【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ステート・アマ

2018-02-28 07:31:09 | Weblog

 もう死語ですが、昭和の時代のオリンピックでは「ステート・アマ」という言葉が言われていました。自由主義国家では「アマチュアリズム」を大切にしているのに、ソ連や東独などでは国家がバックとなって選手の生活を保障して「アマチュア」を養成している、だから競技にだけ集中できてメダルを大量に取ることができる、だけどこれは「純粋なアマチュア(学生や社会人が“本業"の合間にトレーニングをしているスポーツマン)」ではない、という非難の論調でした。
 ところがいつのまにかオリンピックに「プロ」が平気で参加するようになりました。さらに最近の日本では「1年のうち300日の合宿をする」なんて「真の意味でのナショナルチーム」が機能するようになりました。ところでこれは、かつて日本で非難されていたステート・アマとどこが違うのでしょう?
 かつての共産主義国家のレベルまで日本のスポーツ界が“進歩"した、と喜ぶべき?

【ただいま読書中】『日本の養老院史 ──「救護法」期の個別施設史を基盤に』井村圭壯 著、 学文社、2005年、2200円(税別)

 「養老院」は1932年(昭和7年)施行の「救護法」で「孤児院」と並列で使用され、昭和の時代には一般化した用語として使われていました。私自身、子供時代から平気でこの言葉を使っています。たぶん平成になる頃まで使っていたんじゃないかな。
 本書では、戦前から戦後まで存在した「養老院」をいくつか取り上げ、そこに残る原史料を元に日本の社会や政策について述べようとしています。
 まずは「佐世保養老院」。これは浄土宗の僧侶川添諦信が1924年(大正13年)寺の境内に創設、佐世保仏教婦人救護会がその運営を支えました。年次報告書には、慈善家の寄付などの他に、市や本山からの補助金も記載されています。昭和元年からの補助金一覧表がありますが、3年からは県の補助金、8年からは内務省の助成金や下賜金が記載されています。
 1929年に成立した「救護法」では、認可された施設は公的な救護施設として扱われ、依託救護費が支給されました。ただ、収容者の中で救護法による被救護者が少ない施設は、救護費は少ない上に補助金は削られて内情は火の車になったようです。佐世保養老院では被救護者の比率が高く、事業収入や土地柄か海軍からの寄付金もあり、そこまで苦しい思いはせずにすんだようです。
 「別府養老院」の年次報告書は大正14年から昭和16年度までのものが保存されています。戦前の養老院は、数自体が少なく、史料が戦火で焼けてしまったものが多いので、佐世保や別府の年次報告書は存在するだけで貴重だそうです。
 昭和13年に「社会事業法」が成立。この法律の目的は、「慈善事業」を「社会事業」として戦時体制に組み込むことでした(同じ年に「国家総動員法」も公布されています)。養老院をどうやって戦時体制に適応させるのか、と私は一瞬きょとんとしてしまいます。戦時下では募金も集めにくくなり、病人や死者が増え、しかたなく閉鎖する養老院もあったそうです(当時の養老院は街中に作られていたため、空襲で焼失というケースも多かったようです)。
 養老院の運営には,地域の婦人会などの戸別訪問での募金要請などの協力が欠かせませんでした。しかし戦時色が強くなると、人びとは余裕をなくし、婦人会は他の仕事が増えます。養老院の衛生状態は悪化して、ノミ・シラミの巣窟となるところもありました。温暖な九州であっても冬には死者がどんと増えます。国家体制に組み込んだくせに、厚生省からの補助金は十分なものではなかったのです(国庫補助金が増額された場合、地方からの補助金が減額されました)。
 「福祉」という概念が戦前には未成熟だったから、内務省や厚生省の政策は「戦争のために身寄りのない病弱の老人をどう活用するか」に偏っていたようです。おっと、最近の政府も「福祉」政策で軸がぶれ続けているように私には見えます。「戦争」ではなくて「金がない」ことが大義名分となっていますが、「福祉」をきちんとやる気がないのか、あるいは「福祉の概念」をお役人はきちんと獲得できていないのかもしれません。まさかお役人の意識は、戦前とそれほど変わりがない?



メダルの“価値"

2018-02-27 07:02:18 | Weblog

 銅メダルで狂喜乱舞の人もいました。銀メダルで不服そうな人もいました。メダルの“価値"って、相対的なものなんです?

