【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

核抑止

2017-11-30 07:09:51 | Weblog

 「変なことをしたら核ミサイルを撃ち込むぞ」が核抑止なのでしょうが、もし北朝鮮が「変なこと」をしてそれに対して核ミサイルが撃ち込まれたら、北朝鮮は大損害でしょうが、日本にも死の灰が偏西風に乗ってどんどんやって来ることになりません? 大迷惑なので(日本全体の農産物や海産物が世界中の市場から排除されることは確実ですし、へたすると日本人そのものの入国排除なんて動きが生じるかもしれません)、自己中心的な日本人として、核の使用には私は反対を表明しておきます。

【ただいま読書中】『驚異の建造物(原題「INSIDE GUIDES:SUPERSTRUCTURES」)』斎藤公男・岡田章 監修、日本コンベンションサービス株式会社 翻訳協力、丸善株式会社、1997年、1800円(税別)
 「超高層ビル」「海底トンネル」「多目的ホール」などの詳しい構造が、立体模型や透視図、断面図などを駆使して次々紹介されます。ただ、どれもイギリスのものが主です。だから「あ、日本にもある」と私は思ってしまいます。ということは、本書の「日本編」が簡単にできそうです。もしかしてすでに存在するのかもしれませんが、もしなかったらぜひ出版して欲しいな。



1日=24時間?

2017-11-29 07:06:11 | Weblog

 たとえば11月28日朝に薬を飲んで「次の薬は、1日あけてから飲みなさい」と言われたら、次に飲むのは11月29日の朝でしょうか、それとも30日の朝? 「1日あける」と言われると私は28日の次の「29日」を丸々あけて隔日の30日に飲みたくなるのですが、世間の一般常識ではどうなのでしょう。
 ところで「1日」とは「24時間」のことです。では「次の薬は24時間あけてから飲みなさい」と言われたら、これは確実に29日の朝に飲みますよね。すると「1日あける」は「24時間あける」で良いです? それとも「カレンダー上の1日を丸々あける」こと?

【ただいま読書中】『ボクの落第野球人生』小林至 著、 日本放送出版協会、1994年、971円(税別)

