【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

AIやロボットの進歩

2019-10-31 07:19:00 | Weblog

 いつのまにか将棋や囲碁は、「AIに鍛えてもらおう」「AIに形勢判断をしてもらおう」という風潮になりました。それでも人間と人間が対局する姿は、その魅力を保ち続けています。
 ロボットもおそらくそうでしょうね。たとえば「ラグビーロボット」が開発されて、体重200kgで時速100kmで動く、なんてことが可能になったとしても、人間同士のラグビーワールドカップが、その魅力を失うことはないでしょう。

【ただいま読書中】『われ敗れたり ──コンピュータ棋戦のすべてを語る』米長邦雄 著、 中央公論新社、2012年、1300円(税別)

 昭和の末から、将棋ソフトは開発を続けられ、日本将棋連盟はその支援をしていました。しかし連盟の会長だった著者は「対局料が1億だったら、プロとソフトの公式対局を認める」という縛りを発表、事実上正式な対局を禁止していました。そして2007年、当時最強のソフト「ボナンザ」と渡辺明竜王との公式対局が行われました(大和証券と将棋連盟の契約金は1億で、渡辺竜王の対局料は1000万円でした)。結果は渡辺竜王の勝利。
 その後もコンピューター将棋ソフトは進歩を続け、2010年情報処理学会からのプロ棋士への挑戦では、スーパーコンピューター208台を連結した「あから2010」が清水女流王将を破ります。
 そして、中央公論新社とドワンゴ社が「コンピューター将棋 vs 米長元名人」の対局を企画します。
 著者は早速市販で最強とされていた「激指10」を購入、対局してみると、早指しだと勝率が1〜2割。市販ソフトでこの強さですから、「プロとの対決」用にチューンナップされたソフトはどのくらい強いでしょう。
 2012年世界コンピュータ将棋選手権で優勝した「ボンクラーズ」が著者の対戦相手に決定。持ち時間は各三時間(切れたら1分将棋)、ニコニコ動画で生放送、と決まります。
 著者は50歳で名人になり、それ以後もそれほど力ががくんと落ちているようには見えませんでした。それでも68歳ですから、体力や精神力は少しずつ低下してはいたでしょう。それでも著者は先人(67歳で名人戦挑戦者決定リーグ(現在のA級)に参加して7勝8敗だった阪田三吉、59歳まで棋聖・王将のタイトルを保持し69歳で亡くなるまでA級に在籍し続けた大山康晴)の例を思い出して、自分を鼓舞します。まずは体調を整えます。酒を断ち、体重を落とします。若い頃を思い出して詰め将棋に没頭。しかし、著者が1時間かかって解いた詰め将棋を、コンピューターは0.1秒で解きます。この“実力差"をどうやったら?
 著者は自宅に「ボンクラーズ」が入ったパソコンを導入(28万円、自費。ただしセッティングはボンクラーズ開発者がやってくれました)。ひたすら練習対局を繰り返します。そこで得たのが「人間の将棋とコンピューターの将棋は、違う」という感触です。そして、ボンクラーズに勝つためには、序盤で圧倒的に有利にしておかなければいけない(終盤で競っていたら、絶対に人間側が負かされる)、という結論を得ます。なにしろ「ボンクラーズ」は、著者のパソコンに入っているタイプで1秒間に170万手、実戦の日に登場したタイプは1秒間に1800万手を読む、というとんでもない能力を持っているのです。
 さらにコンピューターは、豊富な序盤データも持っていました。著者自身がもう忘れているような自身の古い棋譜さえデータとして持っています。
 そこで著者は「奇策」を思いつきます。コンピューターが知らない手を初っ端に指すことで、そういった「豊富な序盤データ」を無効化してやろう、と。そこで出たのが有名な「後手6二玉」です。この手の由来が意外な人からのヒントなのですが、こういった面白い裏話はぜひ本書でどうぞ。ともかく、相手の有利な面を少しでも潰しておいて未知の局面に導いたら、人間の側にも勝機がある、が著者の“読み"でした。
 対局会場は将棋会館。ところが「ボンクラーズ」は、複数のコンピューターを接続してさらに読みの精度を高めたい、と希望。ところが電源が足りません。将棋会館で使えるのは4000ワット。ところがボンクラーズはその3倍を欲しがります。人間も名人クラスが何人も接続して能力アップができたら良いんですけどね。
 勝負の結果がどうだったか、それは本書のタイトルに書いてあります。しかし、ニコニコ生放送に集まった人たちは「勝負」だけではなくて「人間が将棋を真剣に指している姿」に感銘を受けたようで、それが現在の「囲碁・将棋チャンネル」や「abemaTV」などの隆盛につながっているようです。つまり、著者は「将棋の勝負」には負けましたが、日本(あるいは世界)の将棋人気の裾野を広げた点では“勝った"といっても良いでしょう。なにしろ著者は、棋士としては引退していて将棋連盟の会長職にあるのですから。そして、翌年から「第2回電王戦(コンピューターソフト5つ vs 人間の棋士5人)」が始まることになります。



