【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ご飯原理主義

2015-10-31 07:05:51 | Weblog

 「炊きたての白いご飯があればそれだけで良い! おかずなんか要らない!」の人は、丼ものもお寿司も炊き込みご飯も否定するのでしょうか。もったいないなあ。ところでチャーハンは、冷や飯よりは炊きたてのご飯の方が米粒がぱらぱらにばらけやすくて美味しくできるそうです。これは簡単に試してみることができますね。

【ただいま読書中】『人口蒸発「5000万人国家」日本の衝撃』一般財団法人日本再建イニシアティブ、新潮社、2015年、1500円(税別)

 日本政府の過去30年の失政は様々あります。バブルの放置、不良債権処理の先送り、経済停滞、フクシマ……しかし最大の失政は人口政策の失敗、と本書の最初に指摘されています。私はこれらに、農業の破綻、医療崩壊も加えたい所ですけどね。
 人口減少は「経済成長の鈍化」「生活インフラの崩壊」「世代間の対立の激化」「国力衰弱」というリスクを持っています。しかも政策の効果が出るのはずいぶん先、つまり現在の政治家の得点にはならないのです。だから並みの政治家は熱心に取り組む気にはならないでしょう。
 「戦略」は「緩和(人口減少を何とか和らげる努力をする)」と「適応(人口減に社会を適応させる)」の二つが考えられますが、本書ではその両者の折衷が提案されています。そのために必要なのは、冷徹なリアリズムと楽観主義に基づく技術革新と経営革新だそうです。
 こういった場合「○○が悪い」と悪玉論をぶつ人が多いそうです。しかし本書では、「東京が悪い」「高齢者が悪い」は認めていません。若者は将来高齢者になるし、地方の今日は東京の明日です。本書で説かれる解決法は「大学のグローバル化(優秀な人材の日本への流入)」「移民」「地方の強化」などです。さらに社会全体を「妊娠・出産・子育て優先のシステム」に変える必要があります。地方ではコンパクトシティが有望そうですが、それで地方が強化されるのは22世紀になってからだそうです。
 本書で特に面白く感じたのは、第4章の「検証」の部分です。過去の日本の人口政策が実はどのようなものだったかを検証しています。実はこの「検証」を日本の政治では非常に嫌います(たとえば小泉改革やアベノミクスの検証がされましたっけ?)。だからこそそれをやっていることが私には面白いのですが。
 日本では「過剰人口論」と「過小人口論」が交互に出現しています。昭和恐慌の時代には「過剰」が説かれ、移民が進められました。ところが日中戦争が始まると兵力増強のため「過小」が説かれ「産めよ殖やせよ」で出産が奨励されました。しかし戦後は食糧不足から「過剰」が説かれます。高度成長期の終わりころから合計特殊出生率は下がり続けて回復しませんでしたが、政府は気にしませんでした。気にしたのは1988年になってからです。ただし歴代首相が言及するのは「家族の問題」でした。「政府の問題」としたのは2001年森首相。
 実は一番危機感を抱いているのは、地方の行政機関だそうです。そしてその熱心度を見る一番の指標は「重複している公共施設の統廃合を急いでいるかどうか」。なるほど、わかりやすいですね。


種痘の威力

2015-10-30 07:53:30 | Weblog

 『解体新書』によって「蘭方(西洋医学)」が江戸時代の日本ではブームになりましたが、治療成績の点では実は東西格差はあまりありませんでした。消毒も麻酔も抗生物質もありませんから、下手すると漢方薬を駆使する古い医学の方が症状を上手く取ることができたりしていたのです。それを覆したのが、「目の手術」(江戸末期に長崎で白内障の手術がおこなわれています)と日本中でおこなわれた「種痘」です。どちらも文字通り「目に見える結果」を日本にもたらしました。その道は平坦ではありませんでしたが、種痘によって初めて「蘭方」が勝利宣言をすることができた、と私は考えています。医学はやはり、理論より実績ですよね。

【ただいま読書中】『緒方洪庵の「除痘館記録」を読み解く』緒方洪庵記念財団除痘館記念資料室 編、思文閣出版、2015年、2300円(税別)

