピラミッド建設から無限の探求へ』アン・ルーニー 著、 吉富節子 訳、 東京書籍、2013年(14年2刷)、2400円(税別)

 最初の「数学」は、メソポタミアで発達したと考えられています。次は古代ギリシア。ギリシアの人々は「法則」が大好きで、この「数学」が現代数学の基礎となっています。ギリシアの伝統を受け継いだのは、イスラムでした。バグダッドではギリシアとインドの数学が融合し発展しました。12世紀ルネサンスによって数学はヨーロッパに広がります。
 歴史のなかには「禁じられた数字」がいくつもあります。ピタゴラスは無理数を禁止しました。初期のキリスト教教会は、古代ローマ人が護符として使っていた「太陽の魔方陣(6×6のマス目に1から36の数字を配置したもの)」を禁止しました。理由は、全部の数字を足すと「666」になるからです。中国では「8964」をパスワードなどに使うことが公的に禁止されています。天安門事件が1989年6月4日にあったことがその理由です。
 三角法は、古代ギリシアでほぼ完成されましたが、その起源は古代バビロニアの天文学にあります(円は360度、はバビロニアの60進法によります)。学問的にそこまで厳密ではない三角法は、古代エジプト(ピラミッド建造)や古代スリランカ(シンハラ人:灌漑システムの水流計算)によって用いられていました。イスラムではメッカの方角を正確に知る必要があったため、三角法が発展しました。そしてその知識はヨーロッパにもたらされ、天文学・地理学・弾道計算・光学などの実用的な分野と同時に、代数幾何学の分野でも三角法は発展することになります。
 バビロニアでは「π」は「3.125」でした。アルキメデスは96角形を使って「3.1418」を求めました。263年には劉徽(りゅうき)が3072角形を使って「3.1416」を求めています。発想の転換をしたのはニュートンで、二項定理を使って小数点以下16桁まで計算してみせました。でも実用上は10桁で十分です。地球の大きさの半径をかけても誤差は0.2mmですから。
 数学の記号は、新しいものが多いようです。「+」「−」は1489年ヨハネス・ヴィットマン「商業用算術書」、「√(平方根)」は1525年クリストフ・ルドルフ「代数」、「=」は1557年ロバート・レコード「知恵の砥石」、「×」は1618年ウィリアム・オートレッド、エドワード・ライトが翻訳したジョン・ネイピアの「驚異の対数法則の記述」の付録、「a,b,cを定数に、x,y,zを変数に」は1637年ルネ・デカルト「方法序説」、「÷」は1659年ヨハン・ラーン「人民の代数」。
 そして、記号が整うのと平行するかのように、近代数学が発展し始めます。カルダーノは1545年の「アルス・マグナ」で三次方程式と四次方程式の解法を説明しました。四次が解けるのなら五次六次も、と代数が動き始めます。デカルトは代数と幾何を融合させます。おなじみのデカルト座標の登場です。そして、微積分やら波動関数やら、ややこしい話が登場し始めます。確率は好きなので、ややこしくても私は平気なんですけどね。もちろんナイチンゲールも登場します。
 カントールは集合論を提唱しましたが、それで誹謗中傷の嵐の中に立つことになってしまいました。ポアンカレ、ヴィトゲンシュタイン、クロネッカーのカントールに対する悪口が掲載されていますが、強烈です。これは集合論が「数」ではなくて「論理」に依存した「数学」だからかもしれません。そういえば統計も論理が重要ですね。「数を数える」から始まった「数学」は、いつの間にこんなに難しいものになってしまったのでしょう? 算数でさえ難しく感じる私には、ちょっと手に余るものになってしまっています。


大きな差

2015-05-27 06:45:04 | Weblog

 目標:偉大なアベちゃん
 現在:尊大なアマちゃん

【ただいま読書中】『山岳遭難の教訓 ──実例に学ぶ生還の条件』羽根田治 著、 山と渓谷社(ヤマケイ新書)、2015年、800円(税別)

