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【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

イエスマン

2017-06-30 07:04:19 | Weblog

 都議選のニュースで「都知事のイエスマンだけで議会が動かされていいのか?」と言う人がいました。そういった人は「総理のイエスマンだけで動いている議会」については、何か言わないのかな?

【ただいま読書中】『「おもてなし」という残酷社会 ──過剰・感情労働とどう向き合うか』榎本博明 著、 平凡社、2017年、780円(税別)

 日本にはもともと「おもてなし」の伝統があったのに、そこに西洋の「顧客満足度」が持ち込まれたことで伝統が歪められ、さらに東京オリンピック誘致で「おもてなし」が過剰に強調されることで、感情労働が過剰になってしまった、と著者は主張します。
 まず日本と欧米の文化の比較から。著者は欧米は「自己中心の文化」、日本は「間柄の文化」と定義します。相手を気遣い遠慮し曖昧な言い方を多用するのが「間柄の文化」です。だからこそ欧米では「精神分析(自己主張ではなくて相手にたいする理解を重視する態度)」が必要になったわけでしょうが、欧米の精神分析医の「患者の心に対する鈍感さ(共感性の鈍さ)」に日本の精神分析医が驚いたことが本書に紹介されています。子供のころから自己中心の文化で育つと、どうしてもその枠内で動いてしまうんだな、と。
 「間柄の文化」では「お互い様」も重要な言葉です。その言葉と概念を破壊するのが過剰な「お客さま扱い」。店員に対して一方的な奉仕を要求する客とその態度を容認する会社や社会。それによって客の自己愛は増殖し、社会はぎすぎすしていく、と著者は述べます。
 感情労働で要求されるのは「表層演技」と「深層演技」です。表層演技だけではストレスがたまります。しかし深層演技に熟達すると、恐ろしいことが起きます。「その時にふさわしいと思われる感情」しか自分の心から湧いてこなくなるのです。過剰適応と言って良いのかもしれません。結果として情緒が消耗し、バーンアウトとなります。「お客さま」のために自分の人生をすり減らしてしまったわけ。
 日本で「感情労働」の導入は、クレーマーを増殖させました。現場は疲弊します。それに追い打ちをかけるのが人員削減です。「自己中心の社会」では「人が足りない」のは「十分な人員を雇わない側の問題」です。しかし「間柄の社会」では「目の前の顧客に迷惑をかけてはいけない」「同僚に迷惑をかけてはいけない」と従業員が自分で「責任」を背負ってしまい、サービス残業などが横行し、人はさらに疲弊することになります。
 そして「理不尽なクレーム」の数々。現代日本にどんどん増殖している「理不尽なクレーム」の具体例がどんどん紹介されますが、それに対しても感情労働者は「すみません」と頭を下げるしかありません。さらに、パワハラ・セクハラ・マタハラ……ところが最近は若手が「上から目線」に対する反発を公言することで上司の方が部下に気を遣う(=感情労働をする)傾向もあるのだそうです。なんだか「皆で気持ちよく仕事をしたくない」と主張する人たちで満ちあふれている職場があるようです。
 対処法として「ネガティブな状況であっても、前向き・肯定的な捉え方をする」ことが推奨されていますが、これを「個人の努力」だけでやっていたのでは、たぶん社会は変わらないでしょう。日本人が本当に「共感的」なのだったら「共同体」として動かないといけないのではないかな?



土下座の練習

2017-06-28 18:59:47 | Weblog

 あるところで少年野球の練習を見ていると、なんともひどいコーチでした。いや、暴力を振るったりはしないのですが、守備でエラーをすると「土下座して反省しろ」と怒鳴るのです。言われた子供は即座に土下座して「済みませんでした」と大声でがなり立てます。
 で、この「土下座」で、この子供は一体何が上手くなるのでしょう? グラブの使い方とか体の正面で取ることにこだわらずにノックの球が飛んできた方向と次に送球する塁との関係を考えていかに合理的な姿勢で捕球するか、とかをきちんと教えないと、結局同じ状況ではまた同じエラーをするだけだと私には見えました。
 あれが「野球の練習」ではなくて「土下座の練習」なのだったら、納得なんですけどね。