【ただいま読書中】『三階に止まる』石持浅海 著、 河出書房新社、2013年、1600円(税別)

目次:「宙の鳥籠」「転校」「壁の穴」「院長室 EDS 緊急推理解決院」「ご自由にお使いください」「心中少女」「黒い方程式」「三階に止まる」
 表紙を見て私は笑います。「三階に止」とでかでかとあるのですが「まる」がありません。不思議に思いながら表紙をめくるとカバーの折り返しの部分にちゃんと「まる」が続いて隠れていました。
 最初に「学園もの」+「殺人の謎解き」の短編が3つ並んでいます。おっと、最初は「学園」ではなくて「大学」でしかもその卒業生の話だし、どれも純粋な意味での「殺人事件の犯人捜し」とは言いにくいのですが。
 「院長室 EDS 緊急推理解決院」は他の人が設定した「EDS 緊急推理解決院」という舞台を使って複数の作家が短編を寄せる、というアンソロジーのための作品だそうです。謎解きとしては明らかに無理筋が見えますが、これはアンソロジーの中で読むべき作品なのでしょうね。
 死に直面した夫婦の、超絶論理的な会話だけで成り立った作品もあります。そして最後は、怪談のようなホラーのようなミステリーのような……いやいや本当に、あそこの住人は何をやらかしたんでしょうねえ? 著者が意図した方向とは違うかもしれませんが、私は「自分の悪意の存在」について自省してしまいました。
 どの作品でも言葉の上でのかすかな「違和感」が会話の中でどんどん増幅され、驚愕の結論にたどりついてしまいます。いやあ、楽しめるけど、細心の注意を払って読む必要があるので、心が疲れているとき読んだら、もっと疲れるかもしれません。



メラニン不足

2018-02-26 07:01:39 | Weblog

 金髪は憧れの存在なのに、白髪は嫌われるのは、なぜ? 毛髪でのメラニン減少という現象の本質は似ているのに。

【ただいま読書中】『毛の人類史 ──なぜ人には毛が必要なのか』カート・ステン 著、 藤井美佐子 訳、 太田出版、2017年、2400円(税別)