 中学校では「トップではないが勉強はそこそこできる卓球部の少年」、高校は神奈川では野球の強さでは2番手グループのトップあたりに位置するところで、他のポジションではレギュラーになれないからと志願して投手になったけれど、やはり控え。それでも野球が好きで、大学ではレギュラーになりたいと著者は考え、国立大学を狙うことにします。しかし現役の時に受けた大阪大学はだめ。予備校で東大クラスに潜り込んで猛勉強するうちに著者は阪大ではなくて東大を受験しようと思い始めます。東大だったら野球部でレギュラーになれる確率は高いだろう、という目論見です。ともかく予備校で勉強漬けの一年を送り、著者はみごと東京大学に合格します。
 「野球をするために東大に進学した」というのは、手段と目的の整合性がなんだか相当激しくずれているような気がするんですけどね。
 東大野球部は、けっこう野球が上手い人が揃っていました。レギュラーにすぐなれる気で入部した著者は面食らいます。さらに意外だったのは、レギュラーが本当にひたむきに野球に取り組んでいる姿勢です。どうせ勝てない弱小大学だから適当でいいや、という姿勢の者はいなかったそうです。野球の練習に打ち込むために授業には出ず10留した“猛者"までいたそうですが、これはさすがにやり過ぎですよね。著者自身も2年生のときに留年していますがこれくらいで驚く人はいないのでしょう。
 著者が1年生の秋のリーグ戦開幕で1勝を上げてから、著者の在学中、東大は七十連敗をしてしまいます。3年半負け続けたのです(著者が卒業後最初の試合で勝利したので、著者はとっても複雑な気分になってしまいます)。どんなにまじめに野球に取り組んでも、いくら惜敗が続いても、負けは負け、連敗は連敗。なんとも辛い日々です。
 著者は、大学卒業後も社会人野球をしたいと考えます。ところが、テレビの「ニュースステーション」が東大野球部の特集をするのに、たまたま監督と主将が不在だったため著者が出演することになり、そのときのスタッフとの雑談から広島のスカウト、さらにロッテの金田監督へと話が伝わり、著者にプロ入りのチャンスが。“こっそり"(報道陣を閉め出して室内練習場で)入団テストがおこなわれ、ロッテはドラフト外で著者を獲得することにしたのです。
 しかしここから一悶着も二悶着も。父は猛反対。大学は在学中(著者はまだ3年生)の学生がそのままプロ野球選手になることは認めません。プロ野球機構からは「練習生は認めない」(ドラフト制度が骨抜きになってしまいますからね)。結局「正式入団は1年後。著者はきちんと大学を卒業する」で話はまとまります。かくして、大学とロッテの浦和球場に通う日々が始まります。そして1年後のドラフト会議で正式に8位指名。しかし球団の態度は「欲しくて獲ったわけじゃない」という冷たいものでした。
 ドラフト指名はもちろん「戦力の充実(新陳代謝)」が目的ですが、もう一つ「宣伝効果」があります。たとえばロッテはずっと昔、100m走者の飯島をドラフト指名したことがあります。代走専門で使う、ということでしたが、これなど明らかに「宣伝効果」を狙ったものでした。現在でも高校野球のスターだけどプロでは大成しそうにない人でも同じ目的でドラフト上位で指名することがあります。で、著者もまた「東大野球部からプロ選手」という「宣伝」目的が第一義だったのでしょう。ただ、著者本人はそれに納得しません。使い方によっては「野球選手」としても使い道があるはず、と考えています。ただ、著者の目には「旧態依然としたコーチの指導法」「非科学的で根性論的なトレーニング」「へんてこりんな統一契約書」「プロアマ協定の問題点」「虫けら扱いの二軍選手」「労働組合としてまだ未熟な選手会」など様々な問題点がはっきりくっきり見えます。
 あまりにひどいトレーニング環境のため、著者は自費でトレーニングジムに通います。するとびっくり、みるみる筋力がついてくるではありませんか(というか、つかない方が問題ですが)。それでも球速は120km台のままなのが不思議ですが。結局93年に著者は解雇通告を受けます。スポーツマスコミは、誕生したばかりのJリーグに熱中していた時代でした。そして著者は、アメリカにMBA(経営学修士)取得目的の留学に出発します。



カフェインの量

2017-11-27 07:19:02 | Weblog

 学生時代、勉強をするときの眠気覚ましに、コーヒーと紅茶のどちらが有効か、の議論を友人がやってました。で、結論は「コーヒーの方が効くが、それはカフェインが紅茶より多いからだろう」でした。不思議な議論ですよねえ。だって「その一杯」を淹れるやり方で、カフェイン濃度は濃くも薄くもできるのですから。私の結論は「そんな議論をしている暇に、勉強をしたら?」でした。

【ただいま読書中】『カフェインの真実』マリー・カーペンター 著、 黒沢令子 訳、 白楊社、2016年、2500円(税別)