【ただいま読書中】『ダンケルクの奇跡 ──イギリスの大撤退作戦』A・J・バーカー 著、 小城正 訳、 早川書房、1980年、1600円

 第一次世界大戦後、世界は「平和」になったのではありませんでした。次の戦争の予感の下にずっと生き続けていたのです。しかし英仏は世界大戦で被ったあまりの人的被害に怯え、“次の戦争”では英海軍の経済封鎖と仏陸軍の守備(鉄壁のマジノ線)とソ連との挟み撃ちによってドイツと“戦う”つもりでした。がっちり守るだけですから、ドイツが熱中していた「電撃戦」に対しても興味はありませんでした。
 ドイツはオランダに電撃的に侵攻。それに対して英仏連合軍はベルギー軍と協力して対抗するためにマジノ線の北端に集結します。それを知ったヒトラーは大喜び。「突破不能」のアルデンヌの森を抜け「通過不能」のミューズ川を渡っての奇襲の成功が保証されたのです。
 空でもドイツ軍は圧倒的に優勢でした。イギリスの爆撃機は高射砲やドイツ戦闘機にばたばたと落とされ、イギリスの戦闘機は善戦をしていましたが、損害は増える一方。前線からの増派要請にイギリス空軍大将ダウディングは「ハリケーン戦闘機部隊は国外では十分に戦えず、この闘いで陸軍は負ける可能性が高い」ことを根拠として増派をしないことを決定します。おそらくこれは国内では「苦戦している味方を見捨てるのか」と非難されたことでしょうが、数週間後から英本土上空で始まった「バトル・オブ・ブリテン」でこの空軍部隊が大活躍をすることになります。
 ロンドンでは「敗北」が最初受け入れられませんでした。25万もの兵力を大陸に派遣しているのです。それがドイツの小兵力の戦車部隊に負けるわけがありません。しかし実際には、フランス軍はぼろぼろ、イギリス軍も本来は後方支援の部隊まで再編成して前線に投入してやっと戦っている有様でした。しかしドイツ軍は連合軍の戦力(と戦略)を過大評価し、カレーの港が簡単に奪取できるときにブーローニュに向かってしまいます。それから次はダンケルクが主要目標となりますが、そこで“あの”有名な命令が。「前進停止」命令です。ヒトラーは、ゲーリングの空軍でダンケルクを陥落させるアイデアを採用したのです。
 チャーチルは撤退のための「ダイナモ作戦」を承認します。イギリス軍は、崩壊したベルギー軍とあてにならないフランス軍とともに、昼は戦い夜は退却を繰り返して、ダンケルクの全周防御陣地を段階的に縮小していきます。フランス政府は夢のような計画を立てます。ダンケルクからイギリスに撤退するのではなくて、包囲しているドイツ軍を突破し、占領されているカレーを取り返したら、戦局は逆転する、というのです。それができるのなら、最初からこんな状況にはなりませんってば。
 ダンケルクでは「空軍は何をしているんだ」という批判が渦巻いていました。理由は簡単。ドイツ空軍が圧倒的で、ダンケルク上空でのわかりやすい「戦闘機対戦闘機」の格闘戦が行えなかった。イギリス空軍の活動の場はダンケルクから離れたドイツ軍の勢力範囲だった。そして、イギリス空軍機を見分ける訓練を英陸軍も英海軍も受けていなかった(だから、英艦艇からイギリス機に向かって対空砲火、がやたらと多かったそうです)。
 まずは5月14日、BBC放送は「すべてのモーターボート所有者は届出をするように」と布告します。撤退作戦の責任者ラムジー提督は、使える舟艇は海軍だけではなくて(客船から漁船まで)民間のも洗いざらい使う気でした。
 1940年5月26日、ダンケルクには50万近い英仏軍の将兵がいました。彼らが無事脱出できる確率は非常に低いものでしたが、そこから“奇跡の作戦”が発動します。
 航路は3本設定されます。ドーヴァーまで最短(2時間)のZ航路(65km)はフランス沿岸に近いためドイツ軍の攻撃を受けやすく、X航路(90km)はフランスが敷設した機雷原を通過するもの、ドイツ軍から一番遠ざかれるY航路は145kmもあり急角度の転進を必要としました。さらにドイツ軍は海峡の至る所に磁気機雷を投下しています。船は、ドイツ軍機と機雷と潜水艦と陸上からの砲撃と、危険に何重にも挟み撃ちにされながらピストン輸送を続けることになりました。ダンケルク自体も激しい空爆を受け、街と港湾施設は破壊されます。そこに将兵たちは列を組んで船に乗る順番をじっと待っていました。やがて桟橋が使えなくなると、海浜から乗船するしかなくなります。そこで小さな船が大活躍することになりました。中には、手こぎのボートに数人の兵士を乗せてそのまま海峡を何回も往復した人もいたそうです。大型のモーターボートやタグボートにはルイス機関銃が交付されましたが、これは第一次世界大戦ころのものでやたらと故障が多かったそうです。実際には兵士が手持ちの軽機関銃やライフルで“対空射撃”を実施しました。また、フランスやベルギーの船も参加していたことを忘れてはいけないでしょう。
 天候も“ダンケルクの奇跡”でした。荒れることが普通の英仏海峡が、撤退作戦が実施された9日間、まったく波が立たない状態を維持したのです。だから沈没すれすれまで定員オーバーの人を詰め込んで船は航海できました。
 数回の航海で船員は異常な消耗をしてしまいました。その交代要員の確保とロンドンからドーヴァーまでの輸送も一仕事です。船から降りてくる将兵の受け入れも大仕事です。9日間で33万8226名(うちフランス兵は12万3095名)に対して、宿舎・医療・食糧・衣服などを与えなければならないのです。ダンケルク守備部隊は、交互に撤退しながら戦い続け、ドイツ軍の進軍速度を鈍らせました。しかし、味方が撤退しやすいように頑張れば頑張るほど、自分たちは取り残されてしまいます。ただその“犠牲”は無駄ではありませんでした。無事ドーヴァーに帰還できた将官の中に、それからの数年間で重要な戦いの指揮を執ることになる人がたくさん含まれていたのです。
 ダイナモ作戦をいつ終了させるか、も重要な決断です。1人でも多く撤退させたいのですが、粘りすぎたらドイツ軍が肉薄してきますから撤退要員の損害まで増えます。また、守備で頑張っている部隊も損害が増えすぎる前に降伏させたい。計算では、ダンケルクがドイツ軍に占領されたとき、10万人が捕虜となる、と出ました。
 ダンケルク陥落後、ドイツ軍は部隊を再編成してパリを目指します。フランス軍(と少数のイギリス軍)は「ウェイガン線」で迎撃をしようとしますが、戦う前から結果は決まっていました。「実際には、フランス軍はダンケルクで死んでいたのである」と著者は言います。イギリス軍がダンケルクに“帰った”のは、ノルマンディに上陸してから1年後、ダンケルクから撤退してから5年後のことでした。