 ジェンナーが牛痘接種による天然痘予防法(種痘)を発表したのは1798年。当初は「種痘をしたら牛になる」などと言われて広まりませんでした。しかしその有用性が認められ、1800年代に世界中に普及します。日本に持ち込まれたのは1849年、オランダ商船の外科医モンニッキ(オットー・モーニケ)がワクチンをもたらし、長崎で子供に接種しました。福井藩主松平春嶽はそれより先に幕府に種痘の輸入を願い出ていましたが、そこにモンニッキがやって来たわけです。牛痘苗は人から人に植え継がれ、京都の医師日野鼎哉(ていさい)のもとへ。そこから福井藩医笠原良策に話が届き、さっそく上京した良策は京に接種・普及の拠点を設けます。それを聞いた大阪の日野葛民(たつみん・鼎哉の弟)と緒方洪庵は、大坂でも同じ活動をしようと考えます。こうして大坂に「除痘館」ができました。しかし、悪い噂(「種痘なんか効かない」「子供に悪いことが起きる」)によって除痘館の活動は停滞します。それでも協力者の粘り強い活動によって、数年後には信用ができます。1858年には奉行所から官許がおります。これは59年の堺、60年の江戸より早く、日本最初の官許種痘所でした。
 実は牛痘だけではなくて、すでに人痘による種痘もおこなわれ、こちらでも天然痘の予防効果は認められていました。ただ、「予防」ではなくて「天然痘発生」になることもあり、そこから大流行になることもあったので、予防効果だけの牛痘が期待されていたのです。
 現代日本でさえ「ワクチンなんか効かない」「ワクチンは危険」と言う人がいます。それが江戸時代のことですから、もっと迷信がかった噂が流れるのは、当然のことだったでしょう。そういった時代に、信念を持って粘り強く行動した人たちがいたことを、私は尊敬の念を持って見ます。


シリアの難民

2015-10-29 05:06:10 | Weblog

 現在ヨーロッパに、まるで歴史上の民族大移動のようにシリアから難民が流れ込んでいます。ところでシリアはかつてはローマ帝国の一部だったのですから、つまり「ローマ」の視点からはあれは“国内移動”であると主張することも可能なんですよね。

【ただいま読書中】『ローマ帝国衰亡史』エドワード・ギボン 著、 中倉玄喜 編訳、 PHP研究所、2000年、2700円(税別)

 学生の時に読んでものすごく面白かった記憶はあるのです、どこがどう面白かったのかは記憶していないものですから、もう一度楽しむことにしました。
 古代ローマの版図拡大が停止、共和制も終わり、初代皇帝アウグストゥスが即位したところで本書は始まります。
 語り口が魅力的です。単に個人に注目するのではなく、だからといって遠くから概観をするだけでもなく、悠々と「ローマ帝国」に向かって著者は挽歌を歌います。賢帝にも愚帝に対しても、ほぼ同じ筆致で。著者はもしかしたら、ローマの繁栄も衰退も「一人の個人の責任」とは思っていないのかもしれません。たまたま情勢がそうなったときに、たまたまそこにいた人が皇帝となって、成功したり失敗したり、それによってローマの運命が変わっていったのだと考えているのかもしれません。そう、本書の“主人公”は「ローマ帝国」そのものなのでしょう。
 当然キリスト教についても本書で描かれていますが、意外に著者が熱を込めて書くのは、イスラムです。しかし、キリスト教の聖書におけるマリアの無原罪懐胎はコーランからの借り物って、本当ですか? イスラムの版図は拡張し、ササン朝ペルシアを飲み込みます。東ローマ帝国の滅亡まで、あとわずかでした。


決まり文句

2015-10-28 06:50:43 | Weblog

 「ご指導ご鞭撻をお願い申し上げます」は決まり文句の一つですが、「鞭撻」ってどういう意味でしたっけ? それと、辞書を引かずにこの漢字をすらすら書けます?

【ただいま読書中】『桃尻語訳 枕草子(上)』橋本治 著、 河出書房新社、1998年(2014年15刷)、770円(税別)

 「清少納言 著、 橋本治 訳」とするべきかどうか、一瞬悩みました。
 基本的には「直訳」です。たとえば有名な第一段の冒頭「春は曙」はそのまま「春って曙よ!」です。良いとか好きとか、余分な言葉は補われていません。あくまで「桃尻語訳(の直訳)」で最初から最後まで通されています。ただ、わかりにくい、と著者(訳者?)が判断したところには、こってりと「注」がつけられています。これがまた、本文より面白い。第二段では「若菜摘み」「招婿婚」「耳目(人事異動)」について非常にわかりやすく“桃尻語”で解説がされています。これで古文の授業をしたら、古文だけではなくて歴史のファンも日本には増えるのではないかしら。
 当時としては珍しい「職業婦人」である宮中の女性たちの仕事と職場と私生活について、けっこう赤裸々に語られています。夜の生活(男が通ってくる)についてもね。これは学校の授業では習わなかったなあ。