 2010年イギリス、パーティーでカフェインの粉末小さじ二杯分くらいをエナジードリンク(カフェインが多量に含まれている)で飲み下した男性が死亡しました。推定5gのカフェインが「心毒性」による死をもたらしたのです。カフェインは食品(嗜好品)ですが、実は薬品(毒物)でもあるのです。
 メキシコのイサパ遺跡からは、3500年前のチョコレートの痕跡が出土しています。アステカ族は兵士にカカオの実を給料として支給していました。そして、カカオの実にはカフェインが含まれているのです。古代人はチョコでカフェインを摂取していたようです。ただし現代のチョコレートではカフェインは“薄められて"いるので、そこまでカフェインの効果を期待できません。
 1819年ドイツ人化学者フリードリープ・ルンゲは友人のゲーテに頼まれてコーヒー豆からカフェインの精製に成功しました。ドイツ語でコーヒーは「Kaffee」で、カフェインの名前はそこに由来します。コーヒーとカフェインの結び付きは強く、現代のアメリカ人はカフェインの2/3をコーヒーから摂取しています。アメリカでコーヒーが一番消費されたのは第二次世界大戦ころ、年間一人あたり174リットル(コーヒー豆で9キログラム)を消費していました。飲まない人もいるのですから、飲む人はがぶ飲み状態です。
 サンプル調査では、コーヒー店によって「コーヒー一杯」に含まれるカフェイン量にはひどくバラツキがありました。不思議なのはスターバックスでの調査で、6日間連続して同じ商品(ブレックファーストブレンド480ml)を購入しての調査で、カフェインが少ないときで260mg、最大で564mgだったのです。ただ消費者は「自分がどのくらいのカフェインを摂取しているか」には無関心です。そして、カフェインには依存性があることに対しても無関心は一貫しています。本書には「清涼飲料水の多くにカフェインが添加されているのは、カフェインの依存性を利用して消費者に常用癖をつけてどんどん消費してもらうためだ」と“過激な主張"をする研究者がいることも紹介されます。その主張を読むと、なんだか説得されてしまいそうです(清涼飲料水メーカーはカフェインを製薬会社から購入しているので、その特性を知らないわけがありません)。逆に「カフェインは無害」と主張する研究者もいますが、こちらの主張はなんだか説得力がありません。そういえばタバコに関しても「有害だ」という主張もあれば「無害だ」という主張もありましたね。もっともタバコの場合「ニコチンの依存症」よりも「タバコの健康障害」の方が問題にされているのですが。
 カフェインフリーのコーヒーの製造法も紹介されます。生豆を湿らしてから、高圧高温(超臨界状態)の二酸化炭素の中をくぐらせると、二酸化炭素がカフェインだけを運び去ってくれるのだそうです。そしてそのガス(というか、超臨界状態だからガスのような液体のような存在)を水にくぐらせて減圧するとカフェインは水の方に移行し、二酸化炭素は再利用されます。この過程で「製造」されるカフェインは「天然カフェイン」です。しかしそれだけではとても需要を満たせません。そこで「合成カフェイン」の出番です。その原料は、クロロ酢酸と尿素。どちらもあまり口に入れたくないなあ。だけど清涼飲料水メーカーは「カフェインの出処」を(天然物の場合以外には)明らかにしない傾向があります。それに無関心でも良いのかな?
 アスリートや兵士の“ドーピング"にもカフェインは有効です。カフェインには睡眠障害の“副作用"がありますが、無呼吸や頭痛などの治療に用いられる場合もあります。FDAも困っています。食品(添加物)であると同時に医薬品でもあるカフェインの規制は難しいのです。「カフェインを規制する」といったら「コーヒーや紅茶も規制するのか?」になりますから。それでも丸っきり放任にするわけにはいきません。
 実は私も「カフェイン中毒者」です。朝コーヒーか紅茶を一杯飲まないと午前中仕事の調子が出ませんから。これはつくづく困ったものです。



二刀流

2017-11-26 13:01:45 | Weblog

 「投手」と「強打者」の二刀流では大谷選手が有名ですが、「捕手」と「強打者」の“二刀流"もけっこう難しいもののようです。だけど、数はとっても少ないけれど、三冠王の野村さんとかヤクルトの古田捕手や読売の阿部捕手とか、過去に存在することはしています。人間は「やればできる」ということなのでしょうか。それとも「多方面に才能豊かな人間はとっても少ない」というだけのこと?