 最初のエピソードは、著者自身の遭難ギリギリの体験です。一泊二日で西表島を縦断するという、(著者の予想では)お気楽なトレッキングが、実は死の一歩手前まで著者を追い詰める体験となったのです。いや、「遭難」は、いつどこで起きるかわからない、ということが実によくわかります。後知恵で批判するのは簡単ですが、たとえベテランであっても“初めての状況”では素人と立場は同じなのです。
 それがよくわかるのが2006年の八ヶ岳・谷川岳での「ベテランたちの遭難」です。爆弾低気圧によって急速に悪化した天候により「ベテラン」が何人も遭難死をしてしまいました。
 ただ、個人としては「初めて」でも、歴史に学べばそれは「初めて」ではなくなることがけっこうあります。たとえば1989年立山三山での遭難事故(10人遭難8人死亡)のときの天気図は、低気圧と台風の違いはありますが、10月の西高東低の冬型、と、2006年のときとそっくりでした。
 そういえば昨冬には山スキーでの遭難が何例か報道されましたが、その走りと言えそうな2006年の事例が本書にはあります。これも「歴史」として学べば今年の事故は予防できたかもしれません。このとき16人のグループのほとんどが雪崩に巻き込まれてしまったのですが、かろうじて埋もれずにすんだ人がシャベルを持っていなかったために手で掘り出すことになってしまいました。ところが近くにいて救助に駆けつけたオーストラリアのツアー客一行は、全員がビーコン・シャベル・プローブの「雪崩救助セット」を装備していてそれを活用しています。さらに、雪に埋もれた人たちはほとんどが部分的な埋没だったのですが、唯一完全埋没した人がふだんから「自分はビーコンを持たない」主義だったため、捜索に手間取ることになりました。悪天候下で救助隊も危険にさらされる時間が長くなったわけです。「雪崩に遭わないように気をつければ、そんな装備は不要だ」と「何があるかわからないから準備をしておく。無駄になったらそれはそれでOK」の差はなぜ生まれるのでしょうねえ。準備と覚悟に国際的な差があるのでしょうか? 
 マスコミ報道をあまり軽々しく信じない方が良い事例も紹介されます。「全員軽装だった」と大きく報道された遭難で、実はみなしっかりと装備をしていた、という例が紹介されています。これは「ゴールデンウィークに遭難するとは、きっと山を甘く見て夏山装備で登ったに違いない」という思い込みからマスコミが事実を確認せずに書いたのかもしれません(どんな思い込みを持っていたのか私も確認はしていませんが、少なくともマスコミは事実を確認はしていなかったわけです)。私の商売の領域でもよくマスコミは大嘘を書きますから、驚きはしません。
 遭難は一例一例が“ユニーク”です。登る人はそれぞれ違うし、山もその日の天気もすべて違う。だけど「すべて違う」で思考停止をしていたら、同様の遭難はこれからも繰り返し続けることになります。だったら、個人を責めてそれでオシマイにするのではなくて、そこから「教訓」を得るべきだ、というのが著者の発想です。QCや航空機事故調査ではおなじみの発想ですね。
 これは気の毒、としか言いようのない事故もあります。山中で至近距離に落雷。九死に一生を得ますが、下山途中に足が滑って転落し左足首を骨折(本人は自分の不注意を責めていますが、私は落雷のショックも影響していたと考えます)。夏山のシーズンなのに運悪くその日に限って登山者が全然いない。携帯は圏外。これ、私だったらどうするでしょう。この人はテーピングをして自力で下りていますが、私だったらテープだけではなくて短い枝などを副木として足首に添えるでしょうね。新聞紙があったらそれを筒状にきつく丸めたのでもけっこう使えます。これ、覚えておくと役に立つことがあるかもしれません。役に立つことがあるような状況にならないのが良いのですが、“想定外”で起きるのが事故ですから、知識は持っておいた方が良いでしょう。