 アフリカの動物で毛皮を持つものは、長時間の運動ができません。体内に熱が貯まるため、少し運動したらすぐに休んで熱を冷ます必要があるのです。人類はその点で有利でした。毛皮はないし汗をかくことができますから。……ところで、どうして暑い地方の動物は毛皮を持ったまま進化したんでしょうねえ? 生存に有利な点があるはずですが。
 イギリスのアラン・チューリングは、同性愛の罪で逮捕される数箇月前に「皮膚に起こりうる生物学的パターン形成の説明となる機械論的モデルを記した論文」を発表していました。逮捕がなくこの研究がそのまま継続されていたら、コンピューター科学だけではなくて、皮膚の毛包配列に関する理解の進歩に彼は大きな貢献ができていたかもしれません。チューリングの数理モデルでは「受容細胞」「成長因子」「成長因子によって形成される濃度勾配」の三つの要素が重要である、とされました。
 「毛の研究」は最初は「産業のため」でした。良い羊毛が大量に入手できるために科学者は熱心に研究をしたのです。その過程で「毛包幹細胞」の位置も特定されました。だったら発毛のためには幹細胞を移植したら解決? 残念ながらその実験は失敗。どうも表皮と真皮の二つの組織の細胞が相互作用をすることが発毛に必要らしいのです。まるで子作りをするために両性が協力するみたいです。ただ、この二種類の細胞がどうやってコミュニケーションをして、発毛周期を生み出しているのかは、まだ謎です。
 「毛の疾患」で一番ポピュラーなのは男性型脱毛症で、古代エジプトのパピルスにもすでにその記録があります。歴史上有名なのは、古代ローマのユリウス・カエサルでしょう。1942年イェール大学解剖学教授ジェームズ・ハミルトンは去勢男性104人にアンドロゲンを注射する実験で、アンドロゲンと遺伝的因子の両者が男性型脱毛症に関係あることを明らかにしました(ただし、禿げ始めてから去勢してももう手遅れだそうです)。
 円形脱毛症という病気もあります。これは男女とも発症し、重症の場合には「円形」ではなくて全身の毛が抜けてしまいます。広範囲の脱毛は、重要な臓器を失ったときと同じ反応を人に起こします。さらに毛を失った人は、対人コミュニケーションの手段を一つ失うことになります。ヘアスタイルは、社会的・文化的・宗教的なメッセージでもあるのですから。そして、長髪・短髪、ヒゲの有無などは長期的なサイクルで繰り返され、親の世代と子の世代の対立はどの時代にもありました。
 陰毛は多くの社会では露わにされないものですが、それでも豊かな“ストーリー"を独自に持っています。「ヘアヌード解禁前の日本」で芸術での陰毛の描写が法律で厳しく規制されていたことが著者には奇異に見えるらしく「過剰に神経質」「偽善の気配」なんて表現を使われています。もしかしてあの政策は世界に恥をさらしています?
 健康な人の髪の毛は1本で100グラム以上の重さに耐えます。髪の毛の主成分であるケラチンというタンパク質は、けっこうな引っ張り強度を持っているのです。ケラチンは、弱い水素結合と強い硫黄結合で毛幹の形(直毛か巻き毛か)が定まります。水素結合は熱と水で簡単に切れますが、すぐ元に戻ります。硫黄結合は硫黄を含むリラクサーという薬品で切断・再結合が可能で、これが「パーマ」です。
 「色」もまた髪が送る重要なメッセージで、全世界での毛染め市場は年間100億ドル以上だそうです。昔から表面に染料を塗る毛染めは行われていましたが、19世紀後半に、過酸化水素で脱色して化学染料で毛の内部まで染める永久染毛のテクニックが開発されました。
 パーマや永久染毛は髪の毛を傷めます。そこでかつらを使う人もいます。こちらには、癌の化学療法などで脱毛の副作用が出た人への用途もあります。宗教的なかつらもあります。正統派ユダヤ教徒では、女性が地毛を見せて良いのは夫と近親者だけなので、人前に出るときにはかつらをかぶるのです。
 動物の毛にも、人との関りで長い歴史があります。野生動物(あるいは養殖されているミンクなど)の毛皮に対する反対運動がありますが、2012〜13年の毛皮売上高は全世界で400億ドルだそうです。昔から羊毛はイングランドの重要な輸出品でしたが、毛織物はフランドルの技術の方が上でした。そこで13世紀にフランドルからの技術者の移民を迎え入れ、14世紀後半には毛織物の輸出が急増、16世紀にはイングランドはフランドルを越える毛織物の輸出ができるようになりました。羊を傷付けないように毛を刈るためのテクニックも向上、今では鋏ではなくて注射(タンパク質の成長因子)で時期が来たら自然に毛が剥がれ落ちるようにするやり方もあるそうです。そういえば、大英帝国になってから、インドには毛織物が全然売れないのでインドとの貿易が大赤字となり、紅茶の代金が払えないのでアヘンを清に売って銀を大量に得たのではありませんでしたっけ? 植民地経営も大変です。
 筆、楽器、釣り具などでも「毛」は大活躍をしています。原油流出事故の時に、油の吸着剤としても「毛」が使えます。犯罪捜査でも「毛」は重要な役割を果たしますし,ドーピング検査にも使えます。そのうちに「食糧」としても使えるようになるかもしれません。
 「毛」と言うとついつい表面的な見方をしてしまいますが、「根っこ」はなかなか深いようです。



馬鹿

2018-02-25 08:21:33 | Weblog

 「馬鹿」「馬鹿という奴が馬鹿だ」「お前だって今馬鹿と言ったじゃないか」 ……私が子供時代によくやった口げんかです。
 ところで、馬鹿に対して柔らかく悪口を言っても(馬鹿ですから)意味を掴んでもらえません。だから直裁に「馬鹿」と言う必要もあるでしょう。ところがそれでも意味を掴んでもらえない場合、「馬鹿」と言う行為をしつこく繰り返すのは、相手の馬鹿さ加減が判定できず相手に理解できる形で言葉を使う工夫ができない、という点で「馬鹿と言っている側」もまた「馬鹿」である、ということになります。なるほど、「馬鹿と言う奴」もやはり馬鹿だったんですね。

【ただいま読書中】『われに千里の思いあり(下) 名君・前田綱紀』中村彰彦 著、 文藝春秋、2009年、1700円(税別)