【ただいま読書中】『白い死神』ペトリ・サルヤネン 著、 古市真由美 訳、 アルファポリス、2012年、1600円(税別)

 内乱と独立を経験したばかりのフィンランド、農園と森林で育ったシモ・ヘイヘは、1925年からの新兵訓練および民間防衛隊で狙撃の才能を開花させました。彼はライフルと短機関銃の腕の良さで国内で知られるようになり、戦闘射撃競技では民間防衛隊のチームを率いるようになります。そしてヘイヘが33歳の夏、「レニングラードの防衛を万全にするため」という理由で領土の割譲を要求してきたソ連との戦争が始まります。フィンランド軍は全予備役35万を召集しますが、装備は旧式(多くは第一次世界大戦時のもの)で貧弱でした。ただし全軍の1/3を占める民間防衛隊は装備が充実していました。隊員は各個人で自前の装備を持っていたからです。
 ヘイヘ兵長の戦果があまりに大きく狙撃成功が1日に10名を越えたため、公式の記録官が付けられます。その記録によると、1939年のクリスマスイブの時点で、ヘイヘが殺したソ連兵は138名。特筆すべきは、ヘイヘが愛用していた狙撃銃はオープンサイト(狙撃専用のスコープがついていないもの)だったことです。ヘイヘは「スコープを覗くために頭が数センチ上に出る。それが撃たれたときに生死の分かれ目になることがある」と考えていました。
 ソ連軍の兵士は「フィンランドを解放する」ために戦っていました。そもそも公式には(ソ連政府の見解では)「戦争」ではなくて「解放のための軍事援助」だったのですが。圧倒的に戦力に差がある状況で、フィンランド軍は遅滞作戦に活路を見いだしました。ソ連軍に打撃を与え、圧倒されてきたら村を焼いてちょっと退却してまた戦う、というやり方です。ソ連は戦車部隊を先陣として突っ込んできますが、フィンランド軍には対戦車兵器は足りず、一番有効なのは火炎瓶という有様でした(ノモンハンでの日本軍と同じですね)。ただ、戦車にとって一番の大敵は、道路が少ない森林が続くフィンランドの地勢でした。地雷の餌食になり易いのです。やがて戦局は膠着し、陣地戦へと移行します。「2週間でヘルシンキの大通りをパレード」というスターリンの目論見は崩れ、国際社会はスターリンの主張に疑念を持ち始めます。そこでスターリンは「領土を少しよこせば、和平交渉をしてやる」とスウェーデンを通じて申し入れます。同時に大規模な侵攻作戦を開始します。その頃ヘイヘの戦果は、小銃で219名、短機関銃でもほぼ同数。身長160cmの小男は、戦地の名を取って「コッラーの脅威」と呼ばれるようになっていました。しかし血みどろの乱戦の中、ヘイヘは顔を撃たれます。なるほど、彼の顔の左側に大きな傷跡と歪みがあるのは、この時のものだったんですね。そしてその1週間後、停戦が成ります。
 しかし、ヘイヘが撃たれた弾は、国際条約で禁止されている炸裂弾でした(正規軍が使うべき小銃弾はフルメタルジャケットです)。ソ連軍のやり口は、えげつないものです。そして「和平」により、フィンランドは国土の10%を失いました。ヘイヘが育った土地も“国境の向こう"になってしまいます。40年夏、ヨーロッパはドイツに席巻されます。そして大国に見捨てられた(「冬戦争」でソ連に対して国際社会は何もしてくれなかった)と感じていたフィンランドは、ソ連に復讐するためにドイツの傘下に加わることとします。
 第二次世界大戦後、「ファシズムの脅威から世界を救った大祖国戦争」の陰に、ソ連はフィンランドとの「冬戦争」を隠してしまいました。フィンランドは東西の狭間でバランスを取らざるを得ず、ソ連を刺激しないためにヘイヘは沈黙を続けます。本書は、その「沈黙」の向こう側を覗いた、初めての本です。著者は「文字」を弾として歴史を狙撃したのでしょう。



参拝の“資格"

2017-11-25 07:03:59 | Weblog

 もしも神社への参拝が「石段を登る」「大きく柏手を打つ」ことが“必要条件"なのだとしたら、脳卒中で半身不随になった人はそれだけで“参拝の資格を失った"ということに?