十字軍

2015-10-27 06:54:05 | Weblog

 千年前、キリスト教国は連合軍を組んでイスラムに襲いかかりました。イスラムは“自衛戦争”を強いられました。
 現在、イスラム原理主義は、文化的な“十字軍”の侵略に対する“自衛戦争”を戦っているつもりなのかもしれません。「歴史は繰り返す」と。「千年」がどこかに飛んでしまっているのが歴史的な問題ではありますが。

【ただいま読書中】『倒壊する巨塔 ──アルカイダと「9.11」への道(下)』ローレンス・ライト 著、 平賀秀明 訳、 白水社、2009年、2400円(税別)

 下巻でまず登場するのは、FBIのジョン・オニールです。有能で勤勉ですが、なかなか強烈な性格で、人間関係構築に大きな問題を抱えている人物です。90年代、アメリカは“油断”していました。自分たちが大規模テロの標的になるとは思っていなかったのです。オニールはスーダンで活動しているビンラディンに目をつけますが、それに賛成するアメリカの関係者はいませんでした。せいぜい「サウジの金持ちのぼんぼんが、道楽でテロに資金援助をしている」程度の認識です。
 ザワヒリのジハード団は活動の過激さを増し、結果としてじり貧になっていました。ジハード団から離脱したメンバーをアルカイダは吸収していきます。ビンラディンはスーダンから追放され、アフガニスタンに向かいます。そこではタリバンがその勢いをぐいぐい増していました。そしてついにジハード団はアフガニスタンに向かい、アルカイダと合併します。
 1997年ルクソール事件。エジプトのハトシュプスト女王葬祭殿遺跡で観光客をターゲットにおこなわれたテロ事件で(日本人の新婚カップルが何組も含まれていたことで私もよく記憶しています)、エジプトの世論は「反テロ」に切り替わります。実行者の背後は結局不明確ですが、スイス連邦警察はビンラディンが資金提供をしていたと断定しています。国民の支持がなくなり、イスラム主義者はエジプトでは活動ができなくなりました。“敗北”に対する分析から、急進イスラム主義者は「地球規模のジハード」を目指すことにします。
 FBIとCIAは関係がぎくしゃくしていました。協力をしなければならないのに、あるのは反目だけです。これは「哲学の違い」も大きかったことでしょう。たとえば「情報」は、CIAでは「極秘情報(秘密にして活用するべき者)」を意味しますが、FBIは本来が警察ですから「証拠として裁判に提出するもの」です。CIAから見たら、公開されたら意味がなくなってしまいます。当然、管轄争いと情報の扱い争いは激化します。
 98年ケニアとタンザニアのアメリカ大使館が爆破されます。この情報も事前にCIAは掴んでいましたが、その重要性が評価できず握りつぶしていました。しかしその後の捜査の過程で(やっと)アルカイダの情報が浮上します。ここでややこしいのは「アルカイダのキャンプで訓練を受けたテロリスト」がすなわち「アルカイダのテロリスト」とは言えないことです。他の組織に属する者もけっこういるのです(1999年12月14日ロサンゼルス国際空港爆破未遂も「アルカイダで訓練を受けたフリーランスのテロリスト」によるものでした)。FBIのオニールはすでに「ビンラディンの専門家」になっていて、彼がアメリカで大規模テロを計画していることに確信を持っていました。しかしその危機感はごく少数の例外を除き誰にも共有されませんでした。フクシマ以前に原発の危険性を訴えていた人と似た立場、なのかな。「これまでなかったから、これからもない」という神話の信者はどこにも多いようです。
 90年代にアフガニスタンでアルカイダの訓練を受けていた“新兵”たちの多くは、両親が揃っている・大学教育をうけている・それほど宗教的ではない・精神疾患がない・若い独身者・「寄る辺なき思い」を持っている、といった共通点を持っていました。1996~2010年で“卒業生”は1~2万人と推定されています(今そういった“新兵”たちが、「IS」に流れているのでしょうか)。巡航ミサイルでビンラディンを暗殺しようという企てもありましたが、失敗。「アフガニスタンを攻撃した」ことによる政治的悪影響だけが残りました。
 99年、アルカイダでは航空機によるアメリカ攻撃計画が立案されます。マレーシアで重大会議をしようという打ち合わせの電話をNSA(米国家安全保障局)が傍受していますが、特に追求はありませんでした。CIAは航空作戦のメンバーを何人か把握していました。マレーシアでの会議の情報も掴んでいましたがそれはFBIに流されません。マレーシアの会議では駆逐艦「コール」爆破と「9.11」についての話し合いが持たれました。マレーシアの特殊公安部は、集まった人の写真は撮りましたが、会合の中身は把握していません。2000年1月、アルカイダのメンバー二人がアメリカに入国、飛行学校に入ります。そして、イエメンで「コール」が襲われます。オニールはFBIのチームを率いて“犯罪捜査”のためにイエメンに出動しますが、そこで戦わなければならなかったのは、イエメンの軍と民兵とアメリカの“国益”を守ろうとするアメリカ大使でした。しかし、いくらオニールが人に嫌われる性格だとしても、大使自らが積極的に捜査妨害をするとは、ただ事ではありません。そのためFBIは「9.11」につながる決定的な証言をすでに逮捕された人から取り損ねます(取れたのは事後でした)。
 アメリカの法律は「最も必要としている人から肝心な情報を隠す」という奇妙な傾向があります。後知恵では、実は「9.11」に関する「ほとんどすべての手がかり」は揃っていました。ところがそれらは各捜査機関に分断され秘匿されたのです。もちろんそれらの行動にはすべて(法的)理由があります。だけど私はここで「地獄への道は善意で舗装されている」を思います。「9.11」の場合は、舗装していたのは善意だけではなくて悪意も混じってはいますが。
 オニールはビンラディン逮捕をあきらめ、FBIを辞め、第二の人生を歩む決心をします。新しい職は「世界貿易センター保安主任」。勤務開始は8月23日でした。
 「9.11」のあと、必要としている人のところに情報が集まります。そして、実行犯の名前が次々特定されます。アルカイダのメンバーでさえ、自分たちがしでかしたことの大きさにショックを受ける者がいました。そしてここから激烈なウサマ(ライオン)狩りが始まるのですが、それは別のストーリーです。