位置がずれた

2017-06-27 06:57:48 | Weblog

 ある駅で電車に乗ろうとしたら、電車がちょっと行きすぎてドアが2mほどずれてしまいました。最近では珍しいな、と思いましたが、乗車待ちの列はすぐにそれに対応してスムーズに乗降が終了。それから3つの駅では特に問題なく電車は進行していたのですが、4つめ、私の目的地の駅でドアは乗降の列の所にぴったり止まったのにドアがなぜか開きません。乗りたい人と降りたい人とが、閉まったままのドアの窓を通してにらみ合いとなってしまいました。すると20秒くらいして「停車位置が違うので電車が移動します」と。それからさらに15秒くらいしてやっと電車が前に動き出して、次の乗車列の所まできたらそこで停止。やっとドアが開きました。つまり、乗車位置が丸々ひとつずれてしまっての停車だったわけです。で、運転手は「きちんと止まった」と思い込んでいて安心していたら、車掌が「ずれているぞ」とドアを開けず運転手にそれを連絡してやっと電車が動き出した、ということだったのでしょう。
 単なるケアレスミスか、と思いましたが、私が乗るときにもちょっと停車位置がずれたことを思い出して、運転手の健康状態が心配になってきました。もしかしてどこか不調なのではないかな。

【ただいま読書中】『素粒子論はなぜわかりにくいのか ──場の考え方を理解する』吉田伸夫 著、 技術評論社、2014年、1580円(税別)

 まず「素粒子は粒子ではない」から話が始まります。空間全体に広がる「のっぺりとしたもの(=「場」)」があり、そこにエネルギーが加わると“それ”はまるで粒子のように振る舞う、それが、ヒッグス粒子・電子・クォーク・光子・ニュートリノなどの「素粒子」なのだそうです。そして、エネルギーを加えることで(dクォークがuクォークに変わるように)素粒子の性質がころりと変わるのは、単にエネルギーの振動の方向が変わるから。
 「なるほど!」と私は膝を打ちます。私は中学高校の物理学でまるでビリヤードの球のような模型で「原子論」を習った人間ですが(同時に図書室のブルーバックスで不確定性原理を知って、頭がぐらんぐらんしました)、最初からこんな風に言ってもらえていたらもう少し理知的(理系の知識が豊富)な人間になれていたかもしれません。
 「素粒子は、粒子でもあり、波でもある」という記述はわかりにくい、と著者は主張します。「場の波動」が量子論的な効果で粒子のように振る舞っているだけだ、と。そして、場にエネルギーが注入されると、「粒子」はいくらでも生成されるのです。さらに、素粒子のエネルギーの値が「整数比」で飛び飛びになるのは「定在波」で説明できる、と言われると、単純な私はすぐ説得されてしまいそうです。私がお気に入りの「ディラックの海」が消滅してしまうことは残念ですが。
 ただ「質量」を「質量エネルギー」だと考えると、「質量保存の法則」と「エネルギー保存の法則」が統一されるのは、話が楽になりますね。
 本書を読んで「素粒子論」が簡単に理解できるようになるわけではありません(少なくとも私の場合は)。だけど「素粒子論が年代によってバージョンアップしている」ことはよくわかりました。ある本を読んで「素粒子論はこんなものだとわかった(あるいはわからなかった)」としても、それは「その本が書かれた年代」の内容についてでしかないわけです。逆に言えば、どんなに自信たっぷりに書かれている本であっても、「現時点では」という留保がない場合(まるで「究極の真実が書いてある」といった態度の本だった場合)その内容については丸ごと信じることはやめた方が良さそうです。なるほど、素粒子論は「わかりにくい」わけです。だけど、面白いなあ。



「先輩」なのに

2017-06-25 17:47:35 | Weblog

 野球の世界は(当然でしょうが)「体育会系」で、「先輩>後輩」の序列はほぼ絶対です。呼ぶときでも先輩に対しては必ず「さん」づけ、後輩は呼び捨て。これがそのまま学校卒業後も持続され、引退したプロ選手が評論家になると全国放送でも平気で現役の“後輩”を呼び捨てしたりします(逆にきちんと「さん」や「選手」をつける人は,“公私混同”をしない点で社会人として安心だ、と私は感じています)。
 ところが外国人選手に関しては、公のインタビューなどでも呼び捨てが普通。本当に「先輩>後輩」だったらそれは外国人にも適用されないと「絶対的なルール」とは言えないのではないかなあ。

【ただいま読書中】『ディファレンス・エンジン(下)』ウィリアム・ギブスン、ブルース・スターリング 著、 黒丸尚 訳、 角川文庫、1993年、621円(税別)