【ただいま読書中】『犬が来る病院 ──命に向き合う子どもたちが教えてくれたこと』大塚敦子 著、 角川書店、2016年、1500円(税別)

 小児癌や難病で長期入院が必要な子供たちは、病気そのものの苦しみだけではなくて、家族・友達・学校などから隔離されてしまうという苦痛も味わいます。だから良心的な病院では、子供たちが「患者」から「普通の子供」に戻れる瞬間を少しでも味わえるように努力します。
 本書で扱われている聖路加病院小児科病棟でも様々な取り組みがおこなわれています。私に印象的だったのは「患者本人の兄弟姉妹」を対象としたプログラムもあることです。親はどうしても「患者」に集中しがちです。すると残された兄弟姉妹は疎外感などを抱くことになりますが、それを病院がケアしようというのです。そして、「セラピー犬」。きちんとしつけられて体の内外ともきれいにされた犬が、定期的に病棟を訪問します。「犬は汚い」と言う人がいるかもしれませんが、そんなことを言っている人の方が、きちんと調べてみたらセラピー犬よりよほど汚い可能性があります。
 ただ、本書は悲しい本です。写真や文章で紹介される子供たちが、次々亡くなっていくのですから。子供が死ぬってことは、家族でなくても悲しいことです。どうかこういった悲しいことは、病気に限らず、事故や戦争や飢餓も含めて、これからの世界で少しでも減っていきますように。



最後の授業

2017-11-24 07:20:31 | Weblog

 私が受けた「最後の授業」は大学院での講義です。だけど還暦を過ぎると、なぜかまた「授業」を受けたくなってしまいました。退職して時間の余裕ができたらまた大学に入りたいものですが、今から共通一次は無理なんですよねえ。放送大学だったら入学できるかな。ところで私は何を学びたいのでしょう?

【ただいま読書中】『最後の授業』ドーデ 著、 南本史 訳、 ポプラ社、2007年、570円(税別)

目次:『月曜物語』から「最後の授業」「少年スパイ」「パリのお百姓たち」「母親」「小さなパイ」「フランスの妖精」「帰ってきたアルジェリア兵」「こわいかなしい思いをした赤シャコ」「鏡」
  『風車小屋だより』から「コルニーユ親方のひみつ」「セミヤント号の最期」「スガンさんのヤギ」
 「最後の授業」は何年生の時だったかな、国語の教科書で読んだ覚えがあります。フランスからプロイセンに支配者が変わる日の「最後のフランス語の授業」「フランス語への愛」がとても印象的でした。ただ、大人になってからはちょっと違った感想を持ちました。アルザスとロレーヌはたびたび支配者が変わっています。だからその地の住民は逆に「自分たちはフランス人でもドイツ人でもない」という意識を持ってしまい、それは劣等感にもつながったでしょうが、逆にアイデンティティにもなったはずです。そういえばアルザス地方の人は第二次世界大戦時の「ドイツ」では「アルザス人」と呼ばれて差別された、というのを戦記物で読んだ覚えがあります。「最後の授業」のフランツ少年が異常にフランス語の文法が苦手なのも、それが「母国語」ではなかったからでしょう。この作品を単純にフランス賛美とか支配者が変わってしまう住民の悲しみ、と読むことも可能ですが、私はもう少し複雑に読みたいと思いました。
 「月曜物語」のパートは普仏戦争(特にパリ包囲戦)が多く扱われています。戦争に否応なしに巻き込まれて「ともに戦う」ことになってしまった子供たちの姿が、けっこうユーモラスに描かれています。ただし、戦争ですから、結末は残酷なものが多いのですが。そういった「リアル」を「フィクション」によって「リアル」に描くことに成功した秀作です。