和式トイレ

2019-10-30 07:11:18 | Weblog

 かつては金隠し付きでしゃがんで使うぽっとんトイレのことでしたが、今はお尻洗浄機能は当然で他にも様々な高機能が付加されたトイレのことになったようです。文明の進歩はありがたいものです。だけどこの「和式トイレ」に慣れて他のトイレが使えない体質になってしまうと、海外旅行がやりにくくなってしまいません?

【ただいま読書中】『トイレットペーパーの文化誌 ──人糞地理学入門』西岡秀雄 著、 論創社、1987年、1800円

 巻頭で私は笑ってしまいます。いろいろな国のトイレットペーパーの写真が載っているのですが、そのバラエティーの豊かなこと。フランスの「金権政治家を風刺したトイレットペーパー」なんか、その政治家の顔写真が紙の真ん中にでかでかと印刷されているんですよ。これでお尻を拭くんだぁ。
 良いトイレットペーパーに求められる機能は「吸湿性」「強靱性」「肌触り」です。しかしそれらをすべて満たすのはけっこう大変。で、著者が各国のトイレで触れたペーパーの中には、万年筆で字が書けるメモ用紙のようなものもけっこうあったそうです。
 昔の日本でも、かつては紙以外のものが使われていました。江戸中期くらいまでは、葉っぱ・海藻・藁・ロープ・木片などが使われていたそうです。そう言えば昭和中期に、私の自宅は水洗トイレでトイレットペーパー(ただしけっこう固いもの)を使っていましたが、田舎に行ったときに、ぽっとんトイレで新聞紙を切ったものが箱に積み重ねられているのを見て目が点になったことがあるのを思い出しました。その紙を使用する前にはよく揉んで使う、と教わりましたっけ。なんだかお尻がインクで汚れそうな気分がしますが。
 紙を使うのは世界の1/3くらいで、残りは紙以外です。たとえば、指と水(インド、インドネシア)、砂(砂漠地帯)、小石(エジプトなど)、土板(モヘンジョダロ)、葉っぱ(ソ連、昔の日本)、植物の茎(昔の日本、韓国)、トウモロコシの毛や芯(アメリカのコーンベルト地帯)、ロープ(中国の黄土地帯、アフリカのサバンナ地帯)、木片・竹べら(昔の日本でくそかきべらと言っていましたっけ)、海綿(地中海諸島、ローマ帝国)、ぼろきれ(ブータンなど)、海藻(日本の佐渡)……人の工夫は果てしがありません。
 しかし、動物は排便後にお尻を拭かないのに、なんで人間は排便後にお尻を拭く必要があるんでしょうねえ。
 水洗トイレの排水管を流れるのは、汚物だけではありません。本来は飲むことができる世界的には上質の水道水、大量の紙も流されています。また、尿もこれらと一緒に流す必要があるでしょうか? このへんに著者は疑問を持っています。
 私はついつい「日本の常識」に縛られていろいろ判断をしてしまいますが、昭和の頃から見るだけでも「日本の常識」はずいぶん変わっています。だとしたら「現在の日本のトイレの常識」も「絶対的な基準」とは思わない方が良いのでしょう。さて、未来のグローバルなトイレは、どんなものになるのかな?