 ロンドンが瘴気と熱気に覆われた日、コミュニストによる暴動が起きます。古生物学者マロリーは軍人の弟や警察官と一緒に、暴動を起こした陰謀の中心に乗り込みます。敬愛するべきレイディ・エイダの名誉を守るために。
 そして、マロリーが新大陸から持ち帰った巨獣の骨標本が展示されいている実用地質学博物館に押し込み強盗が。死者が何人も出ましたが、それは「エイダがからんだ秘密」をめぐっての陰謀の一環でした。そしてそこに、上巻でずいぶんひどい目に遭ってしまった女性シビル・ジョーンズも関係していました。彼女が第一章で打った電報の写しを意外な人が入手し、政治的な陰謀に活用されることになります。
 「エンジン」(蒸気コンピュータ)は、蒸気機関で駆動し、内部は歯車の組み合わせで構成されています。したがって速度は遅く、機械的な問題(摩擦や歯車に付着する汚れなど)が常に問題になります。それでも国民すべてのデータを管理することは可能でした。コンピュータの速度が遅い分、人口も少ないからでしょう。それと、人の生活も我々のよりはまだシンプルだったのかな。そして「管理」ができるのなら「捏造」や「削除」もまたできることになります。おやおや、話がだんだん剣呑な方向に転がっていきます。たとえ「我々とは違う産業革命をした世界」であっても、その人たちが私たちとほぼ同じ人間である以上、欲望や陰謀は同じこと、ということのようです。



現在の最善

2017-06-24 07:09:09 | Weblog

 かつて「燃焼」を「燃素による化学反応」と説明する説がありました。もちろん現在は酸素との化合が「正解」で「燃素」は「不正解」です。しかし、酸素の存在を知らない人が最善を尽くして「燃焼」を説明しようとしたら、「燃素」に走るのも責められません。むしろ、そういったことを軽々しく軽蔑する人は、現在最善を尽くして世界を説明している科学に“間違い”があったらやっぱり軽蔑するんでしょうか。私は「最善」の方に注目したいのですが。

【ただいま読書中】『ディファレンス・エンジン(上)』ウィリアム・ギブスン、ブルース・スターリング 著、 黒丸尚 訳、 角川文庫、1993年、621円(税別)

 1855年のロンドン。ただし“こちら”のロンドンの産業革命はちょっと変な雰囲気です。もちろん工場では蒸気機関の「エンジン」が大活躍しているのですが、道には蒸気自動車が馬車に混じって行き交い、なんと蒸気コンピューターが市民全員を番号で管理しています。テキサス共和国から亡命してきた元大統領は革命のために講演会をしていますが、そこで活躍するのはキノトロープ(蒸気映像)です。競馬場では蒸気自動車がレースをやっていて、そこにふらりと登場するのが“機関(エンジン)の女王”レイディ・エイダ。いや、本当にふらふらしてここに心あらずの様子で、自分が誘拐されかけているのにも気がつかない様子なのです。それを(意識せずに)救ったのがエドワード・マロリー。新大陸で雷竜の化石を発掘する、という“ビッグニュース”と共にロンドンに戻ったばかりですが、そこでは、進化論に関して「激変説」と「斉一説」の大議論が展開中です。
 いやもう、詳しい説明抜きにどんどん話が進行していきます。その背景に「この世界」がちらちらと描写され、そこからわかるのは「バベッジのエンジン」が大成功をしていて、それをベースに「産業革命」がどんどん進んでいる、ということ。つまり「あり得たかもしれない産業革命とその後の世界」に関する思索実験が本書では実行されているのです。実際に私たちが知っている「産業革命」は「唯一この道しかない」歴史のコースだったわけではないでしょう。ほんのちょっと“何か”があったら(あるいはなかったら)私たちは今とはまったく違う世界に生きていたかもしれないのですから。
 エンジン(蒸気コンピュータ)への入力はパンチカードです。たった一つの穴の開け間違いで人の運命が大きく変わることもあるので、その入力現場はまるで修道院の書写室のような雰囲気になってしまっています。そう、この世界では「エンジン」が「神」の座についていると言えそうです。するとバベッジは大司教?それとも……キリスト?
 数年前にこの本は読んでいますが、その時とは微妙に着目する点が違っているのが興味深い。私自身まだ少しは成長しているのかもしれません。



次はどこ?

2017-06-23 07:30:53 | Weblog

 かつて日本には「家電メーカー」がたくさんありました。しかし、サンヨー、シャープ、そして東芝とどんどん“斜陽”になってしまいました。次はどこか?が私の心配です。これは「家電メーカー」のどれ(ソニー? まさかパナソニック?)が次にずっこけるのか、ということと同時に、次はどのジャンル(半導体? まさか自動車?)のメーカーが次々倒れるようになるのか、という心配も含んでいます。

【ただいま読書中】『エイダ』山田正紀 著、 早川書房、1994年、1942円(税別)