クレオパトラの鼻

2015-05-26 06:28:59 | Weblog

 パスカルの「パンセ」の一節を私は最初「クレオパトラの鼻が低くて美人ではなかったら、シーザーが惹かれることもなくて 歴史が変わっていた」という意味で覚えましたが、シーザーはクレオパトラが美人だからエジプトを征服したわけじゃないですよね。そもそも「美人」の定義 が、エジプトとローマではずいぶん違うし、そもそもシーザーはとんでもない女好きで「美人」だけを“征服”したわけではなさそうですし、優秀な政治家とし てエジプトを統治するのに最善の手段を選択する時に女王が美人かどうかは二義的な要素でしかないはず。そしてシーザーは優秀な政治家でもありました。
  Wikiを読むと原文の直訳は「クレオパトラの鼻。それがもっと低かったなら、大地の全表面は変わっていただろう」で「美人かどうか」は論じられていませ んね。鼻という一部が低ければ顔の全表面が変化し、それがあたかもバタフライ効果のように全地球の表面にも影響が及ぶ、とパスカルが述べたように私には見 えます。バタフライ効果をパスカルが知っていたかどうかはわかりませんが、確率論の基礎を築いた功労者の一人ですからもしかしたらその概念を会得していた のかもしれません。

【ただいま読書中】『調停者の鉤爪 ──新しい太陽の書2』ジーン・ウルフ 著、 岡部宏之 訳、 早川書房(ハヤカワ文庫SF703)、1987年、520円

  セヴェリアンは目的地のスラックスの町を目指して放浪の旅を続けています。しかし、旅回りの劇団に属して役者をやったり、行く先々の町で“仕事(拷問と処 刑)”をしたり、ちっとも先を急ぎません。本書での最初からの道連れは、体の半分が生身・半分が金属製のジョナス。一体何がどうなっているのか、謎の探求 をしようとは思わないのかな、と私は首を傾げています。
 ところが謎の方がセヴェリアンを見つけます。そして、地球でなら中世レベルの文明しか持 たない惑星ウールスがかつては宇宙飛行をしていた人たちの末裔であることが明かされます。セヴェリアンは独裁者に対する反逆者ヴォルダスに出会って忠誠を 誓い、そして独裁者の本拠地〈絶対の家〉に送り込まれることになります。そこで近衛兵にあっさり逮捕され、世代宇宙船の様相を呈している牢獄(男女混合で まとめて入れられているから、そこで子供もどんどん産まれているのです)に放り込まれ、ジョナスの体に関する驚愕の真実をセヴェリアンは知ります(ちゃん と伏線で“真実”は語られていたのですが、私はあっさりそこを読み飛ばしていました)。また、独裁者と反逆者が意外なつながりを持っていることもわかりま す。では「反逆」とは一体何でしょう。
 「現実と交じり合った悪夢」「水底で溺れる恐怖」といった、第一巻でも登場したモチーフが本書にも再登場 します。さらに、語り手のセヴェリアンは「過去」をその完璧な記憶力を駆使することで本書で描写しているのですが、では「現在」どのような境遇にあるの か、もちらりちらりと仄めかされます。
 かつて人類が持っていた「進んだ科学技術」の残渣はウールスにありますが、それは「魔法」と呼ばれていま す。技術であろうが魔法であろうが、それがきちんと機能するのなら問題はないのですが。現代社会でも技術をきちんと理解して使いこなしている人はそれほど 多くないでしょうから。


判断力の使い所

2015-05-25 06:35:34 | Weblog

 野球で、ノーアウト満塁になって「よし、次の打者には全力で向かって押さえよう」と決断して実行できるピッチャーは、なぜその力をそのイニング最初の打者の時に思わなかったのでしょう?

【ただいま読書中】『エプロン全書』レディブティックシリーズ通巻3893号、ブティック社、2014年、944円(税別)

 『レディブティック』の2000年11月号~2013年9月号までに掲載されて人気だったエプロンを、写真と製図を合わせて掲載した特集号です。
 自分で着用しようとか作ろうとは思っているわけではありませんが、写真を見ているとまあファッショナブルなものばかり。着たままちょっと外に出てもそれほどおかしくないものもあります。
 しかし、モデルさんは魅力的な人がずらりですが、左手が写っている写真で結婚指輪をしている人がいません。もちろん「エプロンはミセスのもの」という取り決めはありませんが、それなら製図のところで「ミセス9号サイズ」とあるのが気になります。「9号」にミセスやミスの違いがあるんです? もしあるのだったら「ミス9号」のも載せて欲しいな、なんてことを思いまして。
 私に作る気があるわけではないのですが。