正しい食餌療法

2019-10-29 07:21:14 | Weblog

 テレビやネットなどでは「痩せるため」のサプリや健康器具の宣伝が山ほど行われています。だけどまともに食えていない人の話も巷には溢れています。
 飽食も飢餓も人にとっては不健康ですが、飽食と飢餓が平気で共存している社会もまた“不健康"と言って良いでしょうか。

【ただいま読書中】『飢えと食の日本史』菊池勇夫 著、 吉川弘文館、2019年、2200円(税別)

 著者は「現在の飽食日本に飢饉の危険性はないのか?」というちょっと恐い問いを立てます。
 「日本での飢え」と言えば、先の世界大戦(特に敗戦直後の冬)や江戸時代の飢饉を思い起こせます。それぞれ「戦争」「鎖国」と言った「特殊事情」を言い立てたくなりますが、著者はちょっと違った見方をしているようです。
 日本の文献上で最初の飢饉の記録は『日本書紀』欽明天皇二八年(567)、郡国が大水のために飢え、人相(あい)食らう状態になったそうです。考古学的には、縄文時代は様々なものを食べていたためにけっこう飢饉にはなりにくかったが、弥生時代から水田の稲作に依存するようになると、人口が増えるために余裕がなくなり、天候の変化(特に旱魃)の影響を受けやすくなっていると考えることができます。特に温暖化になると旱魃の被害が大きくなっています。
 鎌倉・室町時代にも「人相食」の飢饉が何回か発生していますが、その原因は「旱害」「冷害」「洪水」「虫害」でした。江戸時代には、享保の飢饉で西日本は虫害によって大きな被害を受けましたが、それ以降は、寒冷化によって東日本が大規模な冷害型の凶作に見舞われるようになりました。
 「米騒動」は、実は江戸時代から起きていました。18世紀の享保の飢饉頃から見られ、天命や天保の飢饉では全国で同時多発的に発生しています。明治以降では、明治二三年・明治三〇年・大正七年に大きな米騒動が発生していますが、いずれも富山県から始まっていることに著者は注目しています。なお、明治の2回は凶作による米価高騰でしたが、大正のはシベリア出兵を予想して商人や地主が投機的な買い占め・売り惜しみをしたのが米価急騰の原因でした。
 現在の日本はグローバル経済の中に位置づけられ、江戸時代の日本は鎖国体制なので全然話が違うようですが、著者は、鎖国下の日本でも、各藩をそれぞれの国としたら、それをつなぐ経済活動があるのだから、それらをまとめて現在の日本の縮小版として扱えるのではないかとみています。単純な買い占め・売り惜しみだけではありません。東北の藩によっては、飢饉の状況であっても、権力に物を言わせて農民から強引に作物を安く買い集めていた例が紹介されています。全国的に米価が高騰していたら、藩内で安く集めて藩外で高く売ったら大儲け、という目論見でそのような行動をした藩は複数ありますが、結局自分の藩も飢饉に襲われて大被害、ということになってしまいました。さらに米価の異常な高騰(たとえば1年で660%の値上がりをした年があります)は、都市部の住民の暮らしを直撃しました。米騒動が起きるわけです。
 山野には、普段は食べないが飢饉の時には人を救う植物があります。ところが人口が増えていると、山もあっという間に食べ尽くされてしまいます。あるいは、普段から山に慣れていない人は山に入っても食物を見つけることができません。これは困った事態です。そこで人はいくつかの手段を採ります。たとえば人肉食あるいは馬肉食(江戸時代には馬肉を食することには、人肉を食することと同等の忌避感があったようです)。娘を人買いに売る。乞食になる。江戸に出る(人返し令が出されたのは、実に多くの窮民が江戸を目指したからでした)。
 中世以降の日本での飢饉には、「農村と都市(のギャップ)」の影がつねにちらついています。それと、行政の無力さも。
 現代日本では、とりあえず飢饉で大量の死者が出る心配は、現時点ではなさそうです。しかし「農村と都市」のギャップの問題は相変わらず存在していますし、行政の無力さもまた同様。ということは「飢饉なんか心配する必要がない」とは言わない方が良さそうです。



米と塩

2019-10-28 07:20:42 | Weblog

 おむすび(特に俵ではなくて三角)は塩だけでも良いのに、餅を焼いたものは塩だけではなんだか不満が残る(私は醤油をつけたくなる)のはなぜでしょう?