 先日読書した『バベッジのコンピュータ』で重要な登場人物だったエイダを主人公に据えたSF小説です。同じくSFの『ディファレンス・エンジン』は8年くらい前に読んでいますが、再読する気で図書館から借りてきて、その前に“準備運動”として本書を読むことにしました。
 ササン王朝で“王の舌”として物語を無限に語ることができるハザールハッドに自分の物語を語ろうとする“脳漿をむさぼる蛇”アジダハーク。死の床にある杉田玄白に、蝦夷地で出会った怪異を語る間宮林蔵。その怪異で「メアリー・シェリーに語られてしまった以上、自分は存在するしかない」と間宮林蔵に語る魔物。陰鬱で不思議なオープニングです。そしてやっと「エイダ」が始まる、と思ったら、まず登場するのはチャールズ・ディケンズ。まだ「文豪」ではなくて21歳の新聞の通信員。そして彼が向かうのは、機械式計算機を製作しているチャールズ・バベッジのサロンです。そしてそこで出会ったのが、階差機械の模型に魅了されている美少女、オーガスタ・エイダ。いやいや、やっと登場ですか。もっとも『アンナ・カレーニナ』だったかな、主人公が登場するまで第一巻の半分くらいかけたものもあるから、まだこれなら短い方なのかもしれません。
 しかし、シャーロック・ホームズがコナン・ドイルに語る「フランケンシュタイン連続殺人」の謎は、抱腹絶倒するべきか戦慄するべきか、私は悩んでしまいます。
 本書では「宇宙論」でさえ「物語」です。異なる宇宙論では別の宇宙が“実在”するのですが、一つの宇宙を二つのまったく異なる宇宙論で説明することは不可能です。だったら、どちらの宇宙論が生き残るのか、そこで起きる闘いは、「現実」と「フィクション」の浸食という形を取ります。フィクションを物語る行為は「別の現実」を生み、その「現実」はまた別のフィクション(または「別の現実」)によって浸食されていくのです。
 こんな設定をしてしまうと、本書は「何でもあり」になってしまいます。どんなでたらめでも許されることになってしまいますから。逆に、そこまで大風呂敷を広げておいてから、どうやってうまく畳むのか、それが著者の腕の見せ所、となるのでしょう。
 エイダは子宮癌で苦しみ、ワープ航法プログラムの「エイダ」は暴走します。超伝導大型粒子加速器の「エイダ」の内部には、無数の「物語(あるいは現実)」が詰まっています。量子コンピュータの現実創造プログラム「エイダ」はフランケンシュタインの怪物を創造してしまいます。そして、本書冒頭に登場したゾロアスター神話が最後にまた形を変えて再登場。なんとか強引に物語にケリをつけてしまいました。いやいや、本書の疾走感はなかなかのものでした。まさか著者本人まで乱入してきて大活躍するとは思いませんでした。大サービスですね。



28連勝

2017-06-22 07:11:41 | Weblog

 藤井さんが並んだ神谷さんが28連勝をしたときには、将棋の世界ではそれなりに話題になりましたが、日本社会ではほとんど取り上げられませんでした。ところが今回は「社会現象」となっています。将棋好きにとっては悪いことではないのですが、藤井さんとその対戦者に余計なプレッシャーを与えることにだけ熱心なマスコミが“大活躍”しないことは祈っています。一番大切なのは「連勝記録」ではなくて、彼らの「今」と「将来」なんですから。

【ただいま読書中】『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ 著、 土屋政雄 訳、 早川書房、2015年、1900円(税別)

 (たぶん)昔のイングランド(ではないかもしれません)。「鬼」を恐れながらそれでも“ふつう”の生活をしているブリトン人の村は、ホビットの村のような横穴式(ただしこちらでは各住居がトンネルで連結されています。そこでなぜか冷遇されている(村の火からは遠ざけられ、蝋燭の使用を禁止されている)老夫婦のアクセルとベアトリス(ではないかもしれません)。村人は皆奇妙な記憶障害を持っている様子ですが、そのことを自覚し悩んでいるのはアクセルだけ。
 様々な小さなエピソードが重なり、二人は息子が住む村に旅立つことを決心します。どこにあるのかわからない村へ。いるのかどうか確信がない息子の元へ。旅立ちの理由もはっきりしまいまま。この国は「健忘の霧」に包まれていますが、人々の心も同じ「健忘の霧」に包まれているのです。二人があてにしているのは、お互いへの愛情。しかし、「一番大切な記憶」さえ不確かな二人に「愛情の確かさに対する確信」はありません。
 最初に泊まったサクソン人の村は大騒ぎでした。悪鬼に襲われ、何人か殺されエドウィンという少年がさらわれたのです。そこにたまたま立ち寄ったウィスタンという戦士がエドウィンを奪還しますが、エドウィンには傷があり、サクソンの迷信(悪鬼に傷つけられた人間は悪鬼になる)のため、二人はアクセルとベアトリスの旅の仲間となります。
 一行が出会ったのは、老騎士。アーサー王の命令で旅をしている老騎士ガウェインです。アーサー王が亡くなってもう何年も経ちますが、彼がブリトン人とサクソン人に平和をもたらしたことに感謝する人は多くいました。一行は、賢者の知恵を求めて山上の修道院に向かいます。しかし山には、竜のクリエグが住んでいました。
 一行は軍隊に襲われてばらばらになってしまいますが、やがて一つの目的地に向かって導かれていきます。竜のクリエグの巣へと。いくつもの約束が交わされます。しかし、約束したという記憶が失われた場合、その約束はどこをさ迷うことになるのでしょう。
 かつて、二つの民族の間の平和協定が平和をもたらしましたが、それは結局破られその後の大虐殺によってまた「平和」がもたらされました。それを受け入れる人と受け入れない人との葛藤も本書の背後に鳴り響き続けています。しかし、その「平和」を維持する「力」が○○だったとは……これは衝撃の結末です。中世の冒険小説の形を取っていますが、ものすごく複雑で示唆的で思索的な小説です。こんなものが書けるとは、すごいや。



シビリアン・コントロール

2017-06-21 07:14:03 | Weblog

 この言葉の本来の意味は「市民」ではなくて「文民」が軍隊をコントロールする、ということだったはず。ところで今の日本、自衛隊を「シビル」がきちんとコントロールできると思えます? もちろん問題があるとしたら、それは自衛隊ではなくて「シビルの能力」にある、と私は見ているのですが。

【ただいま読書中】『貧困という監獄 ──グローバル化と刑罰国家の到来』ロイック・ヴァカン 著、 森千香子・菊池恵介 訳、 新曜社、2008年、2300円(税別)

