【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

おんなこども

2013-03-21 07:09:49 | Weblog

 もしも戦争が人類の必要悪だとしても、私は女と子供は兵隊にはしたくありません。女からしか子供は生まれないし、子供は人類の未来そのものですから。

【ただいま読書中】『両手を奪われても ──シェラレオネの少女マリアトゥ』マリアトゥ・カマラ、スーザン・マクリーランド 著、 村上利佳 訳、 汐文社、2012年、1600円(税別)

 アフリカ西岸、シェラレオネで育つマリアトゥは、貧しいけれどそれなりに幸せな子供時代を過ごしていました。しかし彼女が11歳の時、反乱軍が彼女の人生に攻め入ってきます。子ども兵を多く含む反乱軍は、村を焼き人々を次々殺し、「罰」としてマリアトゥの両手を山刀で切り落とします。大統領を支持する人、大統領に反対しない人たちへの見せしめとして。マリアトゥは「大統領」なんて知らないのですが。
 マリアトゥはなんとか西アフリカ諸国平和維持軍が駐屯している町にたどり着きます。そこで幼なじみの少年たちと奇跡的な再会をしますが、彼らもまた両腕を切り落とされていました。
 両腕と一緒に、彼らは、家族・親族・村の生活を奪われました。そして同時に、自分たちの未来と子供時代も奪われてしまったのです。さらに悪い知らせがあります。マリアトゥはレイプによって妊娠していたのです。
 それでも、人は生き続けなければなりません。たとえば、立ち上がる練習から始める必要があります(手を一切使わずに寝返りを打ったり立ち上がったりしてみたら、少しだけでもマリアトゥたちの疑似体験ができるかもしれません)。次は物乞いです。シェラレオネのフリータウンには戦争の犠牲者が溢れていましたが、そこで一番同情を引いて稼ぐことができる物乞いは、両腕を失った子供たちだったのです。嫌で嫌でたまらない思いですが、マリアトゥは耐えます。幼なじみ四人で1日かければ1万レオン(180円)も稼ぐことができるのですから。出産後、赤ん坊を抱いて立つと、稼ぎはさらに増えます。その「稼ぎ」は貴重です。政府は、難民キャンプは作りましたが、生活の援助はしてくれないのですから。赤ん坊は、栄養失調で死にます。
 欧米から援助が届くようになります。その中に、イギリスへの誘いがありました。イギリスの病院で義手作製をするために。しかし義手はマリアトゥには向いていませんでした。彼女は結局そのままシェラレオネに戻ります。持ち帰ったのは、「外国が実在する」という知識と簡単な英語能力、そして「自分の意志を主張して良いのだ」という自信でした。
 幸運なことにカナダからも誘いがありました。直感に優れたマリアトゥは「カナダこそ自分が行くべき所」とわかります。雪のことを「空から塩が降ってくる」と思っている程度の知識しかないのに。ただ、マリアトゥには知性があります。それと、ガッツも。シェラレオネで学校に行ったことがなかった少女は、まず図書館で幼児用の絵本を借りてきます。「勉強」を始めるのです。自分の人生を自分で作るために。
 本書には少女に対する割礼(クリトリスを切除)が登場します。それは女性に対する一種の性的な暴力ですが、それを受けることが当然の文化で育った人に対してあまりに性急に「否定」を押しつけることは「押しつけられた人たち」にとまどいと悲しみを生じさせるだけ、ということに無頓着な態度と言えるでしょう。マリアトゥ自身がその「押しつけられた人」になってしまったようで、もちろん本書には「文化的に進んだ欧米人」の人種差別的視線が露骨にあるとは読み取れないように書いてありますが、著者の文章に湛えられた悲しみから私は「無神経に押しつける側の基本原理は善意だとしても、無意識の蔑視があるのではないか」と感じられました。
 子ども兵だった人との出会い、相変わらず貧しいままの祖国との再会、そして「大統領」との会見。マリアトゥは「前」を向き続けます。しかし、自分が同時に「後ろ」にもきちんと向けることを知ります。最初の逃げるだけだった姿を思うと、ため息が出るような成長ぶりです。自分が同じ立場だったら、「前」を向くことさえできないだろうと思って、もう一つ私はため息をついてしまいます。



1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
マリアトゥ・カマラ (ETCマンツーマン英会話)
2014-04-07 15:00:43
映画『ブラッドダイヤモンド』に関連して同書を手に取りました。
>「無神経に押しつける側の基本原理は善意だとしても、無意識の蔑視があるのではないか」

マリアトゥ・カマラさんがスピーチで関連することをおっしゃっていました。「不具者は第三者が思う以上に、様々なことが自分自身でできる。まずは彼らの声に耳を傾けて欲しい。」すばらしい活動をされているマリアトゥとそれを支える人々、そして同書に感謝です。
返信する

コメントを投稿