【ただいま読書中】『越境の野球史 ──日米スポーツ交流とハワイ日系二世』森仁志 著、 関西大学出版部、2018年、1900円(税別)

 1905年早稲田大学野球部は、日本の野球チームとして初めて「アメリカ遠征」を行いました。上陸したのはハワイのホノルル。そこで「本場の野球」を初めて見た彼らは、投球のワインドアップ・スクイズやスライディング・道具(グラブやスパイク)を日本に持ち込みました。1907年、早稲田に対抗意識を燃やす慶應大学はハワイからセントルイスカレッジチームを日本に招待します。費用をまかなうため前売り券を発売、それが日本での有料試合の始まりとなります。翌年慶應もハワイを訪問。ハワイ在住の日本人移民は熱狂します(当時の日本人移民は6万人。3万人のネイティブ・ハワイアンを越えて、多民族社会ハワイでの最大民族集団となっていました。ちなみに賃金は民族別に定められていて、たとえば農作業ではポルトガル人>中国人>日本人、となっていました)。
 同じ頃、ハワイでは日系人の野球チーム「朝日」と「櫻花」が活動していました。日系人社会では野球熱が高まり、さらにチームが増え、複数の日系人リーグが成立しました。第一次世界大戦後、「朝日」はハワイリーグに参加、様々な民族の代表チームの中で力を見せて優勝します。1920年代には、ハワイの日系人チームと日本国内のチームとの交流戦が盛んに行われるようになりました。さらに、米本土(たとえば「シアトル日本」)の日系人チームも来日するようになります。さらに、ハワイ高校球界随一の投手若林忠志が法政大学にスカウトされます。ところが東京六大学野球連盟は「若林の排除」を決定。このとき展開された偏狭な島国根性丸出しの粗雑な屁理屈に、私はあきれます。
 アメリカのアマチュアやセミプロに日本ファンが慣れてしまった頃、とうとうルー・ゲーリックを“看板"とする大リーガーのチームが来日。迎え撃つ全日本チームは、六大学の選手を主力としました。ところが文部省はそのブームに眉をひそめ「プロアマ交流の禁止」を打ち出します。そのため、次にベーブルースを含む大リーグ選抜チームが来日したときには、将来のプロ化を見据えて全日本チームが編成され、そこにハワイから日系二世が二人参加しました。さらに職業野球団が全国に誕生すると、ハワイからも日系二世が次々やって来て貴重な戦力となります。
 そして戦争。日系二世は日本では「外人」扱い、そしてハワイではアメリカから「日本のスパイ」扱いをされます。
 「ベースボール」が日本に入ったとき、「アメリカ式」に対して「日本式の野球」の確立が叫ばれました。そして、戦争中にその動きはさらに強くなっていきます。野球だろうがベースボールだろうが、同じルールで行われる試合だったら、「勝つための手段」は「国」ではなくて「ゲーム」が決めるはずですが、どうもそうは思わない人は多かったようです。バットの振り方や捕球のやり方に「お国柄」があるとは私には思えないんですけどね。
 「日本の野球」と「アメリカの野球」の“間"に「ハワイの野球」があった、という著者の着眼点は素晴らしい者に私には思えます。ところで「ハワイの野球(特に日系人の野球)」は「日本の野球」だったのでしょうか、それとも「アメリカの野球」?



海洋放出

2019-10-27 07:45:03 | Weblog

 「汚染水は安全だから海洋放出をすれば良い」という主張があります。それが正しいのだったら、その主張者の地元で海洋放出をしたらどうでしょう。「安全」なのだったら、ためらう理由はないですよね。全量とまでは言いませんが、ある程度引き取ってくれたら、タンクに余裕ができて福島も助かるでしょう。

【ただいま読書中】『解放された世界』H.G.ウェルズ 著、 浜野輝 訳、 岩波書店(岩波文庫 赤276-6)、1997年、700円(税別)

 本書が描かれたのは1913年(発行はその翌年)、第一次世界大戦の直前、飛行機はまだ複葉機で、科学者はラジウムやウランを素手で扱っていた時代です。
 そんな時代に著者は「世界大戦」「原子力エンジン」「ヘリコプター」「原子爆弾」を想像しています。ただし原子力エンジンは自動車や飛行機に搭載されるというとんでもなくコンパクトなものですし、原子エネルギーはビスマスが崩壊して金になるときに放出されるものだし、原子爆弾は、飛行機から手で投下され、その爆発力は大きいが一番の破壊効果は残留放射能によるもの、と、“科学的"には“正しい"とは言えないものばかりです。でもそんなことは“二の次"でしょう。
 本書はSF的な「予言の書」ではありません。著者は「未来の歴史」を淡々と語ります。世界大戦や世界を破滅させる可能性がある原子爆弾によって、世界がどのように変化するのか、「国」がいかなるものに変わっていくのか、を。それと、そういった「世界」を想像しないで目先のことにだけ集中する政治家や軍人に対する不満も、著者は抱いているようです。
 そういった点で、本書はヒロシマ・ナガサキ以降の世界を生きる者が読むべき本、と言えそうです。