スポーツ報道

2017-11-23 07:32:46 | Weblog

 野球の報道では「ドラフト指名者」は全員即座に大活躍、といった威勢の良いものがあります。最近はさすがに「将来を見据えた指名」といった冷静なものもよく見かけるようにはなりましたが、20世紀のスポーツ報道は短絡的で感情的で全般的にひどいものでした。
 そう言えばサッカーワールドカップに初めて日本チームが出場した98年フランス大会。グループリーグの予想として「アルゼンチンには負け、ジャマイカには勝ち、クロアチアには引き分け。だから1勝1敗1分けでグループリーグを突破だ!」という威勢の良い予想報道がやたらと目立っていたのを私は覚えています。それを読んでの私の感想は「その予想の根拠は?」。相手の戦法や布陣とかチームの世界ランキングとかを一切無視して「国名」だけで判断しているスポーツ記者の頭の中が理解できなかったものですから。これも21世紀になって少しずつ報道が進歩しているのは嬉しいことですが、まだまだ進歩の余地はたっぷりあります。他人(プロスポーツの選手たち)にばかり努力と結果を求めていないで、記者は自分たちも進歩するように努力してそれを記事に反映させて欲しいものです。

【ただいま読書中】『ワールドカップサッカー 日本代表の隠された真実 ──ドーハの悲劇から98年フランスへ』ワールドカップ取材班 著、 蒼洋社、1994年、1262円(税別)

 1994年ワールドカップのアジア地区予選、F組の日本は早々に最終予選出場を決めました。他は、北朝鮮、サウジアラビア、韓国、イラク、イラン。この6箇国がカタールに集まっての最終予選開始です。日本代表は、緒戦のサウジアラビア戦で引き分け、次のイラン戦ではまさかの敗退。6箇国中最下位となった日本には、あと3連勝するしか道はありません。日本を本命視していた外国人報道陣は意外な展開に驚きますが、日本の報道陣と選手たちは意気消沈していました。これまで「自分のやり方」に固執していたオフト監督は、選手を大幅に入れ替えて「冒険」に出ます。次の北朝鮮戦で日本チームは「攻め」に出ます。それまでオフトが禁じていた、ラモスを中心とする創造性豊かな攻めで北朝鮮に圧力を加え続け、快勝しました。イラクはイエローカードの嵐に見舞われ、次の試合では結局レギュラー5人を欠くことになってしまいます。そして韓国は、どこかの歯車が狂ったようで、調子を落としつつありました。第4戦の日本=韓国戦で、韓国は「最終戦の北朝鮮戦で勝ち点2はほぼ確定だから、日本戦は勝ち点1でいい」と明らかに引き分け狙いの作戦でしたが、これは作戦ミスでした。積極的な攻撃がウリの韓国チームにはミスマッチだったのです。そのため日本は辛勝でしたが勝ちを得ます。そして、いつもの「皮算用」が始まります。日本が勝った場合、引き分けた場合、サウジアラビアが勝った場合、引き分けた場合、などなどを予想して「日本はアメリカに行ける可能性が高い」と「計算結果」が出されます。「下駄を履くまで」という日本語は、すでに死語だったようです。
 そして、国際的に叩かれ続けて(おそらくは偏った審判のイエローカードのために)攻撃の主力2人を欠くイラクと日本チームは戦うことになります。審判まで味方に付けた日本チームは先制。しかし、イラク選手は卓越した個人技を持っていて、すぐに追いつきます。そこで日本はまた加点。明らかなオフサイドでしたが、イラクの抗議を主審は聞きません。このまま試合が終われば、初のワールドカップ出場が決まります。しかし残り10分からイラクは猛攻を開始、日本は耐え続けます。しかしあまりの猛攻に日本選手のプレーに狂いが出始めます。ミスパスで相手にボールを渡してしまうプレイが続き、ロスタイムに入った瞬間に「ドーハの悲劇」が。「ワールドカップでも珍しいほどの悲劇の真っ只中に日本代表チームがいた。」と著者は述べます。
 目の前で「初出場の権利」がするりと逃げていくのを見た日本代表たちは茫然自失、大会後の表彰(ベストイレブンに日本から4人、得点王にカズ)に誰も参加しませんでした。サッカー先進国だったら選手・監督・協会関係者は厳しく評価されたでしょう。しかし日本代表は「悲劇の主人公」として、成田で暖かく迎えられました。その暖かさを日本選手たちは甘受します。例外は、カズ。彼はこの「負け」の意味を深く理解していたのです。
 本書では「敗戦の原因」を考察しています。特に「ラモスの功罪」は、「功」「罪」ともに大きいもののようです。彼がいたから日本代表はあそこまで行けた。でも、彼がいたからあそこまでしか行けなかったようなのです。
 私は時々空想にふけります。もしもドーハの悲劇がなかったら、あの試合の終盤で投入されたのが武田ではなくて北沢だったら、試合には勝っていたのではないだろうか。そして、日本のサッカー界はその後今とは違う姿で世界で戦っていたのではないか、と。



