小学校の教科書が来年からぐっと分厚くなるそうです。でも、授業時間は増えないんですよね。どうやって“消化”するつもりなんでしょう?
「あれもこれも」と盛りだくさんに詰め込まれたカリキュラムで教えられても結局「全部を使い切れないよう」と呟く人でこの世が充満するだけじゃないか、と私には思えます。ちょうど私が携帯電話の機能のすべてを使い切れていないのと同様に。
【ただいま読書中】『東方見聞録2』マルコ・ポーロ 著、 愛宕松男 訳注、 平凡社(東洋文庫183)、1971年、2800円(税別)
河北省では製塩が盛んですが、塩が専売制であることがさりげなく紹介されています。この前読んだ『塩鉄論』のことを思い出します。さらに「マルコは3年間ヤンジュー(揚州)を統治した」と、これまたさりげなく。いくら色目人が優遇される元朝とはいえ、ふらっとやって来た商人が重要な街を統治? サーニャンフ(襄陽府)攻略戦では、あまりの守りの堅さに攻めあぐねているカーンの軍に対して、ニコロ・マテオ・マルコ三氏は「巨大投石機の作り方を伝授しよう」と申し出ています。それで重さ300ポンドの巨石を城内に打ち込むと都市はあっさり降伏しました。
カタイ人は、花嫁の処女性をあまりに重んじるために、結婚直前に両家の代表が集まって花嫁の処女の確認を行なう、なんて風習がちょっとあきれた風で紹介されています。だからそこでは未婚の女性は歩くときも(処女膜に傷が付かないように)ちょこちょこ10センチくらいずつ小股で歩くんだそうです。しかし……きっちり確認するために指を突っこんで出血を確認って……それじゃもう処女ではないような。ちなみにタルタール人の女性は普段から馬に乗っているので、無傷の処女膜なんてものにはこだわらないそうです。(ただこれは生半可な噂と、たまたま見かけた纏足の女性の歩行とが組み合わさった結果のマルコ・ポーロの誤解のようです。というか、纏足そのものの描写がないということは、著者は色目人とタルタール人とは交際をしたが中国人とはある程度以上の関係を持たなかったということなのでしょうか)
さて、チパング。黄金の島で、宮殿は純金ずくめ、さらに真珠も豊富で、土葬する場合には口に真珠を一つ含ませるのだそうです。どこの国のこと? クブライ・カーンは征服軍を送りましたが暴風雨のため失敗(これは日本側の記録と合致します)。孤島に数千(ないし数万)の兵が遺棄されましたが、本書では彼らは日本側の隙を突いて日本本土に進行して都市を占領した、とあります(日本側の記録および元史では、日本軍の追撃ちでほとんどは島で殺されています。高麗軍の一部は長門に上陸していますが)。なお、チパングに住むのは「偶像教徒」で、頭が3つとか手が千本の偶像をありがたがっているそうです。仏像もこう書かれるとまるで魔教のようですね。また、チパング諸島が面している海は「チン海(秦海)」だそうですが、本書の記述を素直に読むと今の「東シナ海」のことです。魏志倭人伝の時代から、中国から見たら日本はつまりは九州のことで、それ以外は九州の後背地という扱いだったのでしょうか。
ジャヴァ(スマトラ島)では、北極星も北斗七星も見えない、と驚きを込めて書かれています。そうそう、こういったことをたくさん書いて欲しいのですよ。マルコ・ポーロは、あまりに多くの驚異を見聞しすぎて、どれもこれも伝えようとまるでカタログ制作のような態度になってしまいました。私個人としては彼自身の“物語”をもっと深く知りたいとも思いますが、それを求めると今度は各王国や各地方の“データ”が落ちてしまうかもしれませんし、これはなかなか難しいところではあります。ただ、「歴史」とは単に「勝利者が書いたもの」だけではなくて、こういった民間人が書き残したものにもその断片が光り輝いていることは明らかです。ただ、マルコ・ポーロが中国で行なった活動についてもっと詳しく知りたいし、帰りはなぜ海路にしたのか、そのへんの事情についてももっと知りたいなあ。読み終えて、ちょっと欲求不満が残っています。