日本社会の基準

2019-10-26 06:51:21 | Weblog

 「健康な成人男性(それも“真っ当"な有職者)」が「すべての基準」となっているように私には見えます。だから「そうではない人(女性、子供、老人、障害者、病人、非正規雇用者、退職者など)」がとっても生きにくい世の中が“当たり前"になっているのではないかな。

【ただいま読書中】『ヒトラーの原爆開発を阻止せよ ──“冬の要塞"ヴェモルク重水工場破壊工作』ニール・バスコム 著、 西川美樹 訳、 亜紀書房、2017年、2500円(税別)

 1930年代、物理学の世界では核分裂の研究が始まっていました。同じ頃、ノルウェーのノシュク・ヒドラ社では水の電気分解を繰り返すことによって「重水」を濃縮する工場が稼働を開始していました。ただ、製造をしてみたものの、需要はほとんどありません。とうとう会社は製造を中止することにします。ところが、ドイツとフランスから突然大口の発注が。
 もちろんそれは核分裂研究のためのものでした。中性子の減速材として重水が最適ではないか、と言われていたのです。
 1940年ドイツ軍はノルウェーに侵攻します。ノルウェー政府はあっさり降伏しましたが、レジスタンス運動は密かに広範に行われていました。その中にはイギリスのSIS(秘密情報部)と連絡を保っているメンバーもいて、ドイツ軍がなぜかヴェモルクの重水工場に異常に関心を持ち重水の製造量アップを要求していることも情報として流していました。さらに、ドイツ軍はノルウェーにある酸化ウランもまとめて接収しようとしていました。
 ノルウェー工科大学教授のトロンスターは、レジスタンスの要としても活動し、危険が迫ってイギリスに亡命した後もその専門知識を活かして祖国のために働こうとしました。イギリスに脱出したレジスタンスのメンバーの中には、イギリスで正規の軍事訓練を受けて国に帰ろうとするものもいました。
 チャーチルとローズヴェルトは、ドイツの「新型爆弾」に対抗するために自分たちも核分裂の軍事利用の研究(と実用化)を進めることと同時に、ヴェモルクの重水工場への攻撃も行うことで合意します。
 攻撃(あるいはその道案内)に最適なのは、ノルウェー人の部隊です。子供のころから過ごしていたので地図を見なくても重水工場の周辺地域のことは掌を指すようにわかっている人も混じっています。しかし、彼らにとっては、憎い敵を攻撃することが愛する祖国の重要な資産を破壊することでもあります(重水工場は、巨大なダムと水力発電所とほぼ一体化して建設されていました)。
 私が印象深く感じたのは、英国軍の計画性です。ノルウェーからの亡命者を訓練して使い物になる戦士に育ったら、それをすぐノルウェーに送り込んでナチスを殺させるのではなくて、教官に任命して、新しくやって来たノルウェーの若者を訓練させています。拡大再生産って言うか、将来を見据えて行動しているのです。旧日本軍とはずいぶん発想が違うと感じました。
 しかし、イギリス工兵隊によるヴェモルク強襲作戦は、冬のノルウェーの厳しい気象に阻まれ、始まる前に頓挫しました。グライダーは2機とも墜落し、ゲシュタポは襲撃の目標が重水工場であることを知ったのです。それでもイギリスは襲撃をあきらめません。こんどは少人数のノルウェー人部隊をパラシュート降下させようとします。
 工場襲撃前の、部隊の艱難辛苦は並大抵のものではありません。ところが工場襲撃は非常にスマートに遂行されました。襲撃部隊のメンバーが割ったガラスで手を切った以外は一滴の血も流れず、重水の電解槽は見事に破壊されてしまい、襲撃部隊は全員無事姿を消します。重水が失われたことにより、ドイツの原爆開発は1年以上の遅延を見る、はずでした。
 しかしドイツは、さっさと工場を再建します。戦争に勝つために非常に重要なプロジェクトですから、使える資源はすべて注ぎ込んだのです。そのため、2箇月かからずに工場は重水製造を再開しました。
 「現地を知るノルウェー人」と「現地を知らない連合軍」とのすれ違いがこれまでも紹介されていましたが、再開したヴェモルクに対する攻撃でもすれ違いが発生します。レジスタンスによる破壊工作よりも明らかに効率が悪くノルウェーに対する損害が大きい空襲に、米軍が固執。水力発電所だけではなくて、近隣の村や町も爆撃してしまいノルウェー人が多数殺されます。しかし重水工場はほとんど無傷でした。ノルウェーの戦士たちは危機感を抱きます。このままでは祖国に深刻な傷が残る、と。
 ドイツの原子力計画の責任者に新に就任したゲルラッハも危機感を抱いていました。戦局は難しくなっていますが、原爆ができれば一発逆転があり得ます。しかし重水をノルウェーにだけ頼っているのは、いかにも心許ない。そこでヴェモルクの工場の施設をドイツに丸ごと移送することにします。その情報を得た英軍とノルウェー隊は、輸送途中で機械と1万5000リットルの重水を破壊することにします。しかし、その手段は……
 「愛国者」が、愛国者だからこそ、祖国を侵略した敵と戦うために、自国民も殺してしまう。これは実に辛い状況です。彼らがどうやってその思いと行為の矛盾に折り合いをつけたのか、ちょっと心配です。
 それにしても、ドイツが(計算間違いから)「黒鉛よりも重水の方が減速材として優秀である」と思い込んでしまったことが、本書の戦いのすべての始まりだったとは、歴史とはなんとも皮肉なものだと思います。そして、そういった間違った思い込みは、現在でも各方面に影響を与えながらいろいろ私たちの社会を動かしているのかもしれません。