 老骨に鞭打って現場に再登場した前田利常は、孫の犬千代の成長を心待ちにします。その間に将軍家では、駿河大納言の仕置き、将軍家光の死去などが続き、同時に保科正之の存在が大きくなります。年貢制度の不合理を正すため、利常は「改作法」という公正な年貢制度導入を始めます。犬千代は将軍家綱お声掛かりで元服、松平加賀守綱利となります。そして、明暦の大火。本書のはじめからここまで、一体何回大火があったでしょう。
 利常は綱利の正室として、保科正之の姫に注目します。この「緣」は、相当強力な働きをしてくれて、自分の死後も前田家を守ってくれるだろう、と。さらに利常は、綱利の岳父となった保科正之に綱利の後見人になることを依頼。早くに父を失った綱利の後見人/父/師匠として、人物として信頼でき、さらに幕閣で最有力な人を準備しておいてから、綱利は安心して小松城へと旅立ちます。
 面白い試算が登場します。初めてお国入りを許された綱利の大名行列は11泊12日で江戸から金沢までの旅をしましたが、総勢2000人一泊7000円と少なめ安めに見積もっても往復3億円かかる、というのです。参勤交代は、とんでもない散財旅行だったのです。さらに幕府は次々大工事の「お手伝い」を大名に命じます。これは「散財」をさせることで大名の力を削ぐため、という「目的」があるはずですが、「単に財政感覚を当時の人が欠いていた(いくらでも米(=通貨)は生まれている、と思っていた)」ことも幕府が平気で次々大名に支出を強いていた原因の一つではないか、と本書では推論されています。たしかに江戸時代には「予算」という概念はどの藩にもありませんでしたからねえ。……おっと、今の日本政府もその経済感覚はちょっと怪しいフシがありますが(紙幣はいくらでも印刷できるし、国債はいくらでも発行できるし、租税はいくらでも徴収できる、と思っているフシがあります)。「昔の人を笑う」なんてことはできないでしょう。
 保科正之は幕府を舞台に「善政」を行い、それを手本に前田綱利は加賀での「善政」を目指します。そのためには、自分自身が文武両面で向上しなければなりません。さらに前田家の後継者も確保する必要があります。「名君」は大変です。私のように、暇なときに楽しみのための読書をしたりテレビを見てあははと笑っているようでは「名君」にはなれそうもありません。



魔女告発

2018-02-24 15:01:41 | Weblog

 「あいつは魔女だ」と告発して、もしそれが真実だったら告発者は魔女によって瞬殺されるでしょう。魔女は人びとに害を為すコワイ存在なんでしょう? その存在の秘密をバラす者はあっさり排除されるはずです。でも、もしその告発が口から出まかせのデマだったら、「魔女ではない人を魔女だと誹謗し魔女裁判でその命を危うくする」という、とっても失礼で陰険な行為を告発者はしていることになります。
 どちらにしても、「あいつは魔女だ」という告発は軽々しくはやらない方が良いと、私は考えます。

【ただいま読書中】『われに千里の思いあり(中) 快男児・前田光高』中村彰彦 著、 文藝春秋、2008年、1800円(税別)

 大坂冬の陣・夏の陣、長男の誕生、徳川家康の死……前田利光は多忙です。(文字通り奥御殿におわす)奥方のお珠の方(徳川秀忠の娘)は年子を次々と生み、腹が空いているときがありません。子だくさんなのは「御家」のためには良いことですが、母体には過酷だったことでしょう。結局お珠の方は若くして死んでしまいます。子供の死亡率も高く、人の命が簡単に失われる時代だったから「家族が亡くなる」ことは身近な現象ではありますが、慣れた分だけその悲しみが軽かったわけではないでしょう。
 徳川家康は前田家を警戒し続けました。大坂の先陣で「忠義を見せよう」と勇猛に戦えば「あの勇猛さをこちらに向けたら危ない」と考えます。それがわかるから前田家も徳川家との関係を大切にして「前田家が裏切るわけがない」と信頼してもらう必要があります。まして秀忠が外様だけではなくて譜代・親藩まで次々大名を取りつぶしているのを見ると、ますますその「信頼」が大切になります。お珠の方が亡くなることで「関係」が切れてしまいましたが、そこで秀忠が利光の娘の亀鶴姫を養女に望んだことから、「関係」が復活することになります。
 利光は「将軍家光」をはばかり名前を「利常」に改名。すると将軍は利常の息子に「光」の字を与えます。前田光高の誕生です。将軍家と前田家の関係は良好に見えました。しかし、金沢の大火、大御所(秀忠)の不例などで、前田家にまたもや改易あるいは御家断絶の危機が。この時代、「泰平の世」のはずですが、まだ戦国の記憶は新しく、日本中に武装集団(あるいは個人)が充満しています。人びとは泰平を楽しみながらもまだ緊張感を緩めるわけにはいかないのです。最近の日本の政治家でにやけた顔で平気で「緊張感を持って」なんて言っている人がいますが、本当に緊張の中に生きている人はそんなことを口に出す余裕はありません。
 本書には、俗謡や踊りなども所々に差し挟まれ、「時代」の雰囲気を“リアル"に伝えてくれます。歴史の教科書で無味乾燥な記述や年表を見ているだけとは違う「歴史」がここにはあります。
 島原一揆が起き、疝気の病に苦しむ利常は引退を考えます。ただし、単純に引退するだけだとまた幕府にあらぬ疑いをかけられるかもしれません。そこで「120万石」を三人の息子で分割統治することで小さく見せる(その分「脅威」が減って感じられる)、などの工夫を利常は考えます。「緊張」は彼が引退するとき、引退した後まで続くのです。そして、その後を襲った光高は、父や祖父の「武の政治」とは違った道を歩もうとしていました。しかし(著者の見立てでは)急性心筋梗塞で光高は若くして病死。引退したはずの利常は孫の幼君の後見として現場に復帰することになります。