 一時ニューヨークで大流行した「割れ窓理論(軽犯罪を厳しく取り締まったら、治安は回復し、都市の質が向上する)」が実は実証を欠いた「理論」だったことが指摘されます。「割れ窓理論」を採用したニューヨーク市では、警察予算の大幅増額(同時に福祉予算の大幅減額)と警察官の増員、各警察で検挙率と犯罪発生率を競わせる政策を採り、犯罪率の低下を見ました。ところが、ニューヨークでの犯罪率の低下は実はその前から始まっていて、さらに「割れ窓理論」を採用しなかった他の都市ではニューヨークほど金をかけなくても犯罪率は同じように低下していたのです。
 しかし「割れ窓理論」に基づく「ゼロ・トレランス(不寛容)政策」は、ニューヨークから「世界」にあっという間に広がりました。「犯罪との戦争」「公共空間の奪還」といった軍事的なメタファーが用いられ、「犯罪の温床」である貧困層がまるで「外国からの侵略者」のように敵視され、さらに「敵」に(まさに外国からやって来ている)移民が含まれるようになります。
 これは政治家から見たら「一石二鳥」の主張でした。議員はゼロ・トレランスを訴えると票が稼げます。同時に国家は治安問題の責任は国家にあるのではなくて地区住民にあると主張できるのです。
 世界各国の警察で「ゼロ・トレランス」が行われるようになった頃、ニューヨークでは「ゼロ・トレランス」は「人種隔離政策」とほぼ同義の行動になっていました。黒人とヒスパニックを集中的に狙った取り締まり(それも事実無根だったり違法なもの)が激増し、白人のほとんどは「街は以前より安全になった」とアンケートに答えたのに、黒人で同じ回答をしたのは1/3でした。
 ついでですが、裁判所も予算不足に陥りました。予算は前年度と同じですが、予算が大幅に増額された警察が張り切って捕まえまくった容疑者を大量に送り込んでくるので、裁判が間に合わなくなったのです。
 ゼロトレランスの理論はさらに進化しました。「兵役の義務と同じく、就労の義務が国家によって強制されるべき」というローレンス・ミードの主張が本書には紹介されています。就労しないのは本人の責任だから、底辺層に対してはたとえ社会法や労働法に抵触するような悲惨で過酷な労働であっても許される、という主張で、「強い国家」が貧困層の「モラル」を厳しく監督することが強調されます。ここで「福祉」は「刑罰の道具」として機能することになります。働かなければ刑務所送りなのですから。また「社会階級の対立」は消滅します(気をつけなくてはいけないのは、「階級」は消滅しないことです)。その代わり登場するのが「有能な者/無能な者」「責任感のある者/無責任な者」の「対立」です。
 勤勉が至上価値で、社会の底辺にいる者は自己責任でそこに留まっているだけ、という社会通念があった時代、ヴィクトリア朝時代への回帰のようです。「就労の義務」という言葉を聞くと、かつてイギリスの救貧院で一夜の保護にもれなく翌日の強制労働がセットでついてきていたことを私は想起します。
 この「(社会の「上」には)所得や税金は“自己責任”で、というリベラルな態度」と「(社会の「下」には)父権国家で強権的で不寛容な監督」のセットは、アメリカからあっという間に西欧全体に広まっていきました。この政策は「雇用の創出」も生みます。警官の増員、新しい刑務所の建設と維持……「刑罰市場」の創設です。
 「ゼロ・トレランス」を支持する「学者」の説についての分析もありますが、本書を読む限り、「地球温暖化に反対する学者の論」を読んでいるのと同じような感覚を私は得ました。「信念の強さ」と「エビデンスの乏しさ」が共通しているように思えたのです。さらに「社会保障(セーフティーネット)の欠陥を補うための手段が、厳罰化」という態度に、私は論理の危うさを本能的に感じます。現代はヴィクトリア時代よりは“進歩”している、と素朴に信じたい、という個人的事情もそこには機能しているのかもしれません。



発酵

2017-06-18 22:29:23 | Weblog

 我が家では毎年梅シロップを作っています。これまで特に問題はなかったのですが、今年はなぜか梅全体がシロップで浸るようになった頃から全体が濁り始め細かい泡が。密閉していた蓋を開けるとしゅかっとエアが抜けます。これは発酵です。このままにしていたらお酒になってしまうから、一度火入れをすることにしました。しかしシロップを加熱殺菌をしてから梅の実をもどして2日後、またぶくぶくと泡が。どうも梅の実にしっかり酵母菌がついているようです。「自然酵母」はパン屋さんでは人気ですが、梅シロップには邪魔でした。残念。

【ただいま読書中】『キリスト教一千年史(下)』ロバート・ルイス・ウィルケン 著、 大谷哲・小坂俊介・津田拓郎・青柳寛敏 訳、 白水社、2016年、3400円(税別)