100年の恋

2017-11-22 06:51:30 | Weblog

 私のある恰好を見て私の奥方が「100年の恋もいっぺんに醒めるわ」とのたまいました。
 ……えっと、彼女は自分の年齢を何歳だと思っているのでしょう? 120歳くらい?

【ただいま読書中】『ホワット・イズ・ディス? ──むずかしいことをシンプルに言ってみた』ランドール・マンロー 著、 吉田三知世 訳、 早川書房、2016年、3200円(税別)

 タイトルのとおりの本です。この世に存在するいろいろなものを、専門用語を使わずにとにかくシンプルな言葉だけを用い、さらに詳しい図解を添えることで理解しやすいようにしてみた、という試みです。まず「もっとも使われる1000の英単語」をセレクトし、それだけを使って全文が述べられています。
 しかし、かえってわかりにくくなったものもぞろぞろと。
 「本が始まる前のページ(=はじめに)」「宇宙シェアハウス(=国際宇宙ステーション)」「君の体を作っている小さな水のふくろ(=動物細胞)」「車の前カバーの下にあるもの(=自動車のエンジン)」「食べものを温める電波箱(=電子レンジ)」などはわかりやすいのですが「形が合うかどうかをチェックするマシン」「雲の地図」「命の木」なんてわかります?(正解は「南京錠」「天気図」「生きものの系統樹」です)。また「木(=木)」「夜の空(=夜空)」はさすがにこれ以上シンプルには言えませんよねえ。
 さらに図解の解説も徹底して「シンプルな言い方」になっています。車のエンジンの部品では「「からっぽ」さで足を助けるマシン」「ブレーキ箱」「ブレーキ水」「共有ライン」「空気をきれいにするマシン」などがぎっしりと詰まっています。いや、私は「専門用語」を使ってくれた方がむしろわかりやすいんですけど「1000語」というシバリがあるから仕方ないんです。
 「物事のメカニズム」と「言葉の面白さ」を同時に味わえる絵本のような図鑑のような冗談のような本です。楽しいですよ。



世界と戦う前

2017-11-21 06:56:49 | Weblog

 今の日本のサッカーは「ワールドカップで一次予選(グループリーグ)を突破してベスト16、いやベスト8になりたい」が悲願となっていますが、「ドーハの悲劇」の前には「アジア最終予選を突破したい」や「韓国に勝ちたい」が悲願だったんですよねえ。昔からのファンとしては、今の「悲願」は時に「贅沢な願い」に思えることもあります。

【ただいま読書中】『飢餓海峡 改訂決定版(下)』水上勉 著、 河出書房新社、2005年、1600円(税別)