メダル確実

2018-02-23 21:57:36 | Weblog

 本当にメダルが確実なのなら、競技は省略してそのまま表彰式を始めれば良いでしょう。無駄な時間の節約です。「試合をしてみないとわからない」のだったら、試合の前にごちゃごちゃ言う必要はないでしょう。

【ただいま読書中】『われに千里の思いあり(上) 風雲児・前田利常』中村彰彦 著、 文藝春秋、2008年、1800円(税別)

 朝鮮出兵で騒然としている金沢。お城に新米の奥女中として上がった千世保(ちょぼ)は慣れない環境に戸惑うばかりですが、彼女にいろいろ先輩が教える形で、当時の風習や世相などが読者に解説されていきます。名護屋に「洗濯女」という名目(実態は愛妾)で派遣されたちょぼはそこで前田利家の子を懐妊し男児を出産、その子は猿千代と名付けられます。守役のところですくすくと育った猿千代は八歳の時異母兄前田利長の養子となり、関ヶ原直前の難しい折衝の中で人質に出されることになりますが、その数日後にもう決戦の決着がついてしまいます。そのため即座に小松城の城主に任命。そして九歳で徳川秀忠の娘子々姫(あらため珠姫、わずか三歳)と祝言を挙げます。そして、帝王学や性教育を受けることに。そして、徳川家が家康から秀忠に代替わりするのに合わせるように、前田家は利長から犬千代へ代替わりをすることになります。その前に元服が必要ですが、それを聞いた家康は「自分が烏帽子親になろう」と。前田家が徳川家の手駒に完全になったことを天下に知らしめる行為です。さらに家康は、犬千代を松平利光に改めます。豊臣側の「前田は豊臣恩顧。いざという時には見方をしてくれるだろう 」という願いをみごとに潰しました。
 しかしそれで「もう安心」ではありません。徳川家から少しでも疑念を受けないように、行動には細心の注意が必要です。そうでなければ加賀一二〇万石の維持はおぼつかない。
 関ヶ原の後始末、大坂からの誘い、切支丹……前田家を次々危機が襲いますが、その焦点に豪姫がいる、というのは、意外な展開でした。「前田利家の娘」「豊臣秀吉の養女」「宇喜多秀家の正室」「切支丹」とこれだけの“要素"を持っているから、それは確かに前田利常も扱いに困りそうです。



日本の医療の評価

2018-02-21 07:15:01 | Weblog

 20世紀末にWHO(世界保健機構)が世界中の国の保健医療制度を比較してランクを付けたことがあります。その時日本は200ヶ国近くの中で「1位」でした。先進国の中ではコストをかけずに世界最高水準の医療を提供できてその結果も出していることが高く評価されたのですが、日本のマスコミはそれをほとんど無視していました。当時は「医療費が高すぎる」「医者は儲けすぎている」「医療事故がひどい」「海外の医療は進んでいる(日本の医療はレベルが低い)」といった報道が人気があったので、「日本の医療は実は世界一」というのはマスコミにとっては「不都合な真実」だったのかもしれません。
 その後厚生省は厚生労働省になり、「医療費亡国論」でコスト削減を容赦なくやり続けていますから、その結果日本の医療のレベルはどんどん落ちてきているでしょう。それは御用マスコミには大変満足な結果なんでしょうね。

【ただいま読書中】『医療制度改革の比較政治 ──一九九〇〜二〇〇〇年代の日・米・英における診療ガイドライン政策』石垣千秋 著、 春風社、2017年、5400円(税別)