空気の重さ

2015-10-26 06:52:03 | Weblog

 普段は意識していませんが、空気は実はとても重いものです。何しろ水だったら10m分の厚みの重さと同じなのですから。体の中も同じ1気圧だから感じなくて済んでいるだけで、本当に空気って重たいんですねえ。

【ただいま読書中】『ふわふわの泉』野尻抱介 著、 早川書房、2012年、600円(税別)

 文化祭の準備中の化学準備室。出し物のためにフラーレンを発生させようとしていた中華鍋を落雷が襲い「ふわふわ」が誕生します。ダイヤモンドより硬い非常に薄い窒化炭素膜に真空が包まれた微粒子です。いやいや、とんでもないものができてしまいました。化学部長の泉は舞い上がります。夢は世界征服、じゃなくて、一生遊んで暮らせる生活。こらこら。
 さて、再現実験です。でも落雷のバチバチはいやです。だから泉は化学合成にチャレンジ。なんと成功してしまいます。高校生の泉はなんと新会社の社長に就任、初日の売り上げはなんと2億円。ふわふわの用途はいくらでもあります。飛行船、高層建築、橋……丈夫で軽いものが求められるところ、すべてです。しかし、販売が順調となって社会にふわふわが行き渡ると、様々なトラブルも生じます。泉はちっとも「遊んで暮らせる生活」に辿り着きません。
 話は当然のように宇宙にも向かいます。軌道エレベーターはふわふわではちょっと無理なのですが、高さ100kmの塔だったら建築可能です。これだったらカタパルトで簡単に人工衛星を打ち出すことが可能になります。しかし、気象研究所で「高度50キロから宇宙の底まで定点観測所を並べてみたくないかと言ったら、もう目の色変わっちゃって、サービス満点だった」というところでは、私は大笑いです。そりゃそうだろう、としみじみ思いますもの。そして、最後に不老不死の可能性が示されたところで、再度私は大笑いです。これはもう、笑うしかありませんわ。
 しかし、作品タイトルは「楽園の泉」からで、主人公の「浅倉泉」はもちろん「アーサー・C・クラーク」からですよね。こういう遊びは大好きです。
 で、ふわふわ。本当にできないかなあ。


不安や心配に負ける目的

2015-10-25 07:45:50 | Weblog

 何か未知のものに取り組むとき、不安や心配を感じるのは人として当然のことです。しかし、何もする前からそういった不安や心配に負けて立ちすくんでしまう人がいます。これが私には不思議です。何かをして失敗してそれに対する対策を考えつかなくて困っているのならわかるのですが、何もする前から「失敗したらどうしよう」などとくよくよしているわけですから。ただ、これは負けているのでなくて「熱中している」と解釈する手があることに気づきました。つまり、不安や心配に熱中することで、その本来の「何か」をせずにすませているわけです。

【ただいま読書中】『倒壊する巨塔 ──アルカイダと「9.11」への道(上)』ローレンス・ライト 著、 平賀秀明 訳、 白水社、2009年、2400円(税別)