「あれもこれも」と盛りだくさんに詰め込まれたカリキュラムで教えられても結局「全部を使い切れないよう」と呟く人でこの世が充満するだけじゃないか、と私には思えます。ちょうど私が携帯電話の機能のすべてを使い切れていないのと同様に。
【ただいま読書中】『東方見聞録2』マルコ・ポーロ 著、 愛宕松男 訳注、 平凡社(東洋文庫183)、1971年、2800円(税別)
河北省では製塩が盛んですが、塩が専売制であることがさりげなく紹介されています。この前読んだ『塩鉄論』のことを思い出します。さらに「マルコは3年間ヤンジュー(揚州)を統治した」と、これまたさりげなく。いくら色目人が優遇される元朝とはいえ、ふらっとやって来た商人が重要な街を統治? サーニャンフ(襄陽府)攻略戦では、あまりの守りの堅さに攻めあぐねているカーンの軍に対して、ニコロ・マテオ・マルコ三氏は「巨大投石機の作り方を伝授しよう」と申し出ています。それで重さ300ポンドの巨石を城内に打ち込むと都市はあっさり降伏しました。
カタイ人は、花嫁の処女性をあまりに重んじるために、結婚直前に両家の代表が集まって花嫁の処女の確認を行なう、なんて風習がちょっとあきれた風で紹介されています。だからそこでは未婚の女性は歩くときも(処女膜に傷が付かないように)ちょこちょこ10センチくらいずつ小股で歩くんだそうです。しかし……きっちり確認するために指を突っこんで出血を確認って……それじゃもう処女ではないような。ちなみにタルタール人の女性は普段から馬に乗っているので、無傷の処女膜なんてものにはこだわらないそうです。(ただこれは生半可な噂と、たまたま見かけた纏足の女性の歩行とが組み合わさった結果のマルコ・ポーロの誤解のようです。というか、纏足そのものの描写がないということは、著者は色目人とタルタール人とは交際をしたが中国人とはある程度以上の関係を持たなかったということなのでしょうか)
さて、チパング。黄金の島で、宮殿は純金ずくめ、さらに真珠も豊富で、土葬する場合には口に真珠を一つ含ませるのだそうです。どこの国のこと? クブライ・カーンは征服軍を送りましたが暴風雨のため失敗(これは日本側の記録と合致します)。孤島に数千(ないし数万)の兵が遺棄されましたが、本書では彼らは日本側の隙を突いて日本本土に進行して都市を占領した、とあります(日本側の記録および元史では、日本軍の追撃ちでほとんどは島で殺されています。高麗軍の一部は長門に上陸していますが)。なお、チパングに住むのは「偶像教徒」で、頭が3つとか手が千本の偶像をありがたがっているそうです。仏像もこう書かれるとまるで魔教のようですね。また、チパング諸島が面している海は「チン海(秦海)」だそうですが、本書の記述を素直に読むと今の「東シナ海」のことです。魏志倭人伝の時代から、中国から見たら日本はつまりは九州のことで、それ以外は九州の後背地という扱いだったのでしょうか。
ジャヴァ(スマトラ島)では、北極星も北斗七星も見えない、と驚きを込めて書かれています。そうそう、こういったことをたくさん書いて欲しいのですよ。マルコ・ポーロは、あまりに多くの驚異を見聞しすぎて、どれもこれも伝えようとまるでカタログ制作のような態度になってしまいました。私個人としては彼自身の“物語”をもっと深く知りたいとも思いますが、それを求めると今度は各王国や各地方の“データ”が落ちてしまうかもしれませんし、これはなかなか難しいところではあります。ただ、「歴史」とは単に「勝利者が書いたもの」だけではなくて、こういった民間人が書き残したものにもその断片が光り輝いていることは明らかです。ただ、マルコ・ポーロが中国で行なった活動についてもっと詳しく知りたいし、帰りはなぜ海路にしたのか、そのへんの事情についてももっと知りたいなあ。読み終えて、ちょっと欲求不満が残っています。