不完全主義の主張

2015-05-24 07:21:32 | Weblog

 人為に完全はあり得ません。すると「完全主義の人」は「完全な物を産みだした人」ではなくて「完全なものを生み出したいという願望が非常に強い人」のことになりそうです。
 ところで完全主義の人は「ある1点」にはこだわりを見せますが「それ以外」にはまったくの無頓着であることが多いように私には見えます。つまり、「一つの分野では99点だが、あとはせいぜい10点」。これだとそこそこの人、つまり「たとえば二つの分野で70点、あとは30点」の方が「人間としてのトータルの得点」は高いことになりません?

【ただいま読書中】『拷問者の影 ──新しい太陽の書1』ジーン・ウルフ 著、 岡部宏之 訳、 早川書房(ハヤカワ文庫SF689)、1986年(2005年4刷)、840円(税別)

 時は太陽が死のうとしている未来、場所は惑星ウールス。語り手は〈共和国〉の拷問者組合に属していたセヴェリアン。
 セヴェリアンは饒舌ですが、「読者が何を知っていて何を知らないのか」を知らないようで、「自分の常識」については自明のこととして最小限のことしか説明してくれません。ともかくこの〈共和国〉が「独裁者」によって統治されていることや、かつてのドイツで死刑執行人が拷問も担当していたのとそっくりに、この惑星の「拷問者」が徒弟制度で育てられ拷問と処刑を担当していることが読者に知らされます。そうそう、斬首が斧ではなくて剣で行われる点も、ウールスとドイツで共通です。
 徒弟から職人に昇進したセヴェリアンですが、徒弟時代に反逆者ヴォルダスと一瞬の関係を持ち、さらに職人になる時にヴォルダスの仲間と疑われた高貴な女性の担当となってしまい、感情移入のあまりその女性の自殺を幇助してしまいます。処刑を覚悟するセヴェリアンですが、命じられたのは組合からの追放でした。長老は“餞別”として名剣「テルミヌス・エスト」を与え、辺境の地への紹介状をくれます。とぼとぼと旅立つセヴェリアンですが、なぜか「花による決闘」を申し込まれ、その花を入手するために案内された魔力に満ちた植物園で奇妙な出会いが。
 本シリーズの第二巻は『調停者の鉤爪』というタイトルですが、本書ですでにそれへの言及が何度か行われます。ということは、セヴェリアンは決闘では死なないのだな、とはわかるのですが、それにしてもスリリングな「花の決闘」です。ひたすら淡々とした口調で描写されているのですが、ちょっと恐すぎる。
 そして本書の最後で私は笑ってしまいます。本書はジーン・ウルフによる“翻訳書”なのだそうです。まだ存在しない言語で書かれた原本を20世紀の言葉に翻訳した、とジーン・ウルフは主張しています。まったく新しい世界を丸々創造してくれるだけでも大したものなのに、そこにさらにいろんな捻りを加えてくれるのですから、本書が世界幻想文学大賞を受賞したのも当然だとは思います。もっと早く読めば良かった。


肌色

2015-05-23 06:49:17 | Weblog

 「肌色」って、結局何色のことでしたっけ?

【ただいま読書中】『47都道府県肉食文化百科』成瀬宇平・横山次郎 著、 丸善出版、2015年、3800円(税別)

 「牛」「豚」「鶏」についてそれぞれの「銘柄」と「料理」、それに追加して「その他の肉とジビエ料理」、を各都道府県ごとに集めた本です。「日本の肉」について蘊蓄を傾けたい人には、とても役立ちそうな本です。読んでいてお腹が空いてきました。
 ただ、私の出身県のページを見ると「ブランド牛」が一つ漏れています。あれ、美味しいんですけどねえ。
 それにしても「銘柄牛」「銘柄豚」がこんなにたくさんあるとは知りませんでした。食べ比べて違いがわかるのかしら?