 アルカイダのルーツは、実はアメリカにありました。ここで話は1948年に戻ります。まだ「イスラム原理主義」というものが存在していなかった時代です。エジプトで反体制的な活動で政府に睨まれたサイイド・クトゥブという作家がアメリカに渡りました。イスラエルとアラブの戦争ではイスラエルが圧倒的な勝利を得ていました。アメリカでは赤狩りの嵐が吹き荒れていました。クトゥブは、それまでアメリカに敬意と期待を持っていましたが、実際のアメリカ生活で、アメリカ人の性的放埒さ・無知・宗教心の欠如などに強い印象(反感)を抱いて帰国します。エジプトでは、イギリス軍と国王が追放されます。はじめは蜜月状態だったナセルとムスリム同胞団は、軍事社会か宗教社会の二者択一の敵対関係に陥ります。ナセルは同胞団を弾圧し、クトゥブを投獄。拷問の後死刑に処します。しかしクトゥブの「過激なことば」が残されました。
 クトゥブの私物のコーランを特別な形見として受けたのは、15歳の弟子アイマン・ザワヒリでした。1967年第三次中東戦争(6日戦争)。イスラエルに圧倒的な勝利を許し、敬虔なイスラムは「神も仏もあるものか」の心境になります。「神」がユダヤの側についた。だったら「信仰」と「反ユダヤ」を徹底して、かつてユダヤを支配したイスラムの栄光を取り戻すべきだ、という運動が盛んになったのです。そのためにはまず「近い敵(世俗的なイスラム政権)」を打倒し、ついで「遠い敵(イスラエルとそれを支援する不浄な西洋)」に取り組む必要があります。学生たちは過激な思想を持つ「細胞組織」を大学の中に作ります。ザワヒリはカイロ大学医学部でひそかに「細胞」活動をおこない、1980年にアフガニスタン難民救援活動を開始します。ザワヒリはそこで(アフガンに侵攻しているソ連ではなくて)アメリカをターゲットとした「聖戦」を考え始めています。エジプトではサダト大統領とイスラム主義者の対立が深まります(イスラエルとの単独講和を実現したことがイスラムに対する“裏切り”だったのです)。サダトが暗殺され、その後の混乱でザワヒリは逮捕、3年の刑を申し渡されますが、そこでの体験(拷問、同志に対する敵対的証言をしたことへの後悔)が彼の過激さをさらに先鋭化させた、と著者は推定しています。出獄後サウジへ。そこでビンラディンと出会ったようです。
 移民としてムハンマド・ビンラディンがサウジアラビア王国(ここもまた、王権と宗教との対立が複雑です)にやって来た年に、サウジで石油が発見されました。レンガ積み職人から始めたムハンマドは国王お気に入りの土建業者として大富豪へと成長します。ムハンマドは子だくさんで、正式に認知しただけで22人の妻からの54人の子供がいます。妻アリアとの間に1958年1月に生まれた男の子(17番目の息子)は「ウサマ(ライオン)」と名付けられました。ウサマは最初は「穏健なイスラム」でしたが、クトゥブの本に出会い「過激派」に変身します。ソ連がアフガニスタンに侵攻。ウサマは行動を起こします。資金を集め、パキスタンにアラブからの聖戦士のためのキャンプを作ったのです(この「基地(カイーダ)」がのちの「アルカイダ」の名前の元です)。しかし「アフガニスタンでのジハード(聖戦)」という認識は、ムスリム社会に亀裂を生みます。ジハードを認める人たちと認めない人たちに分裂してしまったのです。エジプトでは「タクフィール・ワ・ヒジュラ(断罪と逃亡)」という急進的なグループが台頭します。アルカイダの先駆とも言える組織でした。この組織はすぐに潰されましたが、コーランに「殺人者を罰するとき以外何人も殺めてはならない」と書かれているのを「背教者は殺して構わない(そして、背教者かどうかは自分たちが判断できる)」と読み替える方法論は他のグループに継承されました。
 アフガニスタンからソ連軍が撤退しますがアラブの“ジハード”は継続しています。戦う相手は本来同じムスリムであるはずのアフガニスタン政府軍に変わっています。共産党政権だから敵なのです。さらにアフガン内部のムジャヒディン各派は内戦を始めます。先を見通せず帰国したウサマ・ビンラディンは、自分が「セレブ」になっていることを発見します。国際義勇軍を率いて超大国を撃退した英雄、という扱いなのです(実際には“おとぎ話”だったのですが)。ウサマの名声が高まると、相対的に王族の人気が落ちます。王族はビンラディン一族とこれまで密接な関係でしたが、ウサマを警戒するようになります。ウサマはイラクの野心に警報を鳴らしますが、無視されます。そしてイラクのクウェート侵攻。サウジはアメリカ軍を受け入れます。アメリカを追い出すため、ウサマは政府、ついで宗教界に働きかけます。しかし政府と宗教はアメリカ軍駐留を容認してしまいます。
 スーダンで軍事クーデターが起き、その立役者ハッサン・トラビはスーダンを中心とする国際的なウンマ(ムスリム共同体)設立を夢見て、そのためにウサマ・ビンラディンを招聘します。「アルカイダ」はスーダンで堂々と活動できるようになります。旧敵のシーア派とも共闘できるかどうか試すためにおこなわれた1983年の自爆攻撃(在ベイルートのアメリカ大使館、アメリカ海兵隊基地、フランス空挺部隊基地)で300人以上のアメリカ兵と58人のフランス兵殺害に成功し、ビンラディンは自爆攻撃の威力を知ります。さらに「敵の軍隊ではなくて民間人を殺すのも良いこと」という理論武装にも成功。そしてビンラディンの目は、世界貿易センタービルに向けられます。
 1993年2月26日、世界貿易センタービルの駐車場に爆弾を積んだ車が入ってきました。ビンラディンの命令だったかどうかは不明です。ただ、その車を運転していたのは、アフガニスタンのアルカイダ・キャンプの卒業生であることは間違いありません。
 西洋はまだ「ビンラディン」も「アルカイダ」も知りません。サウジアラビアはその危険性を知っていました。だからウサマの国籍を剥奪、一族はウサマに背を向けます。これもまたウサマを危険な方向に駆り立てるのでした。