 アメリカでは、1908年に眼科領域で「専門医機構」を設立する運動が始まりました。少し遅れて耳鼻科・産婦人科・皮膚科などでも同様の動きが起こり、1933年には米国専門医機構が設立され、第二次世界大戦には軍医として専門医が召集されるようになり、専門医制度が確立します。日本軍は開業医を召集して「何でも治療しろ」でしたが、ずいぶん差がありますね。アメリカの学会は専門分化の傾向が強く、医療政策の決定にはその専門家が集まる小さな学会の発言権が大きくなっています。
 イギリスでは、一つの学会にメイン領域と専門領域が含まれる傾向が強く、ガイドライン選定などには大きな学会の賛同が必要になります。
 日本では、医師の教育は文部科学省・医師の管理は厚生労働省が行います。また日本の独自性として「自由標榜制(専門家でなくても「自分は○○科の医者だ」と名乗ることができる)」があります。
 「医療政策における政治」を論じた先行研究では「医師会」が中心に据えられて「学会」は無視される傾向があるが、実は学会(それもサブスペシャリティーの学会)が重要だ、というのが著者の主張です。ここで著者が導入するのは「認識共同体(特定分野での専門家のネットワーク)」という概念です。政策決定に当たって認識共同体がアイデア提供と「ロードマップ」としての機能を果たす、というのです。この場合、「ネットワーク」が「国内」に限定されないのが、ここでの議論のキモになりそうです。
 医療費削減は先進諸国に共通の課題です。しかし国が診療内容に一々口を挟むことはできません(国が「この患者にはこの薬を使え」「この患者には手術をするな」と一人一人命令する、そしてその結果にすべて責任を負うのだったら、話は別ですが)。そこで「診療ガイドライン」で包括的に診療内容に制限を加え、その結果として医療費を削減しようとしています。そこで診療ガイドラインの決定に重要な役割を果たすのが、「認識共同体」としての「専門学会」です。
 1980年代に「診療ガイドライン運動」が起きましたが、この時の目的は「診療の標準化(医者によって治療内容のバラツキがないようにする)」でした。それが90年代にはEBM(エビデンスに基づく医療)の導入によって医療の質(と効率)を上げることが期待されるようになりました。そこに政治が(医療費削減を目的として)乗っかります。
 どこの国でも医者は「国家が策定するガイドライン」を警戒するそうですが、それは「目的」が医者(医療の質)と政治家(経済)で違うからでしょう。
 アメリカの「出発点」は「高額な医療費」でした。世界でも突出した負担でしたが、かかる費用に見合った効果があるわけではない(アメリカの医療が国際的に決して優れたものではない)ことが調査で示され、連邦機関が中心となってガイドライン策定の動きが始まり、当初は全米がそれを歓迎していましたが、専門学会が反対を表明して共和党に働きかけるとその動きは頓挫、結局連邦機関の役割は診療ガイドライン情報を蓄積するデータベース管理に限定されました。イギリスでは「大英帝国の没落」が出発点で、サッチャー政権は納税者に人気のある「租税による医療」を民営化ではなくて効率化で生き延びさせようとしました。専門性がアメリカほど強くない医学会もそれに協力し、結果として英国では診療ガイドライン政策は成功しています。日本は大学医局ごとに医師が養成されていたため「医師によって診療内容にばらつきがあるのが当たり前」の状態でした。日本では学会は英米とは違って医師会の下部に位置づけられていて、医師会が厚生省(厚労省)と対立すると診療ガイドライン政策は行き詰まってしまいました。
 著者は「専門家の学会が診療ガイドライン策定に決定的な影響を与える」という仮説で本書を綴っていて、どうやらその仮説は正しいようですが、では「未来」はどうなるのでしょう。少子高齢化社会で高齢者がどっと増えますが、その医療に対する「専門家」の「認識共同体」って、どこにありましたっけ? 少なくとも厚生労働省は「コスト」しか見ていないから「専門家」ではありません。では医師会? こちらも「専門家の力」は弱そうです。では、どこかの学会? さてさて、日本の(医療政策に関する)未来は、どうなっていくのでしょうねえ。



火山を分類する意味

2018-02-20 06:53:48 | Weblog

 私は小学校の理科で「活火山」「休火山」「死火山」の区分を習いましたが、現在はこの分類は使われていないそうです。2014年に突然噴火して多数の死者が出た御嶽山は1979年の噴火までは「死火山」だったそうで、火山を分類する行為自体に意味がないのかもしれません。そもそも「活火山」とわかっていても、先月の草津白根山のように「想定外の所」から噴火する場合もありますし。「危険な自然」については「“ラベル"を貼って安心する」という態度は採用しない方が良いんじゃないかな。

【ただいま読書中】『火山と原発 ──最悪のシナリオを考える』古儀君男 著、 岩波書店、2015年、520円(税別)