 はじめは推理小説か、と思わせておいて、いつのまにか話の中心は「時代と社会に翻弄されるが、その中で懸命にしたたかに生きる女性」になっていました。社会と人生を描く小説です。そもそも最初から犯人はわかっているのですから「謎解き」がメインではないことは上巻の最初に“宣言"されていたのです。
 昭和32年、杉戸八重は舞鶴を訪れます。舞鶴は「引き揚げ者の港」でしたが、この時期にはもう落ちついています。「岸壁の母」はいません。そして話は急展開。
 映画「サイコ」で感じたのと同様の「ショック」を、私は本書でも感じることになります。
 ただ、あまりあらすじに触れると未読の人にはネタバレになってしまうから、ここまで。
 著者が「洞爺丸台風」を昭和29年から昭和22年に移した理由の一つは、「昭和20年代、敗戦直後の日本」をきちんと描いておきたいと考えたからではないでしょうか。たしかに本書には「昭和20年代」がまるで「主人公」のように丸ごときっちりと存在しています。私の脳裏に浮かぶのはモノクロのイメージですが、そのとき生きていた人たちには「現実の世界」。本書にはその「現実」が見事に切り取られています。そういえば、黒澤明監督が「巨匠」になる前の映画群にも「現実」が本当に“リアル"に切り取られていましたっけ。私が生まれる前の日本ですが、その雰囲気に触れることができて、読んで良かった、と思わせてくれる本でした。



結婚と幸不幸

2017-11-20 06:53:08 | Weblog

 結婚生活で幸福になる人もいれば不幸になる人もいます。だったら、未婚であるいは伴侶を失ったあとの生活でも、幸福になる人もいれば不幸になる人もいることでしょう。

【ただいま読書中】『飢餓海峡 改訂決定版(上)』水上勉 著、 河出書房新社、2005年、1600円(税別)

 昭和22年、青函海峡を台風が襲い、連絡船層雲丸が沈没します。洞爺丸台風は実際には昭和29年のことですが、本書ではそれがカスリーン台風が日本を襲った昭和22年に移されています。死者は多数でしたが、不思議なことに引き取り手のない死体が2体、その中に混じっていました。
 台風が海峡を襲った翌朝、北海道の岩幌町で、質屋が強盗に襲われ一家が全員殺され、放火されてその火が折からの強風にあおられて全町に広がる、という凶悪な事件がありました。犯人と目されたのは、網走刑務所を出所したばかりの二人組とそれになぜか同行している大男。そして、沈没事故で引き上げられた身元不明の二人が、その二人組と酷似していました。
 青森大湊の歓楽街のあいまい宿で酌婦をしている杉戸八重は、客として上がった不思議な大男から大金をもらいます。それで八重は前借り金を返しますが、この大男が岩幌の事件の大男に酷似しています。
 「復員服」「闇市」がまだ“現役"の時代です。刑事が探す「復員服を着た男」なんてどこにでもいます。また、聞き込みをしようにも「経済統制違反」の捜査と思われて、店主などの口はとても固くなってしまいます。それでも層雲丸での身元不明の死体に疑問を持つことから事件に最初から関わることになった弓坂警部補は、粘り強く歩き続けます。北海道だけではなくて、青森、そして東京も。
 売春婦としての過去や貧乏と別れようと上京した八重ですが、結局まっとうな仕事は長続きせずまた売春婦に逆戻り。ただ、大湊では全然貯金ができなかったのに、東京では上京したときに持ってきた金には手を付けずきちんと貯金ができています。しかし売春防止法が施行され、「別の道」を探さなければならなくなります。そのとき偶然見た新聞に「舞鶴の篤志家」の記事があり、その写真が「あの時の大男」にそっくり。八重は舞鶴に旅行することにします。彼が何者で、あのときの大金は何だったのか、その謎を知りたい、と。