一億総活躍

2015-10-23 18:08:43 | Weblog

 皆さん、すでに活躍していますよ。貧乏暇無し、とも言いますが。

【ただいま読書中】『目ざめへの旅 ──エドガー・スノー自伝』E・スノー 著、 松岡洋子 訳、 筑摩書房、1988年、2200円

 22歳の若者の貧乏旅行としてたまたま上海を訪れた著者は、6週間の予定の滞在がどんどん延びてしまいました。雑誌出版の手伝いをして訪れた中国西北地方で、500万人以上の餓死者を出した大飢饉を目撃。それが著者を“覚醒”させます。都市に集まる難民、増える売春婦、道ばたに転がる死体、食料として樹皮をはぎ取られて枯れた木々、絶望の中死んでいく貧農とますます肥え太る豪農の対比……著者は(というか、当時の考える頭を持っていた若者たちは)あまりに大きすぎる悲劇を前に考え始めます。
 私にとって意外だったのは、当時の中国在住の欧米人にとって、蒋介石は共産主義者扱いだったことです。清朝に対する「革命」を起したからでしょうか。それとも蒋介石自身に対する無関心さの現れ? 国民党にも共産主義者がいましたから、もしかしたら初めのうちは国民党と共産党にはそこまで大きな違いはなかったのかもしれません。
 著者は、インドではガンジーやネルー、中国では宋慶齢(孫文夫人)などのビッグネームにインタビューしています。1932年1月28日第一次上海事変。この時著者はまさに戦闘が開始された現場にいました。路地を這って共同租界に逃げ込み、著者は最初の目撃者として記事を送ります。しかし職を失った著者は、中国と日本の関係を的確に分析した記事を買われ、「サタデー・イブニング・ポスト」誌などに高額で記事が売れるようになります。「エドガー・スノー」が誕生したのです。
 著者は、国府(国民党政府)・共産党・日本軍、それぞれの支配地域が実際にどうなのか、強く興味を持ちます。特に共産党支配地域に(当時共産党系の武装ゲリラは「赤匪」と蔑称されていました。ただの山賊扱いです)。コネを使い、著者は紅区に“密入国”します。そこで出会ったのが、周恩来、そして、毛沢東。蒋介石は周恩来には8万ドル、毛沢東には25万ドルの懸賞金をかけていました。合計33万ドルに著者は続けてインタビューしたわけです。長い質問リストを見て毛沢東は「自分の半生記を書くのはどうか」と提案します。それだったらすべての質問に答えることになるし、毛沢東の主張も盛り込めますから。4箇月間紅軍と行動を共にし、著者は中国共産党に強い印象を受けます。そして、著者の筆を通して、中国共産党の政策や主張(たとえば「内戦よりも抗日が優先」)が「中国」と「日本」に伝えられることになりました。これは一大センセーションでした。そして著者は『中国の赤い星』をせっせと執筆します(この本が欧米でベストセラーになったことに著者は驚いています。欧米は中国のことには無関心だ、と思っていたので)。日本軍は北京に迫ってきます。著者の家は、日本軍のブラックリストに載った人たちの避難所になります。それらの人をすべて脱出させ、最後に著者も北京を脱出。しかし中国にはとどまり、記事を書き続けます。そこで見たのは「奇妙な戦争」でした。日本軍は戦闘に勝ち続けています。しかし中国は「降伏」をしません。戦闘には勝っても日本は戦争には負けていたのです。ロシアでのナポレオンを著者は思います。著者の歴史の“読み方”は確かです。著者に読めなかったのは、自身の本国、アメリカの出方でした。
 41年に帰国。離婚。再婚。冷戦下の世界。著者の人生は、公私ともに多忙です。すばらしい見解もあれば間違いもあります。だけど、常に歴史の“現場”に立っていた人の貴重な証言が本書には満ちています。