 2002年に出版された『死都日本』(石黒輝)は、超巨大噴火(破局噴火)によって日本が壊滅状態になる過程をリアルに描き、驚いた火山学者たちは翌年「火山小説『死都日本』シンポジウム」を開催、2005年に日本地質学会は異例の表彰をこの小説に対して行っています。
 「超巨大噴火」とはどのくらいの大きさなんでしょう? 1991年の雲仙普賢岳の火砕流は、超巨大噴火の0.2%にも満たない「小規模火砕流(噴火)」だそうです。20世紀最大の噴火と言われたピナツボ火山も10%程度の「巨大噴火」。超巨大噴火や破局噴火では大きなカルデラができますが、日本の歴史では、過去12万年に超巨大噴火は9回、破局噴火を含めると17回のどでかい噴火が起きていることになります(計算上は「7000年に1回」となります)。最新のものは、7300年前の南九州・鬼界カルデラでの超巨大噴火ですが、これによって九州の縄文文化は壊滅しました。上空3万mまで上昇した噴煙柱は空気の密度が下がると上昇できなくなって崩れ、周辺に大規模火砕流となって広がりました。火砕流は海と陸の上を100km以上走り、同時に上からは大量の火山灰が降り注ぎました。降下火山灰の地層は九州南部で50〜100cm、関東でも数cm。さらに「火山の冬」も加わり、九州は900年間森が再生せず不毛の地となっていたと推定されています。
 7万4000年前にスマトラ島の北部で起きた「トバ湖」の超巨大噴火は、人類史上最大のもので、ホモ・サピエンスも絶滅の危機を迎えました。現在の人の遺伝子が多様性を欠きかなり均質なのは、7万4000〜7万5000年前に、数百万の人口が3000〜1万に激減した、とすると上手く説明できるそうです(生き延びた人たちは「衣服」を発明して「火山の冬」をしのいだのではないか、という説もあるそうです)。
 川内原発がある地には、かつて、加久藤・姶良・阿多の3つのカルデラから噴出した火砕流が到達した“過去"があります(ついでですが「姶良カルデラ」というものはありません。姶良市の東、錦江湾がそのカルデラで、桜島は姶良カルデラの外輪山の一部です)。しかし規制委員会火山検討チームでは「超巨大噴火の可能性は小さい」を出発点として議論を始めました。そして、たとえ噴火するとしても予知すれば原発の緊急停止には間に合う、としました。
 なんだか、地震や津波について以前誰かが熱心に主張していたことの引き写しのような感じがします。
 ちなみに火砕流が原発を襲ったら、操作員は全滅です。もちろん外部電源は全喪失。さて、何が起きるでしょう?
 そんな剣呑な火砕流ではなくて火山灰だけが原発を襲ったとしましょう。この場合には、古い建物は倒壊し、道路は寸断され、雨が降ったら泥流が発生し、各地で漏電が起きて大規模停電が起きます。火力発電所のフィルターは目詰まりし、あるいはフィルターをくぐり抜けた火山灰でタービンは故障します。大気中を浮遊する火山灰は静電気を帯びているため通信障害が発生します。室内に侵入した火山灰は精密電子機器に悪影響を与えます(コンピューターなどはショートして使い物にならないはず)。原発の取水口には大量の火山灰が混じった海水が押し寄せます。
 それに対して九州電力は「外部電源が喪失しても非常用のディーゼル発電機があるから大丈夫。備蓄燃料がなくなっても、道路はすぐに復旧するから大丈夫」としています。
 しかし本書では、九電とは違って、「最悪のシナリオ」を描いて見せます。メルトダウンです。
 もしも超巨大噴火が起きても、自然はいつかは再生します。しかし、原発がメルトダウンしたら、自然の再生も日本人の再生も困難になります。さて、どうしたものでしょう?



若い力

2018-02-19 07:04:16 | Weblog

 最近だったら、オリンピックや将棋などで「若者」がすごい力を発揮しているのを見ると、こちらの気持ちも明るくなります。「老人ばかりが威張っている国」よりも、未来が明るい気がしましてね。

【ただいま読書中】『歌声喫茶「灯」の青春』丸山明日果 著、 集英社新書、2002年、700円(税別)