ゲーム攻略本

2019-10-25 06:50:14 | Weblog

 四半世紀くらい前に、スーファミなどのゲームが出るとすぐに「攻略本」が出版されて、それを片手に最短でゲームを解いてしまう、なんて風潮がありました。それのどこが楽しいんだ?と私は思っていましたが、現在はAIが「チェス攻略」「囲碁攻略」「将棋攻略」なんてやっていてそれをプロが参考にしているんですね。だったら“アマチュア"が攻略本片手、は許されることだったんだ。

【ただいま読書中】『女どうしで子どもを産むことにしました』東小雪・増原裕子 著、 すぎやまえみこ 漫画、KADOKAWA、2016年、1000円(税別)

 同性カップルで結婚式を挙げ渋谷区のパートナーシップ証明書も取り、二人で会社も立ち上げて、公私ともに充実していた二人ですが、「家族」となると「子供」が欲しくなります。
 もちろん「二人の間の子供」は生物学的に無理ですが、養子や二人のどちらかが出産する手段があります。
 そこで二人は悩みます。「ふつうじゃない両親」であることで、子供がいじめられたり悩むのではないか。「子供が欲しい」は「ふつうじゃないカップル」のエゴではないか、と。
 「できちゃったら、堕ろせば良い」とか「できちゃったら、結婚すれば良い」とか言っているそのへんの「ふつうの男女カップル」よりも、「子供を作ること」に自覚的で真剣な態度であることに、私は驚きます。(そういえば「ふつうの男女カップル」が子作りに自覚的で真剣になるのは、たとえば「不妊」といった「異常事態」に直面したときでしたね。そうでない限り人は「ボーッと生きてる」だけなのかも) 平均レベルで見たら、「同性カップルの子育て」の方が「質の高さ」が期待できるかもしれません。(私は「ふつう」に異性と結婚して「ふつう」に子供が生まれた「ふつう」の夫婦と呼ばれる立場ですが、本書のカップルのようにはそこまで真剣に子供を作ることの考察はしませんでした。「ボーッと生きて」たのかなあ)
 「世間」は「子供が可哀想」「子供も同性愛になったらどうするんだ」と二人を攻撃します。「可哀想」と言っている人は自分が「いじめる側」にいる、ということにもう少し自覚的になった方が良いのではないか、なんてことを思う私も「世間」からは攻撃されちゃうのかな? 口では「子供が可哀想」と言っているけれど、内心では「LGBTなんか気持ち悪い」と呟いている人たちに何を言われても、私は平気ですが。かえってこんな反撃をするかもしれません。「私はいじめてなんかいない。子供を心配しているだけだ」と主張する人は「同性愛カップルに育てられたら子供は同性愛になる」という主張のおかしさにまず気づいた方が良いでしょう(だって、その同性愛カップルは、両者とも「異性愛カップル」から誕生して育てられているのですよ)。