決まり文句

2015-10-22 06:44:48 | Weblog

 小渕さんが「大変なご心配をおかけしましたことをおわび申し上げます。」と言っているそうですが、ということは「心配していない人(怒っている人とか不快に思っている人)」には詫びない、ということなんでしょうか。
 まあこういった場合政治家はまず間違いなく「ご心配」という決まり文句を使いますが、「自分は心配されている」という、すごく自己中心的な響きを私は感じます。

【ただいま読書中】『天使の囀り』貴志祐介 著、 角川書店、1998年、1700円(税別)

 冒頭に電子メールがずらずらと登場するし、タイトルには「囀(さえず)り」と入っているから、テーマはツイッターかな?なんてまず思いましたが、出版年を見るとちがいますね(英語版のツイッターは2006年から)。
 アマゾン探検隊に同行した作家の高梨光宏は、日本にいる恋人の北島早苗に、なにやらピントがずれたメールを出しています(私はこの時代のアマゾン奥地でどうやってネット接続をしているのか、に興味を持ちますが)。医師の北島の見立てでは、高梨はタナトフォビア(死恐怖症)に取りつかれています。しかしアマゾンでの“トラブル”のあと、高梨は人が変わっていました。死の話題を避けなくなり、異常な食欲を示し、さらに「天使の囀り」が聞こえるようになっていたのです。そして、死を恐れていた高梨は、「天使の囀り」が聞こえるようになり死を愛好するようになりとうとう自殺してしまいます。さらにアマゾン探検隊の他のメンバーも次々自殺を。
 次に登場するのは「蜘蛛恐怖症」の青年。ネット中毒でゲーム中毒のプー太郎ですが、ネットで不思議な「研修」を見つけて参加し、そこで「聖餐」を受けてしまいます。世界が変容します。これまで全く上手くいかなかった対人関係やアルバイトが上手くいくようになったのです。しかし、同時に「研修」を受けた人たちは次々「天使の囀り」が聞こえるようになります。
 天使の羽根は猛禽類の羽根である、とか、地球で最も成功している多細胞動物は線虫だ、とかなにやら面白い指摘も登場します。そして、最初からずっと登場人物たちにつきまとう蛇のイメージ。髪の毛が蛇のメデューサ。
 そして、またもや異様な自殺が発生します。そして、ついに驚愕の真相がその姿を現します。まるで憑依したかのように人の脳をあやつる○○が(ネタバレ防止で伏せます)。ところが話はそこで終わりません。もっと背筋がぞっとする話が、○○の背景にあったのです。
 本書を読みながら私は『パラサイト・イブ』を思い出していました。自分が操られる対象でしかない、という恐怖が蘇ります。ただ、本書での「本当の悪者」は誰なのか?の疑問には回答はありません。そうそう、「生態系の中の人間」という観点は、『天使の囀り』の方が上手に生かしています。ただ「医者のインターン」は何十年も古いですけど。
 古いと言えば、本書には「新しい時代」も描かれています。フロッピーディスクが現役で、MOディスクやCD−Rが先端テクノロジーなんですから。いやあ、懐かしい。


たった四杯、されど四分の一

2015-10-21 06:37:56 | Weblog

 日本にやって来た「黒船」はたった四隻でした。しかしそれは、当時のアメリカ海軍全兵力の1/4でした。つまり、実は「大艦隊」だったのです。

【ただいま読書中】『日本1852 ──ペリー遠征計画の基礎資料』チャールズ・マックファーレン 著、 渡辺惣樹 訳、 草思社、2010年、2000円(税別)