 昭和31年、神武景気から置き去りにされたような雰囲気の、新宿の片隅にある食堂「味楽」。安い食事とレコードでロシア民謡を流すことがウリの店に、「客を歌わせて欲しい」と雇われたアルバイトの女性、里矢(りや)。うたごえ運動があちこちの会社などで行われていた時代で、食堂に「歌」を取り入れようと経営者が冒険をする気になったようです。歌声に誘われてか、客が集まるようになり、「味楽」は「うたごえのみせ 灯」に変身します。(ちなみに当時は、ロシア民謡を口ずさむだけで「アカだ」と非難される時代でした)
 この里矢さんが、著者の母親だったことから、著者の「旅」が始まります。自分が全然知らなかった「里矢」という女性の青春時代を探し歩く旅です。著者は、開店当時の同僚、常連客などを訪ね歩きます。客は「最先端の歌を知りたい」「女の子(あるいは友人になれる人)と出会いたい」「社会の動きを知りたい」「とにかく歌いたい」など様々な理由で集まってきていました。
 「うたごえのみせ 灯」ができて2年、客は驚異的に増え、店を拡張しても外には長蛇の列、日本のあちこちに「灯」を模倣した歌声喫茶や歌声酒場ができました。そして、里矢と店のマスターは交際を始めます。(著者の時代の「好きになる→すぐに告(こく)る」とは全然違う雰囲気の「男女交際」に著者が驚くところが笑えます。私はやはり昭和の人間です)
 一見、トントン拍子のサクセスストーリーのようです。著者は「なんとなく生きている自分の人生」と「母の輝かしい青春」を比較して、苛立ちます。しかし、母には母の「光と影」がありました。結婚によってマスターは実家から勘当されます。店が成長して人が増えると、内部で人間関係のトラブルが増えます。10人も入れば満席だったバラック建ての店は1日に1000人の客をさばくビルになり、それまでの仲良し倶楽部のような商売のやり方は通用しなくなります。歌唱指導者を志す人も、「歌いたい」「歌わせたい」ではなくて「これを踏台にしてプロの歌手になりたい」と露骨に思う人が増えます。そして「ブーム」は過ぎ、歌声喫茶は次々消滅していきます。
 本書には、有名人の名前が何人も登場します。その中で著者が実際に会えたのは、西脇久夫(ボニージャックスのリーダー)や上條恒彦。西脇さんは客として、上條さんは歌唱指導者として「灯」での時間を過ごしてからプロの歌手になっていきました。あの歌唱力は、歌声喫茶のステージで鍛えられたものだったんですね。知りませんでした。
 本書は「母の青春」の物語ですが、同時に「娘が自分を見つめ直す物語」でもあります。さらに「時代や社会の中での微力な個人」の姿が、昭和30年代と現代と、二重写しにされます。ほとんどの文化には歌が存在するし、歌には力があるけれど、それは人が歌を渇望するからでしょう。では、どうして人は歌を求めるのでしょう? それがわかれば、耳にイヤホンをねじ込んでいたり一人カラオケに興じるこの時代にも「歌声喫茶」の新しい生きる道が見つかるかもしれません。



次の一手

2018-02-18 14:24:06 | Weblog

 冬季オリンピックで特に私にとって面白いのはカーリングです。はじめはわけがわからなかったのですが、じっと見ていたら「その場面での最善手」ではなくて「次の次の次」くらいを考えながら選手が「次の一手」を選択していることが見えてきました(もしかしたら「次の次の次の次の次の次」くらいまで考えているのかもしれませんが現在の私のレベルではそんなのは全然見えません)。
 そういった点では、囲碁・将棋・チェスなどと似ていますが、決定的に違うのは「手の確実性」です。囲碁・将棋・チェスでは「次の手」は「次の手」で、打ったり指したりした石や駒が手を離した瞬間別の場所に動いたりはしません。だけどカーリングの場合は、「違う場所」に行っちゃうことがよくあるんですよね。これがまた面白い。なんだかこのまま私はカーリングの魅力に没入しちゃうかもしれません。

【ただいま読書中】『世界の美しい窓』五十嵐太郎+東北大学都市・建築理論研究室 著、 エクスナレッジ、2017年、1800円(税別)

 『ビビを見た!』の次が『世界の美しい窓』ですから、私の本のセレクトにはもしかしたら何かの“スジ"があるのかもしれません。たぶん、単なる偶然でしょうけれど。
 世界中の「美しい窓」を100以上集めてあります。面白いのは本の構成で、「窓を外から見る 遠景」「窓を外から見る 中景」「窓を外から見る 近景」「窓を内から見る 遠景」「窓を内から見る 中景」「窓を内から見る 近景」の6つのグループに分けられています。「外から見る」の「遠景/中景/近景」はわかるのですが(「遠景」は周辺の環境も含めて、「中景」は建物の一部としての窓、「近景」は窓そのもののアップ)、「内から見る」の場合「遠景」はちょっと苦しいかな。
 ただ、本書で私が一番魅力を感じた「大英博物館図書室」は、たしかに「窓を内から見る 遠景」にふさわしい写真です。これはすごいスケール感です。解説には「マルクスが通い詰めたことでも知られる」とありますが、できたら「南方熊楠も」を入れて欲しかったな。