 5世紀に「(聖母)マリア」を巡る大論争が起きます。「人が神を出産できるのか?」という素朴な疑問が出てきたのです。人と神の結婚は、ギリシア神話などで別に珍しいことではありません。しかしその結果人が出産するのはせいぜい半神、あるいは神的な力を持つ人間。神は神からだけ生まれるはずです。
 これは実は「マリア」ではなくて「イエス」の「神性」と「人性」を巡る論争でした。この時重要だったのは「主張の正しさ」よりも「声の大きさ」と「皇帝を動かす力(公会議そのものの開催許可を皇帝から取り付ける・公会議での議題選定・公会議の開催場所(ライバルが参加しづらい場所)の選定)」でした。この時シリアの司教たちは「マリア」を「神の母」と呼ぶことを支持し、それが東方諸教会で受け継がれていくことになります。
 次に問題になったのは「(イエスの)本性」の問題です。これを巡って開催されたカルケドン公会議は紛糾しましたが、このとき“副産物”がありました。キリスト教の世界では「ローマ」が「NO.1」で「NO.2」を巡ってコンスタンティノープルとアレキサンドリアが争っていたのですが、この公会議でコンスタンティノープルが「NO.2」と公認されてしまったのです。おさまらないのはアレキサンドリアの人たちですが。
 キリスト教の広がりは、地道でゆっくりしたものでした。しかしローマ帝国の外側に広がり始めたとき、パターンに変化が生まれます。たとえばグルジア王国やアルメニア、あるいはヌビアやエチオピアでは王や王女が率先して改宗したのです。キリスト教は権力と結合し、権力は宗教を自分の権威の強化に利用しました。
 6世紀の中頃、エジプトの商人コスマスは胡椒を求めてインドに旅をしました。途中、インド南西海岸マラバルやセイロンで「キリスト教の教会」を(当然信者も)発見しています。ずっと後の「プレスター・ジョン」の噂の種子がここで蒔かれたのかもしれません。後にイスラームも東南アジアに進出していますが、この海路は宗教が往来しやすい環境だったのかもしれません。陸路ではシルクロードを通って中央アジアにキリスト教は進出し、さらにシリア語を話す修道士たちは中国にまで到達しました。唐王朝はキリスト教徒を歓迎し、太宗(在位626-649)は修道院を建てる布告を出しています。敦煌で発見された文書では、布教のために「先祖崇拝・親孝行・皇帝の崇敬といった徳目」が強調され『受け入れやすい方法で受け入れさせる」戦略を教会が採っていたことがわかります。
 6世紀にはローマ帝国は全体としてキリスト教化されましたが、コンスタンティノープルは「ギリシア語を話すキリスト教徒」にとって「NO.1」の地でした。明らかに「東西ローマ」です。さらにコプト語を話すキリスト教徒(エジプトのキリスト教徒)も独自路線を歩もうとし、帝国教会は亀裂は大きくなっていきます。
 西欧では、ローマの支配が緩むと王たち(と王妃たち)が“舞台の主役”となり始めます。その代表がフランク王。その保護や支援を得ながら、修道士たちは西欧に布教し続けます。その結果8世紀には西欧のほぼ全域がキリスト教を受け入れました。
 7世紀初めササン朝ペルシアは北メソポタミアに侵攻し、614年ついにエルサレムに侵入、略奪・破壊・殺害を行います。聖地が汚されたことにキリスト教徒は衝撃を受けますが、アラブ軍は容赦なく版図を広げ、やがてコンスタンティノープルにまで迫っていきます。その中でもコンスタンティノープルでは「キリストの本性」についての議論がしつこく行われていて、東方キリスト教世界は大きく分裂してしまいます。ローマ帝国も没落を始め、そこにイスラームが勃興します。エルサレムはこんどはイスラームに支配されます。イスラーム支配地ではアラビア語が使われるようになりましたが、エジプトのキリスト教社会ではそれまでのコプト語を使い続けました。パレスチナ・シリア・メソポタミアではキリスト教徒の言葉はアラム語(またはシリア語)です。しかし8世紀中頃にはイスラームの優位性を認め、キリスト教の文献をアラビア語に翻訳する動きが本格的になりました。伝道のためではなくて、キリスト教の特徴を説明する(理解してもらう)ためでした。この時期にアラビア語を習得したことが、イスラーム支配下のキリスト教徒に独特の知的な環境(たとえばアリストテレスの研究)をもたらしたようです(もしかして、これが12世紀ルネサンスの“原因”?)。イスラーム支配下でキリスト教徒は「庇護民(ズィンミー)」でした。支配に服属し税を払う限り、宗教の自由が(教会建設の禁止、などの制限付きで)保障されていました。イスラームが北アフリカを西進していた頃、スペインではユダヤ人迫害がひどくなってきていました。711年ベルベル人部隊がジブラルタル海峡を渡ってスペイン侵略を開始。その勢いは、ピレネーを越えてフランク人の頑強な抵抗に遭うまで続きました。最初はキリスト教徒の“殉教者(イスラームの行政官の面前でわざとムハンマドの悪口を言って斬首される)”が相次ぎましたが(殉教者というか、自殺テロ?)、イスラーム法が行き渡り公用語としてのアラビア語が定着するとイベリア半島では改宗者(キリスト教→イスラーム)が増加しました。
 本書で特異的なのは「地域と言語」に注目していることです。スラヴ人への布教では、わざわざスラヴ語を書き表すために「キリル文字」が作られました。それだけの労力を払う価値がある仕事だという認識が教会にあったのでしょう。私が一番面白く感じたのは「アラビア語で書かれたキリスト教の文献」のくだりです。そこに住む人が使う言葉に“翻訳”しなければ何も伝わらないからしかたないのでしょうが。イエス・キリストはおそらくアラム語を喋っていたはずですが、その“ことば”がローマに広めるためにラテン語に“翻訳”されたとき、キリスト教は何かを失い何かが変質し何かを得たのではないでしょうか。言葉が違えば人に伝わる概念や意味も変化するはずですから。