 ペリー提督が「日本開国」という一大プロジェクトのためノーフォークを出港する4箇月前、当時の知識を洗いざらい集めた日本に関する解説本が出版されました。それが本書です。当時の欧米人は、本書以上の知識を持っていませんでした。つまり、ペリーは本書をベースとして日本との交渉を考えていたはずです。では、それはどのようなものだったのでしょうか。
 1542年マカオを目指すポルトガル船が九州に漂着したことから話は始まります。日本の評判を聞いてザビエルが来日。日本の“教化”が始まります。ポルトガルの商人も宣教師も「大成功」していました。しかし太平洋を越えてイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)が日本に辿り着きます。先着のカトリック側は新教を敵視していましたが、「大坂の皇帝(当時五大老首座の徳川家康)」が「航海士の話」に興味を持ちます。カトリックの妨害も結局無効で、アダムスの仲介もあり、オランダが日本での貿易のトップに出ることになります。アダムスは「礼節の国、信仰心は強いが、多様な考えには柔軟」と日本人を評していますが、これが「世界の常識」となりました。ついでに「性的にも柔軟」という評も広がりましたが。
 「島原の反乱」に関してアメリカの歴史家はオランダを非難しています。島原城をオランダ艦が砲撃しなければ落城はなく、したがってキリスト教徒の虐殺もなかっただろう、と。もっともオランダの側の「全外国人の追放を免れるために幕府に協力するのはしかたなかった」という言い分も本書には紹介されています。
 オランダ人は出島に幽閉され、毎年1回踏み絵の儀式がありました。それを平気で踏むオランダ人のことをヴォルテールは嘲笑していますが、プロテスタントには偶像破壊の傾向があったので踏み絵に対してオランダ人は何の罪悪感も抱いてはいなかったようです。
 本書では「イギリスの栄誉」ということばが何回も登場しますが、それもそのはず、著者はイギリス人でした。だから「新教側」を贔屓するのでしょう。
 鎖国状態の日本に対して、ロシアやイギリスからの働きかけがありますが、日本は固く国境を閉ざします。太平洋では捕鯨が盛んとなり、アメリカもまた日本の港を求めていました。イギリスは、アメリカの行動によって自分たちが置いて行かれないように注視しなければならない、と著者は読者に注意を喚起します。「日本開国」は、貿易と開運の結節点に置かれた、列強共通の関心事だったのです。
 「日本がどのような国か」についてもページが割かれていますが、情報源は主に日本を旅した西洋人の日記です。特にケンペルの名前はよく登場します。将軍謁見の時に踊らされた、なんてスケッチがあったことを思い出します。
 文字の威力でしょう、日本は古くからの文化国家としての扱いです。古典もけっこう読まれているようですが、平家物語はずいぶん変形しています。
 日本に「二つの王権が共存」しているという変則的な政治体制についても、けっこう正確な理解が示されます。さらにそういった王権に優越するのが「法と慣習によるしきたり」である、という指摘も鋭いものと言えるでしょう。また、諸大名が日本各地を支配しているように見えますが、実は大名も幕府と自分の藩の家臣の協力がなければ、まったく無力な存在だ、とも指摘されています。どこもかしこも「二重」です。そして、日本での人の管理法は「嫉妬」を利用しているそうです。スパイがあちこちにうようよして密告が奨励され、不正と欺瞞が横行します。ところが政権とは無関係な人は、正直で真実と名誉を重んじます。これまた不思議な「二重」ですが、オスマントルコの現状と似ているそうです。
 「士農工商」は本書では「八つの身分」とされています。プラス最下層の身分外の人たち。この人たちの立場は、神道の「死の穢れ」と関連している、と著者は考えています。
 武力についての考察もあります。もし武力侵攻をした場合にどのくらいの抵抗に遭うかを考えるためでしょう。兵は精強、武器は時代遅れ、というのが著者の判定です。特に刀剣は優れているが近代戦では全く役に立たない、ともあります。日本帝国陸軍とは意見が違いますね。
 法律は「血で書かれ」ているそうです。刑罰の過酷さからでしょう。
 鉱物資源は、マルコ・ポーロの時代から「金」が注目されていましたが、本書では「石炭」が重視されています。蒸気船が寄港して補給できるかどうか、が長距離航海が可能になるかどうかの分かれ目だったからでしょう。江戸時代の日本ではすでに石炭が使われていたことは、シーボルトの記録からもわかります。だから欧米では日本の石炭に期待をしていたのでしょうね。逆に石炭が期待できなかったら、日本は「世界(のネットワーク)」に参加できなかったかもしれません。
 文化についても細かく記載されています。鎖国下の日本についてここまで詳しく語ることができるとは、感心をします。現代の世界でも、ここまで踏み込んだ関心を他国に持っている人はそこまで多くないのではないかな。