傲慢な人

2019-10-24 07:12:39 | Weblog

 たぶん「ケンソン」「ケンジョウ」が漢字で書けません。

【ただいま読書中】『大英帝国は大食らい ──イギリスとその帝国による植民地経営は、いかにして世界各地の食事をつくりあげたか』リジー・コリンガム 著、 松本裕 訳、 河出書房新社、2019年、3200円(税別)

 「帝国の推進力の源泉は食にあった」ことが本書のテーマです。
 大英帝国は「貿易」によって成立していました。アメリカが独立するまでの期間は「イギリス第一帝国」と呼ばれるそうです。18世紀には「帝国」とは「貿易の支配力」を意味していました。19世紀には「海軍力」を誇示すること(と財政投資)で「帝国」は維持されました。先住民族は根絶やしにされ、穀物は世界中で交換されて嗜好は変化させられ、「世界」は「イギリスの食料ネットワーク」に組み込まれていきました。
 このネットワーク形成の物語で、世間の注目は海洋探検やスパイス探求に向きがちですが、著者はまずニューファンドランドの水産貿易をとりあげます。
 塩ダラは、キリスト教の「魚の日」の主食でしたが、海軍の重要な保存食でもありました。また、イギリスはスペインから大量のワインを輸入していましたが、スペイン人が塩ダラを好むため、銀ではなくて塩ダラで支払いをしようと大量の水揚げを漁民に求めました。大西洋の向こうのニューファンドランドでもせっせとタラを獲りました。その結果、スペインはワインでは足りず、銀をイングランドに支払うようになります。イギリス商人はその銀を消費するのではなくて世界各地の投資に回しました。かくして「大英帝国」が産声を上げたのです。
 17世紀にイングランド人がアイルランドを旅行したときの旅行記が紹介されますが、その食事の“野蛮さ"に旅行者が辟易するさまがユーモラスに描かれています。しかしその裏には、16世紀から始まったアイルランドの植民地化(イングランドの入植者との置き換え)がありました。のちに新大陸でおこなったのと、ほぼ同じ行為です。アイルランドがイングランドの植民地、と言われても、一瞬私はきょとんとしますが、のちの「ジャガイモ飢饉」のときのイングランドの酷薄な政策を思い出したら、たしかに植民地なんですね。こちらから見たら、現在「イギリス」の人たちはみな「イギリス人」になってしまうのですが。ともかく「先住民」のアイルランド人はカトリック、「入植者」のイングランド人はプロテスタント。経済対立と同時に宗教戦争の要素も加わり、クロムウェルは苛烈な再征服を実行しました。その結果、アイルランドの人口は殺されたり(疫病などで)死んだり西インド諸島に人身売買で売り飛ばされて20%減少しました。アイルランドに駐留するイングランド軍に塩ダラを供給するニューファンドランドにはアイルランド人入植地が小麦・バター・肉などを供給していました。奇妙な円環構造です。
 西インド諸島にはクロムウェル国家から「契約労働者」と呼ばれる「白人奴隷」(アイルランドの反逆者や王党派)が何千人も送り込まれましたが、それでも労働力は足りず、1641年に最初の奴隷貿易船が西アフリカからバルバドスのブリッジタウンの港に入りました。奴隷が大量に輸入され、それで砂糖の生産が増え、“貿易と投資"はペイするようになります。
 アジアや中東との貿易は「会社」が中心でしたが、新大陸との貿易は中流階級(の寄せ集め)が主力でした。彼らはロンドン・シティに集まり、議会に強い影響力を持ちます。1651年の「航海法」では、アメリカ大陸のイングランド植民地からの生産物を輸送できるのはイングランド船だけ、と定められました。これが「大英帝国」の骨組みとなります。
 インドからイギリスへの輸入品として更紗が有名ですが、イギリスで人気だったのは、スパイスや紅茶といった嗜好品でした。ちなみに本書では「紅茶は砂糖を摂取するための手段」とされています。さらに、植民地からの輸入品のかなりの部分は、他の国への再輸出に回されました。ここでも「貿易と投資」がきれいに機能していたのです。
 庶民が「砂糖入りの紅茶」を愛好するようになった、と聞くと「なんて贅沢な」と言いたくなりますが、実は違うそうです。労働者階級の貧困はどんどん進行し、自家製ビールを製造する余裕がなくなっていきました。昔のビールは今のより甘くて強い酒だったので、その安価な代替品として砂糖入り紅茶が使われるようになったのだそうです。あ、だから、「甘くなくてもアルコールが欲しい」人たちは、ジンに流れていったんですね。
 本書では各章の頭に、日付と場所を示して、そこで食べられた食事のメニューとレシピが具体的に述べられ、そこから「大英帝国の食習慣」について述べられています。植民者は故郷の料理を食べたいけれど手には入るのは現地の食材。本国の人間は時代の変化に従って輸入品を食べるようになっていきます。それらをつなぐ「貿易」は経済学の原則に従って動きます。かくして「資本主義」が少しずつその姿を現してきます。
 大英帝国と言うと、政治や軍事にまず注目したくなりますが、「食事」が実は人々に動機を与えその意識を変容させていったのですね。歴史の切り口としてはちょっとトリッキーかと思って読み始めましたが、実に真っ当な歴史書でした。面白かった。