ナレーションは万能ではない

2015-05-22 06:43:35 | Weblog

 この前テレビでわりと新しい邦画をやってました。暇だったのでぼーっと見ていたら途中でナレーターが「彼はとっても悔しかったのです」といった感じでその「彼」の表情を大写しにしながら心象描写をしてくれました。
 「おひおひ」と私は画面に突っ込みます。それを俳優の演技と監督のセンスによる映像描写で表現するのが、映画ではないのかい?と。映像のないラジオドラマだって何もかもナレーションで済ませはしませんよ。“演技”と“効果音”を生かします。
 もしもこんな映画もどきを金を払って見たのだったら、私は悔しくて悔しくて泣いちゃいそうです。(好きな人がいるかもしれないので、“営業妨害”にならないようにタイトルは書きません)

【ただいま読書中】『応仁・文明の乱』石田晴男 著、 吉川弘文館、2008年、2500円(税別)

 室町幕府の四代将軍足利義持は、後継者を籤で決めるとしました。怒ったのは将軍になりたかった鎌倉公方足利持氏。持氏の恨みは、五代将軍となった義教に向きます。幕府内部では義持の正室日野栄子(よしこ)が権勢の維持を図って義教に日野裏松家からの嫁取りを強制します。さらに後南朝も動きます。さらにさらに、正長の大土一揆が起きます。
 義教は、幕府内で強大な勢力となっていた日野家の力を削ぎ、日本のあちこちの反対派を討ちます。そこに嘉吉の乱が。赤松教康による将軍暗殺です。赤松邸から這々の体で逃げ出した管領細川持之は次の将軍を定め(義勝)赤松討伐の軍を起こします。義勝は十歳で早世、大名は合議で義勝の弟三春(のちの義政)を後嗣とします。つまり「管領政治」は大名の連合体制だったようです。
 守護大名の家中では、家督相続争いが頻発していました。後継者がいないのは困りますが、過剰なのも困るわけです。さらに、義教に突鼻(とっぴ=叱責・勘当)された人たちが、嘉吉の乱後に赦免され「(剥奪された所領や家督への)自分の権利」を主張したため、日本は乱れます。そしてその混乱は義政の時代へと引き継がれていきます。
 義政は将軍の権力向上を目指しました。そこで畠山と組んで管領細川の地位低下を志します。そこに寺社の勢力争いもからんで話はややこしくなります。将軍と管領、鎌倉公方と関東管領、幕府と鎌倉公方の関係も“微妙”なままです。守護大名は合従連衡を繰り返します。嘉吉の乱後、細川氏は山名氏と結び、山名氏は大内氏と結びます。これにより細川は畠山に対抗できるようになりました。しかし細川と大内は敵対するようになってしまいました。そして山名は畠山とも結びます。もう、何がなにやら。
 ともかく、こうして「応仁の乱」の下ごしらえは着々と完了したのでした。そして応仁元年五月の合戦(基本的に山名vs細川)が始まります。将軍義政は中立として停戦を両者に命じます。しかしすでに将軍は「絶対的な権威者」ではありませんでした。むしろ争いの“当事者”の一人に過ぎなかったのです。
 戦いで「放火」が重要な戦術として愛用されるのには驚きます。攻める側が放火する場合もありますが、攻められた側が逃げる際に自分の屋敷に放火することもしばしば。戦術として民家や寺社が焼かれる場合もあり、京都の人たちは大迷惑です。また「上洛」が重要なキーワードとなります。誰がどのくらいの軍勢を引き連れて京都にやって来るかの噂だけで、戦況が変化します。また従来の武士とは違う戦闘法をする「足軽」の活躍も注目されています。
 もともと室町幕府と鎌倉公方の対立は、足利尊氏と直義の対立にまで遡ることができます。つまり応仁の乱は「戦国時代」の“出発点”ですが、過去からの確執の“到達点”“経過点”でもあったわけです。応仁の乱の間でも、全国各地で「過去からの確執」が大暴れしています。こういった負の歴史は、どこかでうまく断ち切ることができたら良いんですけどねえ。