テレビの音楽番組で、J-POPトップ100なんて長い長いのをやってました。ながらで流していたら、歌手が「J」でない人がけっこう混じってます。なんだか大相撲で外人力士を見るような気分でした。もちろん日本人歌手も多くいます。ちょっと多すぎると思ったのがAKB48。いや、歌手の数も多いけれど、ランクインした歌の数もやたら多いのです。ピンクレディー全盛期でもここまで多くの曲がヒットチャート上位にずらりとならんでましたっけ? ただ、ピンクレディーの歌は30年以上経った今でもわかりますが、AKB48の歌は、30年後にどのくらい生き残っているのかな?
【ただいま読書中】『
バビロニア都市民の生活』ステファニー・ダリー 著、 大津忠彦・下釜和也 訳、 同成社、2010年、2800円(税別)
時は紀元前19世紀、北西メソポタミアに小王国マリとカラナがありました。ハンムラビ王に征服される前の一時期、そこに残された史料を読み解いた記録が本書です。
紀元前3500年頃メソポタミアに都市文明が起きました。奢侈品は何も産しない土地のため、交易が盛んとなります。文明は栄え、動乱によって群雄割拠の乱世となりますが、交易は続けられました。そして古バビロニア時代(前2081~前1576)。青銅器に重要な錫は、比較的希少で、東方からもたらされました。交易ルートは、河川と砂漠の道。マリはこの砂漠の道とユーフラテス川が交差する重要な地点に位置して、栄えていました。
マリの発掘で2万枚以上の粘土板が発見されました。使われている言語はアッカド語(セム語系で唯一左から右へ書くことば)。マリには、ヤハドゥン・リムという強大な王がいましたが、スム・ヤマムという男に王位を簒奪され、さらにアッシリア人が征服・支配をします。アッシリア帝国が崩壊し始めて、ヤハドゥン・リムの息子ジムリ・リムが亡命先(おそらく大ヤムハド王国)から王として帰還します。しかしジムリ・リムは「マリ最後の王」でした。出土した粘土板の多くは、ジムリ・リム治世下のものです。
バビロンのハンムラビ王(前1848-1806)は、ジムリ・リムと書簡のやり取りをしていました。はじめは目立たない存在だった二人ですが、やがてメソポタミアの二大勢力となっていき、衝突。結局マリはハンムラビによって滅ぼされます。
当時の王族の手紙は面白い形式になっています。たとえばイルタニ妃にその兄弟からの手紙は「イルタニに伝えよ。ナプスナ・アッドゥはこう申すと。シャマシュ神とマルドゥク神が貴女に長寿を賜りますように。貴女は私の体の調子を尋ねてきましたが、私はこの通り健康にしております……」となっていて、つまり当時の王族にとって手紙は「誰かが読んで聞かせてくれるもの」だったんですね。
貴重な輸入品である木材についての記録も豊富です。王宮の高級材で拵えた扉や家具、武器、木炭など当時の王宮での生活が見えてきます。金属について記録が豊富に残されています。金銀細工師はクティンムムと呼ばれ、銅細工師のクルクッルムとは区別されていました。現物が残っていない動物型の容器(金製や銀製)についても、文字による記録が残されています。もっとも普及していたはずの青銅器については記録があまり残っていません。あまりに「実用のもの」だったので、わざわざ記録をしなかったのかもしれません。青銅に重要な錫の産地はまだ不明で、しかも錫をしめす「アンナークム」という単語が、他の史料では「鉛」を指し、さらに後期青銅器時代には、錫に加えて鉛も銅との合金に利用されています。なんだか、ことばも実物も複雑です。鉄の存在は知られていましたが、まだ飾りに少しだけ用いられるだけでした。
小王国では食糧は基本的に自給自足です。しかし食事の内容は粗末なものではありませんでした。本書に紹介されている「メニュー」では、パンだけでも3種類(小麦、ブッルム殻、大麦)が上げられています。ひよこ豆も潰してナガップムという一種のパンにされましたが、これは貧乏人の主食だったようです。最高級の牛は大麦で飼育されました(もちろん宗教儀礼用ですが、途中で病気になったり儀礼後は人間の腹に収まったはずです)。タンパク源としては、羊・野兎・羚羊(ガゼル)・野鳥・イナゴ・魚介類…… 香辛料は、コリアンダー・クミン・コロハ・サフランアンミ(ミントの一種)・クローブ…… 詳しいレシピは残っていませんが、「ナツメヤシの実120リットルとピスタチオ10リットルで「メスルム」ケーキができる」そうです。どんな味だったんでしょうねえ。
食事を供するのにはお盆が使われましたが、普通は木製・裕福だと象眼したもの・王侯は貴金属製のお盆でした。匙も木製ですが、王は象牙の匙を使っていたようです。
マリとカラナで最も好まれた飲料はビール、次いでワインでした。国王は氷室を作って夏には氷で冷やした飲み物も飲んでいました。(日本は縄文時代ですよ)
私的な書簡も多く残されていますが、そこからは当時の女性の生活(女性の地位、ファッション、マナーなど)が生き生きと再現されます。ビジネス・ウーマンもいます。宮廷の厨房の責任者は女性で、王が変わっても重用されましたが、前の王への忠節を示す印章を使い続けたことがわかっています。王妃も、王の不在時には代官として都を治めました。ハーレムはなかったようです。
神への供え物の記録も詳細です(そういえば、殷の甲骨文字でも、先祖供養に関する記録がとても多かったはず)。占いは「肝臓占い」です。犠牲の動物を屠って、その肝臓や肺臓の形から専門の神官が神意を占うものです。
戦争、外交、婚姻、輸送、牧畜……様々な話題が登場します。すべて粘土板に文字で書かれているのです。ペットか猟犬かはわかりませんが犬も飼われていました。鷹狩りも行なわれています。そして、馬も家畜として飼われていました。ただ、調教がまだ未熟だったのか、王が乗るのは馬がひく車ではなくてラバがひく車であるべき、という文書があるそうです。
小さな本ですが、隅々まで楽しさが充満しています。古代文明の生活臭を嗅ぎたい人には強くオススメします。
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