おことば

2019-10-23 06:48:19 | Weblog

 「被害に心を痛めています」「国民の幸福を願います」「世界の平和を願います」「憲法に則って」
 ……総理大臣にも同じことを心から言ってもらいたいものです。

【ただいま読書中】『サーカスの時間(本橋成一写真集)』本橋成一 著、 河出書房新社、2013年、4800円(税別)

 サーカスの大テントの“裏側"を丹念に撮影した写真集です。
 私が子供だった昭和30年代、夕方帰りが遅いと「人さらいに攫われてサーカスに売られるぞ」なんて親におどかされて怯えたものですが、そのへんの子を攫ったって使い物にはなりませんよね。「芸人」というと言葉は軽いけれど、その内実は「プロフェッショナル」なのですから。表面はニコニコ笑っていても、その根性は筋金入り(そうでなければ命が危ないのです)
 そういったプロが見せる厳しさと軟らかさがこの写真集にはあります。
 なんだかまたサーカスを観に行きたくなりました。



傑出と平凡

2019-10-22 07:05:26 | Weblog

 傑出した人間が平凡な人間を馬鹿にすることがあります。すると、平凡な人間が、それに復讐するかのように、平凡(多数派)ではない人間を馬鹿にすることもあります。たとえば「チビ」「デカ」「LGBT」など。ということは、「人は他人を馬鹿にしたい本性を持っている」と一般化できるのかな?

【ただいま読書中】『水運史から世界の水へ』徳仁親王 著、 NHK出版、2019年、1600円(税別)

 図書館から借りてきた本を読もうとして「あれ、この著者は?」とやっと気づきました。そういえば確かに現天皇は「水の研究者」でしたね。
 「水問題」は、世界の紛争・貧困・環境・農業・エネルギー・教育・ジェンダーなど様々な問題と密接に関係しています。本書でも著者が述べるテーマは「京都の水運」「中世の瀬戸内海水運」「テムズ川の水運史」「江戸の水運」「水害の歴史」「世界の水問題」と非常に幅広いものです。
 著者の卒論は瀬戸内海の海上交通史だったそうですが、本書の「中世の瀬戸内海水運」では、室町時代の瀬戸内海の海上輸送(兵庫港)では、「塩」「米」「木材」が重要な荷物だったことが史料からわかることが具体的に示されています。特に塩が圧倒的に多いのが目立ちますが、京はそんなに塩が必要だったのでしょうか。短期間の兵庫港だけの定点観測ではありますが、こういった研究が「歴史」を肉付けするわけで、私はいろいろ想像をしてしまいました。
 「テムズ川の水運」で私がすぐに思い出すのはオックスフォードです。なんの本だったか、ロンドンとオックスフォードの間がテムズ川で結ばれていることが重要な役割を果たす、というのを読んだことがあるものですから。すると、まさにそのオックスフォードが出てくるものですから、私はちょっと嬉しくなってしまいました。
 水は多すぎたら災害を起こします(津波、洪水、高潮など)。しかし、少なすぎても災害です。また、質の悪い(不衛生な)水は人に不健康をもたらすので、やはり災害扱いして良いでしょう。なるほど、「水の問題」は「世界中の色々な問題」と複雑にリンクしているのですね。