チンダル現象

2017-06-17 06:43:48 | Weblog

 明るいところでトイレットペーパーをちぎってみたら、チンダル現象で、細かい紙埃がわっと立ち上がるのが見えました。これが和紙だったら繊維が長いからそこまで埃は発生しないはずで、水に溶けなくちゃいけないトイレットペーパーはとても短い繊維を漉いてできていることが改めてわかりました。
 だけどそれだと、トイレでトイレットペーパーを使うたびに、私たちはその紙埃を吸い込んでいるわけです。おやおや。

【ただいま読書中】『キリスト教一千年史(上)』ロバート・ルイス・ウィルケン 著、 大谷哲・小坂俊介・津田拓郎・青柳寛敏 訳、 白水社、2016年、3400円(税別)

 厳格なユダヤ教徒としてイエスはユダヤ教の規定を守り、形式化していた戒律を救い出そうと努力していました。そしてイエスの死後、教団はユダヤ人だけを相手に布教活動を継続していました。それを変えたのがパウロです。それまでキリスト教の迫害者だったのが復活したイエスに出会ったことで回心したしたパウロは、非ユダヤ人にまで伝道の対象を広げました。そこで問題になるのがユダヤの戒律の取り扱いですが、一番大切なのは「イエスの教え」ということで話は決着します。さらにパウロは「死からの復活」をキリスト教教義の基底に置きました。だからでしょう、パウロは「キリスト教最初の神学者」と呼ばれることがあるそうです。
 初期キリスト教で問題になるのは「ユダヤの律法」の取り扱いでした。ユダヤ人がキリスト教徒になったりキリスト教徒がユダヤ人と混在して暮らす共同体では、どこでもそれが争点となるのです。4世紀までシリアのキリスト教徒の一部は祝祭日にシナゴーグに行っていました。「暦」も大問題です。「暦の支配者」は人の生活すべてを支配できるのです。キリスト教ではまず「日曜」を「主の復活した日」として礼拝のために集まるようになりました。ついでユダヤの過越祭の春の日に年1回の祝祭を祝うようになります。これは後世「イースター(復活祭)」となりますが、最初はキリストの受難・死・復活を祝う厳粛な行事で、「過越祭」のヘブライ語「ペサハ」のギリシア語「パスカ」から「パスク」と呼ばれました。すると次の論争は、祝祭前の断食をどのくらい行うか、です。各地の教会で論争が行われます。また、グノーシス主義(私の単純な理解では、聖書を神秘主義的に理解する、大衆に大変人気のあった“キリスト教”)に対して「教会」は団結し、ゆるやかな地域共同体の結合は「組織」へと鍛え上げられていきました。
 最初の2世紀、キリスト教徒は(ユダヤ教徒とは違って)目立たないように生きていました。それがすこしかわったのは、3世紀の初頭にカタコンベ(地下の墓地)をローマで建設し始めたことです。ユダヤ人はローマの火葬の習慣を「死者への侮辱」とし、その1世紀前から地下墓地への埋葬を始めていました。同じく火葬を否定するキリスト教徒がそれを真似したのかもしれません。ただし“秘密基地”ではありません。地元の住民はその位置もいつ礼拝が行われるかも知っていました。カタコンベ建設にも“組織”の力が必要でした。同時期、キリスト教美術が出現します(おそらくそれまでもあったのでしょうが、証拠は残っていません)。
 249年に皇帝になったデキウスは、新年にあたりローマ市民に対してローマの神々への宗教的行事の正式な実践を求めました。それが免除されたのはユダヤ人だけ。ところがキリスト教徒は異教の神のために祈りませんでした。迫害が始まります。財産没収・投獄・拷問・死。キリスト教徒のコミュニティは「異教の神に犠牲を捧げる人」と「拒否して迫害される人」に分裂します。3世紀前半にローマ帝国は厳しい時代を経験していて、新しい皇帝は結束を強めようとしていたのかもしれませんが、同じ時期に人口が増えていたキリスト教徒はその“異端”ぶりが目立ってしまったのでしょう。デキウスの次の皇帝たちもキリスト教徒たちを「古の教え(ローマの宗教)」に戻すために迫害を継続しましたが、それは逆効果でした。311年上位の正帝ガレリウスは死の床で迫害の終結を宣言します。
 バラバラになりかけていたローマ帝国を再統一したコンスタンティヌスの肝煎りで、325年に最初の「全地公会議(教会の問題を討議する会合)」であるニカイア公会議が開催され、過越の祭りについてなど公的な決定がされます。さらにコンスタンティノープル公会議で「三位一体」が正式決定。キリスト教の“基礎”が確固たるものになります。
 3世紀後半のエジプトの砂漠にすでに修道士(というより、村の隠棲者)がいました。やがてその数は増え、共同体が緩やかに組織されていきます。4世紀末にはシリアの砂漠にもその動きは広まります。修道院は世界に定着し、やがて伝道の最前線に位置するようになります。また、イスラーム勃興語には修道院の内部で文書の翻訳が盛んに行われ、教会はシリア語からアラビア語に移行していきました。
 本書には「キリスト教司教たちが貧者を“発明した”」というピーター・ブラウン(歴史家)の言葉が紹介されています。聖書に登場する貧者は神によって聖なる地位を与えられていて、正義がなされるべき集団でした。貧者と困窮者に対する配慮は、早期から司教たちの「責任」だったのです。4世紀までに貧者と困窮者を世話する建物が造られます。名前は「クセノドケイオン(病院、療養所)」「プトコトロフェイオン(貧者の家)」など。これは貧しい旅行者や巡礼、異教徒でも利用可能でした。4世紀の司教パシレイオスは皇帝ウァレンスを巻き込んで「パシレイアス(後の「病院」の原型)」を建築します。